上手くおよげない僕の現状は、ゆるい蛇口から水滴が落ちる感じに似ている。

 ひとり静かな夜、隅々にまで響き渡るその音が、眠ろうとする僕にポタポタと漏れ聞こえてくる。小さなワンルームだけど、わざわざ締めに行くのは面倒だし、だからって、そのままにしておくにも気になってしょうがない。

 眠りながらいつも後悔するんだ、「ちゃんと締めれば良かった」と。
 
 今、僕は目覚まし時計を握り、それを見つめてる。フェイス・トゥー・フェイス。めくり損ねたシールが色あせ、何のシールだったのか、思い出そうとして、ふと、「中学からずっとこの時計だな」と、鼻で笑った。あんなに買い足し、買い直して、変わろう、変わろうとしてきたのに、やっと、何か変われたように思えても、毎日使う目覚まし時計は、同じなのだ。部屋をゆっくり見回すと、他にもそんな物が意外に多くて、また、自嘲して笑った。

 大学を卒業した僕は、形だけでも自立すると言い張って家を出た。ここに移り住んでもう三年になる。三年だ。今度は、この年月に笑った。

 とても空しい気持ちが押し寄せてきた。
 二分前。

 大学時代の友人たちは、この瞬間をどんな気持ちで迎えたんだろう。慶一と良子は、同棲して二年にもなるし、一緒に「かんぱ〜い」なんて言いながらグラスを合わせたんだろうな。麻美は、アイツはきっと、子供を寝かしつけた後で、旦那と二人、しっぽり祝ったんだろう。大志は、僕の知らない街の、安宿の小さな部屋で、眠りこけたまま零時をまたいだに違いない。

 一分前。

 僕は、時計と睨めっこしたまま。すでに、長針と短針は重なり合うように真上を向き、そこへ向かって秒針が回転している。十秒前、九、八、七……。スローモーションに変わったかのような秒針の動きが、僕を余計にドキドキさせた。ワクワクは、しない。

 そして、ついに、秒針が十二の上を通り過ぎていった。
 僕はこの瞬間、二十五歳になった。

 時計から目を離すと、弱くなった蛍光灯も、先月のままになっているカレンダーも、黄ばんだクーラーも、二分前と同じだ。ただ、僕がひとつ歳をとっただけ。

 何かが急に変わるなんていう実感の乏しい僕には、だからってどうってことはない。ベッドの横に時計を放り投げて、「それだけさ」と、目を閉じた。

 ひとりきりの部屋。ハッピーバースデーの歌も、キャンドルもない暗い部屋。この世界中で、自分の誕生日を祝う、たったひとりの僕。誰一人、僕の誕生日なんて知りもしないだろう。考えれば考えるほど、想像すればするほど、寂しくて、虚しくて、萎えてしまう。そんな萎えた自分自身に、なんだか、焦る。

 「うわ〜」と叫びながら、僕は電気をつけて起きあがった。そして、携帯電話を取り、意味もなく加美にメールを打った。

『まだ仕事? 恭太』

 出そうで出ないところを気張るようにして、メールが送信されると、時間差で二通の新着メールが僕に届いた。加美と、弟からだった。

『今日はごめんね。仕事は終わったんだけど、今、大宮なの。やっぱり、行けそうにない。ごめんね。二十五歳、おめでとう カミ』 (二三時一八分)

『恭太、誕生日おめでと。今年で二十五やなぁ。来週、出張で東京にいくことになってるか ら、都合がおうたら一緒に飲も。おごったげるわ。ケン』 (0時二分)

 この二人は、僕の誕生日を祝ってくれてる。
 少しホッとした。そしたら、ひとりきりのこの部屋も、悪くはないと思えた。嬉しくなってもう一度読み返してみる。

 「二十五かぁ、四捨五入したら三十だな」

 独り言にもならない僕のそんな気持ちが、「はぁ」とあふれ出し、僕はケイタイを閉じた。パシャンという音とため息とが、混ざり合って溶け込んでいく。どこに流れ着くのやら、それさえも分からないことが、より焦燥させる。

 二十三になった時も、去年だって、僕は同じような気持ちで誕生日を迎えていた。十年経って振り返れば、今の僕が、中学の頃を甘く懐かしんでいるように、「若かったなぁ」と、うらやむのだろうか。十年後、いったい僕は何をしてるんだろう。

 中学の時は想像できた。二十五歳の自分はきっと、サラリーマンか何かをやっていて、満員電車に揺られているんだろう、と。実際は、そうではない。スーツを着て働いていないという現実がある。しかし、それよりも、この先を中学の時のように想像すらできないことが、僕を居ても立ってもいられなくする。焦れば焦るほど、やらなきゃいけないと強いるほど、僕は決まって寝っ転がってしまう。

 ポタポタ、と耳障りな音を聞きながら。


 加美と僕は、付き合って二年になる。彼女とはバイト先で出会い、何となく恋人同士をやっている。一緒にいると落ち着けるし、楽しい。だけど、どうも違う。一番いて欲しい時やいてあげたい時、一番言って欲しいことや言ってあげたいことが、いつもうまく合わない。それは、どちらが悪いというのではなく、なぜかズレてしまうのだ。それをお互いが分かっているようにも思う。きっと、買い直すほど傷んでないから使ってるけど、代用品はいくらだってあると思いながら、続けているんだろう。少なくとも、僕はそう思う時の方が、多い。

 弟の健次郎とは、一年に二度、お互いの誕生日にだけ短いメッセージのやりとりをしている。小学生の頃からずっとだ。あの頃は手紙だったし、中学に入るとポケベルになった。大学に入ってお互いがパソコンを持つと、電子メールで送り合い、今はケイタイメールでやり合っている。弟は僕よりひとつ年下で、今、建築デザイン事務所に勤めている。ゆくゆくは独立を目指して突っ走っている最中だ。早く経験を積んで一人前になりたいというケンは、誕生日が待ち遠しくてたまらないらしい。彼には、僕のこんな淀んだ気持ちなんて分からないんだろう、な。

 加美とケン、どちらに返事を打つか少し迷って、ケンに返事をした。

『ありがとう。仕事は順調? 来週ならオレ、いつでもいいんでメールくれな 恭太』

 ケンとは、幼稚園の時から一度も会っていない。僕が、小学生になったばかりの夏休みに両親が離婚して、父に引き取られた僕が東京に残り、ケンは母の実家がある京都に引っ越した。それから、一年もしないうちに母の再婚話が持ち上がると、何となく電話もしづらくなった。ケンに新しい弟ができたと聞いた時には、もう電話をしようとも思わなくなっていた。とても妙なんだけど、その新しい弟と僕は、半分だけ血が繋がっている。今でもそれは、とても不思議な感じがするんだけど。

 働き始めたケンは、仕事でよく東京に来る。その度に飲みに行く約束をし、いつも直前になって中止になった。僕も、おそらくケンも、どこかで会う事が照れくさいのだ。このまま会わない方が良いと感じ取っている。

 僕に弟がいることを周りの誰も知らない。誰かが知ったところで、「あっ、そう」と軽く流されるだけのような気がして、言いたくない。同情? もしもそんなことされたら、もうどうしたらいいか分からなくなるから、ね。

 「弟かぁ」。

 ケイタイを充電器に差し込んで、僕はベッドに寝転がった。どんな顔してるんだろう。父も母も同じ兄弟だから、そりゃ、同じような背格好なんだろうな。だけど、想像するに、ケンは僕より「いけてる」と思う。スムーズじゃなくても、およいでいるヤツは、それだけでとても良い。僕にはそう思える。

 ケンにメールを打ってから、知らないうちに眠ってしまい、昼前に目が覚めた。
 三時半にはバイト先の店に入って、それから夜の十一時まで働く。フッと鼻で笑った、僕の一日の始まりだ。
 

 ニ十五歳、フリーター。一日七時間、週六日働いて、手取りが月で十六万八千円。そこから家賃や生活費を引くと、プラスマイナスゼロになることはあっても、貯金なんてとても出来ない。こんな僕の現状でも、昼間に考えたら「そんなに悪くもないだろ」って思うことができる。とにかく、目の前のバイトに行くため、僕は冷蔵庫にあったもやしと卵、それにベーコンを炒めただけの料理に箸をのばす。

 つけっ放しのテレビには、犯罪心理に詳しいというめがねの男が、少女が殺害を犯すまでの深層心理を分析している。答はこれです、と決めつけて話すその男の言い方が、どうしても好きになれなかった。彼に言わせれば、僕の「今」なんて、どう分析されるか分かったもんじゃない。僕は本能的に、そういう人から自分を遠ざけようとしてしまう。

 アルバイト先は「コルティーレ」というイタリアン・レストラン。コルティーレとは、イタリア語で「庭」を意味し、オーナーシェフの東藤さん曰く、「俺の城だ! というほどのものでもないので、庭にした」らしい。そんな東藤さんの庭の中で、僕はおよげない毎日を過ごしている。

 前に一度、店が雑誌に掲載されてからというもの、クーポン券片手にやって来る客が急増した。今ではちょっとした人気店だ。実にありがたいことなんだけど、正直に言うと、人気があろうがなかろうが、僕にはあまり関心がない。むしろ、忙しくなって大変だとさえ思っている。

 僕がバイトを始めたのは大学二年の夏。ホール係として採用され、今年で五年になる。アルバイトの中では、一番の古株になってしまった。今では厨房に入って、全てのメニューを手がけるシェフ、のようなこともしている。まぁ、「ド」がつくほどの素人が、それなりにサーブする料理を食べに集まる客たち。コルティーレは、食堂であり、トラットリアなのだ。

 しかし、侮るなかれ! ピッツァは、ちょいとそこらでは食せない代物だぜ、なにしろナポリから輸入した窯で焼いてるんだからな、と東藤さんが面接の時、僕に熱く語っていたっけ。確かに、宅配よりはうちのピザの方がマシかも知れない。ひと昔前のハンバーガー世代には、ミミまで分厚いピザの方がお好みだったのだろうが、それっぽさを追及する今の時代、こういう薄いのが受けているのだろう。

