2005年9月22日(木)
6日目

ヴァナラシ→ムンバイ


何と、朝5時に目が覚めた。
昨夜、停電の多いこのホテルで、「またか…」とおもいつつ、真っ暗の中、ライターの炎をたよりに日記を書いていたが、電気が戻るころにはもう眠っていた。なので、昨日の日記をつける。
3時間もかかって書き上げた。これからガートにいって、12時のチェックアウトまでに戻ってきて、ランチでも食べて空港に行こう。それにしても、ほんとアリが多いし、ティッシュが足りない。また、停電した。

今、ヴァナラシの空港でこれを書いている。
ファンがグルグル回る小屋と入った感じだが、入り口でチケットを見せるため、誰が入っても言い訳ではない(兵士みたいなのがチェックをする)。ほんと、日記を書いていると、だれもがのぞき込んでくる。そののぞき具合がすごい。この状態で無視し続けるのにも、慣れた。今日ここまでのことを書こう。

まず、朝8時半、ようやく日記が追いつき、フロントにおりて鍵を預ける。12時のチェックアウトには戻ってくると告げた。ちょび髭のフロントスタッフ(僕にカードを2枚くれ、ビールをテーブルの下に置いてくれと頼んだ男)は、本当にやさしい。が、ホテルのスタッフには厳しい。ただ、インド人の話し方は常に厳しく見えるので、、、普通といえなくもない。今日こそ、迷わないぞ!とロンプラのヴァナラシの地図のページをポケットに入れて、ホテルを出た。一昨日はどこで間違ったのか。おそらく、Chaitganj RdとKabir Chaura Rdの分岐点で、Kabir Chaura Rdの方へ行ってしまった(北上)のだろう。だから、今度こそ間違わないように、Chaitganj Rdへ行こうと。すると、真っ赤なパーン?を頬張ったリクシャーの運転手が受け口になりながら、「どこへ行く?」という。一応、ダシャーシュワメード・ガートだというと、OK、OK、10Rsだという。ちょうど小さい札もあることだし5Rsコインも何枚か持っている。今日、飛行機移動なので汗を掻くのも嫌だしな、と思い、乗ることにした。

どーでもいいけど、今、書いている席の横に、「Jumbo Cool」なる扇風機があって、50cmぐらいの距離で直接あたるので鬱陶しいんですけど。音がうるさい。加えて僕の乗るサハラ航空がDelayedになっている。もう、乗り換えがあるのに……、それも空港移動ありの。

さて、リクシャーは進む。やっぱりこのまえ歩いた道とは全然違う。ちょうど学校が始まる時間なのだろう、スクールバスや水色のシャツを着た(制服)子供たちが多い。道の混雑ぶりは半端じゃない。あまりにも無秩序すぎるというか…。クラクションにチリンチリンがないとやっていけないのだろう。リクシャーの席は堅く、少し前方に傾いているので、快適などほど遠いが、全体重でこぎ続ける運転手の後ろ姿を見ていると、文句は言えない。ものすごくガタガタ、ジャンプ&ホップで、歩いた方が、たぶん速い。リクシャーは歩行者の次に弱く、なのでならされるクラクションも半端じゃない。おじいちゃん運転手は、もう汗だくだ。ゴダウリアに入ると、それまででも混沌としていた。中庭付きの僕のホテルなんて、ものすごくヴァナラシばなれしている。道がコンクリート舗装されているところがなくなると、もう、そこは砂埃の世界。一日煮込んだカレーのようになる。

目指していたダシャーシュワメード・ガートはメインガートなので、回りには多くの店が建ち並ぶ。狭い路地が縦横無尽に入り組み、そこを牛も歩く。できたての糞も多い。リクシャーの運転手は一時間チャーターで10Rsでいいと、特別プライスだ、といってきた。とりあえず、ガートの所で降ろしてもらい、料金を払おうとすると、後でいいと言う。このまま僕が戻らなかったらどうするんだ、ここまで汗だくでこいだ分がおじゃんなのに。まったく人がいい。(それか、そういう風に言っておいた方が戻ってくる確率が高いという経験値があるのか)

