1点差に追いつかれた9回表、川崎の送りバント失敗を取り返し、余りある怒濤の攻撃に結びつけた西岡のプッシュバンド。思い出す、昨年の日本シリーズ。阪神ファンのぼくが「なにしよんねん」と、実はすごく羨ましいプレーだった、あの正に再現、今度というこんどは一塁ベースですました顔をする西岡に「あんたは、えらい」と、感動さえしました、ね。続くイチローのライト前で川崎のナイススライディング。あの1点で、今回の「チーム・ジャパン」はやっぱり世界一だと確信した。

※追伸、川崎選手。左側へのスライディングから右片腕でのベースタッチ。素晴らしかったです。その際のケガで開幕ベンチ入りができなかったということで……、早く直して大活躍してください。

日本をあんなに応援するのは、サッカーかバレーボールか。チームプレーっていいものだ。先月のトリノ五輪では、カーリングも熱く応援したが、どこか、チーム青森みたいな感じであったし、荒川選手のパフォーマンスはどっぷり陶酔したが、やはりあれはあれで荒川選手個人に向けた眼差しだった。やっぱり団体競技はいい。そんなことを改めて思い出させてくれる、今回の野球・世界一だったのではないだろうか。

さて、このワールド・ベースボール・クラシック(WBC)。予選リーグの組み合わせや準決勝の当たり方、投球数制限という訳の分からない制約に加え、デービッドソン的な「誤審」。アメリカ中心のシナリオで世界を巻き込もうとした「大誤算」。問題は山積みだった。「やっぱりアメリカは嫌いや」とぼくにメールを送ってきた友人もいたが、決してフォローするわけではなく、あれだけの選手をそろえたチームUSAがいなければ、やはりこの盛り上がりはなかったように思う。一番から九番まで、あんなチーム、二度とないかもしれない。(それにしてもA・ロッドはああいうところで弱いな)


とはいえ、野球には地域限定の国民的スポーツというイメージがつきまとう。その分母の少なさゆえ、世界一だと言ってもピンとこない。そう思っている人も多いのではないだろうか。確かに、今回出場した国は、東アジア、北中米が中心で、ヨーロッパからはオランダとイタリアだけで、アフリカから南アフリカのみ、そしてオーストラリア。メジャーリーグを頂点にしたヒエラルキーの中で、そこにいる選手達が母国に帰って国旗を背負って戦ったという印象が強い。が、サッカーはいってもヨーロッパと南米が中心で、じゃ、野球はアジアと北中米だ、みたいな構図も面白いので?と思う。

「限定的」ということで言うと、ぼくはふと、インドでみた「クリケット」を思い出す。
デリーの空き地でクリケットをする子供たち。宿題もせずに、バットとグローブをもって家を飛び出す「かつお」的な雰囲気があった。テレビでは毎晩のように試合中継がされているし、ムンバイには大きな専用スタジアムがあった。SUBHASH GHAI主演の『IQBAL(イクバル)』という映画は、耳の不自由な貧しい青年がクリケットのナショナル・チームに入るというサクセス・ストーリーで、ムンバイの映画館では観客が一つになって「感動」していた。
あの時は、「イギリスの植民地だったってことを如実に現しているなぁ」などと淡泊に感じ取っていただけで、日本人のぼくには分からない、とさじを投げていた。ロンドン五輪で野球を外した委員会の人と同じようなもんだ。
が、それだけで、つまり「長い間親しまれている」的なことだけで、あそこまで熱狂と興奮を覚えるだろうか。

それは違う、ということを気付かせてくれた今回のチーム・ジャパン。
つまり、単純に「野球」は面白いのだ。

決勝での松坂のピッチング、上原の完璧な投球、代打宮本のいぶし銀なレフト前だめ押しタイムリー、そしてもちろん、福留の代打ホームラン。今江のエラーも、藤川の打たれたタイムリーも、田村の送りバント失敗も、全部を帳消しにする「怒濤」。あれあれ、やっぱり面白い。
ナショナル・チームの試合が盛り上がると、リーグ戦の人気が落ちるという「サッカー的常識」は、野球には通じない。そもそも、高校野球からあれだけ盛り上がるのだ。これは先述の通り、お国柄という要素を除いた単純で根本的なおもしろさにある。石垣島からやってきた高校球児にも、それを証明させる何かがあると思う、でしょ?
とにもかくにも、WBCはよかった。ティファニー・トロフィー、早く巡回してきてほしいものだ。さてと、ついにプロ野球も開幕。野球、とにかく6月のドイツW杯まで楽しめるから、嬉しい。

ここまで書いてきて、思った。「何がいいたい?オレ」と。
つまり!阪神がんばれ、ってことかな。なんじゃそら。



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チーム・ジャパン
2006年3月25日