今までとは違う一歩を踏み出そうとする時の悪い癖
2018年06月30日
それはいつも、真っ白い紙の上、もしくは、地平線が見えるような広大にして何もない砂漠の地に、今までとは違う、まったく新しい「何か」を創り出そうとするから、腰が重く、一歩がなかなか踏み出せない。

そんな自分に焦燥しながら、駄目だ駄目だと思っては、寝て起きてを繰り返しているうちに、ふと、いやいやそれは、これまで生きてきた自分を完全否定してしまうだろうと考え直し、というより諦めて、慣習、経験、ちょっとした成功談を頼りに、今までと同じことを繰り返してしまう。

このサイクル、このスパイラル。この、なんていうんだろう、駄目な感じ。

先送り、先送りで、ずいぶん時間が経ったな、と思う。こんなにも、経ったのかと呆れる。呆れる自分に笑えてきては、ああ、まただ、と蓋をしてしまう。

今までと違う一歩を踏み出す。それは、そんな今までを変えることから始まるのに、なかなかそれに気が付かないままでいる。気づかない振りをしているといった方が合っているのに、今度は違う、と言い聞かせて同じようなことをしている。今までにはなかったような外的要因があるのだと納得しようとして、そんな自分にも呆れ、だから慌てふためいて、それで何をどう変えようとしているのかも、見失ってしまう(しまっている)。

スパッと変える。動き出す(変える)前から、ああだこうだと考えていると、それまで錆びついて、大したこともなかったモノが、とても貴重な日常に思えてしまう。だから、変に捨てがたくなり、そっか、よく考えてみたら、これはこれでよかったのかと思ってしまう。

だから、変えてしまう。それから、これまでの自分の経験や成功談、良き慣習を駆使しつつやっていけば、結果として白紙の上に、もしくは地平線が見えるような広大にして何もない砂漠の地に、今までとは違う何かが、ちょっとだけでも芽を出すのに。

そんなことに気づいて、やっと変えようと動き出したら出したで、スパッと変えることにもいろいろと壁があって、溝があって、罠や落とし穴もあったりして、と思っていると、変においしい話も舞い込んで、またう〜ん、と立ち止まろうとしてしまう。

何やってんだか。ここで強引に進めるべき オア、ノット?と、また、ここでもやっている。そうこうしている間にも進む今(現在/ING)を、自分で勝手に止めてしまっている危機にも鈍感で、スパッと変えようとしている未来と進んでいる現在の狭間で置き去りにしているモノ。どっちつかずで、どちらにもプラスにならないモノをもったいない、と思いだしたら、また焦ってきて、あぁ、もう、そっか、別に今のままで十分か、なんて。

結局、また。

今までとは違う一歩を踏み出そうとする時の悪い癖が出ている。




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