 僕はただ、言われるままを言われるままに、毎日繰り返しているだけだけど。
 
 ホール係だった僕が厨房に移ったのは、人手不足のために臨時で頼まれたのがきっかけだった。忙しさの中に埋もれて走り回る爽快感が、僕の中でパッと開き、それからずっとくせになっている。より早く、そして同時に提供する。そのために東藤さんが指示する作業を的確に素早く行う。鍋が擦れ合う音、包丁が刻む音、メニューに関するイタリア語の指示、それらが飛び交う厨房では、時間がアッという間に過ぎた。ラストオーダーを出し終え、掃除しているときの充実感は、ホール係では感じられなかった。きっと、厨房に移ったからこそ、僕は五年も続けられたんだと思う。

 もちろん、初めから上手くこなせたわけではなかった。当時は、「大変だ」なんて思いもしなかったけど、今から考えるとよくやったと自分でも思う。料理なんてしたことがなかった僕に、東藤さんが、「基本を教えてやるから、明日から二時間、早く出てこい」と言うので、面倒臭いな、と思いながらも半年ほど通った。ちょうど、僕は大学卒業間近で、就職も決まらず、時間だけは十分にあったので、言われるままにきちんと通った。

 丁寧に教えてくれた東藤さんには今でも感謝している。けど、あの時ほど誰かに怒られて、悔しくて、寝る時間も削って打ち込んだことはなかったかもしれない。ちゃんと叱るが、しっかり誉めてくれる。東藤さんのそういうところに、僕は惚れてるんだ。

 やがて、スタッフの賄いを任されるようになると、僕は今まで通りのものを作るより、自分のオリジナルを全面に出したメニューを試みた。メロンを軽く炙って甘めのソースをかけたり、薄く切った餅をミネストローネの中に入れたり。香川出身の娘にうどんの打ち方を習って、サヌキウドン・アラビアータを作ったこともある。イタリアのナポリで修行した東藤さんは、そんなプロの目で、こんな僕に「何か持ってる」と言った。「料理なんてセンスなんだ、努力じゃ超えられない壁がある」とまで言ってくれたこともある。それを聞いて、僕は少しだけ勘違いをした。

 「この道で、真剣にやってみないか」と、真顔で言われたのは一年ほど前だった。勘違いなんかじゃないのか、認められたんだろうか、と嬉しくもあったけど、肝心の僕が自分にブレーキをかけた。その最大の理由は、自信がなかったことだ。さらに、自信をつけるための長く険しい道のりに、そこに向かおうとする意気込みに、決定的な欠如があったこと。東藤さんには「もうちょっと、このままで」とやんわり断った。このまま、アルバイトのままで、と。


 僕は、自分で選んでフリーターをしている。それだけが、押しつぶされそうな将来への不安?ってやつから身を守る小さな砦だ。

 テレビは、さっきの殺人事件から、就職難にも明るい兆しが見えてきたという話題に変わっていた。新たな問題として、あるアンケートの結果について議論している。 

 新入社員の半数近くが、『もし会社に合わなければ、辞めてフリーターをする』と答えたらしい。自分を会社に合わそうとするのではなく、そこから離れるという若者の行動に、コメンテーターの多くが苦言を呈していた。またあの心理学者が語り出した。フリーターと正社員の違い、将来への保障と不安、社会的な責任の有無など、云々。近年、多くの企業が安価な労働力としてアルバイトを重宝するのも、フリーター急増に拍車をかけている、と。また決めつけている。殺人を犯した少女よりも、自分に近い話題なので、聞き入ってしまった。

 その男の言ったことを自分に当てはめてみると、決まった時間に働いて給料をもらうスタイルは正社員とそう変わらないが、ボーナスや保障がない。そして何より、世間体が悪い。周りからそう見られることで、卑屈になっている、らしい。さらに、自分だけがよければいいと考えるので、店の経営状態などあまり気にならず、ダメなら他に行けばいいと考える。そこで我慢して、踏ん張ることをしない。まぁ、そんなところだろうか。

 僕の思う、僕がフリーターである証。それは、この先どうなりたいのかという目標もなく、そこに向かう途中であるという前向きな状態でもない。かといって、現状に満足していないわけでもない。この何ともゆるい感じ。そこにこそ、僕はフリーターという名前を充てるし、焦りというか、現状のグラグラとした敗北感をかみしめてしまうのだ。自分でもよく分かっているのだ。 


 フリーターって、何がフリーなんだろう。
 まだ学生だった頃、慶一とそんな話をしたことがある。別に、好きな時間に好きなことをすればいいというフリーはない。責任だって、それなりに、ある。会社員とか、自営業とか、アンケート葉書の項目に○は付けられないけど、無職ってわけでもない。

 「結局はあれだろ、フリーターって言葉の下で、それなりに一生懸命バイトやって、時間を潰しては、何となく様になってるような気がしてるんだろ」

 今では大手と呼ばれる商社で会社員をやっている慶一は、あの時、キッパリと言い切っていた。そして、
 「何でもありで、どうしたってかまわない、制限もないなんて、一見すごく魅力的だけど、その自由の代わりに求められる結果が全てだなんて世界にいくと、何も出来なくなるぜ。会社って枠の中で、自分の役割分だけの責任を果たしていくのが、窮屈に見えても安心できるし、安定してるんだよ。フリーターだってそうだろ、何もかも自由だって言われたら、何もできないだろ。だからあれだな、フリーターのフリーは、ただ責任から解き放たれてるって意味なんじゃないか」

 確かに僕も、「自由にやれ」なんて言われても、何も出来ないことは知っていた。だから、あの時も、「そうだな」と慶一に同意したんだ。

 やっぱり、僕が今こうしているのは、自由を恐れて、責任からも逃げている姿に他ならないんだろうか。フリーじゃないフリーターだ。負けてるなぁ、と僕は思う。

「だけど」、僕はテレビを消しながら、
「自分で選んでそうしてるんだから」と、また小さな砦に身を潜めた。

 ぼんやり考えていると、いつもの出かける時間を十分も過ぎていた。僕は瞬時に、省略できる準備を数える。顔だけを洗い、歯磨きも髪のセットも、ガムとニット帽で代用した。大慌てで服を着替えて、靴まで履き、ドアを開けたところで、財布を忘れていることに気付いた。靴のまま、つま先立って部屋まで取りに行く途中で、加美からメールが入った、

『今晩、大丈夫そうだけど、バイト、だよね? 休めるようなら、電話して カミ』

 それを見て、また微妙なズレを感じた。会おう、ではなく、会えたら会おうという誘い。返事も打たずに、毎日通っている道を大急ぎで走った。電車を降りてからもずっと走った。全速力が続かない。信号待ちをしていると、心臓が飛び出しそうになった。肺が、まるで炎症を起こしたのように苦しい。これだけの距離でもこんなに疲れる。

 僕はふと、今日、誕生日なのを思い出した。
 

 店に着き、タイムカードを押す。ギリギリ、セーフ。一分でも遅刻すれば三十分の給料が付かない。汗だくなっても、間に合うと気分が良かった。

 ロッカーで息を整えながら服を着替えていると、東藤さんが入ってきた。
 「井良沢、誕生日だよな、今日。おめでとう」

 東藤さんはそう言うと、なぜかオッケーマークを作った。すごくむずがゆかった。思春期真っ最中に、母からバレンタインのチョコをもらうぐらい、変な気分になった。
 「ありがとございます。すぐ、下りますんで」

 慌ててズボンをはき、左尻に捲れ上がったパンツをズボンの上から直しながら階段を下りた。みんなに「おめでとう」なんて言われたら、どう反応しようか。そんなことを考えていた。

 「おはようございま〜す」

 厨房からかけられたいつもの声に、僕も挨拶して、そしたら一気に軽くなった。
 また、東藤さんが近寄ってきて、
 「今日は誕生日なんだから、ヤマだけ超えたらあがっていいぞ」と小声で言った。そういう意味のオッケーマークだったのかと、去年も同じだったことを思い出した。

 「ありがとうございます」と答えながら、今日の予約を確認する。会社を三ヶ月で辞めて、先月からバイトに来ている新人が、東藤さんとの話を聞いていたのか

 「恭太さん、今日誕生日なんっすか? おめでとうございます」と言ってくれた。
 「あぁ、ありがとう」と自然に答えられると、どう反応しようか迷っていた自分がバカらしく思えた。

 週末以外はホールにも顔を出したいという東藤さんの意向で、平日は代わりのシェフが厨房をまわしている。半年前まで、他の店から引き抜かれたシェフがいたが、彼が横浜にコルティーレの二号店を出してから、僕が平日の厨房を任されている。週末の「戦場」ほどではないにしろ、ヤマと呼ばれるピーク時は、とにかく注文に追われ、他に何も考えられなくなる。最近になって、ようやくそれにも慣れてきた。

 この日も、常連のお客さんに挨拶をして回り、それを終えた東藤さんが厨房に戻ってきて、慶一と良子が来ていることを知らせてくれた。

 「お邪魔じゃないなら一緒に座らせてもらって、好きなのを注文しろ。誕生日プレゼントだ」と、またオッケーマークを作った。
 「彼女とも会えないんだからな、せめて友達に祝ってもらえ」と続けた。

 加美のメールを思い出した僕は、「いいですよ、そんな」と断ったが、東藤さんは僕の背中をゆっくり押した。ロッカーに上がって、服を着替えながら、

『今晩、無理っぽい。また、今度 恭太』と、加美にメールを返した。


 今やコルティーレの常連客となった慶一と良子のテーブルに座る。
 「オーナーもなかなか粋なことしはるな」と良子が笑いかけ、「じゃ、改めて乾杯するか」と慶一も祝ってくれた。安すぎず、高すぎないメニューを何品か注文して、ワインのボトルも何本か空けた。

