足踊る大地
鈴木正吾著
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【
5回
/ 全10回】
ハッピー・セミナーの場所を突き止め、興味本位と、どこか勧善懲悪の善意をもって向かった。竹芝が言っていた「一緒に」行こうという言葉から、セミナーは、教室のようなところで、複数の「生徒」に向けて行われていると思い込んでいた。しかし、実態は違った。拍子抜けするほど簡素な部屋に、カーンという中年男が、ポツンといた。それは、あった、といってもいいほどの存在感だった。教祖で、何人もの調教済みの人物から、莫大な資産を吸い取って、壺や絵画やシルクの絨毯やらに囲まれて存在している。勝手にそんな風に思っていた男が、ポツンといたのである。
「連絡した、田中です」と、恐る恐る声をかけると、カーンはにっこり微笑んで、「そんなに、戦闘態勢を取らないでください。ワタシは、田中さんが思っているような人間ではありませんよ」と、ケラケラ笑った。他の生徒(と呼べばいいのか、信者、なのか)は、どこにいるのですか?と聞いたら、「生徒?」と首を傾げた。「あ、すみません、なんて呼べばいいのか分からないのですが、セミナーを受けている人達です」。ああ、と合点がいったような顔になって、「さぁ、わかりませんね」と言った。「講義は、まだ始まってないんですね?」と聞くと、「はい、今日は田中さんが一番のりでした」と応えた。何時から講義が始まるのかは、決まっていないらしい。講義を受けたい人が、受けたい日時にやって来る。たった一つだけルールがあって、他の人がいたら、終わるまで待つか、他の日にするか。カーンと向き合うのは、一人だけ。それが講義のルールらしい。「え? ルールは一つだけですか?」と不思議がる僕に、カーンは少し驚いた顔で、頷いた。
「プラン、というのは本名ですか?」という彼の質問から、講義が始まった。この有り体の質問のあと、「ずいぶん、色んなところへ旅してきたんですね。旅は好きですか?」とずばり言い当てられた。これまで、あまり話してこなかった、家族での旅の数々をカーンは見抜いた。何だか、インドというイメージ、教祖のような存在、これらに加えて霊能者のようで、思わずに逃げ出したくなった。なぜ、旅をしてきたことが分かったのですか? という僕の質問に、「当てずっぽうですよ」と、カーンは、またケラケラ笑った。
僕は、一歳にもならないうちから、家族であちこち旅に出た。キャンピングカーを買うことが夢だった父。そして車酔いの激しい母。父vs母の対決は、母に軍配があがった。だから、電車と新幹線と飛行機で、ぐるぐる家族旅をした。北は知床、白神山地、男鹿半島。長野、京都、広島、長崎、香川に伊勢志摩あたり。僕の記憶にあるのは、旅の間に撮影していた動画映像が主だ。それを繰り返し見るうちに、刷りこまれた。一歳を超えると、すぐに僕のパスポートをとり、海外へも行くようになった。マダガスカル、スリランカ、バンコク、香港、サンフランシスコ。物心がつき、小学生になるとアメリカ中を旅した。今から考えると、父のレストランが休業中の時に、僕の学校の休みは無視して、長期の旅に出ていたのだ。シェフが、メニューを考える視察旅行に出る間、レストランは休業になる。そしたら父は、家族でいろいろと旅をしたのだ。ハイスクール時代、デンバーで暮らし始めてすぐに、馴染むことが出来たのは、外国の街というもの自体に慣れていたことと、英語が話せたことが大きい。父も母も、旅の間はお互い英語で話すことが多かった。だから、僕はなんとなく、飛行機に乗って外国に来た時は、英語で話すものとばかり思っていた。
