2001年3月19日(月)
4日目
マサイ・マラ国立公園
朝5時の目覚ましで起きた。蚊帳の外に出て、真っ暗な部屋に小さなライトを灯す。少し肌寒い。顔を洗いサファリドライブの準備をして、午前6時、集合場所のダイニングへと向かう。ロンドンから来たという日本人の男女ペアが、これから「バルーン・サファリ」に行くのだと興奮しながらテーブルに座ってコーヒーを飲んでいた。少し話す。たわいもない会話だった。本当にシンプルな情報交換と笑い。日本にいたならなんてことない言葉も、アフリカの朝は、このサファリでの会話は弾んだ。そうだ、まだ4日目ではあるが、アフリカに来て初めて日本語で誰かと話したような気がする。たわいもないことをたわいもないと言えるのは母国語である証かな、と考え込んだり。ふと気付くとガヤガヤと騒がしく、ダイニングを埋め尽くす人たち。全員、バルーン組らしい。こんなに参加する人がいるんかぁ。US100$くらいするのに・・・。
少し離れたテーブルに、僕と一緒にサファリドライブをしているアメリカ人老夫婦がいて、そこに移動して軽い会話をする。寝れるかとか、食べてるかとか。朝いちばんの会話にしては健康センターっぽすぎる。
サファリは時間通り午前6時半に出発。真っ暗だった空がかすかに色づき出し、気持ちの良い朝の空気に包まれる。早朝のこのさわやかな空気を吸うと、僕は決まって小学生の頃のラジオ体操を思い出す。サンルーフから顔を出して「あ〜」と大声出したら、後ろの席で老夫婦が笑った。車が走り出して30分もしないうちに朝日が大地を照らし出した。何とも言えない絶景だ。日本で暮らしていても、同じように毎日朝日は昇っているのだが、日本にいては決して感じることのできない、でっかい太陽が「ジャンボ!」と、陽気に挨拶するように昇る。気持ちいい風を顔のど真ん中で受けながら進む。
しばらくすると、車の前からメスのライオンがのそりのそり近づき、南の空辺りから昇っていく気球を座って眺めた。「何だ?」とでも思いながら不思議に眺めているのだろうか?それとも決まって朝はこの気球を眺めて一日を始めるのだろうか?赤と黄色の球体が2つ、空へと昇り、ライオンの背中越しに朝日に照らされた大地を、ぼくはぽかーんと口をあけて眺める。
この光景、非常に乙だ。
ところで、このサファリドライバー達やロッジの従業員はどこに住んでいるのか。聞いてみると、ロッジの入り口から少し離れたところにドライバー用のロッジがあり、そこで寝泊まりをしているのだという。おそらく従業員達も彼ら用のロッジで泊まり込みの労働をしているのだ。サファリ後の朝食の時、一人のウェイトレスが言っていたが、1ヶ月泊まりがけで働き、その後、ナイロビにある大学に戻ると言っていた。日本で言えばリゾートバイトのようなものだろう。
さて、サファリ。朝方は草食動物が豊富にいる。トピの群やブッシュバック、体の大きなグランド・ガゼル、こぶりのトムソン・ガゼル。特にガゼルは本当にたくさんいる。その群のそばにジャッカルが歩く。コウノトリ(アフリカハゲコウ)の群が羽を広げて飛び立つ中を車は進む。マサイ・キリンの寝起きも見た。ハイエナの巣に近づいて、3匹の子供が体をあわせてこちらを見ている。周りでは母ハイエナがじっとこっちを見張っている。大平原を迷わず、かんに任せてドライブするガイドは見事で、僕なんて即効迷子になっているだろう。そもそも「道」なんて存在しないのだから。
突如、ドライバーが「ビッグ・エレファント・ゼア」と言いだし、「どこどこ?」とキョロキョロする僕。2〜3分車を走らせると、大きなアフリカ象が歩いていた。視力なんぼよ、ドライバーさん。
