2001年3月22日(木)
7日目

ビクトリア・フォールズ


さすがに朝は5時半に起床。考えてみれば、この旅が始まってから、毎日早朝に起きている。昨日も寝るのが早かったので、これでも10時間は眠った。昨日の日記を書き、顔を洗って朝食へ。ファンを回しっぱなしで寝たので、寒く感じるしなんだか気怠い。だけど、快適な部屋って本当に良いなぁと改めて実感。1泊US55$の価値は十分にあり、だ。

午前7時ともなると、広いホテルの敷地内をゴミ清掃の人達が大声で話しながら作業を始める。8:45、朝食へ。プールの真ん前にあるレストランで食べる。ブッフェスタイルでパンやポテト、ベーコン、ソーセージ、卵はその場で焼いてくれる。メニュー自体はケニアのマサイ・マラで泊まったキーコロック・ロッジとほとんど変わりはない。アメリカン・ブッフェ。温かいモノが一品でもあればそう、なる。世界共通だ。コーヒーにオレンジジュースを飲みながら、一人の係員とたわいもない会話をする。この国でソニーと言えば?イコール、ラジオだった。意外。
雲の多い一日だった。10時前にレセプションで鍵を預ける。そのときにジンバブエドルから米ドルに換金したいというと、基本的にこの国は米ドル(外貨)を買うが、売ろうとはしない。つまりジンバブエドルから米ドルに替えることはとても難しいと言われた。銀行でも難しいだろうし、空港でだって「Not sure」だと言う。絶望的だった。50ドルも換えてしまった僕の焦りは最高潮になる。とにかく銀行に行ってみようと決心し、シティーセンターまで歩く。歩きながら、とにかく米ドルへの換金ができることを強く、強く願っていた。この際、レートなんて二の次だ。
そんな焦りが僕の中にあったことが最大の敗因。

30分かけてシティーセンターまで行くと、ブラック・マーケットの男性が近づいてきた。いつもなら右手の甲でヒラヒラと「ノー・サンキュ〜」といくところだが、一応、と思いジンバブエドルから米ドルへ変換できるか聞いてみる。男・セズ「ノープロブレム」。そして、人通りの少ない所に行き、2000Z$をUS50$に換えられるよ、とコショコショ話。

US50$も!

その額に、僕は単にレートの善し悪しでこれだけの金額差が生じるのかと暢気に考えていた。しばらくその人通りの少ない路地で待つ。と、違う男がやってきて→僕に近づき→決して僕を見ず→遠くに目を向けながらすれ違いザマに→僕の2000Z$をサッととり→US50$を握らせた。

僕には、その米ドルをじっくり確認する間も無く、本当に素早く、その男はその場から去った。瞬間的に「やられた!偽札だ」と思い、もう一度紙幣を取り出し見るが、後の祭り。男はどこにも居ない。まぁ、この時点では心底、この50ドルが偽札だとは思っておらず、そうかもしれないと疑う程度で、きったない紙幣やな、ぐらいであったことも確か。

それから僕は、ザンビアとの国境に向けてテクテク歩く。昨日の23歳の傘貸しの男性がまた話しかけてきた。軽い会話をしてから彼と別れ、国立公園のエントランスから200m位行けば、ジンバブエ側のイミグレーションがある。この辺りは滝の轟音と水しぶきが降り注ぐ。歩いての国境越えはシンガポールからマレーシアのジョホール・バルに行ったとき、ボリビアからペルーに渡ったとき以来だ。この2回は途中まで車で行ったが、今回はれっきとしたオール・オン・フットでの出国だ。とても簡単な造りのイミグレで出国のスタンプを押され、そのまま出国。

ジンバブエとザンビアをつなぐ道は結構長い。そして、その一本道には、大滝の水しぶきが絶えず降り注ぐ。風向き次第ではかなり激しい。完全に雨だ。特に運悪く、豪雨と化している一本道を上から下までベショ濡れになりながら歩く。もう打たれるままに歩く。ジンバブエを出国して、まだザンビアに入国していない、言わば、無国籍地帯にヴィクトリア大橋がかかっており、その上をむき出しの線路が走っている。その端のちょうど中央辺りに、ラジカセから陽気な音楽を流し、歩道一杯にテントをはったエリアがあって、何人かがバンジージャンプの順番待ちをしていた。さすがの雨風で、今は飛ぶことができないのだろう。昼には電気が落ちるくらいの「技術」しかもっていない国で、暢気に「バンジー〜」なんて飛び込んでる場合でもなかろ? だいたいロープの長さは大丈夫か?その強度は?などなどを考えると、僕にはどうしても飛ぶことはできない。