狭い路地を進み、曲がり、グネグネ行くと、ようやく抜ける。一際目を引くヒンディーの建物独特の装飾を備えた寺院。大きなシヴァと何かのヒンディーの神様のでかいペインティングがある。そして、朝陽は昇りきっているが、まだまだ沐浴する人で溢れている。その沐浴を終えて、ガートにあがり、体を拭いている人で溢れている、というべきか。

ビデオを回す。こうも一瞬の隙を与えず話しかけられるのも珍しい。どこ以来ぶりだろう、日本語使いがあまりにも多いのだ。中には散髪しませんか、と言い出すモノまでいた。「グッド・ヘア」でしょと言うと、「ほんとだ、ほんとだ。じゃ、明日は?」と…。中に一人、ものすごく日本語を上手く話す青年がいて、「地球の歩き方」にも載ってます、ぼくの店は、と言い出すではないか。結局、そういう日本語使い(そういう人は英語ももちろん話すのだが)の目的は日本人を見つけると声をかけ、僕のように振り払ってもひつこくついてきて、次々にガイドを始める。ガイド代をとられると警戒する日本人が多いことは重々承知しているので、「ガイドじゃない、大丈夫ね」などとフォローをする。じゃ、その意図は?こういう人たちはだいたい店をやっている(しかも大概シルクや壁掛けの)。その店にきて話だけでも……、というのが本当の狙いだ。そう理解した。

このしつこく着いてくる日本語使いにも、聞けることだけは聞いて、後でちょっとその店にいって何も買わずに帰ろうと決めた。こっちも、「利用」してやるのだ。沐浴はヒンドゥーで何て言うのか?「マハナ」。腰巻きは?「ムンギ」。ガンガーに浮かび、コントラストの美しいあの花びらは?「ブラウ」。教えられるままに発音していると「あなたの発音はちょっと可笑しいね」と、、、僕は英語も交えて話していたのだが、彼にとっては日本語で話す方がいいにきまっているので、あえて日本語でいく。

そうだ、この旅のテーマは、極力日本語で!ということ。
僕は英語でやっていける。が、日本人として、日本語で挑戦したい。そういう年頃なのだ。

日本語使いの店に行く。確かに歩き方に載っていたが、それは誰かの紹介ページだった。店、と言っても、狭いスペースに腰巻きや壁掛けのブッダやシヴァなどが描かれた「布」ばかり。彼はそれを「洋服屋」と言っていた。これなら、アーグラーでみたあのシルクに描かれた細密画のほうがいい。というか、あんなのがないか聞いてみたが、ヴァナラシとアーグラーでは「くに」が違うので…、と言われた。

この日本語使いと別れてからも次々に声をかけられ、ついてこられた。たまたまリクシャーを降りた所に出ると、運転手のおじさんが笑顔でこちらに手を振ってきた。ちょっとこの辺ブラブラするから、と言うと、分かったと言って待ち続けるらしい。

僕はと言うと、マルカルニカ・ガートへと向かう。ここは火葬場だ。ダシャーシュワメード・ガートからマルカルニカ・ガートまでの移動は、寄ってきた現地人がいうように、非常に「ディフィカルト」だった。入り組み、狭すぎる。旧市街地のゲストハウスはこの辺りにひしめきあうようにある。何度も曲がり角で、「マルカルニカ?」ときくうちに、実はみんな親切なんだと思い始めた。あの「アロ〜」「コンニチワ」の声音に嫌なというか毛嫌いに近い感情がわくので、店の人とは何も話さず通り過ぎていたが、そういう人たちは、意外にうん、親切なんだ。

