いじめ調査
2007年11月18日
先日、文部科学省は06年度の全国小中高・特殊学校の「問題行動」調査の結果を発表した。そこで明らかになったのは、05年度に比べ、いじめ件数が約6倍の12万件以上に急増したというもの。しかし、それは実態が急増したのではなく、聞き取りを重視した調査方法への転換や、いじめの定義の見直しから数が増えたという。「いじめはありません」とアンケートに答えていた時代からは進歩したと言えるが、「いじめを把握し、問題はすでに解消した」というのが全体の80パーセント近くをしめているあたり、まだまだ学校という閉鎖社会において、「本当のことは言えない」のではないかと疑ってしまう。

そもそも、このような全国一斉調査というのは、どれだけの意味があるのだろうか。例えば、イギリスでは、急増するニートや、移民の若者に職場を追われたイギリス人貧困青年の凶悪化に対して、現行の16歳から、18歳まで義務教育の年齢を引き上げようという具体的な話が持ち上がっている。(その有用性を疑問視する声も多いが)。

日本はどうするのか。調査しました。っで、このような結果がでました。だからどうします?という段階でいつも終わってしまう。公立高でありながら、生徒獲得のために四苦八苦しなければならない「おかしな実情」をどうにかして変えようとしないのか。かつては部室や校舎裏、帰り道など大人の目の届かないところで行われていたいじめが、もはや仮想空間のネット社会へ飛び火してしまった現状を、全プロバイダや携帯会社と本気になって話しあい、使用制限などの実施に踏み込めないのか。そういう具体的な動きは見えぬまま、生徒の全生活を把握しろというのは教師にとって酷な話であり、共働きの両親にも無理なこと。だからこそ「地域社会なんだよ」と声高に主張せざるを得ない、つまり「理想論」に落ち着いてしまう。

いじめは、もうその言葉に逃げているだけで、実際は恐喝・暴行・殺人というレベルまできている例が多いのだ。「子供だから」とか「学校のことだから」というのでは収まりきらない。

誰々ちゃんのことが好き、嫌いから始まって、お友達グループを形成する。そのグループを強固なものにするために「外」、つまりターゲットをきめていじめる。そうするうちにグループ内に共同体意識が芽生える。この「いじめの構造」は、大人社会でも同じだし、もっといえば、古代ローマ帝国のカエサルだってやっていた手法だ。とにかく外に敵をつくって目をそちらに向かわせる。そのことで「内」をかためる。

そのターゲットになったいじめられる子は、孤独で苦痛で恐怖で、学校になんて行きたくなくなる。登校拒否や引きこもり。そんな子を救うのは、「時間」だったりもした。いつまでも続くわけではない。行きたくないなら学校に行かなくてもいい。そのうち打ち込めることができるだろうし、「大人になれば……」と。実際に、そんな経験談を元に自叙伝を出すタレントなども多く、それに縋りたくなる親御さんも多いだろう。

が、どうも違うような気がしてならい。近頃、「ゴールを見切る子」が多い気がしてならないのだ。ネット社会は子供たちに「知識」だけの植え付けを行い、未来への視野を広めた。それと同時に、無邪気に描き出す自分の将来への可能性を狭めたのだ。現実をあたかも突きつけたかのような知識。今、いじめられてても、卒業したら「新しい世界」があるという漠然とした希望が描けない。きっと変わらないんだ、同じなんだと、見切った自分の将来が、「自殺」へと追い込んだりもする。実際に体験もしていないのに知った気になり、勝手に挫折し、あきらめる。それが、実は一番の問題なのではないかと思う。

また、いじめられる方ばかりではなく、いじめている方も、ある研究結果によると、小中校生の時期にいじめていた子は、三十歳までに異性との安定した関係がもてないなどの欠陥が現れるというのだ。

つまり、「時間」ではないのだ。解決はそれに頼ることはできない。

じゃ、どうするという「具体例」を、今回のような全国調査から見いだしたいのだが、先述の通り、「いじめはあったが、解決した」という回答が全体の80パーセントもしめているのだ。これでは何の参考にもならない。なら、どうやって解決したのかの具体例を、もっと出してもらいたい。それに、そもそもいじめに解決なんて、、、どこからがいじめなのかの線引きが難しい以上に、どこでいじめが終わったのかなんてわかりにくいものなのだ。

僕はこう思う。仲良しグループをつくって休み時間や放課後遊ぶのはいいが、学校生活において、もっとグループワークを増やせばいいのではないかと。無理矢理にでも「会話」し「コミュニテーション」がとれる機会を増やす。例えば、四人一組のグループを7、8個つくって、三時間目と四時間目はそれぞれに決めたテーマで地域の中に出ていく。そしてレポートを提出させる。そのレポートの結果を発表する場をつくり、しっかりと優劣の評価を与える。無作為にグループを作り、それも毎回違う面子にする。喧嘩するときは、とことんまで言い合いをして、言いたいことを全部はき出すまで容易には止めない。そうやって、擦れあって、罵倒し合って、だけど提出のために協力しあって、出来たときの達成感を共有したら、強い結び付きになるのではないか、と。短絡的かもしれないが、そのぐらいシンプルに、そして少々強引にすることが、解決の糸口ではないかと思う。

だって、手にも触れず、ただただ知っている知識だけでその気になってる子供には、熱いや冷たいを感じさせる必要があるのですから。

ディス・イズ・ウォーター、ってあれですよ。



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