2000年8月26日(土)
2日目

イスタンブール



現在午前6時。空は白々と明けだした。
結局一睡も出来ずこの日記を書いている。
今日一日が唯一イスタンブールで過ごす日となる。有意義でありたい。

昨夜というか眠っていないのでさっきまで何一つこれと言って決めていなかったこれから一週間の行動をシュミレーションしてみた。まず、今日一日はイスタンブールを見て回る。明日は早朝5時に起きるためそう夜更かしは出来ない。モーニングコールでも頼んでおこう。ついでにフロントで空港までのタクシー代を聞いて、足りないようなら両替をしないと。明日は空港で日記が書けるので今夜はバタン・キューでも大丈夫だ。

そして、いよいよロシア入りだ。
寝台列車でモスクワとサンクト・ペテルブルグを往復するので、その列車が両方とも23:55発となる日がモスクワでもサンクト・ペテルブルグでもある。その日はバックパックを持ってウロウロしないといけなくなるのでどうしようか思案中だが、行ってから決めることにする。

窓の外を見てみる。
一人の男性が朝食をとり、店か何か、恐らく自宅の軒下に座っている。僕の窓から見えるのはどうやら裏道らしく、その通りには人通りがない。まぁこんなに早朝だと言うことも大いに関係しているとは思うけど。彼は僕が昨夜ホテルに着き、近くのカフェでビールを飲んでいた頃にはもうすでに眠っていたのだろう。そしてこんなに早く目覚め、一日の始まりを静かに迎えているに違いない。そして、これが彼の毎日のリズムなのだろう。

少し早いが顔を洗って8時になるのを待ち、朝食に行こう。
そう、このホテルには朝食がついているのだ。

朝食へ。内容的には完全にコンチネンタル・ブレックファーストだ。唯一ボイルドエッグがあった。それと春巻きのようなスティック状のもの。それがモチモチしていて美味しかった。ビュッフェスタイルでパンとチーズ、ボイルドエッグと春巻き系のスティック、コーヒーをもって席に着く、あと、バターがまるでスクランブルエッグのように、その配置と、見た目から完全に疑わず、それでも一応ウェイターに「エッグ?」と聞くと首を縦に振るのでそれを大量に皿に入れ、胡椒と塩をふって一番最初にそれを口に入れる。・・・バターか。Tは南米の文化に興味があり、大学で専攻しているらしく、僕がボリビアとペルーに行った時の話しを興味深げに聞いていた。「まぁ『ソル』という作品でTの手元に届くだろう、近い内に。」と心の中で思った。

昨日Kが約束していたので、彼との待ち合わせ時間の10時ちょっと過ぎにROYALの前に出る。ブルーのオープンカーでKとHが来ている。彼らの車で、さっそく旅立つRを空港まで送る。
涼しい午前ではあったが、日差しは強く、オープンカーで受ける風は心地良かった。猛スピードと騒音に近い音楽をならしKが握る僕らの車はイスタンブール市内を駆け回る。みんなが見ている。その事に快感を感じていたのはKだけだったかも知れない。車はスルタンアフメット・ジャミィ(ブルーモスク)辺りをグルグルとし、スルタンアフメッド地区にあるKの家が経営しているicem toursというツーリストオフィスに寄る。そこでHとは別のブラザーが後ろのシートに座る。このブラザーがどっかり座ると、たちまちギュウギュウになる。そして、このブラザーもトルコ人らしくというか、例に漏れずわきがだった。トルコ人男性の多くは汗をかくと異臭を放つ。いや、汗などかかずとも効力は充分だという人も珍しくない。わざわざ彼をピックアップしたのには理由があり、Kが免許証をなんと日本に忘れたらしく、空港に入る際必ず免許証を見せないといけないため、このブラザーを乗せて、空港に入る寸前に運転を代わる為だった。Kがブラザーと呼ぶのは、どうも彼の裕福なパパが雇っているか養子にでもしている人達なのであろう、みんな顔はバラバラだ。

僕らを乗せた車は海沿いのハイウェイを猛スピードで飛ばす。飛ばしすぎるので目が開けられない。オープンカーの魅力を充分すぎるほど利用したドライブだった。小さな砂埃でさえ頬のあたりにパチパチとあたり痛みを感じるのだ。空港までのハイウェイを飛ばす。飛ばしに飛ばしてほとんど目が開けられなかった僕は急にスピードを落とした車に体を大きく揺られ、そして目を開けると警察が立っていた。

