イコールで繋ぐことの危険性
2006年2月12日

先週、世界のニュースはイスラム圏vs欧州の「風刺画問題」でもちきりだった。
事の発端は昨年の9月にまでさかのぼる。デンマークの「ユランズ・ポステン」紙がイスラム教預言者ムハンマドの風刺画を掲載。すぐにデンマークにあるイスラム教団体は抗議の署名を集めて猛反発したが、今年に入って1月、ノルウェーのキリスト系雑誌マガジンネットが、2月に入るとフランスの「フランス・ソワール」紙など欧州各国の新聞が風刺画を転載した。「表現の自由」という例外なき聖域を誇示するために。これに対して、中東、エジプト、インドネシアなどアジア圏にまで猛反発の輪が広がり、不買運動やデモに発展した。
イラクでは欧州でタブーとされている「ホロコースト」を題材にした風刺画を募集し、インドネシアでは国際親善のバトミントン大会が中止に、そして、一番激しかったレバノンでは1万人を超えるデモが警察と衝突し、デンマーク大使館を放火した。

先週末になって、掲載した側の謝罪や両者の折り合いが活発化し、ようやく鎮静化に動いているようだが、ふと思う、これって実はものすごく危険なことなのではないかと。

一連の動きを見ていると、「表現の自由」と「個々の信仰心の尊重」のような構図のなかで、どう折り合いをつけるか、みたいな話になっているが、そもそも、この風刺画というのは、ターバンを巻いたムハンマドの先に爆弾があって、その導火線に火がついている……というもの。?、そもそもこれ自体がおかしくないだろうか。

9.11以降、マドリードやロンドンなど、世界各地で続発するテロを風刺しているのだろうが、テロの容疑者・実行犯=イスラム教徒という短絡さに危険さえ感じてしまう。これはもはや表現の自由や信仰心の尊重をどうのこうの言う前に、風刺する高いセンスが問われているといえなくもない。つまり、テロの実行犯というくくりでみると、みんなイスラム教徒(原理主義者)が成り立つのだろうが、その逆、イスラム教徒がみんなテロ実行犯ではないし、彼らを善しとしているとも限らない。それは原理主義者の中にも善しとしないひともいるだろう。なのに、だ。イスラム教徒の至高の存在として、その姿を描くことさえ偶像崇拝に繋がるという理由で禁止されている預言者ムハンマドを描き、そして、イコール「テロ」と結びつけた誤りを、心底省みるべきであると思う。その後、暴徒化して放火してしまった人たちは、また別の話で、それはそれでまた単純な犯罪であるのにはかわりないが(理由の如何に関わらず)。

この風刺画騒動の最中、ドイツでは国籍取得のテストにイスラム教徒を念頭に思想・信条を問う、事実上の選別を取り入れたというから驚きだ。パリ郊外で起こった放火などの治安問題、移民問題、様々、確かに多くがアフリカや中東のイスラム圏の人たちが関わっているのかもしれない。が、あくまでそれは「イコール」ではない。

こんなことがあった。ぼくが7年ほど前、フランスのカレーからドーバー海峡をわたってイギリスに入ろうとしたとき、バスの同乗者はユーロ圏内の人で、パスポートの提示が必要なく、ぼくだけ(つまりアジア人)が長々とイミグレのチェックを受けた。その時、万が一、日本という国がイギリスに対して「悪」と見なされる存在なら、ぼくもイコールで結びつけられて「悪者」になっていたのだろうか、、、考えただけでもゾッとする。もっと身近なところでは、ぼくが海外を歩いていると、どこをどー見ても汚いジーパンにTシャツ姿で、お金なんてもってなさそうなのに、客引きは絶えず、「日本人=金持ち」の構図にうんざりする。あたかも良い例をあげたようだが、貧乏旅行の最中、これを断り続けるパワーたるや相当なもので、嫌な思いをするのだ。

何が言いたいかというと、、、つまりは「イコール」で短絡的に結びつけることには、多くの危険性が付きまとう。それは、たかだかイコールで結べる範囲など性別や信仰、国家や地域ぐらいなもので、個々をしっかりと見極める目が鈍り、「だったら大丈夫だ」とされる枠内にいる人たちに対する警戒心が手薄になり、より混乱を招いてしまい兼ねないということだ。

イスラム教徒、もしくは中東圏の人、だからテロに注意などという無謀かつ無能な警戒心だけで、テロは防げない。ムハンマドのターバンに爆弾はなく、イスラムという信仰とはかけ離れた、対アメリカ、対欧州諸国のもっと別の側面に、テロリスト達の狙いはあるのだ。それを考えず、ただ短絡的に風刺し、そのことで暴徒とまで化すような自体に陥れたことは、まさに、「表現の自由」と表裏一体にある「責任」であると、ぼくは思う。

テロが起こる。何十人と死ぬ。そんな数字が毎朝新聞に載る。
アフガニスタンへの増兵、イラクでの軍人による少年虐待、捕虜虐殺。見えないモノだらけで透明度の相当低い「今」を、間違えた方向で表現(風刺)したからといって、「表現の自由」が保たれていると安堵することにも、また危険性があるのではないか。

一方向の→で成立する構図と、双方の→で成立するイコール。この違いをしっかりと認識しておかないと、これからの社会、本当に混乱だらけで、どこもかしこも「鎖国」しそうで、怖い。



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