それにしてもスゴイ人の群れだ。どこかのガートへと集団で移動している。そういや、昨日、大理石の寺院でも見たが、頭の後ろ、渦の辺だけ髪を残し、それを三つ編みにして、その他は剃るという格好をよく見る。少林寺か?狭い路地には、煙、臭い、音、人。何なんだ。子供達がここでも走り回る。
やっとの思いでマルカルニカ・ガートにつくと普通に沐浴している。え?ぞうりを洗っている者も。ビデオを回していると、おばちゃんがふるったサリーのしぶきがかかった。ふと、10mほど隣を見ると、火葬場らしきものがあるではないか。死体を焼くために組まれた長方形のボックス(日本の棺にあたるのか)の横に金色の布がかけられた死体があった。死者のためにチャパティをまるめてガンガーに流す。あの日本語使いから聞いた死者への弔い。花もある。ボックス城に組まれた中に、燃やすための木が入れられる。そんな木々がうずたかく積まれている。建物の2階、屋根上と言ったらいいのだろうか、そこにも2つの燃えたボックスが置かれていた。煙がたつ。たまたま風下に立ったぼくは、その煙を浴びる。別に死というものが特別な訳ではない。が、この河の側でみると特別に映る。それはガンガーというのが、全てを受け入れ、そこへ向かう者はすべてをさらけ出すというか。常に隠される部分が、丸出しなのだ。排便にしても同じだ。人糞もところどころで見るからほんとにすごい。

ガートまでの細い路地を、死体を焼くための木々を満載したリアカーが、二人によって運ばれていた。マルカルニカ・ガートを後にして、ダシャーシュワメード・ガートに向かう。来た道を戻るにも、もうすでにちんぷんかんぷん。これはまず始めに誰かに聞こうと思うと、また変なやつにつかまった。25歳だというオッサンみたいな小柄な男が、ずっとついてくる。日本語こそ使えないが、兄が日本人と結婚しているという。本当にダシャーシュワメード・ガートに向かっているのか?どうせ自分の店にでもつれていってるんだろう、と疑り、何度も何度も「ダシャーシュワメード・ガート?」聞いていると、「イエス!アイ・リブ・イン・ヴァラナシ」と切れられた。誰も「知らない」と疑ってるのではなくて、ちゃんと連れて行ってくれてるのかをうたぐっているのだ。そんな話をしながら歩いたせいか、おもいっきり牛糞を踏んでしまった。慌てて、落ちていたビニール袋をそのオッサンみたいな青年に渡され、それで拭いた。大丈夫、牛の糞さ、これからの旅がグッド・ラックだと。そうならいいが。

リクシャーのところに無事戻ると、運転手が手招きをしてきた。例のオッサン青年は、「ここがオレの店なんだけど」とひっぱろうとするが無視して、途中会話にでてきたナイキの靴(彼の)とアディダスの靴(僕の)を交換しようと最後まで言っていた。むろん、ノーだ。

リクシャーの運転手は、マルカルニカ・ガートまで行くと言った僕のため、、、なんと駐車場にリクシャーを預けていた。まだ1Rsも払っていない僕のために。かえってくるかも知れないのに。やはり、リクシャーの運転手は少し弱い立場なのだろうか。パーキングの係員に服を引っ張られ、「おい、チケット見せろ」と偉そうに言われ、こぎ始めで力を入れた瞬間にもかかわらず、慌てて止め、黄色のチケットを見せた。その手からチケットをはぎ取った。

このまま宿に帰っても少し早いので、ケダール・ガートへ行ってもらう。どこかで聞いた名前だと思い、ついドライバーにその名を告げたのだが、よく考えると、昨日、ボートの発着したガートだった。とにかく、リクシャーのドライバーには10Rsよりもうすこし払うので、ケダール・ガートにいってと頼んだ。本当に凄まじい混雑ぶりだった。思わず「降りて押そか?」と言いたくなるほど。実際、一度降りようとしたが、「いや、乗っておけ」と、そこはプライドのようなものを感じた。

