2000年9月1日(金)
8日目

サンクト・ペテルブルグ→モスクワ→イスタンブール



このモスクワ行きのエクスプレス・トレインは本当に時間通りに出て、そして着く。
動き出してからすぐに深い眠りについた。そして朝7時に起床。一服するのと同時にTシャツを着替えに喫煙室へ。夜中寒すぎたせいもあってお腹をこわし、下痢気味だ。この列車のトイレが意外や意外、結構広くて綺麗なのだ。ただ、便器の下にあるフットステップを踏むと底のふたが空き、そのまま下へ放り出される。線路のような物が見えたので、列車が走ると線路沿いには僕らの便が散らばっているのだろうか。

この寝台列車には朝食がついている。乗り込んだときには各自に用意されているため、メニューにヨーグルトなどがあるが冷たいなんてことはない。サラミとチーズも圧縮されているので完全に保存食状態になっている。水は行きには気付かなかったが、炭酸水2本とナチュラル2本があり、4人で分ける。さっさとナチュラルを確保した。1つの車両に1台の給油機があり、コーヒーの粉が朝食セットにあるので、熱湯をくんできてコーヒーを飲む人も多い。とりあえず空腹しのぎのためにパンを食べる。窓から見える景色は田園風景一色。いくつもの駅を素通りしていく。こんなに早朝にも関わらず、気温の低さで霜の降りたホームのベンチにちらほらと列車を待っている人の姿が見える。

モスクワのレニングラード駅に戻る。また地面が濡れている。そうとう夜は冷えて霜が降りているに違いない。この時点で朝の8時半。大きな駅なので人でごったがえしている。本を売る人、果物を売る人が移動式の台と椅子に座って、その間を無数の人が行き交う。このレニングラード駅から50m程離れてメトロのコムソモーリスカヤ駅がある。小さな入り口にどっと人が押し寄せるので行列のようになる。コンサートの開場を待ちこがれたファンが一斉に押し寄せている状態だ。こんな中では僕の大きなバックが非常に迷惑である。朝から酒を飲んでいる人もいるのでさわやかさはなく、アイスも売っているがそんな気温でもない。ほんと、小さな街のお祭り状態である。この国は何をするにも並ぶ。このコムソモーリスカヤからアホートヌィ・リャト駅まで行き、そこで乗り換える。朝のラッシュは大都市特有だ。

来ている電車に飛び乗ると勢い良く閉まるドアに挟まれてしまった。
日本でもこんなの恥ずかしいのに、外国ではまるで日本代表として恥をかいたようになってよけい恥ずかしい。車内の混雑で恥ずかしさよりも苦しさが先立つ。アホートヌィ・リャト駅で乗り換える。ここからはモスクワに着いたばかりで乗った路線を逆にたどる。しかし、相変わらずこのクレムリンの駅は大きいので乗り換えに苦労する。とにかく聞きまくろうと、エスカレーターを登った所で絵はがきかなんかを選んでいた女性にレチノイ・ヴァグザールに行きたいのだが、どこで乗れば良いかを聞いた。と、なんと英語で返ってくる。英語で言われると苦労も半減。今までの旅よりも何をするにも時間がかかったのは英語が全くだったせいだ。英語があればスムーズに旅は進む。結局最後のメトロ乗り継ぎも終え、1時間半ほどで空港から最寄りの駅レチノイ・ヴァグザールについた。花を売り、輪になって話し、そして通勤する。警官なのか兵士なのか、そんな人達がやたら多い。この駅は僕がみたロシア最初の駅なのでどこか余裕がでる。大概駅前というのはどこであろうと人出が多い。日本のようにコンビニ化されていないため、青空市場のように人々の活気がより感じられる。そこから空港まではバスで行く。

イズマイロボのツーリストカウンターで551のバスに乗ればいいと聞いていたので探したが、どうやら851らしく、それに乗り込む。料金は3P。安いのは良いが空港まで1時間半もかかった。モスクワの空港はシェレメチェヴォT(アジーン)とU(ドヴァー)があり、国際線はUになる。レチノイ・ヴァグザールから1時間ほどしてやっと空港らしきところに止まったがそれは国内線空港でそこからまだまだある。不安になってその辺りの人にUはまだかを聞きまくる。右後ろに座っていたおばさんが親切にまだまだよ、と言っているようだ。そのおばさんが降りるときに、僕に優しく微笑んで後二つで降りるのよと、指を2本立て、人差し指の後に中指を2,3度握る。優しい人だ。

