2022年も、やっぱりコロナを引きずりながらスタート。年末年始はなんとか帰省できても、そこからは、またしても34都道府県でまん延防止に。わが家の予定も、キャンセルの連続だった。

そんな1月。阪神淡路大震災から27年、大学入学共通テストの試験会場である東大門前で、受験生ら3人が刺傷する事件が起きた。高校サッカーでは青森山田が優勝し、松木玖生はそのままFC東京に入団してルーキーイヤーからレギュラーをはる。体操界のレジェンド、内村航平の引退。

2月。世界中を震撼させたロシアによるウクライナ侵攻。勝手な理由付けで、平和なウクライナの街を火の海にした。そんな中、北京では冬季オリンピックが開催。ウクライナ選手の入場行進に、世界は何もできないのか、と無力を感じた瞬間。この北京五輪では、日本のメダルが過去最高となった。羽生結弦は4回転に果敢に挑戦し、メダル以上のインパクトを残し、平野歩夢は、圧巻のハーフパイプで金メダル。スキージャンプでは小林陵侑の強さが輝き、高梨沙羅の涙にいたたまれなくなった。

3月。東日本大震災から11年、宮城と福島では震度6強の地震が発生し、当時(2011年)のことがフラッシュバックした。まん延防止も全面解除となり、春の訪れと同時に「外へ出よう」と経済をまわす機運に。ウクライナの大統領が、日本の国会でオンライン演説をした。米アカデミー賞では、「ドライブ・マイ・カー」が国際長編映画賞に輝いた。サッカー日本代表は、7大会連続でカタールへの切符をつかんだ。

4月。知床半島沖で、観光船が沈没。多くの死者を出したこの事故が、連日報道された。ずさんな管理、自然を相手にしているにも関わらず、危機感のなさ。ゴールデンウィークを前に、観光船に乗るのは怖いと感じさせ、観光業にとってはコロナからの脱出に水をさされた。リオのカーニバルが2年ぶりに復活、ロッテの佐々木朗希は28年ぶりの完全試合を達成。アニメ界の巨匠、藤子不二雄(A)さんの訃報も届いた。

5月。沖縄復帰50年で、首里城の復興も合わせて大きなニュースに。この月、バイデンアメリカ大統領も来日しました。行動制限のないゴールデンウィークで、各地は盛り上がりを取り戻す中、ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんの自殺が大きなショックを呼びました。ロシアのウクライナ侵攻を受け、スウェーデンとフィンランドがNATOに加盟。ロシアは戦勝記念日に大きな軍事パレードを実行。

6月。選挙の夏を告げる参院選の公示。イギリスではエリザベス嬢王の在位70年のパレードが行われた。香港は、そのイギリスから中国に返還されて25年の節目。長引くロシアのウクライナ侵攻で小麦や石油の高値が続いた。プロ野球の世界では、ロッテの佐々木朗希がパーフェクト試合を達成してからも、ノーヒット・ノーランが次々と生まれ、DeNAの今永、オリックスの山本が達成した。

7月。今年も夏も暑かった。特に欧州では異常気象が続き、かつて、地下鉄にエアコンも必要なかったイギリスで、初の気温40度超を記録。そのイギリスではジョンソン首相が辞任した。そして、なにより衝撃だったのは、選挙演説中に銃弾に倒れた安倍元首相。奈良の駅前の、ずさんな警備、そしてお手製の銃による殺人というのが大きなニュースに。その後、次々に旧統一教会と政治の関係が明るみに出ることになる。

8月。ロシアによるウクライナ侵攻も半年。出口の見えない惨状が続く。夏の参院選で勝利した岸田内閣が改組。ここから大臣の辞任ドミノが起こる。アメリカの下院議員が台湾を訪問したことも、大きなニュースに。スポーツの世界では、大谷翔平がベーブルース以来となる2桁勝利、2桁本塁打を達成。夏の全国高校野球では、東北に初の真紅の優勝旗が。仙台育英が悲願の優勝に輝いた。京セラの創業者でJALの立て直しにも貢献した稲森和夫氏の死去、そしてゴルバチョフ氏も永眠した。

9月。英国民にはもちろん、世界中の人に愛されたイギリスのエリザベス女王の逝去。国中を巻き込んだ国葬は、全世界に生中継された。同じ月、賛否両論を抱えながら、安倍元首相の国葬も執り行われた。九州では、日本で一番短い路線の新幹線、西九州新幹線が開通し、静岡県では、園の送迎バスに5時間も放置され3歳の女の子が死亡するという事故が起こった。ヤクルトの村神様こと村上選手が王貞治の年間本塁打記録55本を上回った。

10月。イギリスでは3人目の女性首相トラス氏が史上最速で辞任し、後任にインド系のスナク氏が就任。国会では、安倍さんと一騎打ちした野田元首相が追悼演説。中国では習近平が独裁体制を確立。そして、この月、全世界に衝撃を与えたソウル梨泰院での雑踏事故。ハロウィンで人が集まり、狭い道で数百人が圧死した。時代を「元気」で駆け抜けたアントニオ猪木さんの訃報も届いた。

11月。アメリカのバイデン大統領と中国の習近平氏が初の対面式の首脳会談。日本の岸田首相も習近平氏と初の対面会談を行った。東京五輪のスポンサーなどをめぐる五輪談合で、電通などが次々と捜索。結局、そういうことか、となんともドロドロした嫌な気分に。アメリカの中間選挙では、トランプ旋風もさすがに起こらず、共和党が下院を奪還。そしてなんといってもサッカーW杯カタール大会。初めて、欧州リーグのシーズン中である11月開催ということで、けが人の多さも目立った。死の組と言われ、ドイツ、コスタリカ、スペインと同組の日本が、世界に衝撃を与える大躍進。ドイツに勝利し、コスタリカに敗れるも、スペインも勝利。なんとその死の組をトップで通過した。

12月。ベスト16の壁はやはり高く、クロアチアに敗れた日本代表。しかし、4年後が非常に楽しみな面々に期待が高まるばかり。中国では、ゼロコロナ政策に、さすがに国民も怒りを爆発させ、デモがいくつも起こり、政府も緩和策を出す。今年の漢字は「戦」。二位は僅差で「安」だった。W杯の決勝は、フランスとアルゼンチン。メッシは、悲願の優勝をはたし、マラドーナ越えを果たした。コロナも第8波がくるとかこないとか。そんな一年が終わろうとしている。

東京オリンピックが行われるはずだった2020が、まさかのコロナ元年となり、そのコロナから抜け出せなかった2021を超え、今年は、ようやくコロナを脱出したような感じを受ける。日本は、世界からみてもコロナを引きづっている方で、欧米を中心に、マスクをすることすら、もはや、ない。ワクチン接種が進み、特効薬が出てくれば、完全にインフルエンザと同じようになるだろう。カタールの地で、サッカーを観戦する観客にマスク姿はなく、チャントも大声で歌っている。

来年、ようやくサッカー観戦でも野球観戦でも声出しが解禁されるだろうし、人の行き来も国境を越えて盛んになるだろう。来年こそは、もっと、こう、ぐっと、跳ねていきたい。


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2022
2022年12月24日