2011年
2011年12月25日
21世紀に入り、ゼロ年代。テロの時代だったといっても過言ではない。9.11から幕を開け、その後のアフガニスタン、イランとの戦争。石油、イスラム教、独裁。そんなワードがキーになって駆けめぐった10年間だった。その10年を終え、10年代元年の今年は激動の一年だった。自分自身も忘れることのできない年になった。そんな一年を簡単に振り返ってみたい。


昨年の12月から新居を探していた私は、ようやく物件を絞り、1月の週末は妻と2人で新居に何度も足を運んでは部屋中の採寸。それに合わせてIKEAに行って家具を調達。悩みに悩んでかったカリモク60のソファ、これは高価だったが価値が勝った。そんな1月、中国が日本を抜いてGDPで世界2位の経済大国になることが確実になった。また、イエメンやエジプトで、この後に来る「春」を呼び込むデモが盛んに行われた。インドのデリーが40年ぶりの寒波に襲われるなど、異常気象も世界中で目立った。家具選びに精を出したおかげで、1月の末に引っ越した我が家は、気に入るレイアウトになった。


2月。生活し始めで2人で色々と探り合いつつも楽しい新居生活がスタート。結婚式をニューヨークで挙げて、帰国後パーティを東京でしよう、私たち2人がそんな会話をしながら、熱心にニューヨーク事情を調べている間に、世界ではアラブの春が。前月のチュニジアのジャスミン革命に続き、エジプトなどで強権政治が崩れ、民主化の波が起こる。ミャンマーでも、テイン・セイン氏が大統領となり民政移管が完了。軍人出身のテイン・セイン氏の動向が心配されたが、本気で民主政治へと進もうとしている模様。そして、ニュージーランドでの地震。日本人の学生が被害にあったことで、連日放送された。


そして、3月。東日本大震災が起こる。津波は東北の町をいくつも飲み込み、福島では原発が壊滅的な事故を起こした。東京は、交通網が麻痺し、早々と終日運休を決めたJRに見捨てられた私も含めた帰宅難民が、大混乱と大混雑の中、何時間もかけて歩いて帰宅。金曜日だったことが不幸中の幸いか。あの時、マンションの安全基準でガスが自動的にストップし、それを解除してくれた妻に、本当に感謝。それがなかったら、ものすごく寒かったあの日、凍えそうな体を温めることも出来なかったから。その後の計画停電による混乱。23区内は停電はなかったが、とにかく電車のダイヤが乱れ過ぎ、なんだかフワフワとした生活が続いた。同時に、私たちは、ニューヨーク挙式の為の航空機を購入(燃油が上がると聞いたし、ドルも80円前半だったのでこの時しかない、と思ってのことだった。結果こんなにドルが安くなるとは……)。ニューヨークで挙式をするには、オフィサーに2人の誓いを見とどけてもらい、さらに立会人を数人つければ正式に結婚したと認められる。ニューヨーク市庁で書類をもらって、宣誓する場所はロウワー・イースト・サイドのお洒落エリア、トンプソン系のホテルのスイートを借りよう。話はどんどん進み、妻が気に入ったニューヨーク在住の日本人カメラマンにコンタクトを取る。たまたま日本に帰ってきているというので、三連休に東京であった。実際に会って話すと、どんどん具体化してイメージがわいてくる2人の挙式。4月には東京で開催する帰国後パーティの場所も決めよう。そんなことを話していた。フクシマはヒロシマ、ナガサキのようにカタカナで世界に広まった。原子力発電所。チェルノブイリやスリーマイルなど、これまでの大事故と並んで報じられる大事故。日本のTSUNAMIと原発が、ものすごいインパクトを持って世界中を駆けめぐった。


