泳ぐ庭 - Swimming Garden -

大河が直角に曲がるドナウベント。恭太が迎える人生の岐路、
スタート地点を、そこに至るまでの淀んだ日々からえがく。
「みんな一斉に『よーい、ドン』する」類のモノではないでしょ、人生って。
京都の町屋にできた自分の店に、恭太は「泳ぐ庭」と名付けた。
自分の城って言えるほどのものではないけど、「庭」ぐらいは持ちたい、
と思いながら。

平和倶楽部

とある国の、とある村に建つゲストハウス「平和倶楽部」。香奈は「みんな」とは逆方向の空港バスに飛び乗った。真っ暗闇の途中下車。日常を飛び出し非日常の中で戸惑いながら、いつしかそれが「日常」となるまで。しかし、元々あった日常に帰らなければいけないという現実。香奈と陽太と義明と、そして「平和倶楽部」のご主人・ササキさんを通して、未知の道も歩くうちに満ち、途となり理となるまでを描く。

タクト

幼いころからのモラトリアム。ずっと「あそこ」で止まったままでいる。
そんなある日、地球の自転が加速し始め、放り出された拓人はあの記憶で引っかかる。そう、「アイツ」との日々。また、始まるのかもしれない「日々」。幼い頃の記憶と、現在ある自分自身の姿にキャップを感じ、それを通して見る「相手」への違和感を描いた作品。拓人が、自分のタクトを振れるようになるまで.......

いっぽん、みち

交通事故に遭い、自分の下半身がほとんど不随になったと知った時、ぼくは、〈なんで死なせてくれなかったんだ〉と恨んだ。神も仏も太陽も全部、司るっていう象徴に文句ばかりの日々だった。自分で死ぬ勇気のないぼくは、死なせなかったもののせいにして、泣いたし、喚いたし、色んな物を壊した。だけど、バタバタしたってしれているという、無力感。寝かされたベッドから半径一・五メートル離されただけで届きもしないという、仕打ち。
悔しくて情けなくて、微笑まれるのも泣かれるのも、一切を拒絶していた。
(本文より)

コンプリート

これは、ぼくとオレの共同生活の話しである。
−事務所からオレの部屋までは、自転車で二十分。まだグーグー寝ている「アイツ」を起こし、コーヒーのセットをしてから、オレはまた眠る。
こんなオレと「アイツ」の共同生活も、大学生の頃からだから、
もう、八年になる。
毎日のペラペラな積みかねが、知らないうちに一つの厚さをもったという、八年だった。−
(本文より)

Copyright (C) 2003〜2017 Shogo Suzuki. All Rights Reserved. 

幸せと、する - It's called happiness -

人は生まれながらにして「善」か「悪」か。
そんな性善説・性悪説にも似た「幸福」の基準。
「人は生まれながらにして、さて幸せなのか?」

運命を共にする「乗客セブン」が、最後の最期に見たものは……。

いい日 - The Good Day -

知らないまま享受してきた「奇跡」に近い自分の幸せ。この地球上にある普通の日。涙涙でやりきれない現実。それを知らずに済んだ奇跡。今、全てを知り、この掌に転がしながら、口を閉じ、まぶたを大きく開いて「旅立つ」−いい日、旅立ち。−
三人の若者は、それぞれに「香辛料」を求めてインドに旅だった。

10年 - decade -

10年ひと昔。
その間に生まれ、成熟し、こんがらがり、消え、また、生まれるもの。
十代の、二十代の、三十代の、それぞれの10年間が、
同じ速度で過ぎてゆくのに、気付けば横に並んでいる不可思議。
少年が、娘が、青年が、過ごした10年。それをひと昔と呼んで回想する。

上ル下ル -agaru sagaru-

あがっていった人は降りてくる。
彼が見ているものはその登り降りできっと違うだろう。
例え同じ景色でも。透明で透き通った少年の見る世界。
ヒーロー、とその逆。
【対応しろとは言わない。せめて反応しろ】
上がって下がって、右往左往して、生きていく姿を描く。

1対1 -me -

真ん中に、立っている。いや、立たされている。
いいや、立っているのは、自分の意思か。
どっちでもいい。
とにかく
見世物のように立っている。
それが、ミィだ。