2001年3月21日(水)
6日目
ナイロビ〜ビクトリア・フォールズ(ジンバブエ)
朝4時の目覚ましがなる10分くらい前に止めた。いつものようにベットから起き、タバコに火をつける。軽くおならでもしようかと思ったら……、大慌てでトイレに行く。完全に下痢だ。
フロントにおりると、マカウさんとホテルが呼んでくれたロンドンタクシーの2台が来ていた。昨日寝る前に、わざわざフロントまでおりて「明日お願いしていたタクシーは必要ないから」と言ったのだが・・・、バッティングしている。僕の姿を見るや否や、必死で呼んでるマカウさんのタクシーに乗った。乗り込んで発車を待っていると、動かない・・・。エンジンは空回り。こともあろうにドライバーは、僕に後ろから押してくれと言わんばかりの目で見てくる。朝から勘弁して欲しいと完全に無視していると、こんどはホテルの前にいたロンドンタクシーのドライバーに頼んでいる。しかもちょっと横柄な態度で。なんとかブルッブルッと動きだし、これから止まることはないのか不安を抱えながら横に座って真っ暗な道を眺めた。・・・と、すぐ近くのガソリンスタンドに入る。そして「ガソリン代を出せ」というではないか。なんだこいつ?訳がわからない。もう一度「ガソリンがないから、ガソリン代の200シリングを払ってくれ」と言う。だめだ、こいつ。猛反発した。「じゃ800シリングの中から200シリングで、空港までの合計は800シリングしか払わないよ」というと、あのなんと表現すればいいのだろう、すごく渋った表情をする。もう、朝から大爆発を起こしそうだった。が、そんな事をしている時間はない。空港に早く着かないと、離陸2時間前につくことはできない。「もー、空港までのタクシー代を合わせて1000シリング払うからハリー・アップ」と少し声を荒げた。
ガソリンを入れ終わると、また動かないので、ガソリンスタンドの店員に後ろから押してもらってスタートをする。街頭一つない真っ暗な道。タクシーは猛スピードで走っていく。昨日のシュウゾウ君のバス事故の話を思い出し、シチュエーションがかぶりすぎて怖くなった。とにかくこんな真っ暗で車一つすれ違わない所で、またタクシーが動かなくなったら大変なので、そうはならないように必死で祈った。そんな心配をよそにマカウは「タバコくれ」と言ってくる。客にガソリン代を払わすようなドライバーにやるタバコはないと思い、あっさり断った。
そういやこいつは昨日もジョンとレストランに一緒に押し掛けて、人のタバコをせしめていきやがった。このドライバーに与える優しさは、もはや一滴もない。
なんとか無事についた東部アフリカの大ハブ空港、ジョモ・ケニヤッタ国際空港。4日前にここに降り立った頃を思い出す。さすがに早朝5時半なので、空港は閑散としており、カウンターでナイロビからヨハネスブルグまでのケニア・エアーウェイズとヨハネスブルグからヴィクトリア・フォールズまでのブリティッシュ・エアーウェイズの2枚のボーディングチケットを換える。パスポートコントロールには誰もいない。しばらく待たされた。ようやく、ゆったりとして、でっぷりとした男性がやってきて、気持ちよくポンッとスタンプが押され出国する。
ゲート近くの喫煙席に座り、日記を書く。空港内だけの印象から言うと、ナイロビはヨハネスブルグの足下にも及ばないほど発展途上だ。ほんとに大ハブ空港なのだろうかと疑いたくなるほどのチープさ。
ボーディング時間が近づき、ゲートに行くと、なんとサファリで一緒だったアメリカ人夫婦が座っている。同じ便でヨハネスブルグまで行くらしい。昨日、レストランでカーニバルを見て、すばらしい夕食だったと夫の方が話す。さすがにインターコンチネンタルホテルに泊まっている客は違うな。っで、君はどんな夜だった?と聞くから、なんというかまぁ、その、ソー・ソーだったと答えた。
