足踊る大地
鈴木正吾著
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【
3回
/ 全10回】
ウーウー、キンキンキン。リアルタッチ、リクエスト。コーション!
これまで聞いたことのない、危険を示すような激しい音がなった。僕は、記憶の限り、ログパスを入力して、何度も跳ね返されつつ、ようやく五回目でつながった。それまで、温度や風や声や景色が、リアルすぎたバーチャルで「きれい」だったのに、リアルカメラに切り替わると急に、色褪せて見えた。そこは、LEDライトが示す室内。どことなく、明度が低く、彩度もくすんでいた。
そこに、一人の人間がいて。ベッドの上で、喉から太い管が伸びている。一定リズムの機械音。まず、目に飛び込んできた彼のリアルに驚き、それを飲み込んでから、少しずつ理解していった。そうやって、僕が、順番に彼を理解している最中に、「一体、どこにいるんですか」と、彼は素っ頓狂な声で訊ねてきた。
何もない、空き地。ただただ、広いだけの場所。原っぱでも、公園でもない所に、若い男が一人で腰掛けている。「工事現場か、何かですか?」と、彼は続けざまに質問する。「ええ、まぁ。まだ始まってませんけど、工事現場みたいなものです」と、僕は律儀に応えた。自分の中で、まだ衝撃的な彼の現状を受け止め切れていないのに。
あはは、と彼は笑いながら、「すいません、すいません。驚いたでしょ、こちらの状況を見て」と言った。「リアルにつないだら、すぐに状況を説明して、相手のショックをなるべく弱めるようにと、練習していたのですが。実際にやってみると、上手くいかないものですね」と彼は言った。僕の居た場所が、あまりにも意外だったので、思わず先に問いかけてしまった、と、笑った。
「初めてなんですか? リアルにつなぐの」
「そりゃ、そうでしょう。こんな寝たきり状態ですからね」
彼は、生まれてから二十九年間、ずっとベッドの上で生きていた。動くのは、頭と右手だけ。それ以外は、上手く動かせないらしい。彼女に出会ったのは、十年も前。ちょうど、「この世界」が最初のブームを迎えた時だった。まだ、システムやビジュアル的にリアルを感じさせるものではなく、一部のマニアが、アニメの続きで楽しんでいる二次元の段階だった。気分転換に連絡を取り合い、いろいろと話をして、男は、自分の不自由な身体を自由な発想でカバーし、楽しんでいた。
今から三年前、バーチャルなリアリティが、一気に飛躍した。それは、雨蛙がちょっとずつ進んで来て、突如、ぴょん、と高く跳ねるような変化だった。革命だとまで言われた。もう一つの「世界」を創り上げてしまったと言うほどのリアル。三次元を越えた、バーチャルな世界だったのだ。
男はその頃から、女が好みだというタイプの姿に宿り、「この世界」で愛を深めていった。それまで出来なかった多くの事を体験した。そして、お互いが三十歳という節目が近づいた今年、実際に会って、ちゃんと交際したいと、女に告白された。リアルを越えたバーチャルな世界から、リアルに逆戻りする。そこに未来はないと考えた男は、それとなくかわしながら、関係を続けてきた。しかし、ここのところ、それも限界に来ているらしい。
僕にコンタクトをとって来たのは、女が見つけた〈飛びたいワタシ〉の作者なら、彼自身のリアルを見せることができる。そう直感したからだと言った。なぜそう思ったのか、僕が聞いても、彼は直感だとしか言わなかった。
ミカミタカシ。これは本名だとわざわざ断った上で、男は名乗った。IDが三上だったので、本名かどうかを怪しまれると思ったのだろう。僕は、リアルカメラの映像の、映し出された病室のベッドにかかった名札から、彼が三上孝であることは分かっていた。本当の姿を見せて、本名を名乗った彼。僕の名前は、聞かれなかった。デンバー・コロラド1146Hという僕のIDから、ミカミさんは、僕のことを「キミ」と呼び続けていた。