やられた。

Kはスピード違反でつかまってしまった。140qオーバーだったと助手席に座っていたRが言う。Kは免許がないので、途中でピックアップした現在英語を勉強中のハイテンションなわきがな名前は聞いたが忘れてしまった、ブラザーの免許が使われたのであろう。Kはパトカーの横に立ち、2,3人の警官に囲まれて何かをかき込んでいた。
風になって、ヒューヒューとテンションの上がったていた僕たちは一気にさめてしまい、可哀想だなぁと思う反面、ごめんね、と責任さえ感じた。

恐らくKは僕たちのはしゃぎ声で一層アクセルを踏む足に力を入れたのだろう。

その後もたいしてスピードをひかえることなく空港に着いた。ここでRと別れる。彼女はここから国内線でボドルムとイズミールの間にある小さな村まで行き、ボランティア活動をするのだ。小さな体に大きなバッグを持ったRは可愛い笑顔を残しターミナルに入っていった。空港からも同じように海沿いのハイウェイを気持ち良いというには強すぎる風を顔と髪の毛に感じながらスルタンアフメッド地区まで帰る。

Kお薦めのケバブの美味しいレストラン『DOY-DOY』に行く。

屋上のブルーモスクビュー、そして後ろにはマルマラ海を見渡せる最高の眺めの中、強い日射しを受けながらDOY-DOYスペシャルを食べる。ここイスタンブールでは衛生上の理由からポークは食べない。(トルコ航空の機内食でもパークに×をつけた紙が配られ、僕はてっきり宗教上の理由からかと思っていたが違ったようだ。)。恐らくビーフのケバブだろうが、それをピザの生地より少し薄いモノで包み、レッドオニオンスライスとヨーグルト、ホットソースなどふんだんにかけて食べる。ドイドイスペシャルとは全てのソースが楽しめるというモノだ。

今日一日しかイスタンブールにいない僕以外はここでの出会いを楽しみ、話しに花を咲かせていた。僕も昼過ぎくらいまではHの下ネタに笑い、Kの日本での生活、そして彼のパパの金持ち具合を車の台数に見ながら話していた。が、昼も過ぎ、ブルーモスクから祈りの時間を告げる声がマイクを伝って響き出すと、僕も腰をあげてイスタンブールの街を見に行きたくなった。その時は暑かったのでプールに行こうと盛り上がるHを制して団体行動の苦手な僕は、別行動を取ることにした。ガイドブックを持っていたTを誘って2人で行く。

他の人はそのままプールに行くらしい。彼らとはここで別れる。
スプライトなどの飲み物とドイドイスペシャルを食べて、割り勘で一人200万トルコリラだった。

Tは物静かだが、パンクバンド『煙』のTシャツを着ている。2人きりになると案外面白く一緒に動いてて最も気を使わないタイプだった。

まず、ブルーモスクに向けて歩く。遠くで雷鳴が一つ轟くと、みるみる曇り空になり、鉛色に変わる頃には寒くさえ感じるようになった。その空の変化に時間はかからなかった。ブルーモスクには外国人入り口というのがあり、トルコ人以外の人はぐるりとサイドに回り込まなければならない。・・・と、今は祈りの時間らしく閉めきられている。仕方がないので先にブルーモスクの前に建つ赤の建物アヤソフィアへ向かう。ここは博物館でビザンティウム建築の傑作と言われる壁画等も見たい気はしたがあまり気がすすまなかった。お金をはらってまで金銀財宝はどうも進まない。空は益々暗くすぐにでも雨がふり落ちそうであった。

アヤソフィアのすぐ近くにある地下宮殿に向かう。ここの入場料は300万トルコリラ。
暑い日にここへ来るとひんやりとして気持ちが良いのであろうが、その時は雨が今にも降り出しそうな曇り空だったので肌寒く、地下宮殿に入ってもそう変わらなかった。

