足踊る大地
鈴木正吾著
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【
4回
/ 全10回】
竹芝は、その店で出会ったインド人について話した。名前は、カーン。日本語の発音は典型的な外国人のそれだが、とにかく語彙がすごいのだという。だから、普通の事を話していても、聞き入ってしまうらしい。これまでの話とは趣の違った展開に、僕は、そわそわした。それは、楽しみを前にしたそわそわではなく、心臓がばくばくするような、嫌な予感だった。
カーンは、持ち時間の中で、最初の五分はたわいもないことを話した。インドから来たこと、デリーやタージ・マハール、ガンジス川、ピンクの宮殿。一通り、インドのことを話してから、ムンバイ出身であることを告げた。大都市、ムンバイ。映画の都。マハラジャが踊り、クリケットがあふれる世界。恋愛も出世も、嫉妬や裏切り、差別も区別も、僕らの親世代の日本そのものだと、誰かが言っていた。そんなイメージするインドの話を生身のインド人から聞くと、こんなにも重みをもって話せるのか。竹芝の話を聞きながら、僕は感心すると共に、彼は、インドにでも行ってみたいと言い出すのかな、と思っていた。とにかく、十五分じゃ足りなかったというカーンと竹芝の時間。カーンのインド話に、竹芝が少し質問していると、持ち時間はすぐに半分となり、短い鈴の音で知らせた。この鈴の音の真似が、竹芝はやけに上手かった。「シャンっ」て鳴ってから、カーンは「ハッピー・セミナー」について話し出したのだという。「なに、それ?」と、僕が聞くや否や、息継ぎも忘れたかのような勢いで、竹芝は話し出した。
「何をやっている人なのか、相手の職業とかは、基本NGらしいんだけど、つい聞いてしまったんだよ。そしたら、講師みたいなもんだって。予備校かどこかで教えているんですか?って聞いたら、教えているのではなくて、伝えているといった方が、近いかも知れもないってさ。もうそれだけで意味不明。このおっさん、大丈夫?って思い始めたときに、いきなり、『教えると、伝えるの違いは、分かりますか?』って聞かれてさ。そりゃ、全然違うから、違いも何も、そもそも全然違うこと、って言ったわけ。つまり、言えなかったんだよね」
― 鉄は、熱をAからBへ伝えます。でも、教えていません。教師は、A地点からB地点までの距離を時間と速さで求める方法を教えます。これは伝えるという一種自然なことから、知識を与えています。それは、与えた知識をどれだけ使って、どんな風に巧くやれるか(知恵に変換できるか)を見るためです。そして巧くやった者に、そうで無い者との差をしっかり付けるためです。差を付けて、明確にすべきことを明確にして、明確にできないものまで見える化しようと無理にあてはめるためです。そこにできるひずみ、ゆがみ、ぶれ。そんなことに一々理由付けするために、また教えることが必要になります。それは、ルールであり、規則であり、罰則を伴った強制です。なのに、です。自由なんです。自分で考えて、自分なりのモノを見つける自由がある、と言う訳です。インドでも、最近は、そんな風潮が強く、その自由という大きなキャンバスに、スイスイ筆を滑らせる者もいるし、一つの線、一点の色さえ塗れない者がいます。知識を詰め込み、ルールを覚え、たくさんの例が示された上で、自由にオリジナルな考えを示せと強要されるのです。これは、羽を広げて大空を飛ぶ鳥のようですか? これが、自由ですか? ―
竹芝の話は、いつからかカーンの口から発せられているようだった。結局のところ、何が言いたいのかが分からない僕は、黙っていた。竹芝も、僕が何か言うのを待っているのか、それとも、これ以上「お前」に話しても、分かってもらえないから止めようかと迷っているのか、とにかく黙っていた。
「で、俺は、通うことにしたの」
竹芝が、長い沈黙を破って告げたので、僕は、「え!?」と、少し大きな声をあげてしまった。ハッピー・セミナーでは、本当の意味での自由が享受できる。カーンとの十五分は、すごく中途半端なところで終了したので、竹芝は、軽い気持でセミナーの場所を聞いた。胡座座を出て、家に帰って、風呂に入って、寝るまで。不思議なことに、ずっとカーンの話が、竹芝の頭を離れなかった。それほどに、惹きつけられたのだという。自由だ、自由だと言われる度に、苦痛だった竹芝。自由に描きなさい、書きなさい、と言われるのが苦手だった。よく考えると、確かに、自由にしろ、という反面、その「した」事を評価されるのだ。点数を付けられる自由って、窮屈だった。カーンのセミナーで伝えられる事は、きっと羽になる。竹芝には、突き上げるような、何かが芽生えた。その突き上げに従い、ハッピー・セミナーのドアをノックした。
実際に行ってみると、そこは、完全にルールに従うことが強いられ、日常生活のすべてが決められる場所だったという。毎日、何処で何を食べ、いつ食べるのかまで詳細に指定されるという。さらには、トイレに行く回数や時間、着る服、髪型、細部に渡る持ち物、隅から隅まで決められる。そんな話を聞きながら、ハッピー・セミナーという場所の異常性よりもむしろ、そんなことをどこか喜々として話している竹芝が不気味だった。そして、そうさせ得るカーンに興味が湧いた。「ここまで決められるとさぁ、逆に気持ちいいもんだよ」と竹芝は言う。カレーを食べる、ピアスを外す、そして、そう言われてから彼を眺めると、髪型も変わっていたし、服装も、雰囲気が違った。「中途半端な自由よりも、よっぽどいいよ」という竹芝の言葉は、宙に浮いたまま、僕の心をとらえようと企んでいるようだった。