眼下の川を見下ろして、「お〜怖え」と思いつつバンジーテントの横を通り抜ける。水しぶきでは無く、完全なるままに雨。歩いている僕はパンツまで濡れている。太股の辺りが妙に冷たい。橋の下、遙かに崖。どうやってこんな所に橋なんてかけたのだとうと疑問になるが、ニューヨークのビル群を造る人間の業があれば、まぁやってやれないことも無いかと思い直す。橋を越えてしばらく歩くとやっとザンビア側のイミグレについた。

中に入って、パスポートとビザ代のUS10$(日帰りビザは10ドル)をと言われる。さっきブラックマーケットで換えた汚い50ドル紙幣を出す。心の中では「なんとか無事に使えてくれ!」と願っていたが、それもむなしく、タイガー・ウッズそっくりな係官は、僕の出したその50ドル紙幣を何度も何度も機械に通し、そのたびにピーッとなるのを確認後、彼は言う「これは使えません」と。

この時の僕は、ただ、この紙幣が汚いから使えないと言っているのだと思いこんでいるヤツを演じた。他に米ドルで35ドル持っていたが、「この50ドルしかなく、後はジンバブエドルが550ドルあるんだけど、それでもいい?」とかなんかとか、訳の分からない「ニッポンジン」を演じきる。係官は、「ジンバブエドルなら800ドル」と言う。米ドルなら10ドルで、ジンバブエドルなら800ドル!? つまり、US10$ = 80Z$か、こりゃ空港での両替レートがUS1$=55Z$だったからぼってるか?なんて暢気なことを考えながら、、、僕は「どうすりゃいいんだよ。」というかなり困り果てた表情を崩さず、その係官の前でねばり続けた。「可哀想なヤツ」、そう思って欲しいという演技。チッ、と聞こえそうな表情で、係官はまた紙幣を機械に通す。が、ピーッとなる。どれくらいだろう、15分以上は確実にいた。もう、ねばり負けした係官は、僕の残りジンバブエドルの550ドルだけを取り、通してくれた。

たぶん「かわいそうに、この日本人、偽札に換えさせたれやがって」という同情からだろう。「サンキュー」、僕は急にニコニコなってそう言った。イミグレを出て、僕の頭の中では、いち早くこの紙幣を使わなければと、そればかり考えていた。せっかく手放すチャンスのイミグレで使えなかったことに対して、残念ではあったが。まぁ、550Z$なら、僕が換えたレートでちょうどUS10$なので悪いこともしてないだろう。

ザンビアに入国するや否や、リビングストンまでのタクシーのドライバーがたくさん言い寄ってくる。ザンビア側の滝の拠点はリビングストンになるのだが、僕は、今日もジンバブエに泊まることにしており、ただ、ザンビア側の国立公園から(逆サイドから)ビクトリアの滝を見に来ただけで、リビングストンまで行く気はなかった。ザンビア側の国立公園の入場料はUS3$。ジンバブエ側のUS20$と大差がある。国が違えばこれだけの差があるのか・・・。入場ゲートなんて言えるほど整備はされていないが、その小屋で例の50ドル紙幣を出す。ここでは本当に単に額が大きすぎて、お釣りが無いという理由で、受け入れを断られた。そうなると仕方がないので、US5$紙幣を出して、入場する。この時のお釣り2ドルは米ドルでもらった。

公園内に入ると、ジンバブエ側とは違って、懇切丁寧に危険を知らせる看板もロープも無く、ビューポイントなんて道しるべもない。鬱蒼とした木々の間の小道も整理されておらず、草の間をくぐりながら、という風だ。崖ギリギリまで川沿いに寄って、今にも落ちていこうとする水の塊を見る。レインコート貸しも5〜6人が固まってガヤガヤしゃべっており、僕が通り過ぎても呼びかけ一つしない。国が違えばこうかと感じる。

ただ、水しぶきの激しさは相変わらず。木に隠れて、その流れ落ちる姿を見る。傘のない僕にはそれ以上進めないほど強烈、ちょうど風向きはこちらに吹いている。

ザンベジ側の上流の方へ進む。さすがに川幅も広く、今まさに流れ落ちようとする地点には「DO NOT BEYOND THIS POINT」というチープな看板があったが、絶好の眺めだったので、その柵をくぐり、2〜3歩前へ進む。右を向けば、川は穏やかに流れ、目の真下でそのスピードを増していく流れが、すぐ左側でザーッという轟音と共に落ち込んでいく。左前方には、巻き上げられた水しぶきが、火事の煙の如くわき上がっている。