ここから2つ目で降りればいいのかと理解し「スパシーバ」といって別れた。教えられた通り2つ目の駅でおりた。・・・と、何もない荒涼とした道のど真ん中だった。えっ?と思い一緒に降りた男性に空港はどこか聞きくと、一つだけ大きくポツンと建っているビルを指さし「あれだよ。」と教えてくれた。結構な距離がある。最寄り駅がこんなに遠いのか?と疑問にも思ったがとにかくターミナル目指して歩いた。道路はトレーナーやバスの大型車が行き交い、道の両端はぬかるんでいるので歩きにくい。30分はゆうに歩いた。ようやく徒歩で国際ターミナルに入る。と、その時、僕の横を851のバスが通り過ぎるではないか。そのバスは空港の出発ターミナルの前で止まった。コントのようだが本当の話だ。1つか2つ早く降りてしまったらしい。お陰で僕はとんでもないところを歩いてきたのだ。歩いて国際空港に入っていくのもなかなかおつなものだが。

この空港がまた大混雑。どうして一人一人あんなに大荷物を持っているのだろう。まず残ったルーブルを米ドルにする。8$になった。この時点で残金は75$も残っているではないか。長い長い行列を抜け、セキュリティーを受けるとチェックインカウンターにつながっている。そこで僕の乗るトルコ航空1414便がどのカウンターか調べたがない。まぁまだ2時間前ではないのでしばらく待った。・・・んっ?2時間前になってもいっこうにカウンターが現れない。1時間半前ほどになってようやく2番カウンターとパラパラとめくられる大きな掲示板に示され行くが、どうも暢気だ。もう大混雑の空港と、両替一つするにもあっち行け、こっち行けと言われた事にカリカリしていたので、カウンターがなかなか開かない事にもムカムカしていた。

やっと開いたカウンターで最前列に並んでいると、なんと、2時間のフライトディレイだという。・・・。僕はイスタンブールで関空行きの飛行機に乗り換える。そのトランジット時間は1時間半しかないのだ。どうしよう。一人で旅をこれだけしていると様々なトラブルがあるが、飛行機が遅れて乗り継げないのは初めてだ。土曜の朝に日本に着き、日曜はゆっくりして、月曜日から新しい部署で仕事をがんばろうとしていたのに。最後の最後にこんなにどでかい事が起こるなんて。しかもここモスクワでは全てアエロフロートのコンピューターシステムを借りて発券しているので、トランジット後の搭乗券はここではきれないと言う。つまり、モスクワからイスタンブールまでの搭乗券は発券できてもイスタンブールから関空まではまだ、エアチケットのみの状態なのだ。搭乗券になっていない以上、乗る意志がないのも同然になる。万が一、イスタンブールでトランジット客を待ってくれると言う可能性もないわけだ。それでなくても暗い空港で気分まで暗くなる。じゃ、どうするのかを詰め寄る。ジェネラルマネージャーという男性まで出てきてガンガン詰め寄った。が、方法は2つしかないという。モスクワに延泊するのはビザの関係上無理なのでとにかくその遅れている便でイスタンブールに行くしかない。その便も今のところいつ飛ぶが分からない。一つ目の方法は、イスタンブールから関空行きは金曜と日曜しかなく、金曜に乗れなかったので日曜の便に振り返る。と、イスタンブールに2延泊して、日本つくのが月曜の朝9:40となる。ここで問題がトルコ航空からは1泊分の料金しか出ず、2泊目は自腹。もう一つの方法は、イスタンブールに1延泊して、翌日曜の夕方イスタンブールから成田まで行き、そこから国内線で大阪まで行く。これだと日曜日の夕方に京都に着く。ただ、インターバルの東京→大阪間の料金はでないという。いずれにしても自腹金額が大きい。月曜からは部署替え初日なので休む訳にはいかず、二つ目の方法で行くしかない。ただ、最後の方で、今回のディレイはジェネラル・ディレイでトルコ航空が全体的に遅れているらしい。だからイスタンブール発関空行きも遅れて乗り継げるだろうという希望的観測を偉い人っぽい女性が行っていたので完全に希望がなくなったわけではない。ここで、トランジット後の搭乗券を乗っていればかなり安心だが、やっぱりエアーチケットだけなので不安は募る。とにかくイスタンブール発関空行きが3時間のフライトディレイを起こしている事を心から祈った。