乗り込んだ飛行機はアラブ人だらけだった。コンピューターではなく、ほとんどが手作業なので、ズラーっと並んだ列がなかなかはけない。暢気にいくことにする。
ケニア・エアーウェイズ460便は予定時刻よりも45分遅れで離陸。僕はヨハネスブルグでのトランジット時間が恐ろしく少なかったので、こればっかりには焦ったが、すでにナイロビで乗り換え便の搭乗券を発券しているので、幾分余裕はあった。さよなら、ケニア。さよなら、マサイ。
3時間半程のフライトでヨハネスブルグに戻ってきた。壁際の一番前の席だったので足を思いっきり延ばし、快適だった。ケニア・エアーウェイズの離陸が遅れた分、到着も午前11:30(南アフリカ時間)になり、搭乗券は持っているが、ゲートが空白のままだったので、トランジットカウンターのブリティッシュエアーウェイズに行く。そこでもう一度搭乗券が切り直され、ボーディング・タイムを見ると、なんと11:35。しかも、ゲートは24番とかなり端っこだ。5分しかないが、とにかく上のスモーキングラウンジに行ってタバコを大急ぎで一本吸い、トイレも済ませ、空港の端の端にある24番ゲートへ。まぁ、こんなところで「日本人的時間」で行動すると多々後悔することを知っているので、余裕をもつことを覚えたのだ、僕は。案の定、11:50頃にゲートに行ったが、まだ待たされた。
どこの国から来たのか分からないが、団体客がいて、僕の席はちょうどその団体の渦中。最初は、3つ並んだ席の両端だけ居て、真ん中が空いていたので、窓際に僕、通路側に白人女性と、なかなか快適を予想させたのだが、飛行機が離陸に向けて動き出すと、前に座っていた男性が僕の列に移動してきやがった。通路側の白人女性が僕の横にきて、移動した男性は通路側に座った。と、この二人、間髪おかずにイチャイチャしはじめた。
うらやましさから妬みになって、それが怒りへと変わるまでそう時間はかからなかった。最初は白人女性が横に来てくれてラッキーとも思ったが、この女、僕のスペースをドンドン犯してくるのだ。なんというのか、このイチャイチャぶり。24歳の僕が「おじん」に思えるほど、二人は“青春まっただ中です”の、勢いなのだ。そのたびに、体と腕を大きく動かし、僕はというと小さくなるばかり。・・・不愉快かつ不機嫌だ。機内食のサックランチに入っていたビーフジャーキーを噛みしめる。
ヨハネスブルグから、アフリカ大陸の中でも人気の高いビクトリアの滝まで、小さい機体ながらも毎日飛ばしているブリティッシュ・エアーウェイズに大英帝国のパワーを感じる。ヨハネスブルグからビクトリア・フォールズまでは1時間強のフライト。ここは観光地だけあってどこのホテルもそこそこ高く、安宿はドミトリーのようなものしかなく、ロッジになるとシティーセンターから遠い。とにかく早くホテルで落ち着きたかった。
ヴィクトリア・フォールズの空港はとても小さく、ビクトリアの滝という観光資源のためだけに作られたような、そんな感じだった。よく分からないがプールに更衣室があるような、大きな大学が出来たので農地をワンルームに変えて大家をするような、まぁ、そういう感じ。
僕は、“空港小屋”の中に入って行き、ビザをとる。簡単な机があるだけで、そこに座った係員に、明日ザンビアに行って日帰りするけど、ダブルビザが必要かと聞くと、シングルビザでいいという。シングルビザはUS30$。それを払ってシール状のビザをパスポートに貼られる。そしたら隣に座った係員がスタンプを押して、入国完了。
イミグレを通り抜けて、両替所へ行く。本当に、小屋だ。何もかもが、小屋。例えば、免税店?のようなところも。電気の落ちた真っ暗な両替所は、それでも営業中で、僕はUS50$を2,750ジンバブエドル(Z$)に両替する。US1$=55Z$。1円=2.2Z$。あとから気づいたが、空港のレートはすごく悪く、しかも50USドルなんて大金を空港で換えた事が最大の失敗だった。これが、後々、僕を悩ませる。