 東藤さんの料理を客として食べるのは初めてで、どれもさすがだった。思わず同じものを二度注文したり、自分で作ってもうまくいかないメニューをこの機会に頼んだりもした。気付いたら、満腹になっていた。

 休みの合わない慶一たちと、こうしてゆっくり飲むのは久しぶりだ。誕生日のお祝いもそこそこに、学生時代の思い出話に花が咲き、大声で笑い合った。何かの話から、大学一年の夏にみんなで行った海の話になり、浮き輪がないと海に入れなかった僕のことを思い出して、二人に笑われた。

 「泳ぐなんて、俺には飛ぶことぐらい無理な憧れだよ」と、僕が言うと、
 「恭太の場合、世の中も上手く泳げてないけどな」と慶一に返された。
 「うっせーよ、俺のは犬かきみたいな、全く新しい泳ぎ方なんだよ。まだ、完成してないだけさ」と訳の分からない反論で強がった。
 「なに、それ?」ってつっこんだのは良子だった。

 大声で笑って、笑いながらけなして、だけど愛情があって。あの頃は、毎晩のように誰かと誰かがこうして飲みながら、大声で笑い合ってたっけ。

 卒業式の日、良子が「年に一回ぐらいはみんなで集まって飲み会しよな」と提案し、梅雨で鬱陶しいのに祭日が一度もない六月にしようと大志が決めた。そして「六月会」が始まった。卒業した年に一度やったきり、まだ二回目はない。力仕事でお金を貯めた大志が、六月会のすぐ後に海外への長旅に出て、麻美はなんと、できちゃった婚をするという発表をした。次の年、大志は帰って来れず、麻美も産後間もなかったので中止になった。

 慶一たちと飲むのも、あの六月会以来だ。僕らは、いつもより飲み過ぎてしまった。酒癖の悪い慶一の目がすわり始めたので、僕の酔いが、一気にさめる。

 「良子はさぁ、恭太なんかじゃなくて、ほんと、俺を選らんで正解だったよ」と、くだを巻き始めた慶一。僕の嫌な予感は的中した。彼は酔うと決まってこの話をする。
 「変わってねぇな」と僕は苦笑いをした。

 もう七年も前の、僕らが入学したての、僕と良子のことをグチグチと繰り返しているのだ。ゼミで一緒になった僕ら五人が初めて飲みに行った日、「男三人の中で選ぶなら誰?」なんて質問を慶一が自分でふって、「井良沢君やろ、そら」と真顔で答えた良子。「っで、恭太の方はどうなんだ?」と大志が盛り上げるから、「俺も、かな」と、つい乗ってしまった。「いきなり、付き合っちゃうの?」と麻美が笑って、良子と僕ははにかんだ。

 つまり、これ。これだけのことで何もありはしない。後から聞いた話、慶一は、何度も良子に言い寄って、それから一ヶ月もしないうちに二人は付き合い始めた。それで今に至っている。それでも、慶一は忘れていない。良子も良子で、「外見だけやで。外見やったら恭太の方がいいかなって思っただけやん」などと、僕にとってもかなり傷つく言い方をするので、いつまでも釈然としない。

 「なぁなぁ、これってオーナーさんが作らはったんやろ? さっきまでのは恭太が作ってんな? すごいわ。全然かわりないもん」
 「そんなことないよ」と僕は謙遜する。
 「恭太! お前は一体どうしたいんだ?」と脈略もなく慶一がからんできた。

 やばいな、と思いながら「何が?」と答える。
 「料理がそこそこできたって所詮バイトだろ? この道で食って行こうと思ってんのか?」
 「いや、それは……」と答えてから、僕は話を変えようとした。
 「自分のことを周りにとやかく言われて、バシッと反論ができないなら、お前はイケてないってことだぜ。俺は言えるぞ、なんでペコペコ頭下げてまで今の仕事してるのか。それは、それが俺のできることで、同時にやるべきことだって思うからさ。他に何かあるかもしれないなんて時期は、もうとっくに過ぎたんだよ。そういう歳なんだよ、オレ等は」

 「歳で決めることなのか、それ?」と、つい、言ってしまった。
 「いつまで甘いこと言ってんだよ。そんなにないぜオレ等には、その、選択肢っていうか可能性っていうかさぁ、そういうの」
 「慶一のそういうとこ、私、ちょっと反対かもしれへん」と良子が口をはさむ。
 内心、余計なこと言うなよ、と僕は思った。

 「なんでだよ。良子だってそうだろ。教え子にはちゃんと言うだろ、君の成績ならこの大学は無理ですって。だからこっちにしなさい、って。同じじゃないか」
 「そっかな。高校生が大学選ぶのと、将来の自分を選ぶのは、やっぱり違うような気がする。そら、私は教師なんやし、生徒には将来に関わるから慎重にとは言うで。言うけど、それと恭太の現状とは違うわ」

 いつもそうだ。慶一と僕の間に良子が入ると、僕は貝になる。

 「どう違うんだよ」
 「学校は、それがいいとか悪いじゃなくて、みんな同じ選考基準で選ばれるやん。それも分かり易いように数字にして。でも、自分の将来は、なんでもありなんやから。いつから初めてもいいし、どこで終わってもいいやん。そんな焦って、みんな一斉に『よーい、ドン』しんでもいいんと違う?」
 「わけわかんねぇよ」
 「どうせ、慶一にはわからへんよ、一生」

 「……。そんな、オレ等が喧嘩してもしょうがないだろ。恭太のことだよ。お前、このままフリーターしてたら、結婚もできないぞ」
 「まぁ、な」
 「やっぱりあれだろ、自分にはもっと他があるとか思ってんだろ?」
 「そうじゃ、ないよ」
 「じゃ、なんでも良いから一つのことに必死になれよ」
 「そうできたら、ほんと、幸せだよなぁ」

 自然に口をついた僕の言葉に、慶一はあからさまに怒って、
 「はぁ?」と聞き返した。
 「慶一がうらやましいよ。今の仕事に必死になれてさ。うまく泳げてるなぁって」
 「うまい訳じゃない。そう見えるヤツと見えないヤツがいるだけさ。だいたい、何やったって完璧に理想通りなんていかないんだし、俺は今の仕事に全力投球する。っで、会社帰りにうまいビールを飲む。そういうもんだろ、みんな」
 「みんな……ねぇ」
 「なんだよ、お前。さっきから変なとこに引っかかるなぁ。だからいつまでもダメなんだよ」
 「もういいやん、その辺で。恭太は恭太、慶一は慶一。どっちが良くて、どっちが悪いとかないよ」
 「良子はいつも恭太をかばうよな。そういうこと言うから、いつまでたってもバイトのままなんだよ、コイツは」

 正社員であることは一般的であり、あるべき姿というか、大学行って、卒業と同時に仕事して、結婚して子供作って。そうすることが、普通なのだろう。もしかすると、慶一以上に、僕自身がその「普通」にこだわっているのかも知れない。

 「じゃ慶一はあれなん? みんなもそうしてるから、恭太にもそうしい、っていうてんの?」
 「違うよ。みんながしてるっていうのが『先』にあるんじゃなくて、そうすべきだから、みんながしてるんだよ。そこを間違ってないか」
 
 出口の見えない会話を止めてくれたのは、東藤さんからのバースデーケーキだった。僕は、父とふたりきりの家庭で育ったことが関係しているのか、こういう典型的なことをされたのは初めてだった。「さぁ、ろうそく、消して」と言われて、少し恥ずかしかった。閉店時間を過ぎても残っていた二組の客も、ろうそくが消えると拍手をしてくれた。

 良子も、慶一も、満面の笑みで手を叩いてくれている。これが、僕らの友情なんだと思った。
 

 店を出て、もう一軒行こうと酔っぱらっている慶一をなだめながら、良子は終電で帰ると言った。慶一は、携帯でどこかに電話をかけ、「明日、仕事だろ?」と僕が彼の腕を引っ張る。すると、ホイっと顎を突き出して、彼は僕にケイタイを渡した。

 訳も分からず、「もしもし」と僕が出る。
 「もしもし、もしもし。あっ、恭太? わぁ、久しぶりぃ。何? 慶一と飲んでるの?」
 相手は麻美だった。

 「あ、あぁ。今から帰るとこだけど」
 「なんだ、誘ってよね、たまには」
 「だって麻美は、子供の手、はなせないだろ」
 「大丈夫よ、年に一回の誕生日じゃない。旦那に預けて行くわよ」

 ドキッとした。
 「覚えてくれてたんだ?」
 「もちろん。恭太が私たちの中で一番遅いんだよね、誕生日。ようこそ、二十五歳へ」
 「ありがとう。っじゃ、遅いから切るぞ。旦那さんによろしくな」


 良子は駅に向かって歩き出し、慶一もその後をついていった。引きずり、引きずられるようにして歩く二人を見送りながら、「嬶天下になるな」と微笑んだ。

 僕は歩いて帰る。店からアパートまで四十分。店のみんなは、大変だねぇとか、自転車でも買えば?とか言ってくれるが、僕は好きでそうしている。暗すぎず、賑やかすぎない、疎外感もなく一人になれる時間。ある時は、世の中をスイスイおよぐ自分の姿を空想し、その「僕」に陶酔する。またある時は、現実の自分にダメ出しをしながらため息をつく。どちらにしても、その帰り道は、時間が経つのが早かった。

 僕は、別れたばかりの二人のことを考えていた。京都から、東京に出てきて七年近く経つのに関西弁が抜けない良子の話。そして、即効性はないが徐々に効いてくる慶一の言葉。「一つのことに必死になれ」、か。「恭太は恭太、慶一は慶一」。「何やったって完璧に理想通りなんていかない」。