カーンは、ムンバイの街について、カラフルで、雑多で、多様性の中に咲く花のようなメリットと、そんな花の陰になっているデメリットがあることを教えてくれた。カーンが生まれてから、ムンバイを出るまでの成長。それはちょうど、よちよち歩きの赤ん坊が、しっかりと歩きだし、嫌々期を越えてもなお、好奇心に任せて、あくまでもピュアに物事を見ていたのと同じようだと言う。その成長の速度は、他(他人)から見れば、信じられない程のスピードだった。そんな話を聞いていると、僕は、南米のジャングルで見たカラフルな世界を思い出し、レンソイスでため息をついた絶景が蘇ってくる。
「仮想現実に、興味があるのですか?」
また、カーンは僕の芯に、まっすぐ言葉を突き刺した。しかし、今度はおそらく、僕が持っていたトートバックのヘッドセットを見て言ったのだろう。「ああ、まあ、現実、よりは」。また、ケラケラと笑いながら、ニタニタとインドにおけるITと、それに結びついた魅力を語り始めた。インドは、情報技術の発展過程を知りません。元々、何も無いところから携帯電話やスマホが入ってきて、そういうものとして定着しました。数千年の歴史の中で、見たこともない新しい技術でした。それに飛びついた者も多く、人口の多さに比例して、特出した才能の持ち主も現れました。そんな彼らが、アメリカに渡り、身につけた技術をインドというゼロの大地に根付かせました。それが、またたく間に開花。インターネットはあらゆるものを繋ぎました。田中さんなら、ご存じですよね。インターネットがつないだ現実のあれこれが、あっという間に、現実にはないものを素材として結びつけ、現実の隣に、仮想の空間を創ったこと。その仮想の世界が、パラレルワールドとなって、ちゃんと存在し始めたこと。「はい」と頷く僕に、カーンは笑いもせず、
「じゃ、それが、問題だ、ということもですか?」と言った。
この言葉が、僕の頭の中を打ち抜いた。現実世界のオルタナティブとして、そこに馴染めない人達の救済の場として、仮想現実が役立っている。それなのに、それが問題だと言うのか? カーンは、初めて携帯電話を手にした時の興奮を話し続けていたが、それは耳に入ってこなかった。何が、問題なのか。よく祖母の年代が言う、実感の欠落か? そこから来る対人関係の欠如か? もし、そうだとするなら、心配は無用だ。そんなこと言い尽くされて、ちゃんと対応している。実感というのは、4Dを越えた4DXで、リアルよりもリアルな感触を与えてくれる。対人関係は、仮想現実の中だけでも、ちゃんと成り立つように充実してきている。「問題」とは、その程度のことか? いや、そうではないだろう。そうではないと思わせる何かが、このカーンという中年男にはある。
「……、そう思いませんか?」
話を振られて、慌ててしまった。僕は、彼の話を聞いていなかった。
「すみません、何がですか?」
「ですから、田中さんのように、色んな体験をして、経験をして、それをバーチャルで現実に近い体験をするのと、全く未体験の人が、バーチャル体験だけで分かった気になるのとでは、根本的な差があります。最近、ワタシは、後者が当たり前になりつつあることに、問題があると思っているわけです」
未体験の人が、バーチャルだけで体験するのが、仮想現実の問題。
「それは、問題ではない気がします。そもそも、人は一生のうちで体験出来ることなどしれています。それは、時間的にも、経済的にも制限があるからです。だからこそ、気軽に、仮想現実で体験するんじゃないですか。それが、醍醐味じゃないですか」
「数、の問題ですか?」
「いや、そうとは限りませんが、体験の数も、多ければ多いほど、高い質につながると思います」
「そうでしょうか? う〜ん、やはり、ワタシには問題だとしか思えませんけどね」
何なんだ、と僕は思った。何が言いたいのか、さっぱり分からない。知らないヤツが、知らない世界のことをああだ、こうだと言って、勝手に不安になっているだけだ。そう言って、切り捨ててもいい言葉のはずが、僕にはなぜか、カーンが言うからには、そう簡単に切り捨ててはいけないような気もした。ここで、この現実の世界で、目の前にいるカーンと、決着をつけないといけないような気もしたが。