両替を済ますと、「タクシー?」と聞いてくるどこにでもいそうな怪しいドライバーに、いくらか聞くとメーターだよ、と見下ろすように言う。カチンッ、ときたが、それなら安心だ。だいたい、タクシーくらいしかこの町では市内まで行く方法はない。その客引きに案内されるままにタクシーに乗り込む。客引きとドライバーが違うのが、アフリカや南米、アジアなどの常識。タクシーに乗り込んで、とりあえずシティーセンターのツーリストインフォメーションまで行くように頼む。
良さそうなドライバーだった。白人社会と言われる南アフリカと違い、ジンバブエの大観光町ヴィクトリアフォールズは黒人が溢れている。しばらく走ったタクシーのメーターが動いてないことに気付いた僕は、「メーターは?」と聞く。「故障中だ」、という。はぁぁぁぁぁぁ!阿保か。コラ、オイ、降ろせ!と言ってはみたものの、こんなところで降ろされても、どこがどこだか。タクシーに乗る前に、市内まで行くとだいたいどのぐらいかを聞くと、US25$だから、と言っていたので、(これもおそらく破格の値段だろうとは思っていたが)、その金額しか払わないことをドライバーにリコンファームする。これが大間違い。この時点ではまだ、ドライバーの事を信用していたので、彼が知っているという安いロッジに案内してもらおうとしていた。そのロッジは、市内までは遠いが、無料の送迎バスが出ていると言う。1泊US25$で、明日のザンビア行きもそのトランスファーサービスを使えばいいし、送迎時間も随時OKだと言う。そこにするか?と聞かれたので、一回見るだけ見るから行ってもらって、そこでしっかり「もしそのロッジが気に入らなかったら市内まで送ってもらうよう、そして料金は据え置きのUS25$で」という確約をしてから、ただただ一本道の道路を走り続けた。
吉と出るか凶と出るかのサイは投げられたわけである・・・。と、しばらく走った後で、いきなり僕らのタクシーは警察に止められた。そこで、警察はタクシーのメーターが動いていないことを突いてくる。「故障だ、故障だ」と繰り返すドライバー。そんな事に聞く耳は持っていない黄銅色の制服に身を包んだ警察官。ハイ、だめ〜っと言わんばかりに警察官はキップをきった。もう一人いた警察官が、僕に「すぐ終わるから少し待って下さい」と丁寧に応対する。あれ?そう言えば、ドライバーと警察官も英語で会話をしている。あ、そっか、ジンバブエの公用語は英語だった。
警察に、どうしたのかと、分かり切っていたが、聞いてみると、やはりメーターを使用していないという違反だそうだ。僕らのタクシーの前にもう一台同じように警察に捕まっている車があった。メーターを使用せず走るタクシーは、どうも日本のシートベルト違反並に横行しているようだった。
ドライバーは警察に、僕を市内までUS20$で連れていくことになっている、と説明しているではないか。えっ?嘘つけ!それでも警官は「おぉ〜、お前、US20$はやりすぎだよ」と反応している。同じように捕まっているもう一人のドライバーも「嘘だろ?」くらいの反応を見せる。
・・・やられた。警官の僕に対する優しい対応も、同情から来るものなのか?「あーあ、・・・この観光客もかわいそうに」と。
やっと解放されてから走り出したタクシーで、僕はドライバーに強く言う、“You tell me a lie.”と。加えて「だいたいUS20$でも高いんでしょ?25$なんてぼったくりやがって」と、完全に怒りにまかせて怒鳴った。ドライバーは、「今から紹介するロッジまでがUS25$で、市内まではUS20$だよ」と、しどろもどろ。話が全然違う。・・・あかん、この分じゃそのロッジって言うのもどうだか・・・。ちょうどそのときに「ホテル・スプレービュー」の前を通った。このホテルは、安全性を考えるとギリギリのラインで、日本人のお客様にはこれ以下のクラスは進められないと、ツーリストインフォメーションで聞いていたホテルだった。一泊US100$くらいだ、と聞いていた。そして、ホテル・スプレービューが市内からどのくらい離れてて、だいたいどの辺にあるかは事前知識があったので、とりあえずタクシーをそこで止め、レセプションで料金を聞くことにした。