モスクワのカウンターでいくら僕が詰め寄っても所詮遅れたのは私のせいではないわ、という係員相手に、そうは分かっていてもあんたのエアラインのせいだよ、という日本人的概念を押しつけても外人には通じないのかもしれない。かなり歯がゆかった。日本だと、新幹線一つ遅れても、切符を切ってる駅員さん共々平謝りだが。こんなに気分がどん底の僕が出国手続きの行列に並ぶ。「もぉ〜」と叫びたくなる。追い打ちをかけるように、パスポートとビザの写真、そして実際の僕の顔が違い、怪しまれて出国させてくれない。ブースの隣で少し待つように言われる。おい!イライラが最高潮に達する。別の制服を着た係官が来て、写真と僕の顔を入念に見比べてようやく通してくれた。

手持ちは75$あるが、これから延泊なんて事を考えればそう使えない。お土産もよそうかと思う。あまり買うつもりもないが、15:40発になった僕の便はゲートにさえ入れてくれないので免税店をうろつく。モスクワのアルバート通りでかった六角形の箱に入ったモスクワ名物チョコがなんと1つここ免税店でも3$だった。あのマーケットでは65Pだったのでそう変わらない。そのチョコを4つ買い足し、残りが66$となった。フライトインフォメーションのボードで僕の乗る飛行機の確認に行く。遅れている僕の飛行機はいつ発なのかまだはっきり分からないとカウンターでは言われていたので小さな字を目を凝らしてみる。が、読めない。かなり視力が落ちている。後ろのテーブルでコーラを飲んでいた人達から日本語が聞こえる。すかさず、「字が小さすぎて読めないんで・・・」と、その2人組にトルコ航空のイスタンブール行きが何時発でどのゲートか読んでもらった。「16:15発です。」「ガーン」。2時間半もディレイだ。もうだめだ。乗り継げないか。日本にとりあえず電話しようと電話ボックスに行く。相変わらずグローバルコーリングカードは使えない。なんだこのカード?モスクワで初日に買ったテレフォンカードも使い果たしているし。まぁいいか、途中経過を話すより、とにかく全てがクリアーになってからどうなったかを報告しよう。それもすべてイスタンブールに着いてみないと分からない。

あー不安、心配、ブルー。

こんな気分、このロシアの旅で初めてだ。結構順調にいっていたのに。もう、お願いします。なんとかイスタンブール発、関空行きが3時間のディレイをおこしていますように。

ゲートに行くとチェックインカウンターでもあった女性がいたので話す。彼女はマケドニア人で、イスタンブールから僕と同じようにトランジットしてスコピエまで帰る。彼女の次の飛行機も僕と同じく1時間半しかトランジットタイムがないので、まったくと言っていいほど僕と境遇が同じだ。なのに、彼女は余裕。「大丈夫よ。トルコ航空は全体的に遅れているから」と。遅れるのは誰のせいでもないわ、といった感じ。1泊ホテル代がでるならそれでいいわ、だって他にどうしようもないもの。10分ほど話して、だいたいこんな感じが彼女の意見だった。あせってウロウロして、その辺の人に聞きまくっていた僕の熱がす〜っと引き、「そっか。」と気分が楽になった。

こんなにハラハラした気分でモスクワを飛び立つとは思わなかった。飛行機が飛び発ってからもとにかく関空行きのディレイばかりを願っていた。機内食が配られるときトランジットが可能かどうかチケットを見せてスチュワーデスに聞いてみると「飛行機はイスタンブールでwaiting fou youよ」と言われた。まぁそんなにうまくはいかないだろう。あー最後の最後にモスクワでイスタンブールから関空までの搭乗券がきれないというのが痛い。搭乗券さえ持っていれば安心なのに。ただただただ願いつつ、モスクワからイスタンブールの3時間のフライトは終わった。

午後6時45分、イスタンブールに着いた。

午後5時発の関空行きのトランジットだったので普通に考えれば無理だが、1つ席を置いて座っていた、一見厳ついが、僕の機内食のトレイを閉まってくれるような心優しい大男が、「大丈夫、みんな遅れてる。それに乗り遅れたら2日もイスタンブールにいれるじゃないか」と安心させてくれる。こうゆうところで仕事がある日本人はあせる。学生の頃なら延泊バンザーイと単純に思えたが、そうもいかない。飛行機から大慌てでトランジットデスクに向かう。やっぱり、搭乗券にかわっていなかったのがいたい。