見渡していても低い木々や草に紛れて、どれが動物かなんて僕には分からない。もし、僕のようなガゼルがいれば、即効ライオンかハイエナのディナーになっている。マサイ・マラには本当にライオンが多い。オスのライオン2頭が遠くを眺めて立っていた。これが丘の上なら、さながらライオン・キングと言ったところ。レンズ越しに見るのはもうやめた。5〜6m離れた所に立っているライオンは空腹で空腹でしょうがないのか、はたまた満腹食べて朝の気持ちいい風にあたっているのか、よく分からないが、とにかく何か感慨深げにずっと突っ立っていた。
ただなだらかな山が続く先の先を見ていた。
その後、ダチョウの4匹隊がリズミカルに左から右へと歩いていく。走っているスピードで。
2時間のゲームドライブを終えロッジに戻ると、朝食。ロッジに迷い込んだ猿や、あれはなんだろう?トピかな?なんかがピョンピョンとはねていた。奈良公園の鹿みたいなやつだ。朝食も満足。白いオムレツはその場で焼いてくれる。気持ちの良い朝、テーブルに座って風にあたりながら穏やかな陽に照らされる木々はまぶしいくらいだ。虫の声、それだけが空間を演出する。落ち着く。本当に落ち着く。部屋に戻って、日記を書いている。
ランチまでの1時間、ロッジ内を歩いた。GUEST TRAILという木組みの橋が密林の中にくまれており、川の流れと、鳥のさえずり、虫の鳴き声の中、ひんやりした道を歩く。風が吹き、木々が踊り、それによってもたらされる葉音は気持ちを落ち着かせる。ロッジの敷地内を一周した。かなりの規模を誇っている。時間になったので、ランチに向かい、いつもの席に座る。このブッフェスタイルの食事はコーヒーがただでも水は150シリングいる。少し矛盾はしているが、日本ほど水に豊かな国ではないので仕方がない。水をたのんで、いつものウェイトレスが持ってきてくれた。彼女とまた話す。どうやら彼女はこのロッジにトレーニングのために来ているという。何の?仕事の?それとも英語の?とその辺は分からないが、とにかく3月いっぱいまでここで寝泊まりをして働くらしい。彼女には50シリングのチップをあげた。
天気は雲に隠れない限り強い日差しがさす。昨日に引き続き、プールへ行く。すいていたのでのんびり泳いだ。海外でプールに入るなんて経験、考えてみれば始めてだ。あがって体を焼く。でも雲に隠れると日差しは無く、しかも少し風が冷たく感じる。海パン一枚でプールサイドに寝そべっているのも僕一人だったので、早めに切り上げた。
あ〜、なんてのんびりしているんだ。
おなかの調子が少し悪いので、トイレにしゃがむ。フルーツのせいか、プールで泳いだせいか(今日は少し寒かったので)。3時になってからダイニングに行き、ただのケニア・コーヒーを飲む。KENIYAN COFFEEとわざわざ書いてあるので、もしやかの有名なキリマンジャロなのだろうか?結構美味しい。テーブルに座っていると、ガイドがやってきた。スワヒリ語はアラブやイタリア、ポルトガル、英語などが混ざり、フォーマルな言語として成り立ったらしい。歴史がモノを言う産物の一つだ。アメリカ人夫婦もやってきた。4人で話し続ける。このガイドは、家族がモンバサに住んでいて、2ヶ月間ここで住み込みで働き、そして帰っていく事や、ありきたりだが日本の物価が高いこと、ビーチはオーストラリアが一番綺麗だとか、イギリス人はモンバサのビーチと、ここマサイ・マラによく来るが、アメリカ人はみんなアンボセリに行き、それはアメリカにはハワイやフロリダなどのビーチがあるからわざわざここまで来ないのだろう、とか。そんなことをうだうだ話していた。うだうだな午後。僕、そういうのが好き。
