ホテル執事というサービス
2008年05月25日
ベルボーイ、ドアマン、ハウスキーパー、コンシェルジュ。ホテルには、「それ相応」のサービスを提供する専門家がいる。重い鞄を提げ、チェックインを済ませるとポーターが部屋まで運んでくれる。毎日シーツは換えられ、ドアを出るとタクシーを呼んでくれる。Yシャツを置いている店もすんなり教えてくれる。その都度、1ドル〜3ドルのチップを渡す。アメリカンタイプのホテルに慣れっこになった僕らの、これが通常の流れだ。それぞれの用途に合わせて、それぞれの専門家に尋ねる。時々、「それは、あちらにいる白いジャケットを着たスタッフにお尋ねください」なんて言われて、チッと思うこともある。

そんなホテルのサービスに、変化が出始めているらしい。

昨今、ドバイを始めマカオやラスベガスなど、世界各地の高級ホテルが「富裕層」を狙って豪華サービスを競っており、ハード面の「進化」に相対して、ソフト面では伝統的な「執事」という職に託そうとしているというから面白い。かつてフィッツジェラルドの「グレート・ギャッツビー」や映画「ホーム・アローン」でも登場し、ニューヨークのシンボル的な名門ホテル、「プラザ・ホテル」の再オープンの記事にそんな「執事」のことが書かれていた(COURRiER Japon/The New York Timesより)。

そもそも執事とは、ロンドンを中心に英国名家の屋敷に住み込み、事務全般を取り仕切る者のことを言う。ブッカー賞を受賞したカズオ・イシグロ著『日の名残り』では、移り変わる時代の中で、執事という職の苦悩が綴られている。つまり、ご主人様に従え、その家の名に恥じないような振る舞いを【完璧】にこなす「執事」は、もはや時代遅れだ、と記しているのである。

そんな「職」が、新しい名門ホテルの顔になるとは。そこが、面白いのである。

プラザ・ホテルがイスラエルの不動産会社エラドに買収されたのが4年前。それから営業を一旦停止し、リノベーションへ入った。買収額と改装費、合わせて一千億円以上を費やした新・プラザは、今年の三月、営業を開始した。男女17名がホテル執事として24時間のサービスをしている。ホテル執事の仕事とは、彼ら曰く『法律や道徳に反しないかぎり、チェックインのときから〈お客様がもとめることすべて〉である』らしい。別々の人に「それぞれ」頼むのではない、一人ですべてを完璧にこなす。食事のテーブルでは塩は左、胡椒は右、など細やかなところまで、だ。先述の『日の名残り』の中でも、執事はお屋敷にやってこられるお客様の顔色を見て、必要なサービスを必要な時に、必要なだけ提供する、それもさりげなく、自然に快適な空間を創り上げる、、、というようなことが記されている。

名門の一流ホテルに滞在するような「客」が求めるもの。それを縦割りの専門職集団でカバーすること。そこに絶対的な欠陥が生じるようになった。これはおそらく、リゾート地にしても、そうでなくても、宿泊客はホテルに「1から10までの快適」を求めるようになったということだと思うし、それをそつなく完璧に、顔色をよむだけでさりげなくサーブしてくれる「プロ」を求めるようになったということだろう。

天国のような寝心地のベットや、バリアフリーのバスルームなど、ブローシャーに示せる「自慢」は、もはやどこのホテルでもやっている。文字や写真では伝えにくい、日本的に言えば『おもてなし』。その心が、世界各地の豪華ホテルでも第一義的に重宝され始めたのだ。

旅館の女将。考えてみると「お客様」を主人とするなら、中世以降の英国の屋敷にいた執事とほぼ同じではないか?その日の天候によって料理を変える、リピーターなら、前回の宿泊時の様子が頭の中にインプットされている。そんな一つひとつの積み重ねが、あ〜来てよかったという、声にならない快感になる。

ことサービス業と呼ばれる職種では、全般的に「執事」的な存在が求められようとしているような気がする。クロス・ジョブ的に、それぞれ「点」で存在しているジョブを、たすきがけのように縦横無尽に行き来し、とにかく対「人」という視点にたって全てをカバーするサービス提供者。これは、時代が変われば変わるほど求められることであって、つまりは、いくら未来に進化が起こっても、根底には人の感じる「快適」は変わらずあって、それを必要な時に、必要なだけ、提供できるかが問われているのだ。

よく「この海と空だけがあれば、もう他に何もいらない」というようなチープなキャッチコピーを見る。それを見る度に、そんな「完璧な自然」の中で、快適を提供するほど難しいことはないんだよ、と思ったりもする。以前、タヒチにある名門リゾート、キアオラのセールスマネージャーと話した際、「目立たないおもてなしが、日本的です」といったようなことを言っていたのを思い出す。そう、ホテルに限ったことではないが、例えばホテル執事なる職が一般化されようとしている今、最も重要なのは、「最高水準で完璧なサービスを、目立たないように行う」ことだと思う。そういうソフト面を持ったホテルなら、例えば二日続けてメイン料理がフィッシュでも、許せてしまえるのではないだろうか。きっと、同じフィッシュではないように感じさせてくれる「おもてなし」付きだから。


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