 僕は、池袋駅の東口から大量に流れ出てくる背広の集団を思い出していた。
 入学間もない頃、駅前にある喫茶店で大志と慶一と三人でアルバイトをしていた。時給がいいからと早朝のシフトで働き、朝の通勤ラッシュを見るとそろそろ終わる時間だった。ある日、その集団を眺めながら「あそこには絶対、加わりたくないよな」と大志がつぶやき、ぼんやり眺めていた慶一も「そうだな」と頷いた。僕は、はき出されるように信号を渡るサラリーマンを見ながら、「俺らも四年後にはあの中に混じって歩いてるんだぜ」と言った覚えがある。

 今、慶一は曖昧に否定した背広軍団の中で生き、絶対嫌だと言った大志は、その言葉通り海外を歩き回っている。ゆくゆくはそうなるんだと言った僕は、否定する強い意志もなく、肯定するだけの身のこなしも得ないまま、フリーターをしている。おかしなもんだと思う。

 ふと、何か他に可能性があると思ってるんだろ、という慶一の言葉を思い出した。

 そうなのかも知れない。ただ僕には、その何かが分からない。あるのに気付いていないのか、ないものねだりなのか、それさえも分からない。探している。そう思いたいけど、そういう時期はとっくに過ぎたという慶一が正しいのかも知れない。

 フリーターの自分に終止符を打って、会社員とか自営業とか、それらしい立場に自分を置くように努力しなきゃいけない、僕がそう思ってる以上、やっぱり慶一の勝ちなんだ。


 アパートのドアを開くと、その勢いで備え付けのポストからいくつものDMが落ちた。一つずつ拾いながらゴミ箱に捨てる。

 その中に、砂や雨や風にさらされた、大志からのエアーメールがあった。広場で花を売る少女の写真の下に、小さく「カルカッタ」という街の名前が入っている。裏には大志が作ったのであろう詩だけが書きなぐられていた。よくあることなので特に驚かない。詩だけの時もあれば、全て英語で書かれている時もある。「あ〜、もう我慢の限界、やりてぇ〜よぉ」と、顔を歪めている大志が想像できるような言葉が並ぶこともあった。これまでに何十通と葉書をもらっているが、共通して言えるのは、今、どこにいて、どんな様子なのかという文面が、まったくないことだ。

 大志は僕の誕生日に合わせてわざわざくれたのか? とも思ったが、詩を読んでみるとそうではなく、たまたまのタイミングで届いたらしかった。そういうところが、大志らしい。



 香りのない花

  海の中に咲くという
  人ごみの中で埋もれるよりは
  あえて酸素もなく 光も乏しい
  海底でそれは 
  力強く 美しく
  香りを持たないその花は咲いている


  花粉を運ぶ虫たちを寄せ付けず
  知らん顔している魚達の中で
  鮮明な色と形で 咲いている


  子孫繁栄を放棄した美しい花
  これで最後なんだと懸命に「美」を求め
  外面ばかりを気にしては また衝動買い
  それでも綺麗に散りたいと
  海の底で揺られている


  誰かが「それは《花》ではないだろ」と言った
  花であることを否定された香りのない花
  美しく 鮮明な色をもつ 海底の花


  ここにいることを 
  誰かに知らせることは必要なのか
  ここにいるんだと 
  主張する香りは邪魔になるだけではないか


  香りを持たない花(僕)は 
  今日も海底で揺られている



 繰り返して読んでみると、なんとなく、僕へのバースデーメッセージのような気もしたし、やっぱり、ぜんぜん関係のないもののようにも思えた。

 学生の頃から大志は他人と少し違った。今、半年日本で働いて、半年海外を歩き回るという生活をしていても、何ら不思議には思わない。むしろ、それでこそ、だ。

 一方で、他人との間に境界線のない、僕。周りとの違いも、同じ点の浮き出てこない。そこが海の底だと認識もせず、香りをもたないで存在している、のか?

 僕はこの詩に感化されて、この咲くに咲けない、散るに散れない、僕の現状をひとりでにしたためてみた。僕が僕に出す手紙だ。


 Dear Mr.Irasawa. オレへ。

 オレが、まだ幼く小さかった頃、そこがどんな建物で、どのぐらいの大きさなのかも知らず、命じられるままにエレベーターに乗り込んだ。ふわり、と上昇して、ワクワクしていた。小学校卒業を機に、オレは新しいフロアに降り立ち、中学、高校、大学と、決められた時間と枠の中で、できるだけ多くのスタンプを集めた。そのためだけに走り回ってきた。窓から外をのぞき見ても、オレがそっちにいくことなんてピンと来ず、いつまでもその建物の中にいられるような気がして、安心していた。ただ、人づてに聞いては、想像していただけの世の中。あっちはあっち、こっちはこっちという区別が、知らず知らず明確についていたように思う。そんなことよりも、オレのいる巨大で謎だらけの建物の、続きが知りたくて、またエレベーターに乗り込める権利を勝ち取ることに必死だった。必要なものは、各種、強制されたスタンプ。なんのために集めるのかは考えもせず、ただ、集め方を学んだ。
 ちょうど大学生も半ばを過ぎた頃、オレはふと、考えて立ち止まってしまったんだ、なんでそんなもん集めてるんだ? と。だけど、周りでは、先を急ぐようにみんながスタンプを集めていて、次のエレベーターに乗り遅れないよう躍起になっていた。だから、オレも走った。
 なんとかみんなと一緒にエレベーターに乗ることができると思って、ホッとしていたのもつかの間、いきなり、ここからはどこに行ってもいい、と言われた。出口、にも似た大きな扉の前で、オレは立ちすくんだ。耳や鼻や口や、穴という穴からいっぺんに強風が入り込んで、飛べそうにも思えたんだけど、行き先の分からないオレは、ジャンプすることさえ出来ず、未だに立ちすくんでいる。次から次へと上がってくるヤツらに押されて、扉の外には出たんだけど。
 知らない間に、屋上まで来てたらしい。そこにあるプールで、冷たい現実の風と生きるための太陽を浴びている。プールに飛び込んで、自分の泳ぎ方とスピードでスイスイ泳いでいる同年代のヤツら、かつての仲間たち。良子と慶一が仕事終わりにコルティーレに来る度に、麻美の子供がどうの、旦那がどうの、と聞く度に、そして、大志からエアーメールが届く度に、オレは、焦る。偉そうに言ったって、オレは泳ぐことが出来ないんだからな。とっくに、プールから飛び出して、大空へ羽ばたいたヤツもいる。大学を卒業したこと。それは、小中高のように、単なる通り道ではなく、もっと大きな区切りだったんだ。プールの中で必死に泳いでるヤツ、体力をつけて、飛び立とうとしてるヤツ。オレは、プールサイドからそいつらを眺めてる。
 オレの隣には、加美がいてくれる。オレと一緒にプールサイドに座って、同じ温度で眺めていてくれるんだ。彼女の存在はほんとにありがたいよ。とても落ち着くからね。良子が言うように、オレは単に、彼女がいることに安堵して、逃避してるだけかも知れない。そうやって付き合っているだけかも知れない。だけど、それでも、押しつぶされそうな真っ暗な夜を乗り越えるには、必要なんだ。代わりになるものがない今、この時点ではね。
 時間っていう恐怖がオレを焦らせる。「普通」という言葉を伴って、就職や結婚、定収入なんかがオレには求められる。普通ねぇ、とオレはため息をつく。足並みをそろえて同じ方向に行進することを強いられるのはゴメンだけど、その群の中にいないと不安だ。一人だけで抜け出して、違うことをする勇気もない。二十九歳の加美を見て、オレは正直、安心してしまう。そのうち、そのうち、と先送りを繰り返している。真っ白だったキャンパスに、広げるだけ広げたオレのミライは、もう半分以上が塗りつぶされて、余白が残っていない。このまま「ここ」からボーっと眺めているだけなら、もっともっと余白はなくなる。必然的に、オレの咲かせる花も小さくなってしまうのに。
 焦る。焦ると空回りして焦げ付く。オレは今、確実に浪費しているのだろう。じゃ、一体、オレは何がしたいのか。慶一に言い返すことも出来ない現状。いや、何ができるのか。考えてみるけど、答が見つからない。見つかるまで探せばいいじゃないか、そう思って寝転がっている。まだ大丈夫さという甘えが、二度寝を誘発して、もうとっくに遅刻する時間になっているのかも知れない。
 ダメだ、ダメだ、ダメだ。オレは、全然ダメだ。

 ……と、そこまで書いてボールペンを置いた。

 何か思いついた時にメモ書きしている「メニューノート」に、一ページ丸々、下手くそな字がびっしりと並んだ。初めの五行ほどを読み返すと、急にさめてしまい、そのページを破って捨てた。なんであんなに熱かったのかと、自分で自分に冷めた。酔っていた、のだろう。

 今日は、東藤さんによくしてもらったので、明日は早く行って今日の分まで働こう、とシャワーを浴びた。ベッドに入る前に、僕はすでに眠っていた。とても強烈な睡魔に襲われて、静かに二十五回目の誕生日が終わった。 



 加美と久しぶりに会う。誕生日からもう一ヶ月が過ぎていた。僕は、東藤さんに無理を言って日曜日に休みをもらい、そうまでして、待ち合わせ場所の喫茶店にいた。そうまでしないと一生会えないような思いがあった。

 喫茶店の一番奥、僕はタバコを吸っている。カフェ・ブームの次にやってきたレトロ喫茶店の波。それに上手く乗っかった人気の店だ。くつろげる空間を演出するキャンドルライトを眺めていると、時間の流れが歪み、淀んだ僕の毎日が、頭の中で溜まる。
 外は雨曇りの空。