午後4時になり、3度目のサファリスタート。僕らの車にブラックフェイスという猿が上っている。三度目ともなるとガゼルくらいではびくとも興奮しない。チーターやカバが見たい。ドライブは続く。と、なにやら僕らの車のタイヤが空回りを始めた。あせった顔一つしないドライバーは車からおりては、また運転席に戻ってエンジンを吹かす。何度か繰り返すが、びくとも車は動かない。僕らはアフリカの大地で、車の故障という映画言ったら喧嘩するか恋に落ちるか、つまりそういう大ピンチな状況になったのだ。
ついには、ガイドが無線で助けを呼びはじめた。内容はすべてスワヒリ語だったのでよく分からない。昨日からどこかで何かを見ると、仲間に知らせていたガイド達のネットワーク。これがあって、ほんと良かった、と僕は車の後ろにたってびくともしない車体を押しながら思っていた。
不安は、不思議とあまりなかった。確かに、今、踏みしめているのはアフリカの大地で、「野生の王国」的パワーバランスで言えば、僕はよわっちー。すぐ食べられるだろう。が、変に高揚した気持ち。動物的なんちゃらってやつが僕の中にもある。それにしても、助けを呼ぶたって、道もないのによくできるような、と感心する。……、暢気な僕を尻目に老夫婦は少し焦っているようだった。まぁまぁ、そう心配しなさんな、って声を掛けようとするとドライバーの顔を直視してしまった。え?なんと、ドライバー、僕らの命をある意味預かっているプロのガイド、頼り切っていたその彼が、彼までもが、焦ってるや〜ん。
僕も焦り始めたぞ。このまま動かず、助けもこなければ歩いて帰るのか?いや、それは無理だ。だってしんどいもん。しんどい言うてる場合ではない。食べられる。僕は旨いのかな、と想像してみて、顔が青ざめてくる。
やっと、やっとだ、と安堵がじわ〜っと湧くほど待って、何台かのサファリカーが集まりだした。
その中の一つ、4WD車からなんとマサイの戦士がおりてきた。さっそうと歩いて登場した彼は、なにやらうちのガイドと話し始めた。僕の横に立って、一緒にサファリーカーを押すマサイの戦士。なにやってんだ?アフリカまで来て、と思う余裕はない。
間近で見るマサイの戦士。羽織っていた赤い布を脱ぎ捨て、一緒に車を押す。彼には無駄な見せかけだけの筋肉は無く、すべてスマートに美しく肉づけられていた。「格好いい〜」なんて見とれるくらい完璧なスタイルだ。が、心なしか、彼は英語を話していたような気もする。が、気のせいだと思いこみ、マサイの戦士の横で僕も必死に車を押した。
二十分くらいか?もっと長く感じたがようやく脱出。あ〜よかった。
助けに来てくれた人たちも、僕らのガイドも、何事もなかったように車に戻り、そのままゲームドライブが再開された。ここで、いや〜どうもありがとうございました、お名刺でも、というのはない。困ったときはお互い様の精神が、ものすごく気持ちいい。
僕らは少し高台に移動した。そこに3頭のライオンが完全に昼寝中。マサイの戦士を乗せた4WDも後ろからついてきた。見ると、助手席に座った彼は、マサイの民族衣装に身を包み、僕のイメージからは、なんともアンバランスにシートベルトをして、手にはガイドブックを持っている。・・・。どうもその4WDでサファリをしている家族が雇ったガイドのようだ。・・・でも、それにしてもマサイの戦士であることには間違いがない、やろ?いくらシートベルトをしていても。インテリなそのマサイの戦士は、言っても完璧な肉体とスタイルの持ち主だ、それでいい。
その後、バッファローの群や、ウォーターバック、猿の大群などに出くわしたが、なにせ西日が強い。顔も腕も真っ赤だ。ドライバーは張り切ってブッシュの中へ中へと車を進める。開けっ放しの窓から勢いよくバッタが進入してくる。タンザニアとの国境近くまで、マサイ・マラ国立公園をずっと南下したが、思ったほど動物には会えなかった。
