同調圧力
pressure to conform


この言葉が、「日本社会において」という前置きのもとで
〈悪い意味で〉使われることが肌感として多い。
それが、当たり前、とされたところから、
次の段階にあがった、とも言えなくない。

まず、「同調」とは。

@調子が同じであること。
A他と調子を合わせること。
他人の主張に自分の意見を一致させること。
B機械的振動体または電気的振動回路などが、
外部から与えられる振動に共振するように、
その固有振動数を調節すること。
(広辞苑)

この同調に対して、圧力(=プレッシャー)をかける「雰囲気」が悪いとされる。
幼稚園・小学校・中学校・高校・大学・会社、町内・村・街・国、
というコミュニティー(集団)の中の「個」である以上、
周りと同調して進む/暮らすことの恩恵は大きい。

が、個が個として、素のままの思いや考え方が、
たまたま「はみだした」時、
集団から放り出され、それに怯えを抱く。
【集団において、個の素のままの意見が少数である場合、
その人に対して、集団が多くの意見と同じくすることを
強制するような雰囲気を作る】。

これが同調圧力だ。

ハラスメントのような嫌がらせでもなく、
誰、という対象があるわけでもない。
はみ出した個からすると、
周りのすべての視線が突き刺さるような雰囲気(を作り出す圧力)。
心理的圧力と表現する場合もある。

同調圧力をしないことは、
つまりは、少数者(=マイノリティ)への理解とも言えなくないが、
理解しても認めない、つまりは、空気が読めない、
変人、変わった人と「個」を決めつけて、
輪の中に入らないのは勝手だけど、
あっちへいってやって、という集団が、
当たり前のように存在しているから質が悪い。

同調するフィールド(輪)があまりにも小さいのだ。
その輪からはみ出した人は、
はみ出した人だけでさらに小さなフィールドをつくって、
ソーシャルネットワークでつながりを持ってしまう。
これを(そんな輪がたくさんあること)、
多様性とは呼べないような気がする。

私はそうは思わなかったけど、みんながいうから。
これが、全体の意見になってしまって、
友達関係や学校、サークルに会社の部署に至るまで、
集団という「場所」には、必ずある空気をつくってしまう。

ここで、大事なのは「同調」は必要であることである。
そのために、
まずは口と耳で、言って・聞くこと。
そこで交じり合って
「個のまま」でゆけること。
つまりは、多数は、少数に対して、
もともとあった輪の中に引っ張り込むのではなく、
その少数も含んだ範囲へ輪を広げて、
調子を合わしていくこと。

これが、大事な同調である。

そうやって広げていった輪の大きさが、ゆくゆくは地球サイズになる。

これこそが多様性であり、
ムライシキの小さな(=取るに足らない)輪の中に、
引っ張り込む(=同調)雰囲気(=プレッシャー/圧力)は、
生産性もなければ、負を残すだけだと思う。




2020年2月8日記