「ほんとはさ、もっと早く御礼がしたかったんだけど、セミナーのことを友達に話してもいい許可がなかなか出なくて。昨日ようやく出たんだよね。ほんと、ありがとな。プランが書いてくれた英語が、彼女の何かにひっかかって、胡座座が知れたし、そこでセミナーにも出会えたし。全ての始まりは、プランの手紙なんだよ」
まるで、僕がラブレターを書いたかのような流れに苦笑しつつ「いやいや、あれは、お前が書いた手紙だし、それを伝えた勇気が、全ての始まりだよ」と言った。「でもさぁ、一応、何かしたい、みたいなことは言えるわけ?」と、そのルールだらけのセミナーについて訊ねてみた。僕の中で、そのセミナーは、完璧な刑務所状態。何をするにも許可がいる世界だった。「どういうこと?」と竹芝はきょとんとする。「だから、セミナーのことを友達に話してもいいって、許可が出たんだろ? それは友達に話してもいいか、ってきいたんだろ?」
「それがさ、不思議なんだよ」
竹芝は、確かにセミナーに出会えたのは、ラブレターを渡したことがきっかけで、そのラブレターを実際に渡せたのも、英語に翻訳してもらえたからで、英語にしれくれたプランには、一日も早く御礼がしたかった。しかし、そんなこと一言も、誰にも言っていないのだという。そもそも、セミナーの事を話してはいけないというルールはない。だから、僕に話すことは出来た。だけど、禁止されてないことは、イコールやってもいい事、というよりも、許可されたことだけが、やっていい事という考え方になってしまうらしい。御礼がしたいな、と頭の中で考えていると、それが飽和しそうになったとき、ふーっと空気抜きをしてくれる。それが、カーンの不思議なところだと、竹芝は自慢げに言った。
「そもそも、そのセミナーって、週一回なの? 何時間ぐらいやってんの?」と、興味を持っているように思われるかな、とか、勧誘されてしまうかなと、そんなことを心配する前に訊ねていた。「毎日あるよ。こんど一緒に行ってみる?」と、竹芝に誘われ、ノンといきなり断るのも気が引けたので、考えてみる、とだけ応えた。竹芝の中に、何の悪気もない。企みもない。ただただ、そのセミナーが面白く、一緒に行きたいなら、行こうよ、と誘っている。コレは、新手の新興宗教か。そのうち、家族もろとも資産の一切合切を奪い取るのか。まずは、そのために思想と思考をジャックしているのか。勘ぐりだしたら、切りがない。横に座る竹芝の、だんだん痩せたなとか、話し方が変わったなという変化が、絶対強制社会で調教される男のように思えてきた。別れ際、竹芝は改めてラブレターの礼を言ってから、「まぁ、マジで考えても、いいと思うよ、セミナーのこと。本当に不思議なことが、たくさん起こるから。全部、見透かされているような、かゆいところに、やっと届いたなって思えるような、さ」。手を振って、にっこり笑って、振り返って歩いていく後ろ姿に、僕はゾッとした。勧誘、されているのかな、とも思った。
それ以来、竹芝とは会話をしていない。僕が授業に出ないので、大学で会うこともない。竹芝は、あのセミナーで、がんじがらめに縛られて、それに一種のエクスタシーを感じるかのような生活をしているのだろうか。時々、ふと、強烈に竹芝のことを思い出してしまう。あの、喜々とした表情。どこから来るのか分からないみなぎり。不思議なことが、たくさん起こるといった、セミナー。僕は、仮想現実の中でも、エリアスポットを絞り、御徒町にズームすることが増えた。「ハッピー・セミナー」という言葉をタグにして、呼びかけてみる。「だれか、ハッピー・セミナーに通っている人、または、知っている人」。そんな僕の呼びかけに、応えるものは一人もいなかった。考えてみれば、当然かも知れない。ハッピー・セミナーに行く人は、現実社会で抗っている。現実に疲れてもなお、対処法を現実社会で見つけようとしている。そんな人達が、逃げ込むところは、仮想ではなく、あくまでも現実なのだ。そもそもの思考に違いがある。
呼びかけても応答のないセミナー。これだけ情報が溢れているのに、そこでも、ひっかかるものが一つもない。僕は、心のどこかで、「ハッピー・セミナー被害者の会」のようなものがあるのではないかと疑っていた。そして、そのことを竹芝が知らないなら、一刻も早く知らせなければいけない、とも思っていた。そもそも、毎日セミナーに通って、どのくらいのお金を払っているのだろうか。たぶん、最初はそんなに高くないだろう。そうして、考え方を調教してから、じっくりと資産を吸い取るつもりだろう。そのことの証拠、被害者の声がないかどうか。僕は、そのセミナーの存在が、カーンなる教祖のような人物が、どんどん悪しき者として増長され、竹芝を救い出すことが使命ではないか、とさえ考えるようになった。
僕がカーンに会ったのは、夏の暑い日だった。
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