ドライバーは「ここは1泊US60$はするぞ」という。僕にとっては60ドルでも受け入れられる額だ、なにせ100ドル位と聞いていたのだから。どうせドライバーの紹介するロッジなんて、市内からくそ遠く、言うほど綺麗ではないだろう、と完全に彼の言うことをすべて疑っていたので。
レセプションで聞くと、ここホテル・スプレービューは1泊、US55$でバス付き、お湯も出るしシングル部屋。僕が完全安宿で確認する質問を投げかけると、半分鼻で笑いながら「君の望む物は全部あるよ、ここには」と言われた。2泊するのでUS110$と完全に予算オーバーだったが、急に、何だろう、いっかな、みたいな、泊まっちゃうかという気持ちになって、このホテルに決めた。ホテルの前で待っているタクシーに戻り、ここに決めるよ、といって後ろの席からバッグを取り出す。っで、まだドライバーは「いくらだ、高いだろ?ロッジの方がいいぞ」と言うが、アウト・オブ・眼中。「ここは市内だからUS20$でいいね」といって、「それをジンバブエドルで払うよ」と連発すると、20ドルでいいが、米ドルで払えという。まぁ、もういい、お金を払い、最後に「Don't tell a lie」と言い残すと、ドライバーはすねた中学生のような態度をとった。
レセプションで空港からここまで米ドルで20ドルとられたが、高いよね?ときくと「そうだなぁ」と顔一杯で表現される。やっぱりな、と悔やむ。2泊分の110$はUSドルでしか払えない。
ここに来て、ようやく分かった。空港で50ドルも換えたのは失敗だった。例のドライバーも、まだ僕が信用していた頃、空港で50ドルも!そりゃダメだよ!と言っていたくらいなのだから。
朝食付きで朝7時半から開始と言うことを聞いてチェック・インする。ポーターが僕のバックを運ぶ。平屋でずらりと並んだバンガロー形式のホテル。車で乗り付けている客が多い。海外からもそして、国内や近隣諸国から車でここの大自然を見に来ているのだろう。プールもあり、寝そべって体を焼いている老白人観光客はお約束通りいる。またまた自分がリッチ気分になっていることに気づいた。
部屋は広くて綺麗で、バスルームも問題のつけようが無いほどの広さと綺麗さ。気に入った。ポーターは早口で部屋のファシリティーを説明する。最後に「あっ、あとエアコンのスイッチはここね」と言われ、えっ!っとびっくりした。な、な、なんとエアコン付き!ポーターに50Z$(110円)のチップを渡す。テーブルと椅子もなかなか心地よく、座ってタバコを吸っているとファンまであることに気づく。そして電気ポットに紅茶のリーフまである。これって無料?だろう。しばらく落ち着く。
午後3時半頃だったので早速ビクトリアの滝を見に行く。今日は少し曇っている。ホテルからシティーセンターまでは歩いて30分ほど、結構遠い。両サイドには木々が鬱そうと生え、その真ん中をただただ一本道が走る。迷うことは無い、その道を行く。歩いているとチョコチョコすれ違う黒人がいて、僕が「ハ〜イ」と微笑みかけると、笑顔で応えてくれる。「コンニチハ、サヨウナラ」なんて日本語はザラに使う。ただ、遠く向こうから「コンニチハ〜」と呼びかけて、走り寄ってくるやつは、タクシードライバーか、サファリの勧誘か、そうでもなければ、マリファナ売りだ。