 高校時代、制服のズボンをテカテカに光らせ、白の開襟シャツの間から汗を浮かべていた「あの日」」を思い出していた。真っ青な空に、黄色い太陽が輝き、僕は、あの時、クリームソーダを飲んでいた。高校一年のゴールデンウィーク、僕は初めてデートした。学校の近くにあった喫茶店でふたり向き合って座り、「私、クリームソーダ」と注文する彼女に続いて、「っじゃ、それを二つ」と言った。

 クリームより、ソーダより、氷ばかりが印象深い。ひどく暑い春だった。出来たてのアトラクションを目当てに、テーマパークに行こうと提案したのは彼女の方で、人混みが嫌いな僕も、嬉しそうに笑う彼女に渋々同意した。わざわざ並ぶために集まってきたかのような混雑ぶり。僕は、はぐれないように彼女の手を握った。触れると、とても近く感じた。近くに感じると、全部見られそうな気がして、必死で防御もした。

 その帰り、僕は、初体験した。
 それから、二度とその娘に会うことはなかった。あれから、僕はセックスだけして、その後、一度も会わない「知り合い」を増やしていった。一度目はいいが、二度目に会うと、変に構えてしまう。相手は失望しているだろう、こんなはずじゃなかったと思うだろう。もう、会う約束はしてくれないかも知れない。そんなことばかり考えながら会うもんだから、いつもその悪い予感が的中してしまう。それじゃいけない、とがんばってみるんだけど、結果はいつも同じだった。

 加美は違った。二度目も三度目も、彼女はそんな僕のバリケードをいとも簡単に破って侵入してきた。僕が考えていることの多くを黙って包み込んでくれた。また、会いたい。僕が強く望んだのも無防備でいられるからだ。僕は、彼女と触れあった。防御する必要がない以上、もっと近くに感じたかった。知らないうちに、僕は加美の防壁の内に入り込み、だから、失うことへの現実性が恐怖にさせたのかも知れない。まるで、羊水の中でおよぐように漂っている、僕。

 その羊水から、「外」に向かって飛び出せる時まで、離したくはない、と思った。

 加美はキャリアウーマンだ。仕事の愚痴を言うときも、自分の功績を控えめに話すとき
も、動いている額がケタ違いなんだ。だけど彼女は、「正真正銘のOLよ」って笑う。そこにある違いはなんとなくだけど分かる。そういうもんかね、と思いながら、だったらいいっか、とも思ってる。

 三十を目前にして、実家から親父さんが上京し、見合い話をもって来ることも何度かあった。親子の間でどんな話がなされたのかは知らないけど、一度、僕をちゃんと紹介したいといって、三人で銀座の寿司屋に行ったことがある。

 着慣れないスーツを着た僕は、慶一の会社に勤めているということにして、「だから、大丈夫よ」と加美は親父さんを説得する。ちゃんと紹介された僕の肩書きは、大学時代の親友であり、世間体から言えば「ちゃんと」している彼の同僚ってことになる。なんだそりゃ、って頭をかしげた僕の気持ちを加美は知っていたんだろうか。あの時、加美はいつもと違った。親の前で娘であり、未熟であり、必死だった。僕には、それが新鮮にも映った。親父さんは、寿司屋を出た後、「お前の問題なんだ。ちゃんと考えろよ」と加美に言って、長野に帰っていった。加美は、、何度も、何度も、「ごめんね、ありがとう」って僕に言ってたっけ。


 約束の時間を十分ほど過ぎて、加美がやって来た。それは、いつもの、とても自然な遅刻だった。
 「雨、降ってきちゃった」
 「ほんとだな」
 「私も、コーヒー飲んでいい? 遅れてきてなんだけど」
 「あぁ」

 加美は、今まで会えなかった理由を並べた。仕事で、トラブルで、お得意さんとのつきあいで、などなど。聞いてるうちに、彼女ばかりが大きく見えて、「もういいよ、分かってるから」と、僕は言い放った。「そうよね、ごめんね」と、つぶやく彼女に、苛立ちがこみ上げる。苛立つと、僕は、黙る。

 「今日ね、ちょっと遅いけど誕生日のお祝いと思って『アンプルール』を予約してるの。前に一度、お客さんに連れて行ってもらって、すっごくいい雰囲気だったから恭太も絶対、気にいるわよ」
 「知ってるよ、そこ。高いから行ったことないけどな。フレンチだよな? 何時から?」
 「ええっと、七時半に予約したから、まだ二時間あるわね。どうする? どこか行きたいとかある?」
 「加美は?」
 「ちょっとだけ見たい店があるんだけど、いい?」
 「あぁ。っじゃ、行こうか」

 それから、有名なケーキ屋に行って、バッグを見て、人混みの中をブラブラ歩いた。その間に、加美は三回、ケイタイで仕事の話をしていた。

 レストランでフルコースを食べる。気取った空間の中で見る加美は、格別に頼もしい。自然でいられるという極致に到達しているんだ。小声の僕と、加美の笑い声が心地よいほど絡み合って、その雰囲気の中で僕もおよいでる気分になった。いつもは、プールサイドまで加美がやってきて、一緒に眺めていてくれるのに、「加美の場所」に僕が行くと、やっぱり違うな、と焦りを感じてしまう。

 彼女は酔うとよくしゃべる。彼女の会社に誰がいて、どんな性格か、だいたい分かっている。加美の嫌いな上島課長、親友のユリ、元カレの高島さん。会ったことは一度もないけど、僕の頭の中では出来上がっている。この日も、ウエシマのミスをユリと二人で処理させられて、また、ウエシマの株を上げてしまった、らしい。そんなとりとめのない話を二時間、僕らは最後のデザートまで笑いながら食べていた。


 最後に、僕は、加美にフラれた。

 映画なら「距離をおきましょう」ぐらいの柔らかい言い方になるんだろうけど、加美の言葉は直球だった。「別れましょう」。その声のトーンは、疑問ではなく、ただの報告。彼女は、いつものようにトイレにたって、戻ってくると「そろそろ行く?」って僕に尋ね、「あっ、そうだ」と、まるで何かを思い出したかのように、別れを告げた。

 えっ?とか、なんで?とか、僕の口からついて出たのはそんな驚きではなく、
 「そうだな」、の一言。

 何となく予想はついていた。今までの加美なら、僕をこんな立派なところに連れてこようとはしなかった。それが何を意味して、彼女がどう思っているのか、僕には痛いほど分かっていたんだ。だから、喫茶店を出た時から、僕は時間をかけてその返答を探し続けていた。やっぱり、そうだよな、という意味を込めた、「そうだな」という返事。

 いつもの夜と同じように、加美と別れた。考えてみると、いつも、「じゃ」の後が続く保障なんてなかったのかと、僕は夜空を見上げた。

 ほんとに、見上げる空はでかいし、黒い。なぜか、そのことがとても不思議に思えた。

 その日から、メールはピタッとなくなり、加美以外に、メル友さえいないという現実にため息が出た。コルティーレで働いて、部屋に帰って眠る。また起きて、働く。実際に会わなくても、彼女がいるという事実が僕を楽にしていたのは確かで、それを失い、僕は寝転がっていても、気持ちがゴワゴワする日々を送った。想像していた加美のいない世界と、実感するそれとの違いを前に、改めて、寂しさを感じた。

 頭ばかりが冴えて、身体は疲れているのに眠れない。眠らないと明日が大変だと、思えば思うほど、眠れない。こんな夜は、色んな思いが錯綜する。
 僕は、枕元のメニューノートを開いて、ボールペンを走らせた。

  まだかな、
  まだかな、
  どんなハナかな、
  何色かな、大きいかな、小さいかな、
  キレイかな。
 
  咲くのかな? って心配した途端に
  ポキンと、折れた。
  ほんとにハナだったのかな?


 別れて一週間が過ぎた頃、良子がひとりでコルティーレにやって来た。すでにヤマは超え、少し余裕があったので、僕は良子のテーブルに行って少し話す。
 彼女の顔を見た瞬間、何を言おうとしているのかが分かった。

 「聞いたで。別れたんやろ、藤本さんと」
 「あぁ」
 「なんで?」
 「なんでって、なんとなく」
 「ええの? それで」
 「はっ?」
 「恭太はそれでええんかって? しょうがないとか、もう決まったことやしとか、そんなんちごて、恭太はどうなんって聞いてんねん」
 「いいんだよ、これで」
 「ほんまか? 恭太は学生の時からいっつもそうやろ。自分に気持ちがまだあるんやったら、追いかけや、必死になって、そっぽ向かれたら回り込んでいかんと。私は、慶一から聞くだけでおうたことないけど、その人と恭太は合ってると思うで」

 良子は、他にもいろいろ話してたけど、よく覚えてない。初めから終わりまで、怒ってたことしか印象にない。言い終えると店を出て、僕はそれから厨房に戻ってもずっと考えてしまった。
 慶一と加美は、たまたま一緒に仕事をして以来、メル友だった。加美が言ったのか、慶一が聞いたのかは知らないけど、僕との別れを聞いて良子に知らせたんだろう。
 良子は、学生の時から、僕の痛いところを突く。

 そうなんだ。良子の言う通り、僕は必死になることをしない。小学生の時、泳げない僕の、あの体育の時間。クロールの息継ぎで大きく上げた顔、その右目ではっきりみたクラスメイトたちの笑い顔。僕は、あの時、笑われていた。バタバタ、バタバタ、必死に泳ぐ僕をみんなが笑った。それから、僕は、笑いたい奴には無条件で笑わすことにした。そこで必死になるのは余計にみっともないのだと悟った。あがかない。

 そんな僕を良子は怒っている。

 部屋に戻っても考えていた。良子に言われた、加美とのこと。このままでいいのか、本当は、どうしたいんだ。どうにかしたいから自分が動く。考えてみれば、そういうことすら最近はなかったことに気付いた。
 とにかく話したい。そう思って僕は、加美のケイタイにメールを打った。

