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20年近く前、京都駅の伊勢丹であった展覧会で、藤田嗣治(レオナール藤田)の赤い風船をもった少女の絵に一目惚れしてから、何度も脚を運んだ藤田嗣治展。その大回顧展ということで脚を運んだ。彼の特徴である乳白色。貝殻が混じっているのか?ともいわれる独特の色合いは、何度見ても心奪われ、少女の表情には、奈良美智のそれにも似て、なんとも言い表しがたい魅力がある。

さて、今回は藤田の原風景とも言える、パリに行く前の「自画像」や「父の像」がある。その中の「朝鮮風景」には、これが藤田嗣治のものだと思えば思うほど、とても素晴らしく見える。そして、パリへ。当時のトップアーティストとの交流の中で、彼の絵はどんどん魅力を増していく。「シャンタル嬢の肖像」はこれまでの肖像画(日本で描いていたもの)とはまったく違った風合いになる。「巴里城門」は、最初の会心の作として、藤田自身が買い戻したといわれるもので、これだけの色数、線の数で、こんな雰囲気が出せるなんて、なんて寂しくも素敵な絵なのだろう。個人的には「雪のパリの町並み」に心引かれた。そして、藤田独特の人のシルエットが出てくる「目隠し遊び」や、表情が独特な「二人の女」、そして傑作は「花を持つ少女」。青っぽく、幽霊のような、だけどこれだけ透き通ると吸い込まれる。花を持つ2本の指の持ち方がいい。「バラ」は大好きな作品だ。まるで、生け花。この空間美にやられる。最も有名だろう乳白色に猫のはいった「自画像」、パンチ力がすごい「座る女」と作品が続くと、階段で会場を変わる毎に深呼吸したくなるほど、ぎゅーっとつかまれる。ポスターとして文字の美しさも際立つ「サロン・デュ・フラン」、赤ちゃんがとてもかわいい「砂の上で」。

今回は、中南米や日本で旅した記録も多い。中南米の濃い太陽と濃い色彩の「町芸人」「ラパスの老婆」(実際に、ラパスで見た光景を思い出す)、「ラマと四人の人物」など、藤田作品の違った角度を見せてくれる。日本の数寄屋造りの中で藤田の「自画像」というのも見物だし、沖縄の雰囲気がこれでもか、と出ている「孫」もいい。

そして、藤田と戦争。これを避けて通ることの多い中、今回の展覧会ではしっかりと見せてくれる。「争闘(猫)」は、ゲルニカの猫版というか。戦火に逃げ惑う猫を描く。そして、「アッツ島玉砕」では、目をそむけたくなるほどの人・人・人。とにかく顔の数が凄まじい。

戦争の絵を見てから、「カフェ」を見ると、これはもうザ・藤田であり、その魅力は書き尽くせない。小さな女の子と犬がかわいらしい「ホテル・エドガー・キネ」、構図が美しい「夢」、活気があり、声まで聞こえてきそうな「ビストロ」、そして、未来を想像し、現代なら"普通"のようになった「機械の時代」。

フランスに戻って、宗教画が増えた藤田。「聖女」は色が黒の珍しい世界感だが、とても藤田的だ。生でみると、やっぱり色がすばらしい「聖母子」、そして「マドンナ」と堪能して、展覧会は終わる。一気に、これだけ見ると、もう満腹感が半端ない。

没後50年 藤田嗣治展
Foujita:A Retrospective Commemorating the 50th Anniversary of his Death

@東京都美術館
2018年9月22日(土)

公式ホームページより

こどもには、自由にお絵かきできるセットが配られ、こども専用のたのしい解説書もついている