ロッジに戻る頃には黄昏。朝から晩までなんちゃらというのがあるが、腕時計なしにそれを体感できる大自然は、動物であることを誇らしくさせてくれる。
部屋に戻りシャワーを浴びる。ピリピリと太股も胸も腕も顔も痛い。そうとうに焼けている。部屋に大きな虫が入ってきたので、その虫と格闘をし、やっと外へ追い出して、ベットメイクされている蚊帳の中に入って日記を書く。7時半、夕食へと出かける。
今日の夕食はスターターとデザートはブッフェで、メインだけをチョイスして注文する特別メニューだった。メインにビーフを選び、ビールを頼む。いつもいる見張り役(猿などがダイニングに近づくと木の棒で大きな音と「おっ、」という声と共に追い出す)のマサイの戦士がどうもいないなぁと思っていると、今日は9時15分からマサイ族のダンスショーなんてものがあるらしい。
スターターを食べていると朝あった日本人カップルのカンさんとカオリさんが一緒に夕食を食べようと誘ってくれたので、席を移動する。
一人でサファリを行きまくっている、ジョンとというイギリス人老人もいたので英語混じりの会話をする。このジョンという老人は、タンザニアで一週間サファリをこなし、今の時期はタンザニアに動物が移動しているので、セレンゲティの方が動物がいっぱいいるよ、なんて教えてくれる。確かに、動物には国境なんて関係ないわな。ここケニアに動物が大集合するのは、7月8月くらい、とか。その頃には、ハンティングする場面も見れるという。このジョンという老人はおもしろく、マサイ・マラに入る前、あのおみやげ物を売るマサイ族にいちいち「長旅をしているからお金がないんだ、だから買えないよ」と目の前に突き出された民芸品を押し返しながら必死に説明していたらしい。その様子を一生懸命話すので、僕は食べるのを忘れる。・・・。確かにすこし「しんどい」おじさんだったが、こういうのも旅の中ではいい。
そうだ、カオリさんたちの車は、今日チーターを見たらしい。今日の夕方は結構あちこちで出没したらしく、チーターに出会えた車も結構あったらしい。・・・なんてこった。うちのガイドと来たら穴にはまって車を救出させたれたり、ブッシュに入っていってグルグルと走り回ったあげくに、最後は、すごいポイズンを持った蛇だ!とかなんか興奮しながら見せてくれた程度だったのに。まぁ、彼の狙いは豹だったのだろうけど・・・。サファリは釣りと一緒でLUCK次第なのだ、うちのガイド曰く。
さて、このカンさんとカオリさんは夫婦で7年間ロンドンに駐在した後、今年の4月(あと2〜3週間後)に大阪に帰ってくるらしい。なかなかの好青年、好青女?っていうのか?素敵なカップルだった。
マサイのダンスが始まった。ダイニングのテーブルから、カオリさん達におすそわけしてもらったワインを飲みながら見る、そのダンスショーは、僕を恥ずかしいくらい裕福な気分にさせた。最後にマサイの一人が出てきて、今のダンスの説明を英語でする。今日のシートベルトのマサイといい、なんかイメージが違う。そもそもイメージって何?っていう話だが、牛を散歩させ、その大事な家畜を猛獣から守ったりするのが、やっぱりマサイのイメージだ。それこそ戦士だ。んな事言うと、ジャパニーズはサムライか?といわれるととんでもない話なので、イメージのこじつけは良くないことは分かっている。
結局、10時過ぎまで3人で話し込み、明日同じようにナイロビに戻るので、午後ナイロビで会えたらそのときに、と言って握手をして別れた。
さぁ、明日も5時おきで最後のサファリだ。寝るか。
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