「どうしましたか、田中さん。ワタシ、何か気に障ることを言いましたか?」
いえ、とだけ僕は応え、その場を去ろうとした。あくまでも見学に来ただけだ。講義がいつ終わるのかは知らないが、ここで退出してもかまわないだろう。「そろそろ、僕は失礼します」「そうですか。分かりました。ご苦労様でした」とカーンは、丁寧に頭を下げた。立ち去ろうとした僕に、「あ、そうだ、田中さん。すみません、一つ、お聞きしてもいいですか? もし、差し支えなければ、このセミナーを知ったきっかけをうかがえますでしょうか?」。「知り合いに、聞きました」「知り合い?」「ええ、大学の同じクラスの知り合いです」「大学生、ですか。ということは、竹芝さんですか?」。この質問に、正直に応えて、何か差し支えるのだろうか。「そうです」と、半ば投げやりになって応えた。トートバックを持って、出入り口の扉を開ける。その背後から、
「それで、いかがでしたか? 今日は」と、暢気にカーンが聞いてきた。僕は、自分でもどうしてか分からない程、苛々していた。このカーンという人物に対して、そして、この意味不明で心底怪しいセミナーに対して。
「なんだか、彼から聞いていたのとは、ぜんぜん違いました」
「ほう、そうですか。良い方に違いましたか? 悪い方に違いましたか?」
「よく分かりません。とにかく、まったく違いました」
本当に、まったく違っていた。日常生活の細部に渡るまで、やることが決められ、がんじがらめにして思考をコントロールするかのようなイメージ。それが、まったくなかった。
「ワタシは、人によって、伝える言葉を変えていますから」
「どうゆうことですか?」
「そのままの意味です。竹芝さんに伝える言葉と、田中さんに伝える言葉は違います。人は、誰しも、言葉そのものよりも、誰が言ったかを重視します。同じ言葉でも、発するのが誰かによって、簡単に聞き流したり、頭でしっかり止めて、心で反芻したりします。おかしなものですよね。もし、初対面や、あまり知らない人の言葉が、突き刺さったとしたら、それは、元々その人の中にあった言葉か、あるいは、その人の中に全く存在していなかった言葉のどちらかです。竹芝さんは、毎日、熱心に、通っておられます。あれこれと日々の生活の詳細について、不満や不安を感じておられました。だから、一回、すべてをリセットしてみたらどうですか、と言いました。全てを止めて、何もしない。その上で、生きるために、どうしても必要な事だけをすれば良いのではないですか、と伝えました。それを彼は実行しています。彼自身が作ったリストに沿って、日常生活を送っておられます。もし、それと同じ事を田中さんに言っても、仕方ないでしょう? せっかく、電車やバスを使って、ここまで訪ねてこられたのですから、そんなもったいないことは、出来ません」
アドバイスをしただけ? あの、がんじがらめに決められた生活は、竹芝自身が望んでやっているだけなのか。じゃ、このカーンという男は、何の目的があって、何の得があって、こんなセミナーをやっているのか。僕の中には、色んな「はてな」が浮かんだ。それを頭から全部振り払って、部屋を出た。
御徒町駅へ続く一本道の商店街。声や匂いや人の息づかい、店という店から発せられる熱のようなものが、絡みついてくる。ここ最近、どこを歩いても、まとわりついてくることのなかった現実社会のいろいろ。問題、なのだろうか。カーンの言葉が、僕の中に突き刺さったまま、商店街を歩いた。
部屋に戻ってからも、カーンの残像が消えなかった。人によって変えているという伝える言葉たち。それらが、はっきりと頭に残っていた。その言葉が、自分の中に元々あった言葉なのか、はたまた、その逆か。
その夜、僕は、なかなか眠れなかった。目を閉じたまま、久しぶりに、家族で旅した色んな国の情景を思い出した。カーンが話していたムンバイの街も想像した。僕は起き上がり、ぼんやりと言葉を並べて、詩を書いた。そして、あのスペースに浮かべた。
