「人生は旅だ」。そんな風に思うには、僕の毎日は退屈すぎて、まるでダラダラ見てしまう連続ドラマのように、それなりに楽しく、何となく続けているといった感じだった。

そろそろチャンネルを変えたかった。

幸いにも当時の僕は、学生という立場だったので、時間的余裕は充分にあり、資金面でも、豊富なニッポンのアルバイト事情からして、自分にちょっとカツを入れればなんて事はなかった。つまり、その気さえあればすぐにでも旅に出られる状態だった。

幼い時からの性分で、何かを始めるには、必ずその理由と、そうすることによって持たされるメリットとデメリットを考えてしまう。その事がはっきりとした上で行動をするという、一見利口そうで、随分遠回りな生き方をしていた。“今”は、何秒後かに過去になり、未来の事を考えているようで、過去の時点をさまようばかりだった。

そんな事ばかり繰り返していた。

結局の所を言うと、海外に一人で旅に出る理由は見つからなかった。むろんそれは、先述したような理由が見つからなかったと言うだけだ。やってみて解ることや、食ってみて解ることは、たくさんあるが、言うならば、旅もその類のモノだ。

飛行機に飛び乗って、十数時間もすれば、それまでテレビや映画、雑誌などで平面的に見ていた景色が、立体的に、そして実際的に目の前に感じられる。そこに流れる時のリズムや、漂う雰囲気、耳にするネイティブ達の会話に知らず知らず心が震える。足は一歩一歩いつもより速く動き、笑顔がこぼれ出す。毎朝大量にすれ違う無表情な人達をまるで風景の一つのように、人を人とも思わなかった日本の暮らし
から抜け出すと、

“Hello”一つで生きていける気がした。

旅に明確な目的など見いだす必要は無い。自分の頭を空っぽにして、その時感じたことや、見たものをどんどん吸収すればいい。本で読んだ知識や、誰かがかみ砕いた概念などに縛られて、先入観に浸された脳と眼球でその景色を映し出そうとすると、行き止まりばかりの迷路をさまよってしまう。そんなステレオタイプなイメージとのギャップから、誤解が生じ、スムーズに流れるモノまでよどんでしまう。あるがままに、旅先での出来事を感じることができれば、それは何よりも大きく、そして多く、自分を成長させるような気がした。

日本を囲む大洋から一歩出た時、紛れもなくその地域には特有の生活があり、下手をすれば一生涯関わる事のできない異文化に触れることが出来る。その中に飛び込んで、自分たちの文化を伝え、その地域の文化を感じる。文化とは、誰かが小難しく活字にするものではなく、ありふれた日常の中に、濃厚に存在するモノであり、一人で見知らぬ町を一日歩いただけで感じることの出来る、その程度のモノなのだと言うことも、ここに記しておく必要があるかも知れない。

旅に出る理由もその醍醐味も、その地に降り立った時にやって来る、胸の躍動にあると僕は思う。一つの長い人生を二ヶ月くらいに凝縮したように、旅中には、喜びや怒り、悲しみ、焦り、不安、出会いが存在する。


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序章:旅にでる理由