後ろ姿からも辛そうなのがわかる。それでも、出来る限り穴ぼこを避けようとしてくれる。途中で、リクシャーが横転しているのも見た。それほどに、危険なのだ、実は。

ケダール・ガートの入り口は、ドライバーがついてきてくれなければ絶対わからなかっただろうところにあった。きっと、そのままボート乗り場の方へ歩いていったに違いない。そうするとまた色々声を掛けられ…、だから、薄暗いトンネルを抜けていくガートの入り口を案内されただけでも感謝だ。ガートは静かだった。というより、人のいる地点から離れており、後ろにはカラフルな彫刻が見えた。誰も寄せ付けず、ひとり静かに、ガンガー見納め!


リクシャーを置いたところへ戻ると途中で、今度はさっきと逆の右足で牛糞を踏んだ。感触が生々しい。“うん”つきすぎ?歩いていても、リクシャーで行っても、おそらく時間的には変わらなかっただろう。ただ、じっと乗ってる(といっても飛び跳ねたり、大きな穴ではその都度腰を浮かさないといけないが)だけでも汗が出るのに、それを歩くのは…。それにスイスイとリクシャーのように抜かせないことも考えると、正解だった。目の前でふんばる運転手もがんばってくれた。やせっぽっちな彼は、全体重を片足に乗せながらこぐ。ホテルへと続く小道、初日に真っ暗だったあの道は結構店が多く、駄菓子なんかも売っている。そこに昨日のオートリクシャーのドライバーが声をかけてくれた。

リクシャーでホテルにもどり、「まぁ、50Rsぐらいは出そうか」と50Rs札を出すと、「モアー」と苦笑いをする。ラッシュアワーだったし・・・と。確かにそう思うし、それをぼっているとは決して思わない。よし、じゃ、100Rs!と札を出す。運転手はそれを受け取り、額にそれをあてて最大級の感謝を示した。そして、にっこりと笑った。うん、ほんとうにありがとう……。

100Rsという価値が、僕には300円でも、運転手にとってはどれほどか、知れない。が、僕は、それが破格でも気持ちよく払うことができた。それで、いい。

ホテルに戻り、靴についた牛糞をあらい、チェックアウト。本当に滞在時間の長い部屋だった。
下におりて、3日連続で食事をする。今日はハニートーストにする。それとペプシ、コーヒー。全部で60Rs。これからまずヴァナラシ→デリーを飛ぶ。ホテルでタクシーを頼んでおいたので、それが450Rsプラス20Rsのパーキング代。昨日いうてたよりも高いやん、と。

ゆっくり食事をして、さんざん話したレストランのスタッフともお別れをする。前の庭には木々が嬉しそうにそよ風に揺られていた。インド人なのか?家族連れがランチをとっている。リノベーション中で、工事の音がうるさかった。

タクシーに乗ってエアポートに行く。ホテルを出てすぐ、タクシーの中にいる僕に向かって、さっきのリクシャーの運転手が手をふってくれた。赤いタオルを首に巻いたおじさん。よく車の中の僕に気付いたな、と思うと同時に、あの右手をあげてゆっくり振っている姿が最後まで目に焼き付いている。


ヴァナラシの街の出て、まっすぐに伸びた1本道をひたすら空港に向けて走る。ドライバーはものすごく飛ばした。時間、あるんですけど……。これまでのインドの旅で、感じた最高速度だったと思う。空港はものすごい混雑ぶりだった。僕の乗る便は、日記をかきつつ見上げるたびに、DELAYEDの文字が…。ゆっくりと日記を書きながら待つ。僕はバックパックを機内に持ち込むので、セキュリティを受けずにチェックインカウンターへ。開いたと同時に行く。サハラ航空115便、16Fの窓側。搭乗券に変えると、次は機内持ち込みのセキュリティ。ここでもまた行列。男性と女性が別れて並ぶ。ここで分ける意味はあるのか?ピーピーなった人へのボディチェックが男性と女性で入れ替わることもないのに。…、僕のバックパックはセキュリティでひっかかった。原因はライター。チキショウ。やっぱだめだった。