鯉が泳ぐプールのような貯水池に何本もの柱が建ち、怪しげな赤いランプがひかったり消えたりして、よけい怪しさをかもしだしていた。池にも歩く通路にもポタポタと水滴が落ちる。この時、地上ではすでにひょうまじりの大雨が降っていたのだ。だからこの地下宮殿にも雨がふる。地下にこのような空間(宮殿)があるとは知らなかった時代から考えると、こんなに大規模で美しい、宮殿とまで称される貯水池があるのには驚かずには居られない。ただ、だからどうというモノではない。見た者を石にしてしまうというメドゥーサの顔をカメラのフィルター越しに見ているときも天井からは水滴がしたたり落ちていた。この地下宮殿でもっとも印象に残ったのはあの怪しげな赤ランプの演出だった。

出口の手前にはカフェがあった。
なぜか幻滅してしまう。かつてはトプカプ宮殿に住むスルタン達の喉を潤したこれだけの地下宮殿に怪しげな赤ランプの演出やカフェなど無用だと感じてならなかった。そのカフェの横の階段を上り地上出口の手前にある土産物屋の前に大勢の人が立ち往生している。

外は豪雨。

しばらくじっと待つと小雨になった。スコールが過ぎるのをまつ東南アジアのようにただ待った。これが木陰なら一層雰囲気もでたのに。観光客だらけの土産物屋の前であったので残念だった。2時からは入れると聞いていたので、小雨の間にブルーモスクに移動する。少し坂道になっている一般道路は、まるで川と化し、すごい勢いで流れ出している。渡るのにも一苦労だった。まぁ、靴を濡らす勇気があれば、ジャバジャバと渡っていけばいいが。言っても足を取られるほどのものでもない。が、そこが一般道路である以上、洪水と言っても良い程であった。サンダルをびしょぬれにして2,3度道路を渡り、ブルーモスクへ。外観の美しさは朝のドライブでも、そしてこの時でもかわらずあり、6本のミナレットの存在がドームのモスクを際だたせているように思う。

ここイスタンブールのモスクにはミナレットがあり、ブルーモスクも外観だけみれば他とそう大差はないように感じる。中に入るには足洗い場があり、そこを通り抜けて靴を脱ぎ中に入る。目の前が真っ青になるほどブルーは強くないが、よく見るとブルーが確かに多い。赤も黒も使って天井一杯に広がる模様の世界はガガーリンのごとく「・・・青かった。」と言ってしまう。

ドーム上の天井。そして壁面に至るまでイズミック・タイルの模様に見上げながら美しいと感嘆するよりむしろ、裸足だった僕には下に敷いてある絨毯が心地よかった。座ってみる。赤(青)い布を腰に巻いた人、お祈りをする人、走り回る子供、僕らの様なツーリストとガイド付きの団体など様々な人がいる。外は再び雨になっていた。ブルーモスクで雨宿りである。ちなみに青は幸福が与えられると信じられており。ここらでは青という色は海に空にはじまり、石に至るまで青なのだ(トルコ石)。

雨はなかなか上がらずボーッと天井を見上げ、心地良い絨毯に腰掛けていると、祈りの時間だからと追い出される。出口の所で雨宿りをする。と、絨毯売りが声をかけてくる。こいつはひつこかった。7,8回は同じように「雨だからコーヒーでも飲んで雨宿りすればいい。その間少し絨毯の話しを聞くだけ。気に入らなかったら買わなくても良い。」・・・と。雨はだんだん小ぶりになってきた。さっき見た倒れた木をなおしている人達を眺める。僕たちが地下宮殿に居たときにやってきた大雨とひょうと雷で木がボキッと折れたらしい。

随分待った。寒くて両腕をさすっていると、後ろにいたおじさんがトルコ語で話しかけてきた。どうやら「俺だって半袖だし、頭なんてこんなに禿げてんだ。でも寒くない。強くなれ!。」と両手を握りしめてポーズをしてみせる。僕も「分かったさ」とポーズを決めた。