『明日、昼休みでいいから会えない? 恭太』

 彼女からの返信は意外に早かった。そして、僕らは加美の働く目黒で待ち合わせた。
 僕らは、ワゴン車で売りに来ているおばさんから、お弁当を買って、近くのベンチで食べた。二人とも、なかなかうまく話せず、黙って食べていた。

 「恭太の気持ちは分かるのよ、私」
 話し出したのは、加美の方だった。
 「私ね、焦ってるって思われるのがすっごく嫌なの。だから、恭太が何か見つけるまでは、それまでは私が支えてあげる、って思ってた。怒らないで聞いてね。年下の子と付き合って、仕事もそれなりに順調で、周りからは本当か嘘か知らないけど、羨ましがられたりしてたのよ。でもね、結局、私はそういう器じゃなかったのよ。負けちゃったの」
 「何に?」
 「恭太に、かな。恭太の、その若さに」
 「若くないぜ、もう」
 「そう思うのよ、私も二十五の時はそう思ってたけど、三十が見えてくるとやっぱり焦るの。結婚、とかも考えるようになるし。迷惑でしょ、恭太はそんなの。分かってるから、まだまだ、恭太にはそんなこと考えられない、って。だから、私……」

 何も言えなかった。迷惑じゃない、とも、結婚しよう、とも、何も言えないまま、僕は黙ってうつむいてしまった。そんな僕を見て、加美は笑った。すごく乾いた笑顔だった。バカに晴れた空に向かって、加美の笑い声が飛んでいく。
 「ありがとね」。加美が僕に言った最後の言葉。僕らは、そうして完全に別れた。


 花じゃないハナに期待して、どこかで僕も、その将来のことを考えてたんだろう、な。だけど、そんな漠然とした「先」を前に、まだまだ、っていう時間的猶予が加美より僕の方が多かった。つまりは、そういうこと。好き、とかじゃなかったんだ。
 加美との別れは、僕を静寂の中に落とし込んだ。眠ろうとする僕に聞こえていた、あの蛇口からポタポタと漏れる水滴さえも消し去った。まるで、時限爆弾のようにカウントを刻んでいたあの音は、僕に決意させるまでの時間だったのかも知れない。
 もう、そんな加美とのミライはない。店とアパートの往復、僕の生活はそれだけになった。

 それから三ヶ月があっという間に過ぎた。
 元々、出不精気味だった僕も、この三ヶ月は籠もっているとさえ言われる有様だ。バイトがあるから起きるだけ、いや、もっと言えば、それがあるからかろうじて生きている、とさえ言える。僕の毎日は、大海を前にした幅の広い川の、その隅っこにあるよどみだった。
 慶一と良子にも、最近は会っていない。前に会ったとき、慶一はそろそろ新居を探すと言っていた。良子も仕事を調節しながら結婚を考えているという。あの二人もいよいよだな、と僕は自分の空虚の中で蓋をする。

 そんな時、大志から手紙が来た。葉書ではなく、赤と青のラインが入った薄い手紙。珍しく長々と続く文面を追いながら、それまで逃げ込んで、考えないようにしていた、僕の焦りが一気に吹き上げた。彼は、再来月から石垣島で暮らすことに決めたらしい。タイにある島にしばらくいた大志は、そこであまり聞き慣れないマリンスポーツに没頭し、習得した技術をもとに日本でライセンスを取ったらしい。石垣島でそのマリンスポーツのインストラクターをやるという。大志らしいな、と僕は微笑んだ。が、最後の方に小さく、それも一際ていねいな文字で書かれた一文を読んだとき、僕の焦燥感と素直に喜べない感情が締め付けた、

 「あっ、そんでもって俺、旦那になったんで、遊びに来るときは祝儀、忘れんなよ」

 麻美に続いて大志まで結婚するのか。慶一と良子もすぐだろうから、加美と別れた今、僕だけがスタートラインにも立っていないような、そんな気がした。手紙の締めは、
 「っで、お前は彼女とどうなんだ? 結婚しないのか?」だった。
 何も結婚だけが僕を急かせるのではない。その「代わり」になるものもない、空白に怖じ気づくのだ。

 それからしばらく、僕はコルティーレに行くことさえ拒んだ。ちょうど、インフルエンザが大流行していたので、僕のズル休みは、風邪のせいだということにした。
 部屋でテレビもつけず、何も食べず、寝ても起きてもガサガサした気持ちに焦った。何かしなきゃいけないのに何にも見つからない。とりあえずバイトに行こうという目の前の強制もない。時間だけがやたらにある。だったら寝るか、と思っても眠れない。どうする、どうする? どうしたらいいんだ、一体。こんな時、僕を救ってくれていたのが、加美と大志の存在だったのに。大丈夫、加美がいる、俺なんてまだまし、大志の方が結婚は絶対に遅い。そう思うことで、バランスをとってきた僕にとって、この周りの変化は地球温暖化なんかより死活問題だった。
 タバコと水をコンビニに買いに行って、ついでに就職情報誌を立ち読みしながら、僕に出来そうな仕事を探す。「今の仕事に満足いってますか?」「転職するなら今!」などのキャッチコピーを眺めながら、ため息をついた。「未経験者歓迎!」「来たれ!やる気のやる人」という仕事に目を留めて、読んでみても、時給いくらというアルバイトだった。
 もの凄いスピードで老けていく自分を感じた。コンビニからの帰り道が、遠く感じた。コルティーレからアパートまでの四十分があんなに早く感じたのに、今では、空想することさえ出来ない。

 店にも行かず、カリカリと焦燥した生活が一週間続いた。
 突然、ケンからメールが入った。なぜか胸騒ぎがして、ドキドキしながら、ケイタイを開いた。

『ばあちゃんが死にました。今日が通夜で明日が葬儀です。恭太には知らせた方がいいと思って。母さんもそうしろっていうてるから』


 祖母の死。父の母は、僕が生まれる前に他界しているので、僕にとっては唯一のおばあちゃんだった。もう、十年近く会ってないけど。父にも知らせるべきかと思ったが、例え知らせるにしても、それは僕からじゃないだろうと思って、止めた。
 母の顔よりも、印象深い祖母。両親が離婚するまでは、年に四、五回は京都の家に行っていた。僕は、京都が大好きだった。祖母の家は御所の近くにあって、夕方になると、あの砂利道をよく散歩した。ケンは近所に友達を作って、その子らとテレビゲームをしていたが、僕は、祖母と歩きながら昔話を聞くのが好きだった。今から思えばめちゃくちゃな話だったけど、僕は、おばあちゃんが鬼退治に行った話が好きだった。桃太郎よりも強いおばあちゃん。
 中学の頃、僕が修学旅行で京都に行ったとき、どこで聞いたのか、京都駅で僕を待っていた。担任の先生に「ちょっと時間もろてもええ?」と言って、地下街のコーヒーショップに行った。事情を知ってか、担任の先生も、後はホテルに帰るだけなので、夕食までには帰るようにと承諾した。あの時、十年ぶりに会う祖母は、僕の頭の中にあるイメージよりグッと老けていたことを覚えている。僕が、「いいですよ、そんな。おばあちゃん、無理だよ、抜けれないよ」と断ったのに、強引に僕の手を引っ張った。
 チョコレートパフェを勝手に頼んで、甘いの、好きやろ? とか言いながら、祖母も一緒にチョコレートパフェを食べてたっけ、「あっまいなぁ〜、これ」とか言いながら。
 何を話したかよく覚えてないけど、とにかく笑ってた。相変わらずめちゃくちゃで、強引で、だけど、楽しかったなぁ。
 あれから十年、おばあちゃんが死んだ。修学旅行から戻って、ひとつだけ高級なお菓子の箱を父に渡した。おばあちゃんから、とは言えなかった。

 何か急に、突き上げるモノがあった。京都へ行こうか、と思った。
 葬儀に間に合わすことはない。ケンにも母さんにも新しい家族があるんだから。だけど、あの家をもう一回、御所の砂利道を一人で、歩いてみたくなった。
 東藤さんに祖母が亡くなったことを告げ、もうしばらく店を休ませてもらう。
 「お前、実家、京都だったのか」と驚く東藤さんに、「はい」とだけ言った。
 

 京都に着いたのは、祖母の葬儀の翌日。僕は古い記憶を頼りに京都駅から地下鉄に乗る。聞こえてくる電車での会話が、どれも良子に思えた。関西弁、遠くに来たな、と実感する。ホテルも何も決めてない。ただ、御所を目指して移動した。ずいぶんと感じは変わっていたが、祖母の家はすぐに分かった。幼い時の記憶は、二年前のそれよりも鮮明だ。
 大きな通りを一本入った小道に、間口の狭い家が建ち並び、その真ん中にひっそりと祖母の家はある。古い家だ。少し距離を置いてぼんやり眺めていた。人通りも車もそれほどない。あの頃、父の車があの家の前に停まっていて、それを目印におばあちゃんの家だと覚えてたっけ。僕らが東京に帰る時は、角を曲がりきるまで、祖母は手を振っていた。幸せ、なんて実感はなかったけど、ほんとにあの頃は楽しかった。

 と、家から誰か出てきた。古い木枠の扉を開き、少し屈みながら。
 ケンだった。すぐにそうだと分かった。一瞬、目が合い、ケンも僕だと分かったようだ。十八年ぶりの再会。「おぅ、きてくれたんや」とケンが右手を挙げた。僕も小さく手を挙げた。彼は家の中に頭だけを突っ込んで、中の誰かを大声で呼んだ。誰か、それが母なのは分かっていた。立ち去ろうか、とも思った。が、そんな時間はなかった。飛び出してきた女性が、母が、
 「恭太、恭太」と二回叫んだ。
 