シティーセンターって言ってもこじんまりしていて、SPA(スーパーマーケット)や靴屋、レストラン、銀行が狭いエリアに点々とあるだけ。むき出しの線路を渡り、なおも進む。ここがヴィクトリア・フォールズ駅だとは、そう聞かなければわからないだろう。想像を遙かに下回る田舎町。その駅の前にドカーッンっとヴィクトリア・フォールズホテルが建っている。歴史から来る堂々さがある。そのホテルもさらに越えて坂道を上る。ビクトリアの滝国立公園のエントランスにつく。この周辺には傘やレインコートのレンタル商と、幸運のネックレス売りがたくさんおり、決まって「コンニチハ」と次から次へと押し寄せてくる。目の前で、そんなネックレスはいらない、と断った僕にすぐさま、同じようなネックレスを売りつけてくる。これには参った。全てに「ノー・サンキュー」を言い終わるのに一苦労だ。
公園に入る。ビッグ・フォールと言えば通じるこのビクトリアの滝。それだけで分かるまでの規模と雄大さを誇っているのだろう。入場料はなんとUS20$。ジンバブエドルは受け付けてもらえず、手持ちの米ドルを払う。僕は1ドル紙幣、大きくても20ドル紙幣以外のドルは持ってこなかった。大きなドルはだいたいにおいて使えないのだ。このときは全て1ドル紙幣で20枚を払うと、係員はゆっくり、ゆっくり、その20枚を数える。その表情は「ったく。」という感じだった。
ようやく数え終わり、レシートをくれる。それをもって鉄製の回転ドアを通ると、そのレシートの裏にスタンプが押され、公園内に入る。入り口と同時に出口にもなっており、出てくる人出てくる人、みんなが半端じゃなく濡れている。もう上から下まで。こりゃレインコートがいるかな?と思ったが、そのまま突入した。鬱蒼とした森の小道を進む、シティーセンターの駅あたりからこの滝の流れ落ちる音は聞こえていたが、ここまで来ると、それはもう轟音と化している。
霧状の水が常に降り注ぐ。滝が巻き上げる水しぶきがこの辺り一帯の木々をこれだけ鬱蒼と成長させるのだろう。小さな看板で道順を知らせている。この滝の轟音と水しぶきを浴びながら森を歩いていると、自然のパワーに驚くのと同時に、どこかすがすがしく感じる。今の時期はちょうど水量が多く、霧状の水しぶきが完全に雨になり、風向きで次第で一瞬パーッと滝の様子が見える以外は、そこに滝があることを認知するにはその轟音を頼るしかない。雄大で、怒り狂って流れ落ちているような激しい自然の一部を眺める。
この国立公園には、いくつかのビューポイントがある。カメラを構え、風向きで水しぶきが晴れた時、すかさずシャッターを押す。そして木陰に移動して濡れたカメラを拭く。そしてまた水しぶきの降り注ぐ小道へと歩き出す。レインコートも傘も無い僕は、カメラを守ることと、とは言え写真にも残したいという、それはそれで結構忙しく動き回った。ほとんどの観光客はレインコートを着ており、そうでなければ、傘くらいは大半が持っている。
この滝の発見者はリビングストン。彼の銅像が建つ。その容貌は探検家そのままで、彼がこの滝に遭遇した頃は、もちろん今の様に整備された大自然ではなく、狂気に溢れたむき出しの大自然だったのだろう。今からは想像を絶するほどの冒険と、そして発見の驚きと感動があったのだろう。このヴィクトリア・フォールズの町を突っ切っているメインストリートの名前も、ザンビア側の町の名も、彼の名前が付けられている。
そのまま進むとメイン・フォールのビューポイント。カメラは濡れるが水しぶきが風向きでパーッと晴れる一瞬を狙うため、しばらくカメラを構えて待つ。目前、白い水しぶき一色の風景がしばらく続く。何枚か写真をとると、もうカメラは鞄にしまって、しばらくボーっと見ていた。
ザンベジ川の穏やかな流れがここで一変、大きな固まりを造るように、一つ一つが固体化し、次々に放り込まれるが如く落ちてゆく。水の色は黄土色で、この滝壺の底がどのくらいあるのかなど、巻き上げられる水しぶきで全く見えない。ちょうど雲の上を飛行機で飛び、その下が見えないような感覚に近い。そういえば、飛行機でこの町に降り立とうとしたとき、雲間から、立ち上る水しぶきが見えていたな。
