旅する気分2009
2009年01月03日
今年、2009年はガリレオ・ガリレイが天体望遠鏡を発明してから400年目。月面にクレーターがあることを知り、地球が太陽の周りを回っている(地動説)ことの発見に繋がった。地動説を疑うことのない400年後の今から考えると、宗教裁判にかけられたガリレオがなんとも痛ましいというか、不思議だ。400年の年月。紀元前何百年も前から「こんなことが!」と思わせること(例えばポンペイの街の車幅は今の電車と同じだったとか)が多いのに、宇宙のこと、見えないことというのは、たった400年前でもその実態の確証が出来ていなかったのだ。宇宙にある成分は、全体の5%しか解明されておらず、残りの95%は謎のまま(朝日新聞より)だということもそれを現している。

とはいえ、見上げるだけの夜空の、さらに上の世界。その宇宙空間に人間はロマンを感じ、その利用価値を認めて実用に向け動き出している。ガリレオが覗きみた月面。そこに、アポロ11号がたどり着き、人類の「偉大な一歩」を印してから今年で40年。アメリカ、ロシア、EU、日本に加え、インドや中国も「月の利用」を目指して本格的に探査機などを飛ばしている。特に注目されるのは、アメリカが春に打ち上げる月面の無人探査機「LRO」だ。これは、2020年ごろに計画する月面基地の建設候補地を選ぶための調査が目的で、アメリカが人間を月へ再び送り込む計画の第一歩となる(日本経済新聞より)。

月は、もはや探検の時代を終え、本格的な「開拓」の時代に入ったと記事は伝えている。

地球の長い歴史から見て、400年前から現在までの、宇宙に関する「解明速度」には目を見張るものがある。宇宙への探検→開拓の経緯を見ると、胸がウズウズしてくるのは「旅する気分」にも似ている。映画「ザ・ムーン」の素晴らしい映像を見て、それをこの目で見たい。これもまた旅する気持ち。今、若者は世界の出来事・物事を映像で見過ぎて「行った気」になっているので旅に出ないという気持ちは、全くもって理解できないぼくの中にある「旅する気持ち」だ。

第二次世界大戦が終わり、冷戦の時代が続いた。その象徴だったベルリンの壁が崩壊して今年で20年。中学生の頃、「これは歴史的な出来事」と社会の教師が熱く語っていたのを思い出す。そのブランデンブルク門の写真が、元旦の産経新聞の一面だった。世界中を巻き込んだ大不景気が、西も東も関係なく吹きすさぶ。かと思えば、ポーランドのミサイル基地にロシアが目を光らせる。西側に傾いたウクライナに、ロシアはガスの供給を止め、ルーマニアなど旧東側のヨーロッパ諸国は打撃を受け始めている。そんな世界。今の姿。イスラエル軍もガザのハマスに空爆から地上戦への新たな段階に入ったという。大不況真っ只中の世界、環境破壊でギリギリの地球。その軌道を修正するなり、違う方向へ大きく舵を切る、今年2009年はそんな年だ。

2009年のぼくは、この足で歩いて、両手で触れてきた世界を、いわば探検するかの如くちょっと強引で、行き当たりばったりに歩いてきた地球を、「開拓」してみようかと思っている。ホテルが決められ行程も決められた、いわゆる「旅行」には興味がない。「匂い」というか、「動き」とかいうか、そういう両面から合致した場所、そこへ【これからの人生のための開拓】をしようと思っている。

候補地はいくつかある。「動き」という観点から、もう10年以上も前の姿しか知らないニューヨーク。ルーズベルト大統領時代の、ニューディール政策よろしく、これからの環境事業に的を絞ったニュー・ニューディール(グリーン・ニューディール)をはじめ、初の黒人大統領の誕生で新しいステージに入るアメリカの、そのど真ん中の「変化」を感じたい。「匂い」から言うと、アフリカのマリ。民俗、文化、アート、音楽と、西アフリカの中でもその多様性が興味深く、サハラ砂漠に正面からぶつかりたい衝動にも駆られている。誕生し、成長し、進歩し、定着し、伝統となる過程があるなら、マリにあるものは誕生した根源のような匂いを感じる。それは、行ってみないと分からない。だから行きたい。これから人生を切り開く、一つの大事な着眼点のようなものが、空気に溶けているような気がしてならないのだ。

東京の一室で、月のない夜、ぼくはパソコンを弾きながら、そんな気分に駆られている。



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