禅な庭


色のない景色。石、砂、花をつけない木々。
寒いも暑いも包含して、ただ「ここにいるんだ」
ということを悟らせてくれる。
禅な庭を前にして、ただぼんやりと時を過ごすと、ホッとする。

はち切れそうな色もない、充満する香りを思い切り
吸い込む必要もない。つまりはガーデニングされた
庭とはまったくちがう。
無造作に思える数個の石の配置。周りの苔。
しばらくボーっと一つの石を凝視する。と、奥の塀が、
周りの砂が、ぼんやりと「景色」に変わっていく。
風も無色透明だ。

視点を変えてみる。さっきまで中心だった石が、今度は
対岸の山となって借景に同化する。
内へ内へと気持ちのベクトルは向き、ふと、
「あぁ、ここにいるんだ」なんて、また気付かせてくれる。

無機質に見える景色の中に、何か自分なりの
「色」を与えることができれば、そっと立ち上がって庭を後にする。

禅な庭には、それだけの大きさがある。
自由度もある。ただ無色で無臭で、透明な広がりがある。
心の安定と統一。「ここにいるんだ」と気付かせてくれる空間。
ホッとする。

(京都・建仁寺にて)