クーデターというフランス語の意味は、「急激な非合法的手段に訴えて政権を奪うこと」らしい(広辞苑より)。市民革命によって政治を動かしてきたフランスでは、「革命」と明確に区別する意味を持つ。

軍部による政権奪取。それも「非合法的手段」で。先月タイで起こったそれは、ど真ん中に非常事態だ。たまたま夜中にCNNのウェブサイトで第一報を知り、驚きとともに、ちょうどその時タイを旅していた友だちのことを気にかけた。こういう時、文字は弱い。いや逆に過剰なほど強い。だから心配が心配をよび、「早く、みのさん出てこい!番組はじまれ!」と朝を待った。

と、、、真夜中のバンコク市内の映像が繰り返し流され、よく状況が掴めない。
時間が流れて午前、成田や関空からの「空の便」に関する情報が次々と流される。「通常通り」。なんとも違和感のある対応。なにが?どうなっているのか?つまり、これが文字による過剰なほどの「強さ」。「せっかく会社の休みをとったので」。バンコクに飛び立つ乗客は、詳しい情報がわからないので、とりあえず行く、とインタビューに応えていた。9月下旬、夏休みをずらしてとったサラリーマン達が心配を隠しつつ、平然に…。「やっぱりタイだからこうなるんだろうな」。いれたての「マウントパーク・モカ」を嗅ぎながら僕は思った。これが中東、もしくは旧東欧諸国なら大騒ぎに違いない。タイなら大丈夫。そんな安心が確かにあるのだろう。僕の中にもある。それを裏付けるだけの民主国家なのだ、タイは。「そう、思っていた」。東南アジアの中において、通貨危機を乗り越えてからの経済発展、そしてASEANの筆頭として陣頭指揮する政治力。ここ10年で、タイからクーデターのイメージは消えていた。

しかし、もろかった。タクシン元首相による強硬な政治手法に「ノー」が言えない野党。民衆は立ち上がり、デモを繰り返した。国王が仲介に入り、選挙を実施。この流れは民主的だった。が、野党は戦いを拒否する。選挙ボイコット。与党の信任選挙となった前回の結果、タクシンは首相の座に居座り、私腹を肥やしていく。言えない「ノー」の拳が無力感となり、高層ビルと渋滞の中で、あの熱帯性気候のジリジリという鬱積に耐えていた、のだろう。

「よくやった!」「理解できる」。民衆は、この度のクーデターに対し、そんな評価を下した。クーデターの支持率80%以上。首都の主要機関を占拠した兵士に花束を渡す少女。普段通りの通勤風景。

「バンコクから最新の映像が届きました」。午後、日本のテレビにバンコク市内の映像が流れる。
なんと、戦車の横に立つ兵士が、子供を抱きかかえ、そして、記念撮影をしている。
どこかの博物館か?それとも軍事パレードなのか?そんな風に思える映像。

あとは国民から圧倒的に支持されている国王が、クーデター側か、それともタクシンか。どちらに傾くかで情勢が決まる見込みだと、レポーターが伝える。……そんなもんなのか?と、僕はとっくに冷めてしまったマウントパーク・モカを飲む。

首相としてニューヨークに旅立ったタクシン首相は、タイに戻ることもできないまま、首相の座をおわれ、ロンドンに飛び立った。占拠されたテレビ局からの放送で、クーデターを起こし、それに成功し実権を握ったと「民主改革評議会」が宣言する。タイは、一日にして、乗っ取られた。

この一連の動きに対して、EUやオーストラリアは拒否反応を示した。民主的な流れに反するクーデターなのだ。文字による強さに準じた反応と言える。

が、多くは違ったように思う。国民の高い支持率、並びにタイ国内で最大の懸念だった南部のイスラム原理主義によるゲリラ活動の鎮静化。このクーデターを率いたソンティ陸軍司令官がイスラム教徒であることから、その解決も期待されるというのだ。そんな理由から、「とにかくまぁ、軍部から民主政治への移行が早期にスムーズに行えれば、経済など諸々の損失も一時的なものだろう」と…。

だからこその記念、まるで何十年かに一度、地球に再接近する惑星を見るかのような撮影。

で、いいのか?と僕は首を傾げる。確かに、都市部、そして一部の南部地方のイスラム教徒には、憎きタクシンをよくぞ追っ払ってくれたという「歓迎」があるだろう。が、もちろん、その反対もいる。農村部ではタクシンの経済政策で恩恵を受けている人が多く、実際問題として、「選挙」という形で、選ばれた首相なのだ。意見の相違は話し合いで、そして最終的には「決を採る」。これが大前提であり、気にくわないから「居ない間に」強引に乗っ取ってしまうやり方は、先述の理由があっても許されない。と、僕は思う。例えば、この次にできる政権は、軍部主導のものだろうし、それが「ダメ」になれば権力にしがみつく者、そしてそれを追い払う者とのギクシャクの中で、再びクーデターということもありうる。

政権なんて、いざとなればクーデターで変えればいい。そんなことがまかり通りかねない。

これは、民主主義からは遠くかけ離れた考え方であり、理由があれば許されるという問題でもない。
今やサウジアラビアでも南米諸国でも、そしてアフガニスタンやイラクでも、形だけの場合があるにせよ政権は選挙で決めるのだ。人それぞれ考え方や選択は違う。多数が勝つという原理は変えられないが、少数であれ、「支持」する意志さえ示せない「強引なやりかた」は、やはり、まずい。

今回のタイにおけるクーデターが、そんなことを世界に広め、「やっぱりクーデターはあかんよな」という共通認識のもと、考えてみればあれが最後だった、と言えるようになることを望みたい。そういう未来からみて、「最後のクーデターの記念写真」になればいいのに。



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記念撮影のクーデター
2006年10月01日