雨が上がり、まだ近くにいた絨毯売りにサヨナラをしてトプカプ宮殿に向かう。アヤソフィアを迂回して金角湾の方へ。このころになると薄い木漏れ日が優しく降り注ぎ、かと思えば雲に隠れてしまうというような天気だった。トプカプ宮殿の入場料は400万トルコリラ。オスマン帝国時代の宮殿である。まずさっきの豪雨と強風で散ってしまった葉っぱや枝を清掃する黄色と青の制服を着たおじさんを多く見かける。そんな彼らが綺麗に保ってくれている第2庭園の並木道を時折木漏れ日にあたりながら歩く。いくつかの部屋に別れており、衣装や装飾品、スルタンのポートレートなどを見たが最も、そして強烈に印象があったのが世界最大のエメラルドをつけたトプカプ短剣と世界有数の大きさを誇るダイヤモンド(スプーン屋のダイヤモンド)だった。エメラルドは金ぴかの短剣にどっしりと深く吸い込まれそうな「静」の美を放ち、ダイヤモンドは攻撃的に光を放つ。少し目をキョロッと動かすだけでピカピカピカ、キラキラキラと光るのである。86カラットのダイヤモンド。小数点で表すカラットのダイヤモンドでさえ結構なお値段がするのに。「・・・はぁ」とため息が出る。女の子でもないが、こりゃダイヤモンドの魅力に吸い込まれる気持ちは分かるような気がする。

宮殿内にあるレストラン「コンヤ」にトイレがあったのでそこに向かう。そのレストランの上からは金角湾とボスポラス海峡が見渡せた。大型船の行き来が多い。クルーズ船に漁船。心残りだったのはハーレムを見れなかったことだ。聞くと午後4時にハーレムは閉まるらしく、それを聞いた時点でもう30分程過ぎていたのでごねても無理だと諦めた。

Tはまた来れるからいいけど、僕はそうはいかない。またイスタンブールに来ようっかな。

宮殿からブルーモスクに行く途中でスプライト50万トルコリラを買う。ブルーモスクあたりでウロウロする。この辺りは洒落た小道や絨毯屋、民芸品店などが軒を連ねており、スルタンアフメッド地区の中でもヨーロッパ色が濃い所だと感じた。icem toursの前を通り過ぎて、トラムの駅を探し歩いていた。絨毯売りにも掴まるが旨くかわす。日本語を話す人が非常に多く、ついつい長話をする。ついでにガラタ橋まで行くトラム駅を聞いた。近距離までついてきてくれて、そのわりにはあっさりとわかれる。いい人が多いのだ、ニホンゴツカイにも。

イスタンブールのトラムはどこまで行っても統一30万トルコリラで、ジェトンというコインを買い、ホームに入る前にそれを機械に入れる。乗り方としては行き先なんてどうでも良いのでとにかく30万トルコリラを払ってジェトンを買えばいい。でも方向が逆ではなんにもならない。僕はジェトン売りの白屋根の小屋でわざわざ「ガラタ橋に行きたんですけど」と言ったので、あっちあっちと指を指す。全てトルコ語で僕の英語もかろうじてガラタが聞き取れた程度で「あっちだ!」もしくは「あっち行きに乗りな」と言ってたのだろうと今になれば思うが、この時は「あっ、駅が違うんだ」と勘違いしたまま、正しい駅を探して歩いた。歩いて歩いて1駅分。そこでようやく勘違いしていたことに気付きジェトンを購入し、わざわざ1駅分歩いて次の駅から乗った。ガラタ橋には2駅でついた。トラムを降りると地下道につながっており、いくつかの店が様々な品を売り、正に商店街だった。しかしその地下道の中にある商店街は異様に臭い。糞の匂いと生ゴミの腐った匂いと金角湾からの潮の匂いを足して5をかけたくらいの異臭である。耐えられず、くるくる回っているヘリコプターのおもちゃも無視して地上にあがる。ガラタ塔が見える。ガラタ橋は旧市街と新市街を結ぶ大きな橋で、大型車が通過するとその動きを追って波のように揺れる。この橋の広い歩道の両端でも様々な露天商が並ぶ。それよりも何よりもやたらと釣り竿を橋から垂らしている人が目立つ。彼らのそばに老いてあるバケツを覗き、一体この汚い、そして船がこんなに往来している所で一体何が釣れるのかと覗いてみたが、おそらくエサの小魚であろう死んだ魚が数匹浮かんでいるだけだった。推測ではあるが、この辺りには鯖サンドという名物料理があるので、鯖?を釣っているんだろうか?まぁよく分からないが、本当に釣り人の多い橋だった。でも今時鰯にしても鯖にしても一本釣りなんてするのか?釣りに関しての知識はまったくないので僕の単なる推理で納得することにした。ガラタ橋から新市街のほうをみればガラタ塔が見え、旧市街に目をやると、ブルーモスクのようなミナレットをもつジャミィ(モスク)が3つ、そして左手に本物のブルーモスクが見渡せた。それにしても本当によく揺れる、この橋は。大きな車が通る度に構えたカメラもぶれる程だ。