メインフォールズの雄大って言葉以上の姿を目の前にして、何も考えられず、ただただ流れ落ちる固体化したような水を見、そこから発せられる轟音を聞き、巻き上げられる水しぶきを感じた。
そのポイントから、なおも下っていく。木々は徐々に少なくなり、低い草が生えている以外、水しぶきから守れる物は何もない。そんな時に限って、最後の味方になりうる風向きも、こちらに向け吹いてくる。味方になり損ねた風向きは、一転して最大の敵となり、僕に襲いかかる。その道はヘビー・レイン状態。半端ではなく濡れた。こんなにベショ濡れになるのは、小学生時代にやっていた少年野球の帰り道、夕立の中を自転車をこいでいた頃、以来だ。
鞄に入れているカメラも、必死に抱え込んで水から守る。上から下までグショ濡れだ。
少し離れた安全な所からこの滝を見ていると、その自然のパワーと雄大さに、口をポカーンっとあけ、暢気に「すごいなぁ」なんて言葉も漏れるが、近づくに連れ、目を細めて体を傾け、豪雨と化した水しぶきの中を歩いていると、完全にその自然を敵視してしまう。太陽ってこんな感じかな、と思う。
公園を出ると、例の如く「コンニチハ」攻撃。さすがに出口から出てきた僕にレインコートを貸そうとはしないが、民芸品を売りに来たり、タクシーを勧誘したり・・・。僕がシティーセンターに向け歩いていくと、一人の男性が僕の横にぴったりと張り付いて歩く。振り払おうとするが、彼もまた、シティーセンターに戻るというので、話をしながら歩く。(もちろん、僕はいかなるお金を伴うサービスを受け入れない旨を主張した後で)
彼は23歳。結婚している。今は公園の前でレインコートや傘の貸し業をやっているが、子供をつくるにはお金がかかって、まだつくれないよ、と屈託のない笑顔で話す。彼の服を見るとシャツはボロボロに破れている、そこから判断するに、この観光町の生活水準は結構高いように見えて、彼のような人が普通なのかもしれない。あるいは、彼はこの町の「負け組」なのかもしれない。いうまでもなく、経済面からだけの判断だが。結婚しているなら、24歳で独身の僕より幸せか?とも思ったりする。
両替をしようと、シティーセンターの両替商に行くと、ジンバブエドルから米ドルへの両替はできないと言われた。え・・・!?50ドル分もジンバブエドルにしたのに。しかも、タクシー代やホテル代、国立公園の入場料など、まとまってお金がかかるところは全て米ドルで払うので、ジンバブエドルが減らない。明日一日しかないジンバブエ滞在で、まさか2700Z$も使わないだろう。使うとしてもせいぜいスーパーでの買い物くらいだ。まさか空港でもジンバブエドルから米ドルへの換金が不可なのか?もしそうなら大変なことになる。明日、レートが悪いなど気にせず、銀行で換えられたら早く換えてしまおう。
残りの米ドルも、もう35ドルしかない。これは相当にやばいぞ。帰り空港までのタクシー代と出国税を考えると35〜40ドルでもいいから、とにかく換金しなければ。ホテルへ戻る途中で、SPAという日本でもおなじみのスーパーで夕食を買い込む。例の23歳の彼は、結局ここまでついてきた。そこでお別れ。
スーパーには相変わらず何でも売っている。スプライト25Z$(97円)、アイスクリーム94Z$(260円)、クッキー25Z$(55円)のしめて163Z$の夕食。日本円で360円程。決して物価は安くない。ホテルまで、また30分弱歩く。今日は午前4時半起きだったことがかなり応えている。部屋に戻り、鉄臭かったマサイ・マラのロッジとは違い、無臭の水でシャワーを浴びる。お湯も熱いほど出る。そういえばケニアのエンバシーホテルの水も無臭だったな。
夜7時半という浅い時間だったが、睡魔に負けて眠る。
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