先日、63年ぶりに日本(故郷)の地を踏んだ元日本陸軍兵士・上野石之助さんのニュースが大きく取り上げられ話題になった。第二次世界大戦後、樺太(今のサハリン)にいた上野さんは、帰還することなく(できなかったのか、しなかったのか。上野さん本人は【運命】という言葉を使っていた)、現地で結婚し、現在はウクライナで暮らしている。
その事実が、今になって確認されたという驚きがまず、ある。
日本に残された家族は、「死んだもの」として上野さんの戦時死亡宣告を受けていた。63年。膨大な年月であり、一つの「歴史」だ。三次元で生きるぼくたちの常識に、時間軸を加えた四次元。その「壁」を超えて帰国したかのように、この記事を最初に読んだときは思えた。しかし、上野さんと一緒に帰国した彼の息子、アナトリーさんの年齢が37歳だと知り、これは四次元的な、つまり「別」世界の話ではなく、確実にぼくらと同じ年月を過ごしてきた一人の男性の、れっきとした「過去」なのだと気づいた。そう考えると、「ぞっと」する感覚が芽生える。
今の、成田空港に降り立った彼の姿をみて「幸せ」とか「不幸せ」ということを述べるのは、いや想像することさえも、どこか間違っているように思う。述べるべきは、そして想像しなければいけないのは、彼の歩んできた63年という年月。そして日本で帰りを待っていた人たちの年月である。当時20歳だった上野さんが、結婚し子供を育てて、83歳になるまで。故郷では「死んだ」とされている事実。運命、この言葉の重みがずっしりと胸の中にたまる。
そんな上野さんと同じように「戦時死亡宣告」を受けた人は、なんと2005年末までに20,533人にのぼるという(厚生労働省による)。この中の全てではないにしても、何人かは、この地球のどこかで、「死んだ」とされながら暮らしているのだろう。全然状況は違うが(ここで並べて考えるのも変な話だが)、北朝鮮に拉致された疑いのある数百名にのぼる人たちの遺族の気持ちが、このたびの上野さんと上野さんのご家族の63年間とリンクする。昨日、ブッシュ大統領に会い、直接、拉致問題の残酷さ、残された遺族の気持ちを訴えた横田めぐみさんの母早紀江さんなどは、未だこの「63年間」の途上にいるのではないか。
そもそも、戦時死亡宣告とは何か。これは、第二次世界大戦終戦後、未帰還者の家族に対して、その同意のもとに各都道府県知事が家庭裁判所に戦時死亡宣告の申し立てを行い、審議の結果、公務上により死亡したと認められ、遺族に対して弔慰料などの給付が行われる(広島市のホームページ参照)。戦時死亡宣告を受けた人、1人につき3万円。それも、恩給法などによる給付を受ける人は2万円だ。お金の問題じゃないのだろう。待つ辛さからの諦め。それが、この訳の分からない宣告を生み出している。
戦争。これがいかに愚かで、どれだけ膨大な「悲惨」を生むか。改めて明示されたような気がする。第二次世界大戦。日本は、63年経った今も、「先の大戦」と呼んでいる。これがいつまでもずっと続くことを願う。つまり、もう、二度と、戦争をしないということを。「先の大戦」で大きな傷の一つが原子爆弾だ。今、この原爆を巡って様々な動きがある。パキスタンは、アメリカとインドが核の平和利用について提携したことに反発して、核弾頭を搭載できるミサイルの発射実験を決行し、イランでは、ロシアや欧米の差し出した「手」を振り払って独走を始めている、とアメリカが懸念を(懸念どころか、空爆するのではないかとさえ言われている)示している。ついにはIAEAでは対処できず、国連にまで持ち込まれようとしている。戦争・原爆。こんな愚かなことを、それでも繰り返す世界。ぼくらの三次元的な現実社会。そのどこかにいるかもしれない20,532人。一度起こしてしまった戦争に「ピリオド」は打てない。そのことを、今回の上野さんは教えてくれた。繋がっている。原子力においてもそうだ。チェルノブイリ爆発事故から20年、今でも被爆者は子供への遺伝を心配しているという。言うまでもなく、中国・韓国による靖国参拝への不満もその一端だろう。
戦争。確かに年月が経ち歴史になりうる。未帰還者を「死亡」と宣告することもできる。だけれど、同じこの世界に、そんな「歴史」とつながり、そして悲しむ人がいるのだ。それも、何万人も、いや何十万人、もっとか。戦争は、それで解決されることがあっても、戦争をせずには解決できないこと(そんなモノがあるとするなら)と同等量の、「問題」を生み出すだけなのだ。
20,533人の戦時死亡宣告者の一人、上野さんが今回の一時帰国で教えてくれた、彼の【運命】から学ぶべき重要なことだと思う。戦争は愚かで、いつまでもつながり続け、ピリオドが打てない、と。
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