4月。年度初めは、なにもかも「マイナス」スタートだったような気がする。気分的にも、例えば企業の「予算」「ターゲット」といわれる数値類も。東京都知事選挙は石原氏の圧勝だった。岡本太郎生誕100年だった今年、その中でもメインイベントだった岡本太郎展は素晴らしかった。今でもこの時にもらった太郎からの言葉を大事に財布に入れている。私が引き当てた言葉は、「たった一人だけでも“ノン”という。時代に逆らう人間がいないといけない。」キューバではフィデル・カストロが第一線から退いた。一つの時代の幕が降りる。そして、英国ではウィリアム王子のロイヤル・ウェディング。一つの時代の幕が上がった。私たち夫婦にとっては、丁度ロイヤル・ウェディングの3日前に、2人の間に新しい命を授かったことが発覚。咄嗟に大喜びし、ちょ、っと待てよ、と、、、ニューヨーク関連の全予約をキャンセルして回った。


5月。実家の京都に帰省したついでに京都東山のSODOHという式場を見学。妻も私も一発で気に入り、即予約金を納める。挙式・披露宴を9月4日にすることを決めた。この時、人前結婚式にしたので、どうしても来て欲しい人50人を選んでいく。振り返れば自分の人生に、こんなにたくさんの「大事な人」がいるんだと、改めて感謝してみたり。妻のお腹の中では、小さな、ホントに小さな命がぴくぴくと鼓動している。それをエコー写真で見た。GWにお互いの実家へ帰省している間に、ウサマ・ビンラディン氏が死んだ。テロから10年。私が9月のニューヨーク挙式にこだわったのも、9.11から10年という節目があった。その年に、容疑者殺害。なんとも計られたような運びだった。この月の下旬、グアムへ行った。


6月。5日、入籍。一緒に住んで半年、それも挙式は3ヵ月後というタイミングでの入籍だったが、妻の名字がすべての書類で私と同じになるのがなんだかとても不思議な気持ちだった。一つの家族になった。それを強く実感した。挙式・披露宴の招待状作成に必死。今までに見たことのないモノ、を目指して、招待状は8ページ物にした。台割りを切って、イラストレーターで本格的に作成。夫婦そろって、こういうことを楽しめる性格でよかった、と改めて。送った招待状は、本当に多くの人に「洒落てる」の評価をいただいた。お世辞でも、嬉しい。サッカー女子ワールドカップが開催。この月の終わりから7月にかけて行われ、最初こそ注目度は低かったが、準決勝、決勝とすすむに連れて報道が増え、注目度も増して「優勝」した時には日本中が喚起に沸いた。今年の流行語大賞「なでしこジャパン」である。


7月。そんななでしこ達の報道が連日なされた初旬、2018年の冬季オリンピック開催地が韓国の平昌に決まった。アフリカでは新しい国家、南スーダン共和国が誕生。三連休に私たち夫婦の両家顔合わせを挙式会場でもあるSODOHで行う。レストランとしても非常に美味しいこの屋敷の「カメラ」の間にて。そのちょうど後だったか、ノルウェーで世界中を震撼させる事件が起こる。ノルウェー連続テロ事件。この月、完全地デジ化に移行した(東北の一部を除いて)。


8月。挙式・披露宴まであと1ヵ月というところで、ラストスパート!と思っていた矢先、アジア4カ国の旅が入り込む。韓国、シンガポール、バンコク、ホーチミン。韓国は記録的な大雨で、バンコクも雨が降った。後々大洪水を起こす8月の長雨。帰国しては京都に行って式場で打ち合わせ、そしてまた海外に行って、帰ってきて打ち合わせて、、、。8月の31日間中、3週間は海外に居た。よって、ロンドンでの暴動はよく知らなかった。


