ちょうど一年ほど前、ぼくはこの「見聞知覚」の中で自信をもって生産し、信頼して消費できる社会になってほしいという「食」の安全に対するエッセイを書いている。
消費者は、繰り返される嘘の生産地に疑いを持ち始め、外圧をはねのけてまでも、または少々高くても「安全」を重視するようになった風潮が見え始めた。北朝鮮で捕れたアサリを、日本のどこかの養殖場で数週間浸したからといって「○○県産」などと書かれても、、、という話だ。

この場合、新鮮「ではない」商品なり、「下痢」などの症状によって明確に「劣」が現れるが、「商品」というカタチのない、保険業界や新聞社で、この「信頼」と「自信」を崩壊させかねない事件が起こった。

損害保険会社数社と生命保険会社に不当な不払いがあったことが明らかになった。
契約者が、毎月の保険料を支払って備えている「万が一」という状況を、自社の利潤のために渋ったり、支払わなかったりというのは信じられない事態だが、現実に起こっているのだ。開いた口がふさがらないとはこのことだ。今、名前のあがっている損保ジャパン、東京海上日動火災保険などどれも大手。生命保険にしても、外資系におされて苦しいのは重々承知だが、こんなことをしていては火に油を・・・の状態である。そもそも、今回不払いが発覚した明治安田生命は保険契約者にしっかりとした説明もないまま勧誘・契約をさせたとして問題になったばかりなのに、今度は不払いですか・・・と、ため息すら出てしまう。

実際には取材をしていないのにもかかわらず、メモを偽造し、それを元に記事にしたという朝日新聞の事件も起こった。これは事件だ。得意気にあーだ、こーだと毎朝ならび立てる程の、重大な出来事なのだ、とぼくは思う。情報を売る新聞社にとって、それが嘘なのだから・・・、それも社会に対する影響力の強さを考えると来るところまで来たかという感じを受ける。そもそも「嘘」ばかりだよ、とテレビでコメントする人たちの声を、今いる朝日新聞社の人たちはどう受け止めるのか。

一体、どうしたんだろう。

ぼくもかつては「カタチ」のない商品をサービスする仕事に就いていた。故に難しいこともあり、逆に「まかり通る」ことがあるのは知っている。日々の業務の中で、ついつい薄れてしまうレギュレーションも、絶対にないかと問われれば「前例」みたいなものによってなし崩し的に認められる場合もある。それは、日常の業務をスムーズにするためのモノである場合も、希に存在するのだ。

だけれど限度がある。さらに言えば「嘘」はどんな場合にも許されない。保険金がもらえますといって契約した人に対して「支払わない」という嘘。昨夜、こんなことがありました。と、ないのにでっちあげる嘘。これは、どれだけ慣れても、どれだけなし崩し的にぼやけても、絶対に犯してはならない砦だ。それをいとも簡単に崩してしまった各社の雰囲気、許してしまった風潮とは・・・。原因を追及するのは「偉い」人が辞任することでも、当事者を排除することでもない。そこにあった(否、まだあるかもしれない)「風」を、どれだけ通せるか。

カタチのないサービスを扱う会社にとって、「信頼」とは生命線であり、「嘘」は決定的要素となりかねない。“そんなこと言われるまでもなく分かっている”と、ほとんどの社員が言うだろうし、現にほとんどの社員に「嘘」はないだろう。そういう「ほとんど」の人たちが「ほらね」と胸を張れる日が、早く、確実に来て欲しいと願う。



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カタチのないサービス

2005年9月10日