チケットを見せて、大阪行き、と叫んだ僕にあっさりと「is gone」と言われてしまった。

ガーン。

本当にブルーでどこにぶつけて良いのか分からない怒りが沸々と湧いてきた。モスクワからここまでドキドキ・ハラハラしながら1睡もしなかったのがバカみたいだった。このデスクではスコピエへ向かう例の女性もトランジットに失敗したと、この時ばかりは少し焦り気味だった。何と彼女は日曜発しか飛行機がないのでホテルの1泊分は自腹なのだ。僕はもう完璧に明日、成田に飛んで、そして東京から大阪までもトルコ航空に出してもらおうと交渉体勢を整えていた。トランジットカウンターの女性もかなり僕に同情してくれており、なんと、無交渉で、いまから明日のイスタンブールから成田まで、そして成田から大阪までのチケットを作りますから待っていて下さい、と言われた。後ろにあるベンチで待つ。

待つ。待つ。まだ待つ。

ここは禁煙だと放送でガンガンやるので知っていたが、知ったこっちゃない、2,3本吸ってやった。もう今日で旅は終わる予定だったのでお金がないばかりか、タバコもなくなりかけている。そして、下着類なんかももうないのだ。延泊はつらい。この時になってもまだ往生際が悪く、とにかくどんな飛行機でもどこを経由しても良いから大阪に一番早く帰れるようにしてと何度もカウンターに詰め寄った。空港に着いてから2時間半後の午後9時半には出来るからと言われ、辛抱強く待った。カウンターの女性によると明日夕方イスタンブールから東京までとんでそこから大阪までのチケットをSELLING DEPTに今発券してもらってるからということだった。

もぉ〜、せっかく土曜の午前に日本についてゆっくりできるはずやったのに。

本当なら今頃は関空に向かう飛行機の中で眠っているところなのに。そんな事ばかり考えてしまう。本当に待たされた。午後9時なんてもうとっくに過ぎた。飛行機が到着する度に大勢の人が僕の前を通り過ぎていく。僕の座っている鉄のベンチの前にはトランジットカウンター、右手には入国コントロールがあるのだ。僕のように待たされている人達が結構いる。子供連れの家族はその子供の飽きを押さえるのに必死だ。日本人がいた。ウィーン経由でイスタンブール入りし、そのままアンカラまでトランジットするらしい。初日はちょっと無理しようかと思いまして・・・、んな事を彼と話していると、「Mr.Suzuki?」と声をかけられる。ようやく僕の新しいチケットが出来た。ウィーン経由の彼はアンカラ行きの時間が迫っているのでここで別れた。新しいチケットは9月2日(土)午後5時半にイスタンブールから成田へ。そして9月3日(日)の午後2時半になんと羽田からJALで関空まで飛ぶというものだった。家に帰れるのは日曜の夕方になる。まっ、いいか。ただ、成田から羽田の移動は厄介ではないのか?伊丹から関空くらいなのか?そうとうにまずい。成田着予定が日曜の昼なので、午後2時までに移動できるのだろうか。エアポートバスなんて道が混んでるのではないか?首都高って半端じゃないだろうし。ちょっと気になるのが……この延泊で余分にかかるお金は成田から羽田までの移動費だけとなる。東京、大阪間のインターバルもトルコ航空持ち。