 それから祖母の家に上がり、ホテルをとってないならここに泊まればいいというケンの提案でそうすることになった。「お久しぶりです」と僕が言うと、「こちらこそ」と母がいった。「連絡もしませんで、かんにんな」とケンが茶化した。僕らは、三人で笑った。
 ケンの弟は、いま鳥取の大学に通っていて、昨日の葬儀の後、すぐに下宿先に帰ったらしい。ケンは大阪で一人暮らし。母と旦那さんは京都の北山で暮らしているという。奥の部屋に母のご主人がいて、一言だけ挨拶をすると、どこかに出かけていった。
「武中です」という挨拶、「井良沢恭太です」という応え。

 三十分もすると、すごくスムーズな会話に変わった。
 「父さん、おばあちゃんが亡くなったこと、知ってるの?」と僕が聞くと、
 「恭太が京都に来てることも知ってるよ」と母が答えた。

 その晩、僕が料理を作ることになった。ケンが、「恭太は東京でシェフしてんねんで。イタリアン。そや、作ってや、今日」とひらめいたように言うので、僕も座ってるだけよりましかと思って同意した。時間があったので、材料だけの買い出しではなく、ついでにコランダー付きのパスタ鍋やフライパンまでそろえた。大きな荷物を抱えて帰って来た僕を母が笑った。 「楽しみやわ。まさか、恭太の料理が食べられるやなんて」。

 いつもと勝手は違ったが、楽しかった。誰かに食べて欲しいと思って作った、僕にとっては初めての料理かも知れない。できあがったものからテーブルに運び、お箸でラーメンのように食べる母とケンを見ながら「料理って楽しいな」と僕は思った。
 三人でちゃぶ台を囲み、いろんなことを話した。ただ、昔の、まだ家族だった頃の話だけは、誰もしなかった。母は、将来は料理人になるのか、と何度も僕に聞く。なれないよ、と僕はその度に答えた。「おばあちゃんは、よう恭太の話をしてたんやで」と母が懐かしんだ。中学の時に京都で会ったことを話すと、母はびっくりしていた。ケンも驚いてた。てっきり、母から聞いて京都駅に来たんだとばかり思っていたが、よく考えると、母が僕の修学旅行の日程を知っているはずもない。一体、誰から聞いたんだろう。

 夜、十時。母はケンの車で送ってもらい、北山の家に帰った。僕は、懐かしかったので家の中を歩き回る。祖母の家は決して広くないが、奥に長細く、真ん中には坪庭まである。雑草と物置になっている坪庭を見ながら、ここにビニールのプールを広げて、水遊びしていたことを思い出した。

 母を送ってケンが帰ってきたのは十一時半。僕は、ウトウトと眠っていた。ケンも祖母の家に泊まるという。僕らは兄弟水入らず、二人で酒を飲んだ。

 「やっと飲めたな。いっつもポシャッてたから」
 「そうだな」
 「なぁ、恭太の彼女ってかわいい? かわいいんやろな、恭太は男前やもん」
 「まぁ、お前には似てないからな」
 「言うねぇ。俺の彼女もかわいいでぇ。どうすんの? 明日にはもう帰るん? しばらくこっちにいるんやったら、一回、おうてみてや、紹介するわ」
 「そうしたいけど、俺、明日の昼には帰るからさ」
 「そうか。まぁ、しゃーないな。さっき、母さんも車ん中で言うてたけど、恭太は何にも変わってなくてよかったわ。料理も上手やし」
 「うまかったか?」
 「うん、めっちゃ、めちゃ。なぁ、この家を改築して、店、出さへんか? 町屋って、ブームは去ったけど、定着してるから。場所もここやったらええし、広さも十分やろ。俺が設計するし、な?」
 「な?って言われても、俺、そんな金ないよ。それにこの家はおばあちゃんのだろ」
 「それは問題ない。実はな、さっき母さんには言うといてん。俺が、この家を改築して、恭太がここで店出すかもしれへんって」
 「しれへんって、そんなの勝手に決めるなよ」
 「なんでやねんな、ええと思うで。母さんも賛成してた。町屋でイタリアン。そういう店も結構あんねん、今」
 「無理、無理。まず、金がないし、店を出すっていったって、俺にはそんなことできないよ」
 「そうなん? まっ、でも考えといてや。俺もな、自分で設計した第一号の家は、こう、何十年経っても覚えとける方がええし、それに、ここやったら、自分の子供も連れてこれるしな」

 「あの……さぁ、俺、彼女、いないから。別れたばっかりなんだ」
 「なんやねんな。もう、そんな話してないやろ。改築の話やで。考えてや、本気で。それに、ちょうどええやん。東京に残してくるもんもなくなったんやから。思い切って、店、出そう。なぁ」

 ケンは急に立ち上がって、家中をウロウロしながら「ここにキッチン、ここが入り口で、天井は高く、坪庭を囲んでテーブルは十台ぐらいかな」と、ブツブツ言いながら歩き回った。僕は、苦笑いしながら、ケンの後をついて歩いた。
 

 翌日、ケンがまだ眠っている早朝に、僕はこっそり東京に帰った。帰って何があるわけでもないが、コルティーレに早く行きたかった。「めっちゃ、めちゃ旨い」と言われた僕の料理。それを作るために。

 一泊で東京に戻り、十日ぶりにアルバイトに行く。
 僕が店のロッカーで着替えていると、みんなが「大丈夫なのか?」とか、「ご愁傷様」とか、中には、「辞めたのかと思った」とか。色々言われたが、ここに来ると、部屋にいるより気持ちが晴れる。僕のいない間は、平日でも東藤さんが厨房に入って店を回していたらしく、この日も、来るか来ないか分からない僕の代わりに、下ごしらえをしていた。僕は、東藤さんに挨拶に行った。

 「おう」と素っ気ない挨拶だった。
 「すいませんでした、勝手ばかりして」と僕は謝る。「じゃ、俺は今晩、店に出るからな、こっちは頼んだぞ」と良いながらコック帽を脱いだ。

 店の忙しさ、汗、走り回って、飛び回る言葉。跳ね返る熱。厨房で鍋を振る時間が、僕は好きだったんだ。このとき、少し時間をおいたことで、改めてそれが分かった。
 みんなでオーダーをこなすことだけに集中する。そして、それを終えた後に感じるフワッと浮かび上がるような爽快感。一瞬、飛べるか? と、僕には思えた。
 店の片付けも済んで、ロッカーに上がろうとすると、東藤さんに呼ばれた。
 怒られるな、と身構えた。

 「っで、家の方はもういいのか?」
 「あっ、はい。すいませんでした」
 
 僕は、ケンの話を思い出していた。あの祖母の家で、歩き回り広げた「夢」を見ていた。

 「就職活動だから休ませて欲しいって、今、四年のヤツはよく言うよな。俺は、休みたいヤツは休め、っていう方針なんだ。わざわざ理由に正当性はいらない。インフルエンザだろうが、ズル休みだろうが、俺はかまわないと思ってる」
 東藤さんは、僕のことを言っている。そう思って、話に集中した。

 「俺は雇った。お前らは雇われた。それでイーブン・イーブンだ。最初は懇切丁寧に教えるから、その分は必死でがむしゃらに働け。二週間教えたら、二週間は遮二無二になれ。その後は、金を払う分だけ働きゃいいんだ。休むヤツには、金はない。忙しいとか、店の状況とか、お互いの連帯感とか、そういうことをしっかり意識できるヤツを雇ったつもりだが、それができないんなら、俺のミスだ。何も、責めたりしない。俺は、金を払ってまでそいつらに連帯感だの、責任感だの、教えるつもりはないんだからな」
 「はい……」

 「なぁ、お前、いま何考えてる。一週間も店休んで、何を迷ってるんだ?」
 ドキッとした。怒られてるわけじゃない、のか。

 「よく言うだろ、お前。もう二十五だ、もう、もう、ってな。それじゃ牛だぞ。ヒィ、ヒィ言って馬みたいに走らされるのも情けないが、そんなに寝転がるなよ。シャンと歩け。最近、お前は周りばっかり見てるんじゃないか。俺もそうだったから分かるんだけどな。自分はダメだ、アイツよりダメだ、って焦ってるだろ? なぁ、井良沢、周りばっかり見てるヤツは、自分のこと全然みてないんだぞ。一回、穴があくまで自分を見てみろ。そしたら、その穴から何か覗けるかもしれない。自分のやりたいこと、とかな」
 僕は東藤さんの口を眺めていた。

 「俺もお前も自由なんだ。自由に、苦労できる、そういう自由だ。分かるか?」
 自由の裏には義務があるなんて、そんな当然なことではなく、一度や二度、苦労しても、まだまだ何十、何百と苦労ができる、という自由。それを続けるヤツが、うまく行く。東藤さんはよく開店前のミーティングでそう言っていた。
 「苦労はな、苦労だと認識した時から始まって、それに立ち向かうことを言うんだ。それを乗り越えた時、初めて意味を持つんだ。どうだ、そろそろ、自由にやってみないか」

 「……」
 「すぐに答えなくていいぞ。実はな、……」
 「あの、」
 「んっ? なんだ?」
 「亡くなった祖母の家が京都にあって、そこを弟のデザインでリフォームして、そこで、僕が店を出して。でも、そんなお金がなくて、でも、ずっと考えてるんですけど、やっぱりやってみたいかな、とも思ってて」

 支離滅裂。東藤さんには何のことがさっぱり分からないだろう。
 勢いよく話したので、咳き込んでしまった。

 「やってみるか? 死ぬ気で」
 「えっ?」
 「だから、その店でお前の料理、出してみるか?」
 「でも、」
 「俺な、お前の料理が好きなんだ。なんにもないだろ。こうして作りました、だからここを感じて下さい、っていう強制みたいな味がな。食べる側に、どうぞ自由に食べて下さい、っていうだだっ広い空きがお前の料理にはある。だから、俺は好きなんだ。お前が本気で、京都に店を出すなら、俺が金を出してやってもいい。何もコルティーレの三号店にする必要もない。お前の店として、俺はそこに投資する。ちゃんと腹括ったら、俺に相談してくれ」