デリーでは素通りだったのに。諦めてバックパックからライターを出し、おとなしく没収される。予備に2つもってきていたので、その予備分。まだ一つある。そのもうひとつは、ウエストバックの、ビデオケースの中に隠している。タバコがあるのにライターがないという不自然さに、かなり厳重にチェックされるものの、なんとか最後まで乗り切った。

飛行機に乗るまで、3度もチェックされ、その度にピーピーなり、バックを開けられ、ドキドキし、、、そして乗り切る。だいたい、ライターで悪さするような顔に見えるか!と訴えたいが、それが間違っていることは分かっている。法律で定められたルールなのだ、機内へのライターの持ち込みは禁止、と。最後はなかなかやばく、マルボロ・ライトの箱をあけ、「キミ、ライターは?」とひつこく聞く。ので、「さっきのセキュリティでとられた」というと、「ゴー」と。サラハ航空は小さく、このヴァナラシは滞在型空港ではなく、来た飛行機がそのまま飛び立つという、まぁ、停留所のようなものだ。乗り込んだあと、安全案内を他の航空会社と同じくやるのだが、なんともリズミカルなのだ。それも、全員の動きがあっている。体に染みついている、といった感じだ。ヒンドゥーで一回、そのまま英語で同じ動作を繰り返す。記述するには難しいが、ビデオにでもとっておけばよかったと思うほど、、、あれはもうダンスだ。

さて、僕は三列シートの窓側で、真ん中に座った少年、いや青年かな、つまり隣の男が、キョロキョロと忙しなく、強烈な体臭持ちで。まぁ、どうでもいいが、インド人相手に「並ぶ」という行為は本当に頭にくる。ヴァナラシのセキュリティで並んでいるときも、この彼は僕の後ろで、どうやら家族旅行らしい。飛行機は初めてなのだろう、そんな興奮がある。僕の席まで体を乗り出して窓をのぞくし、その反対隣の妹?は、気分がわるくなったらしく苦しそうだし、前の席に座っている両親は、まぁ、この子にしてこの親あり、の状態だし。

寝た。もうむかつくのも嫌なので、眠った。

デリーには国内線ターミナルに到着する。僕は、そこでムンバイ行きに乗り換えるのだが、エア・インディアは国際線を基準にフライトスケジュールをたて、ロング(つまり国際線)でデリー入りした機体でそのままムンバイに飛ぶらしく、つまりデリー→ムンバイの国内移動でも「国際線ターミナル」にいかなければならない。それはあらかじめ日本を出る前から知っていたので、あぁ、また移動かぁ、と思いつつも、空港から出られるのでタバコが吸えると、ホッとしてもいた。ヴァナラシからのサラハ航空機を降りて、ターミナルに入る。国際線にいきたいんだけど?と一応インフォメーションで聞き、タクシーで移動するならどれぐらいが相場かも聞こうと思っていた。と、ターミナルを出ずに、小さな、見過ごしそうな(実際見過ごして出口まで僕はきていたのだが)ブースがあり、そこから無料でターミナル移動送迎があるらしいのだ。19:00に国際線ターミナルに向けて出発するというので、また僕は日記を書きながら国内線ターミナルにいた。思い出したので書くが、機内食などターリー(定食)では、「ベジタリアン」か「ノンベジタリアン」の選択が普通だ。ビーフ・オア・フィッシュ、なんてありえない。ヴァナラシからの機内食は久しぶりに完食した。

国内線から国際線ターミナルまでの移動は20分ほど。兵士につれられてターミナルを出て、真っ暗なバスに乗せられる。え?かなり不安になった。1人だけだったのだ…。ドライバーと兵士2人と僕。車内の電気はつけない。これは空港内だから?地図では、すぐそばに位置する2つの空港間を、何十分も、そんな状況で運ばれるもんだから、だんだん不安になり、このまま拉致られる?なんてことまで想像してしまう。行けども行けども着かず。と、突然、兵士2人が降りた。