ガラタ橋からまたトラムに乗ってベアズット駅へ。グランド・バザールに向かった。
トラムの中にそれほど際だった特徴はなく、ただただ市内移動には大変便利なことは確かだ。それは値段面から言ってもこれほど観光客にとって便利なものはないだろう。ベヤズット駅を降りるとベアズット・ジャミィが見え、それをこの時になってもまだ「あれっ?ブルーモスクじゃないの?」と思うほど本当に外観は似ている。同じトラムから降りてきた男性にグランド・バザールがどこかを聞く。全く英語が話せない男性なのに「あぁ〜」といって僕らを先導し歩き始めた。ほんとに僕らがどこに行きたいのか理解しているのだろうか?不安だった。この男性のキャラは大変面白い。「まだ?」とか「あれがグランド・バザール?」とどうせ英語が通じないので日本語でたずねるが「ノンノンノンノン」と人差し指を振り、それを口に付けて「黙ってついてらっしゃい」と腕を蝶のように上下に振る。何を意味しどんな意図があるのか分からないがそれから彼はずっと腕を蝶の様に振りながら僕らの前を歩いた。あまりにもグルグルするので他の男性にグランド・バザールがどこか聞く。それを見ていた蝶の彼は「わかってるよ、もうついてらっしゃい。」と歩き出した。

なんなんだ!と思いつつ、ついていく。

ジャミィを回り込んでようやく「ここだよ」とグランド・バザールの入り口の所まできた。そこで彼は大きな動作で握手を求めてきて、僕も彼と大きな握手をして別れた。トラムの駅を降りてからただ僕らを案内するためだけにここまで来てくれるとは、ぼる奴が多いというトルコ人のイメージを彼は知っているのだろうか、そしてどう思っているのだろうか。心の底から感動した。手帳と携帯を裸のまま右手に持った彼は来た道をまたぐるりと回り込んで帰っていった。僕たちがグランド・バザールから帰るときに気付いたのだが、かれはベヤズット・ジャミィを回り込んで来てくれたが、この入り口から左に直進すれば20秒程でベヤズット駅に着いたのに。来た道を引き返していった彼にまた感謝した。余り知らないなら知らないときっぱり断ってくれても良かったのに。こうゆう純粋な善人に会うと旅は本当に良いものだと思えてくる。彼のキャラ、蝶のように舞う腕、そして遠回りの案内、その全てが僕の中で強烈な印象を残した。

グランド・バザールは迷路だった。午後7時に閉まってしまうので、6時半前についた僕たちには余り時間がなかった。それほどゆっくり見ても回れないし、なにより、ここでお土産の一つでも買おうなんて思ってもいなかった僕は、まぁ一応どうゆうものかを感じるだけが目的だった。Tに「バザールでござ〜るって声をかけられたら帰ろ。」と言ったその何秒後かに「バザールでござ〜る」とTシャツ屋のおじさんが声をかけてきた。
そのあっけなさというか、早さに笑えて来てしまった。結局その後閉館するまでウロウロしていたが、一度もそんな風には声をかけられなかった。なんという偶然だろうか。