もう少し上流へ行くと、青い水着を着た男性がいた。分かり切っていたが一応
"Are you gonna swim? と聞くと、"Kiddin'? too dangerous" とごもっともな回答。

んっ!?じゃ、なぜ水着?日焼け?などと黒人のその男性には疑問に疑問が沸いたが、とにかく、その辺りで折り返し、もう一度滝壺の方へ歩く。ドンドン下がる。鬱蒼という言葉以上に生い茂った草木をかき分け、狭く急な坂を下りる。一応階段状になっているので、ここは行ってもいいところだろう。今日は曇っているが気温が高いので僕は半袖だった。じか肌で触れるとウルシのようにかゆくなったり、変な病気になるのでは?という恐怖から葉っぱに触れるのを完全に・注意深く、よけながら。強烈な虫に刺されるのも怖い。
ぼくは走った。走って下った。

だいぶ下ると視界が開け、目の前にはビクトリア大橋がドーンと出現。大空の雲と、雲をつなぐかのように架かるその橋は絶景だった。見上げるあの橋からバンジーなんて叫んで陽気に飛び込む勇気は、やっぱり出ない。

一気に駆け下りた僕は、今度、登りが大変。息が切れる。よく考えると、今回のアフリカの旅は前回のロシアの時とは違い、一日中歩き回るということも無かった。その分、これだけ歩くと、足がギブアップしているようだ。運動選手風に言うと、「足が重い」。暑っついし、喉も乾く。
小さなエリアに民芸品や太鼓、お面などを造って、同時に売ってるバラックがある。木陰に腰を下ろして、まぁ、暢気にやっているお店だ。その横に、自転車の荷台にテントを張ってジュースを売っている人がいて、僕はスプライト缶、US1$で購入。日本と変わらない物価。滅茶苦茶高いスプライトなのだろう。もう、高い・安いとは言ってられないほど、本当に喉が乾いていたので、「一番冷たいやつね。」とリクエストして買う。「ん〜ッ、冷たい。」ゴクゴク飲んだ。

こんなに勢いよくスプライトを飲むのは、高校の野球部時代、休憩時間に1.5リットルの凍らせたアクエリアスを飲んでいた時以来、だ。大きな石の上に座ってゴクゴクしていると、目の前に日本では見たこともないような虫が横断した。

疲れも少しとれて、もう一度滝を見に行く。滝を見ずに聞く轟音と、実際見ながら聞くその音量は、距離がほとんど一緒でも驚くほど違う。やっぱり、視覚と聴覚、感覚が全てで見るからだろう。本当にボーっと見てしまう。同じ動きを何千年と続け、毎日毎日水しぶきを辺りの木々に振り落とし、これからも何千年と水は同じように流れ落ち、そして水しぶきを振り落とすのだろう。そう考えると、僕がここでこうして見ている時間なんて、虫めがねが居るほど一瞬なんだ。時間の帯は驚異だ。

ビクトリアの滝を後にする。

ザンビアを出国し、同じ様にしてジンバブエまでの一本道を歩く。来るときは豪雨状態でジャンバーから水が滴り落ち、ビニール地のジャンパーに当たる水しぶきの音がパラパラと騒がしかったのに、帰りはそうでも無かった。しかし、滝はというと、何百メートル下まで流れ落ち、そこから跳ね返る水しぶきが雲まで届きそうだ。ビクトリア大橋からみた滝は、水しぶきばかりで何も見えなかった。橋の下を覗くと、遙か渓谷。3メートル程下に幅の狭いネットが張ってあり、そこに2〜3人の現地人が寝ころんでいた。おそらくバンジーのスタッフだろう。怖いなんて感覚、「慣れ」というやつで消え去っているに違いない。