「え〜!?」と、心配顔の僕はドライバーと二人きりだ。一度空港内から一般道に出るらしく、空港を出る前にゲートにいた兵士が乗り込んできた。ぼくが一人だけちょこんと乗っているので、何も見ずに降りていく。結局、これは単純なトランスファー。空港間を空港敷地内だけで移動する、つまり速く移動できるわけでもなんでもないのだ。(ちょっとは空港敷地内を走ったけど)。まぁ、あのまま知らずに国内線のターミナルを出て、外でタクシーをつかめ移動したなら、いくらお金をとられたかも知れないし。ここ、インドの空港は、どこもかしこも完全にノースモーキングなのだ。ターミナルを出ずに移動した僕は、ずっと喫煙ができず、イライラがたまる。

デリーの国際線ターミナルに入ると、エア・インディアのカウンターの前に人だかりが出来ている。僕の乗るAI311便Mumbai行きはどこかと尋ねると、このカウンターでいいが、今コンピューターがダウンしている、と。3時間前にチェックインした方がいいというインドで、2時間半までに空港についたが、結局、その後1時間ほどまたされた。その間、列の前にいたネパールからきたおじさん、彼は労働の為にムンバイにいくらしいが、文字が書けず読めない。だから、入国カードを書いてくれと、パスポートを出しながら頼まれた。そっか、一応、デリーは経由なので、そのカードはムンバイで出すことになる。書いてあげると、「こいつのも…」と言うので、面倒臭くなって半分だけ(つまり出国時の蘭は空で)書いてかえし、こいつのも、と言われたのはカウンターにペンがあるから……と冷たく断った。実際、僕は日記の書きすぎでペンの残りは少なく、ムンバイですぐにボールペン(それも書きやすい)が見つかるかどうかも分からない。ペンだけでもかしてくれ、というお願いにもこたえかねるのだ。ずっと後になって、こいつのも、といわれた若者の方は見たが、あのおじさんは姿をみなかった。もしかして…、飛行機に乗れなかったとか?パスポートを返したあと、あのおじさんは静かに僕の文字を眺め、「やっぱりわからん」とでも言うように首を振っていた。その姿を思い出し、、、少し、悪いことをしたような気が……。なんでこう、ぼくはやさしくないのだろう・・・。

インド人、ほんとに順番をガンガンぬかしていく。そのうえ、一向に復旧しないコンピューター。それでなくても、ムンバイの到着は深夜11:55で、それが遅れることは確実なのでイライラしているのに。このネパールのおじさんにとった態度、すいません、八つ当たりってやつです。Forgivenessというか、提供するというか、そんな気持ちに満ちあふれていない。あまりにも待たされるので、その隙にアメックスで両替する。そういえば、その間、かばんをみてくれていたんだな、このネパールのおじさん……。

180US$を一気にルピーへとかえる。このときも、だ。エア・インディアのカウンターがいつあくともしれないので、急いでるのに、アメックスのブースでは前の客がダラダラしゃべって、なかなか終えない。ぶつぶつ日本語で文句をいっていると(はよせーや、とか、まだけぇ〜、みたいなこと)、僕の方を振り返り、怪訝そうな顔を向ける。「はよせーよー」と、今度はブースの窓をコツコツたたき始めてしまった。もう、僕はいったいどうしてしまったのか…。こんな態度、結構めずらしい。結局、1US$≒Rs42.3で計7,614Rsに換金。またしても500Rs札ばかりになった。

フライトはなんとか30分の遅れですんだ。それにしても国際線ターミナルから国内線に乗るとは…。一枚の紙に手持ち金額などを記入すれば、パスポートコントールも素通りできる。おもった程大きくはない、デリーの国際線と行っても。ゲートへと急ぐ。そこでも日記を書き、そして話しかけられ、、、とにかく眠い。