このバザール内は同系統の商品を一応固めて売っている。最初僕たちが入ったのはTシャツやトレーナーを壁や店先につるして売っている服関係のブロックだった。Tが良いのがあったら買おうっかな〜と言いだしたので少しゆっくり目に見て回る。ここでは店の前に2秒でも立ち止まろうものならすぐに店の人がきて日本語や英語で話しかけてくる。引っかかった獲物は逃さない目つきである。もう商品を手にとったりなんかした日にゃ、その商品の説明、そして、それに似通った商品を次々に説明し、買うまで逃れられないのではないかという気さえする。次は陶器類が並ぶブロックでトルコ国旗をデザインした深いグリーンのエスプレッソカップが気に入ったが買おうというところまでは行かなかった。そしてトルコ石を中心に宝石のブロック。本当に広いので半分も見れない。そして興味にまかせてあちこち曲がるので二度と同じ所にいけない。ここの良い所はその広さ故、そして種類の多さ故、一日中見てるだけショッピングが楽しめてしまう所かもしれない。あの人混みとおかしな日本語の客引きを楽しめたらの話しだが。いきなり「おじさん、おじさん」といってきたり(恐らく誰かにいたずらでこんな日本語を教えられたのだろう)、前を行く完全な白人女性に「アメリカン?スパニッシュ?イタリアン?ジャポン?」「・・・?」とどう見ても日本人じゃないだろうに声をかけたり。その後ろにいた僕に振り返ってその白人女性は笑顔で「私は日本人じゃないよね?」と微笑んできた。

来たときの10分の1くらいの距離と時間で降り立ったトラム駅まできた。そこからアクサライにある僕らのROYALホテルまでは2駅だが、歩ける距離なので歩く。そろそろ足も痛くなってきた。T曰く、ほんと良く歩くよね。・・・。その道沿いにはバーガーキングにマクドナルドなどイスタンブールは普通に街だ。少し迷いはしたがホテルに戻ってきた。相当に歩き回ったのと、昨日一睡もしていないため、体が限界に達している。TはNがフロントに鍵を預けず持っていったため部屋に入れない。僕の部屋に行った。一応K達と午後8時にホテル前で待ち合わせをしてそこから一緒に夕食に行こうと言うことにしていたが、もう限界に疲れている体に鞭を打って重要なロシアに影響しても困るので、Tと部屋に戻って、8時まで15分くらいしかなかったが、すぐにでも眠れるようにシャワーを浴びた。8時半になってしまい、Tが早く早くとせかすのでロビーに降りた。彼らの姿はなく、僕は完全に眠ってしまいたくなった。彼らを待たなければ部屋にも入れないTは待つ気でいる。とにかく空腹でもなかったが、明日僕は早朝から行動をするため夕食を取っておく必要があった。もうこの時点でK達と夕食に行く気はなかった。が、Kと昼に別れ際、明日、空港までのピックアップがないROYALホテルにもシャトルバスを回すようにパパに頼んであげると言われていたので、その事がどうなったかの確認がしたかった。タクシーの半額以下だ。僕は8時をとっくに過ぎても来ないK達を待つ気になんてなれず、近くのバーガーキングでテイクアウトした。ハンバーガーセット160万トルコリラを頼むと230万トルコリラですと言われた。「あれっ?」と思ったがその時の僕にはこのような重大事でさえなにも言わず素直に230万トルコリラを払うほどに疲れていた。受け取って袋を見ると勝手にコーラのSサイズが入っている。もうどこでどうなったのか、そしてなぜSサイズなのか分からないが、Tと二人で店に入ったのでセットとTの分が入っているのだろう。恐らく店員は「お供のかたのドリンクはどうなさいますか?コーラでよろしいですか?サイズの方はSでよろしいですか?」と畳みかけに質問でもしたのだろう。またはそのような近い質問をしたのだろう。まったく記憶にない。とにかくハンバーガーセットと言ってうつむいていた、いやもう半分目を閉じて眠っていたのだ。Tにおごってやることにした。

部屋に戻って食べているとNが帰ってきた。彼はやはり寒かったのでプールには行かなかったようだ。Kの家にいったり、インターネットカフェに行ったり、鯖サンドを食べたりしていたという。そういえば地下宮殿からブルーモスクに行く途中、洪水している一般道路をHが原チャリに乗ってて、僕たちと出会い、あのひょうまじりの雨でオープンカーのシート屋根に穴が空かないためにびしょぬれになりながら上からシートをかけてたとか言ってたっけ。

彼らとはここでお別れ。僕は明日の朝早朝5時に起きて、6時には空港に行かないと。Kにシャトルバスの件を聞きたかったが再び合流するのが10時というのでもう止めにしてタクシーで空港まで行くことにした。フロントできくと20ドルくらいかかるらしく、USドルも使えるという。両替の心配もあったがまぁ大丈夫だろう。彼らが部屋を去ってからすぐに電気を消し、眠った。深く、深く。



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