〈TRIP〉
音も色も風もぜんぶ/極彩色の海岸通りで/トリップ バイ ハピネス/戦争と平和の間で暢気だ/ユーとミーのリズムでダンスだ/大空に向けた人差し指の先/過去と現在と未来ともっと先/予定も規定も安定も忘れて/このまま進むこれから先/トリップ ナウ
ボクラ ハッピー?/今夜も忘れて今を踊ろう/手と手を取り合い/ユーとミーのリズムで……/ハッピーじゃないか!/極彩色の海岸通り/パナジの夕暮れが闇に変わる/闇と闇の間でぼくらは暢気だ/トリップしてダンシング/トリップしてスペンディング/トリップして、、、過ごしていく
僕は、大学の例の空き地にいる。カーンとは、あれ以来、一度も会っていない。ここのところ、誰にも会わず、ずっとひとりでいる。一人だが、独りぼっちには思えない仮想の世界がある。そこで、コンタクトを続けて、それを終えたら帰る。
昨日から、父と母が東京へ来ている。一週間の予定で、東京へ旅行に来たらしい。というのは口実で、確実に僕の様子を見に来たのだ。「もう、プランも二十歳だから、こういうの、嫌がるだろうけど。母さんも父さんも、せっかく東京に来たのだから、顔だけでも見ようかと思って」。そんな理由付けして、僕の、一人暮らしの部屋に来た。遊びに来た、と両親は口を合わしていた。昨夜は、小さなキッチンで、買ってきた食材を炒めたり、焼いたりして、久しぶりに母の手料理を家族三人で食べた。父は、シャンパンを買ってきていた。僕と一緒にお酒を飲むのが、父の夢だったらしい。二十歳。僕は普通に、この年齢を迎えていた。お酒を飲んでいる父をずっと見るだけだったので、面と向かって一緒に飲んでいるのが、なんだかこそばゆくて変な感じだった。
父はずっと、クアーズ・フィールドの話をしていた。デンバーにいた頃、父と二人でよく行った野球場。僕は、コロラド・ロッキーズが好きだったわけではなかったが、ちょうど僕がデンバーに移住した年、タナカという日本人プレーヤーが移籍してきて活躍していた。日本人には珍しい、フィールドプレーヤー。それも内野手だった。クラスメイトからは、中学までのように「プラン」と呼ばれるのではなく、「タナカ」と呼ばれていた。それも、タナカ選手の活躍が大きかった。高校生にもなって、親とどこかへ出かけるなんて恥ずかしい。日本にいれば、おそらくはそうなっていただろうけど、デンバーでは普通だった。広大なフィールドに選手が散らばり、白球を追う姿には夢がある、と父はよく言っていた。地位や名声という夢だけではない、もっと露骨な金という夢もある。何もないフィールドで、自分の足で走り、腕で投げる。その結果が、金になる。お酒が入ると父は、「続けていればよかった」と、よく悔やんでいた。高校生の頃に花形選手として全国大会に行き、いくつかの大学からスカウトも来ていたらしい。しかし、父は自分で自分を見切った。野球で食べていけるほどの選手ではない、と。それから、ある有名シェフの元で、料理ではなく、レストラン経営のノウハウを学び、各テーブルに座る客たちと勝負にも似た接客をする道を選んだ。これとなく最上の時間と空間を提供すること。そのことに、徹してきた。その父が語る、フィールド。その父が語る、夢。僕は、目の前で一緒にお酒を飲みながら、昔話をする父を見ながら、あの時、デンバーに着いて、初めて訪れた父の店を思い出していた。あの店内の空気、そこをフィールドとして働いている父。僕には、戦うための、あるいはパフォーマンスするための、フィールドがない。毎日のように、あの空き地に座って、ヘッドセットを通して現れる世界に没頭しているだけ。
「父さんには、プランがやろうとしているフィールドについて、さっぱり分かってないけど、そこにも、ちゃんと夢は、あるんだろう?」
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