デリーを後にする。なんと僕の席は6Aでビジネスのすぐ後ろ、エコノミーの一番まえだった。つばさよりも前に乗るなんて久しぶり(夜中だったけど)。機内食を食べて約2時間、吸い込まれるように眠った。ムンバイ上空、高度を下げて行く。すでに午前1時近くになっていた。空港までのピックアップをお願いしているので、帰ってしまっていることはないと思うが……。

初めての南インド、ムンバイは雨だった。まず空港でトイレをする。デリーのときと同じスタートだ。ドライバーの名前はカシさんというのが、e-mailで送られてきたコンファメーションに書いてあった。彼がきっとそうだろう。ピックアップをうけ、ようやくタバコが吸えることにガッツポーズ。軽のワンボックスカーでのお出迎えだった。パーキングを出るときに、エクストラ・チャージを払うのにふて腐れるカシさん。ごめんね、フライトが一時間も遅れて。

ところで、ムンバイはずっと雨らしい。今年は特に雨が多く、大洪水やビルの倒壊、多数の死傷者が出る被害が頻発しているらしい。そういえば、日本にいた時に、ムンバイ近郊で大洪水、というニュースを読んだ記憶がある。陥没した道路には水が溢れ、ワイバーを全速で回しながら、車は走る。夜中であることと、それはそれは綺麗で広い道なので、とばす、とばす。インドで雨に打たれたのは、今日、ヴァナラシの空港にいてちょっとタバコを吸いに外に出たときポツポツあったが、本格的に降ったのは始めてだ。明日も雨かな。

真っ暗でよく分からないが、ムンバイの街はでかい。ナイキやアディダスの看板が並ぶ。まぁ、クラクションを多用することに、南北の差はないが。本当に飛ばすカシさん。一度、交差点のところでバスに衝突しかけた。お互いが止まることなくクラクションをビービーならして突き進むもんだから。それだけ飛ばしても空港から市内(僕が泊まったのはコラバ)まで45分かかった。

予約していた宿は「BENTLEY’S HOTEL」。何やら裏道を入ったアパートみたいなところだが、この真夜中じゃ、言われた通り泊まるしかない。ドライバーにはネットで聞いていた通り、700Rs(2100円)払った。※日本の空港バスより高い。たぶん破格の値段だが、「この夜中で、しかもあれだけDelayし、そのタクシーとなればこれぐらいはしかたがないだろう」。

部屋は期待以下も甚だしい。たぶん、レセプションも夜中だということで、若い夜中用のスタッフが対応してくれたのだと思う。料金は1泊エアコン付きで955Rs。えっ!と思った。ネットではエアコン付きが1285Rsだったのに。1泊330Rs、2泊で660Rsも安い。と、チェックインスリップ(レシート)を見ると、「B&B」とかかれ、BENTLEY’Sと住所が違う。すぐさま、部屋の隣にある机だけの(これがフロントかも怪しい)レセプションに行き、予約していたホテルと違うことを訴えた。と、Bentley’sとB&Bの2枚のカードを出して、セイムだと言う。え?系列が?あー、もうわからん。この真夜中に、、、なにせチェックイン・タイムの所には日付が変わって23日1:45amと書かれているし、二泊後チェックアウト25日正午になっているのだ。24日の夜には飛行機に乗って日本にかえるのだけど。とにかく、ここでジタバタしても仕方ないので、とりあえず、シャワーも浴びず、日記を書いて、午前3時だ!とにかく明日。

今日は寝よう。
朝食付きなので、10:30までに起きて食べないと、それからシャワーでもゆっくり浴びればいいや。
なんかムンバイ…、どうなるんだろう。あっ、水、15Rsで買った。寝る。
ムンバイ初めての夜は、北インドでそうだったように、目を閉じただけで、鮮明に浮かんでくる強烈な光景が出るのだろうか。あっ、そうそう、空港にも、そしてこの部屋にもトイレにロールがある。まずは一安心だ。



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