そのまま入国して、今度はトルコ航空のホテルサービスに行き、今夜の寝床を確保。これはもちろんトルコ航空持ち。この時には午後11時を指そうとしていた。ちょうど僕は1週間前に関空からこのくらいの時間にやってきた。その同じ便でやったきたのだろう。日本人がたくさんいる。そしてみんな一様に両替を終え、その「0」の多さに困惑している。その都度600万トルコリラが1000円だよと教えてあげた。一人、ミキでホテルをとってきた男性がいて、その人には色々親身になる。ホテルまで行くにはどうすればいいか、とにかくHavasでアクサライへ行ってそこからトラムだな。ただ、トラムは午前0時までだからちょっと急いだ方がいいと。そんな事を話しているとやっと僕の名前が呼ばれホテルへの送迎が来た。随分待った。空港に着いてから7時間が経過している。
その前にホテルサービスデスクの前で待っているときロンドン在住のアフメッドさんと話していた。彼は僕と同じ明日の便で東京に向かう。そこでギフトの見本市があるのだそうだ。だいたいこのトルコ航空のホテルサービスでは空港近くのラディソン・サスに泊まるのだが、アフメッドさんは空港近くでは夕方まで暇なので、市中心部のプレジデントホテルに替えてもらっていた。それは旧市街にあり、出発まで少し街が見れる。アフメッドさんはいつもトルコ航空を使うらしいが、彼も初めてだというトラブルに合っていた。もともとストップオーバーのホテルは航空会社から出ることになっていたが、彼はロストバッゲージに合い、次のロンドン発イスタンブール着便で運ばれてくるらしい。その荷物に下着やらもろもろが入っている。しかも自分はプレジデントにホテルチェンジしているのでそこまで持ってきてもら様に手続きをしていた。なかなかせっかちな人で、待っても待ってもらちのあかないホテル送迎に待ちきれず、自分でタクシーに乗ってホテルへ行くという。一緒に行こうと誘われたが、市内までのタクシー代をシェアとはいえ払う気はないし、別に旧市街に行きたいわけでもないので断った。彼とはそこで別れ、明日の再会を告げた。

この時、僕は10$を652万リラにかえていただけなので、シェアのタクシー代もまぁ払えなかったが。

さて、今こうして日記を書いているのは、Raddison SASイスタンブールホテル280号室だ。

もうスーペリアクラスのホテルなんて泊まったことがなく、唯一ニューヨークでYさんの部屋に2泊あせてもらったインターコンチンタル(デラックス)だけだ。フロントで"Can I have a pen?"というと"Yes,Sir"と言われる。なんかサーなんて言われるとドキッとして緊張してしまう。これがスーペリアかぁ、いやもう星の数だけで言ったら恐らく5つ星なのでデラックスクラスといっても良いだろうか。いや、通貨のゼロの多さと同じく、星の数も多いのか。そんなことを考えつつも、サービスには満足だ。チェックインするときフロントでタバコを買いたいと言うと、部屋に持ってくると言う。ポーターの男性がマルボロライトを僕に渡し、料金は190万リラ。これはメチャメチャ高い。日本とかわらない。市内で買ったら半額以下だろう。ミニバーのコーラも190万トルコリラ。これは日本でもこんなにしない。それを1缶飲んだ。まぁ明日ビザで払おう。結局部屋に入ったのが午後11時半。まず日本に電話した。もちろんホテルから電話したら高いことは分かっていたがこんなに夜も遅いし、ビザカードしか電話できないし、選択の余地がないのでしょうがない。帰りがフライトディレイで乗り継げず、1日伸びたことを伝えた。しっかし、このホテルは良い。シャワーを浴びようとバックを解いたが、下着だけではなく、シャンプーからリンスから石鹸から体を洗うタオルまでみんなサンクト・ペテルブルグで捨ててきた。シャワールームにあるシャンプーを使う。僕は外国のシャンプーやリンスが嫌いだ、匂いがいやなのだ。が、仕方がない。バスルームにリンスがなくシャンプーだけだったので髪の毛は少しパサパサだ。良いホテルは何と行ってもバスルームが違う。違いすぎる。広くて綺麗で、シャワーを浴びてから2,3分もすればもう曇りが消えている。シャンプーハットや裁縫セットなどを持って帰ることにする。部屋の方は木目調で深緑のシーツとカーテンでそれが木の色とマッチしていて素晴らしい。シャワーを浴びたがパンツがもうないのではいていたのをまたはく。明日は朝ゆっくりと眠れる。そう言えば、空港からこのホテルまでの送迎バスでHさんという日本人にあった。彼は石油関係の仕事でトルコからカスピ海を渡ったイランの北部にあるトルクメニスタンという国に行っていたそうだ。明日は東京まで同じ飛行機で成田から山口県に帰るらしい。京都外大出身ということで京都の話題で持ちきりだった。こんなに良いホテルに泊まって日記を書いている今となっては、日曜の夕方に京都に着いて、仕事にいけないわけでもないし、逆にラッキーかと思えてきた。

決して自分のお金ではラディソン・サスなんて泊まることはないだろうから。

日記を書き終え、本当に大変な一日だったと振り返りながら、シャンプーしかしていないのでパサパサの髪を掻き上げながら、午前1時半にゆっくり眠ろうとするか。



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