ジンバブエに再び入国する。ゲートを出て、すぐファンタのオレンジジュースを買う。しつこく例の50ドル紙幣を出す。お釣りがあるかどうかを聞くと、ジンバブエドルしかお釣りはないという。米ドルで1ドルだし、ジュースを買う。ここであの50ドルを使っていると40ドル分くらいのジンバブエドルが戻ってきていたが、今、この紙幣が完全に偽札だと分かった時点では、鬼のように考えれば、この店で使ってしまって、ジンバブエドルでも手元に残しておけば良かったとも思うし、普通に考えれば、使わなくって良かったという風にも思う。どうせ換金は、できない。この屋台風のジュース売りは、遙か後にあってそれが偽札だと気づくのだろうし、それまでは、彼にとってもUS50$は僕より価値が大きいはずだ。まっ、いいわ。

ジンバブエに再入国してからしばらく歩くと、朝もあった露天商が相変わらず、僕を見るや否やカンフーのポーズをとってくる。そういえばケニアにもいたなぁ、アジア人を見るとカンフーのポーズをとってくるヤツ。

シティーセンターまで行く途中で野生のイノシシを見た。親子で草をムシャムシャ食べてた。現地人の一人が「ほらみてみな」といってくれたのだが物売りと思いこんで最初無視してしまった。失礼だったなぁ。なにかと親切してやろうと思ってくれていたのかもしれないのに。

少し陽が出て来た事と、歩き回っていることが重なって、汗がおさまらない。ボトル・ドリンクを専用で売っている店の前で、今朝、僕に偽札を渡しやがったブラック・マーケットの男を捜す……。必死。いろんなヤツに聞いてみる、緑のシャツで、背がこれぐらいで、黒人で…と。刑事なんだオレは!という感じ。

が、誰も彼も一緒に見えるし、はっきり断定するのは非常に難しい。僕の記憶もあやふやだ。別の両替商が寄ってくるので、「僕の50米ドル紙幣が汚いので、その50ドル紙幣を綺麗な45ドル分紙幣と交換して欲しい、5ドルはチャージだ」とネゴシエーションした。誰もOKしない。粘っていると、少し話の分かりそうな30代半ばの男性が来て、とりあえず50ドル紙幣を見せろと言うので渡すと、「フェイク・イット、ノット・リアル」 という。知ってるよ、そんなこと。でも、「がーッン」みたいな、その場では驚きを隠せないくらいの大声で僕は叫び、今朝ここで換えてだまされた事を訴えてみた。その男性は同情からか「ここで換えるやつに偽札を持たすやつはいない、きっとザンビアから来たやつらだろう」とか、言う。「俺は、この商売が長いから分かる」と続ける。そんなことどーでもいい。ナニジンだろうと、こんな事されたらムカツキは止まない。一人一人顔を釘居るように見ながら探す。こんなに気が立ってるのにサファリやタクシーの勧誘をしてくるヤツには強い表情と調子で断った。

もぉーダメだ。イライラとなんとも言い切れない感情を持ち抱えたまま、30分かけて、僕はホテルに戻った。レセプションで鍵を受け取るついでに「換金はできたか?」と、朝と同じ係員が聞いてきたので、50ドルをストリートで換えたけど偽札だった事を告げる。一応偽札かどうかをチェックするペンで調べる。確実に偽札であることがここで明らかになった。

結局2000Z$だまされたことになる。空港で換えたので、そのレートから言うと、US36.6$(日本円で4400円)の損失である。この50ドル紙幣が偽札だと分かった時点で、僕の手持ちはあとUS30$だけ。明日、ホテルから空港までのタクシーはレセプションの彼曰く、US20$、出国税にさらにUS20$かかる。・・・足りない。仕方がないので、ビザカードで現金を下ろしたいというと、米ドルは無理だという。なんなんだ!ったく。

タクシー代はジンバブエドルで1200$なので、そこはジンバブエドルで払い、その分のジンバブエドルを明日カードからホテルをチェックアウトするときにおろそう。レセプションの男性は、タクシーでは、絶対にジンバブエドル以外は払ってはいけないよ、と念を押した。タクシーのチョイスも、明日は大事になる。

部屋に戻る途中、あまりにもイライラしていたので、ハ〜イと草刈りの人に声をかけられても無視してしまった。部屋に戻り、ベットに横たわり、この初歩的なミスを悔やみに悔やんだ。偽札に換えられるなんて、「オレは一人で海外に出始めて何回なんだ」自責。なんとなく思う、やっぱり油断かな、慣れってやつの怖さかな。

ジメジメな気分でベッドの上、日記を書いているとペンもインク切れ、虫よけスプレーも無くなった。ライターの液もない。そして、お金も無い。ないないづくめだ。あ〜、ケ・セラ・セラ。
はよ、寝よっと。



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