9月。4日、挙式・披露宴。記録的な台風接近による大雨。そんな中、ご招待した方全員が駆けつけてくださり、暖かい言葉をいただく。本当に、みんさんの前で夫婦の宣誓が出来たことを幸せに思うと共に、2人にとっては一生の友人、大事な方々です。改めてありがとうございました。(挙式・披露宴の様子はこちらをどうぞ) 結婚式が終わってからも、中之条ビエンナーレ(群馬)、軽井沢などに旅に出る。子どもが生まれたらなかなか2人でいけないから、と。ニューヨークで、「ウォール街を占拠せよ」のデモが起こる。格差社会への反発。民主主義の総本山、それもウォール街で起こったデモということで世界中が注目した。ロンドンに続いて、ニューヨークでのデモ。東京でも、反原発を中心に、この時期、多くのデモが行われた。


10月。伊豆は修善寺に一泊旅行へ行った後、ヘリテイジホテルとして有名な「富士屋ホテル」に泊まる。その翌週、妻が入院した。結婚式の準備や、式が終わってからの毎週毎週の旅。それが祟ったのか、妻は通常の妊婦検診で異常が見つかり即入院した。子どもも心配だった。この月、世界中をイノベートし、新しい価値観をもたらしたスティーブ・ジョブズが死去した。カダフィ大佐も殺害された。そして、連日のようにタイの洪水のニュースが駆けめぐっていた。日本の工場が危ない。生産が遅れる。震災からようやく立ち直りかけた時のこの痛手。などなどタイの洪水が直結する日本の問題を憂えていた。妻が入院した翌々日、世界の人口が70億人に達したことが国連から発表された。


11月。妻の入院が長引くことが決定。欧州危機がギリシャを発端に始まる。ギリシャではパパンドレウ氏が去り、イタリアでもベルルスコーニ首相が去った。国債、通貨ともに不安定な欧州危機は、今年中に落ち着くことはなさそうだ。アラブの春と並んで、この欧州危機は今年のトピックスとしてよく紹介される。日本のTPP参加、立川談志氏の死去。そんなニュースの中で、私たちにとっての最大のニュース、23日午後18時47分、長男誕生。この日、私は藤原新也氏にサインをもらっていた。たまたま息子の名前も書いてもらった。何かの縁なのかな。私が旅人になるきっかけをくれた藤原新也氏に、名前を書いてもらった日に生まれてきた息子。う〜ん、世界を大きく見て欲しい、そしてタイミングの良い子になって欲しい。そんなことを父として望みながら、結局の所、全部引き受けたぞ、という心境になった次第。11月は、とにかく一生忘れることのない月になった。


12月。妻と息子の3人での生活がスタート。家族ができた。アメリカ軍はイラクから完全に撤退し、イラク戦争が終結した。プーチン氏が大統領に返り咲くことに国民がノーを告げる集会がモスクワで行われ、北朝鮮では金正日氏が死去。新たな体制作りに追われる一方でこの先の動向が注目されている。


今日、25日。あと残すところ5日で、世界を震撼させるどでかい何かが起こらないとは限らないし、それが起こっても不思議じゃないと思わせるような一年だった。年末の紅白歌合戦にレディ・ガガが出る。それまでの、今年の残り。まだまだ何かあるのかな、と私は息子の寝顔を見たりする。ずいぶんふっくらした。


さて来年、2012年。ビッグイヤーと言われている。アメリカ大統領選を始め、台湾大統領選、中国の国家主席交代、韓国大統領選、ロシア大統領選挙がある。ヨーロッパではロンドン五輪までにまだまだ不安定要素が連鎖して、この先がどうなるのか、という状態で、プーチン氏がこのまま順調に大統領となっても彼の提唱する「ユーラシア連合」はなかなか難しいだろう。それよりも中国の台頭。チベットを超えてカトマンズまで行くチベット鉄道が無事であるなら、世界中の人が認めるような“やり方”で世界の中に入ってきて欲しい。偽物、騙し、不正列、無秩序。そんな「中国」のままでは、領海侵犯した漁船の船長のあのイメージのままである。TPPとして太平洋を囲む国々。南米はブラジルの成長に水をさす左派はでないだろうか。そんなこんなを思いながら、2011年、この一年を静かに終え、来る来年の激動を動力に、進んでいきたいと思ってみたり。



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