 コルティーレからの帰り道。僕は考えていた。ケンの言葉、東藤さんからの話。そして、僕自身の、決意の程。
 加美と別れ、大志の結婚を知り、あんなに焦って、何かしなくちゃ、どうにかしなければとモヤモヤしてたのに、話が思わぬところから降って湧き、それがトントン拍子に進んでいくと、僕は、自分に何度もブレーキをかける。そんな、できっこない、と怖じ気づく。

 アパートに着くと、大志がドアの前に座っていた。大きなバックパックを枕代わりにもたれ掛かっていた。どうしたんだよ、と尋ねると、大志は寝ぼけた声で「良子に聞いたら、お前が最近コルティーレに出てないから家にいるだろう、って教えてくれたんだ」という。それで待っていたらしい。
 僕らは、大志の結婚を祝って、近くのコンビニでビールを大量に買い込んだ。

 「もう、東京に戻ってこないで、石垣島にいるのかと思ってたよ」
 「一応さ、ほら、親に挨拶とかあんじゃん」
 「相手は? どこの娘?」
 「埼玉なんだ。三つ下だからさ、ピチピチだぜ、まだ」
 「いや、それにしても驚いたよ、大志が結婚だもんな」
 「俺も、自分で驚いてる。お前は? なんか、さっき良子からちらっと聞いたけど」
 「あぁ、俺は結婚なんて、まだまだ、先だな」



 「いいじゃないか、それ。うん、やってみろよ。恭太ならできるって」
 何時間も話して、僕はついに、今、悩んでることを大志に話した。

 「だって、そのオーナーの人が金出してくれて、ケンだっけ、そいつが設計してくれんだろ。もう、ほとんど決まってんじゃんか。何を悩んでんだ?」
 「だってさぁ、お前。俺、京都なんか知らないし、ほら、あそこって色々あんだろ、営業時間がどうとか、外観が調和してないとだめだとか。そういうなんだ、組合みたいなのも大変そうだしさ」
 「あっ、俺さ、知り合いいるぜ、京都に。ウズベキスタンのタシケントで出会って、二週間ほど一緒に旅してたんだよ。その人、岡本さんっていうんだけど、あの人、確かそういう町屋の委員会みたいなやつの会長だぜ。ちょっと聞いてやるよ」
 大志は携帯電話でその岡本さんという人に電話をする。こんな夜中に悪いよ、と言ったんだけど、遅かった。「場所はどこだ?」「え〜っと、丸太町通柳馬場を南に曲がったとこ」「いつオープンだ?」「ちょ、ちょっと待ってくれよ、分かんないよそんなの」。大志と岡本さんの電話に、僕が割って入るという妙な会話。知らないうちに、近々、その岡本さんに一度、会うことになった。

 「そんな勝手にドンドン決めんなよ。俺はまだ……」
 「あのさ、恭太。俺もこう見えて色々探してたんだよ、自分の将来っていうか、ずっとやっていけるものをさ。探しても、探しても、見つかんなくて、焦ってさ。先がバカでかくて荒涼としてるから、一歩目がなかなか出ないんだよな。でも、いつかきっと、大地震とか雷鳴とか、そういう地の底からぜんぶ突き上げるような、ガラリと変えてしまうような大きな転機がやってくる、その時は俺も走り出そう、って思ってたよ。だけどいつまで経っても、何も起こらなかった」
 大志の言いたいことが、僕にはすーっと理解できる。

 「ハンガリーの小さな町にさぁ、ドナウベントってとこがあるんだよ。でっかいドナウ川がさぁ、そこで直角に曲がってんの。それを見たとき、俺、ハッとしたよ。そうか、って思った。ゆったり流れてるバカでかい川がさぁ、直角に曲がって、方向を変えて流れてるんだぜ。俺は大河なんかじゃないけど、でも、今かな、って思った。目の前にある大きなうねりの中に、身を任せて曲がってみようって思ったんだ。
 前々からさぁ、石垣の人には誘われてたし、彼女とも、そろそろ真剣に考えようと思ってたしさ。気付かなかっただけなんだよな、きっと。俺にも転機はやってきてたんだな。っで、決意したわけよ」

 最後に大志は、真面目な顔をしてこう言った、
 「うまく言えないけど、大河だって曲がる、ってことさ」



 僕は、春の始まりのある日、決意した。
 僕を突き上げる、周りの風と、この気持ちの高揚に、乗っかることにした。もちろん、覚悟を決めて。二週間まえには、雪さえちらついていた東京も、今は汗ばむ陽気だ。二週間でこんなにも変わる。僕にとってのドナウベントだった。日々の小さな変化が、気付けば冬から春になっているという事実。
 僕は、これまで続けてきた道で、料理の世界で、生きていくことを決めた。

 ゴールが見えると、走っていても苦ではない。それは、走らされているのでなく、自分から走っているのだから。電話にファックス、メール、手紙、必要なら新幹線にも飛び乗って、僕は開業の準備を始めた。コルティーレは休み、新しいシェフが、また誕生した。
 話が進んでは頓挫し、期待しては裏切られる。そんな連続の中で、僕は自分の無力さを痛感した。ひとりじゃ、何も出来ないと思った。だからこそ、助けてくれる、支えてくれる、そんな人たちに心から感謝することができた。実際に動き出さないと見えない多くのことが、僕には分かったような気がする。中でも、大志には幅広い知り合いがいて、調理器具の買い付けから、店のロゴデザイン、町屋協会への入会に、宣伝に至るまで、彼の紹介で知り合った協力者は実に多い。大志が海外を歩き回りながら、どんな旅をして、どんな人に出会い、そして何を与え、与えられたか、僕は今回のことで少し分かった。
 東藤さんも、黙って僕のやりたいようにさせてくれた。時々は、アドバイスするように、僕の見落としている点や経験の上で学んだことを惜しみなく教えてくれた。
 父も、母さんも、ケンも、走り続ける僕にガソリンをくれた。
 休みなし、寝る暇なし。だけど、僕は限界なんて感じなかった。自分にブレーキをかけようと思う暇さえなかった。寝ても覚めても、一日中、僕は京都の店のことを考え、妥協はしなかった。ただ、自分にできる、精一杯のことをしようと、そればかり考えていた。



 半年が経ち、ようやく開店の目処がついた。ずっと考えて、悩んで、迷って決めた店の名前。それもようやく決まった。京都へと旅立つ前の晩、慶一や良子、麻美らが中心になって、コルティーレで僕の壮行会を開いてくれた。

 「なんか、恭太、変わったよ。勢いがあるっていうかさ」と慶一が言う。
 「私は変わったとは思わへんで、ただ、やっとスタートラインに立ったか、とは思うけどな」と良子が微笑んだ。
 「絶対、この夏は家族で京都に行くから、最高のもの食べさせてよね」と麻美が僕の肩を軽く叩いた。

 僕は、みんなの前で、店の名前を発表する。

 『泳ぐ庭』。
 一瞬、みんなが固まった。一同がキョトンとして静まりかえった。良子が、どういう意味かを聞くので、僕は奥にいた東藤さんの顔をちらりと見てから、高らかに言った。

 「俺の城だ〜、って言えるほどのものでもないから、この店は俺の庭なんだ。その庭で、俺は必死になって、犬かきだけど、笑われても、泳いで行くし、来てくれたお客さんが、この店で気持ちよく泳いでくれたらいい。そう思って、つけたんだ」

 またしばらくの沈黙の後、「わっかりにくぃ〜なぁ」と慶一が笑った。麻美は、誰よりも先に拍手をくれた。奥の方で、東藤さんがオッケーマークを作った。

 この庭で、僕は僕サイズの花を咲かせる。泳いでみせる。緊張はない、力みもない。ただ、やってやろうという強い気持ちだけ。確かに、僕の目の前は大海原だ。そこにちっぽけな舟を出すんだけど、毎日ちょっとずつでも漕いでいれば、漕ぐことさえ止めなければ、どこか小さな楽園にもたどりつくかもしれない。そう思ってる。


  花は花
  咲く前も、後も
  種からずっと花だとしたら
  僕は今までも花だった
  
  僕のハナ
  ハナはハナ
  自分で咲かせて
  そして、枯れたい



 『泳ぐ庭』オープンの日を迎えた。
 最後の最後まで本当に慌ただしかった。昨日の夜は、ほんとにオープンできるのか心配だったけど、なんとかここまでこぎ着けた。開店初日の今日は、通常よりも一時間早く店を開ける。まず最初に、今までお世話になった方々にお礼の意味も込めて食べてもらいたい。そう思って招待した。小さな披露パーティのつもりだ。大志も、ケンも、慶一や良子まで、わざわざ来てくれた。小さな坪庭を囲んで、みんなが笑っている。

 ふと、東藤さんの姿を見つけ、僕が駆け寄ろうとすると、僕より先に、父が東藤さんに深々と頭を下げていた。わざわざ京都まで来てくれたんだ、父さん。隣には、母がいた。その後ろには、ケンもいる。二十年ぶりの、僕の、家族が集合した。
 出来上がった仔牛のカッチャトーラをそれぞれのテーブルに運ぶ。サラダとパスタ、ワインを飲みながら談笑していたお客さんが、一同に注目した。僕は、この笑顔の一つひとつを忘れない。

 ゼロからのスタートじゃない。今までのいくつものマイナスを返すまで、僕はゼロに向かって泳いでいく。そういうスタートがあったってかまわない。泳ぐことを止めない限り。

 僕は今、やっとフリーターになった。賞与も保障も責任も展望も、そして苦労も。全て僕の自由の中にある。もう自由を恐れない。二十六歳、フリーター(自由人)。
 
 店内に招待客の笑い声が残る中、記念すべき、最初のお客さんが来た。
「いらっしゃいませ」
 僕は、スタートをきった。



[了]

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泳ぐ庭

鈴木正吾著


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