何だか、自由に生きられる仮想現実の、終わりを見るようだった。長い間、耐えて、我慢してきたことの多くが、やっと自由になった時間。それが、あまりにも短すぎる。そして、決して変えられない現実に対して、リアルを越えるほどのリアリティも、所詮、偽物に過ぎないのであれば、初めからない方がいい。こんな思いをして、そして終わるぐらいなら、初めから、ないほうが。
「ぼくね、本当に幸せ者だと思うんですよ」
ミカミさんが、誰にともなくつぶやき、その声は、何かを吸引するような音にかき消されようとしていた。
「キミ、には……」
「田中、です。僕、田中って言います、田中プラン」
なぜか、自分から名乗っていた。この世界では、ほとんどしない自己紹介。
「え? いちいち驚かされるね、キミには。プランっていうのは、本名なの?」
「何かと、きっちりしてそうな名前だって、よく言われます」
「まぁ、そうだね。そういうタイプなんだろうね。でも、それは、名前がどうとかじゃなくて、何となく、プランくんと話していて思ったことだけど」
ミカミさんは、「プランくんには、分からないだろうけど……」という前置きをしてから、色んな話をした。死にかけたことが、一度や二度では済まないこと。自分の両親が、その都度、耐えきれないほどの疲労に襲われたこと。それを見ていると、辛かったこと。ミカミさんは、いくつかのエピソードを挙げて話したが、どれも、哀しいものばかりだった。彼にとって、現実が、いかに不幸の連続だったか。
「ぼくね、本当に幸せ者だと思うんですよ」
今度は、はっきりと聞こえた。
「生まれた時から身体が動かなくて、それなのに頭だけがしっかり働いてね。だから、その間に生じる差、みたいなものに、ずっと苦しめられてきたように思うんだよ。考えること、想像すること。それらは、いつも、むなしいものばかり。もし、誰かを好きになったら、もし、お互いに恋をしたら、もし、その子と付き合ったら。色んな物を読んで、集めた知識が膨らむ程に、あるとき、急に哀しくなる。
彼女と出会って、『この世界』で恋をした。それは、想像した通りの日々だったよ。楽しかったし、幸せだった。でも、本当にぼくが幸せなのは、今、だと思うんだよね。温度も感触も、本物に極力近いとはいえ、バーチャルだった楽しさとは違って、今。失恋したっていう、この痛さ。これは、一人の女性と、ちゃんと別れたってことだからね。別れって、出会いや恋愛中の想像よりも、なんというか、隅に追いやってきたから、こんなに痛いものだと思わなかったよ。この気持ち。ああ、もう、彼女とは、連絡も取らないで、ちゃんと終わりにしよう」
ミカミさんは、ずっと一人で話していた。僕は、その間、何も言えなかった。別れることが実感できて、だから幸せだなんて、そんなの哀しすぎると思った。
コンタクトを終えると、不思議な気分に襲われた。これまでは、「あの世界」とリアルの境がはっきりしていたので、すんなりとリアルに戻ることができた。だけど、リアルカメラでつないでしまうと、その境が分かりにくい。実際に、この世界のどこか、おそらくは日本のどこかの病室に、ミカミさんがいて、僕とのコンタクトを切った後、何を考え、どんな思いでいるのか。僕のように、このベンチから立ち上がって、違うどこかへ自由に移動することも出来ず、移動する途中で起こる何かに、気持を切り替えることも出来ない。彼はずっと、彼の中で、想像でき得る範囲でしか、誤魔化せないのだ。それは、とても辛いことだな、と思った。
僕は、ベンチから腰を上げ、遅めのランチへ向かうことにした。ちょうど食堂の方から、同じクラスの竹芝が歩いてきて、僕に折り入って話があると言った。地味な服装に、地味な身体。地味な顔はいつになく深刻だった。竹芝は、「英語を教えてくれ」と言った。僕が、クラスの飲み会で、ぺらぺら英語を話していたから、と。あの時。少し酔った僕は、隣で大騒ぎしていた訪日外国人グループに、英語で注意をした。それがどうしてか、いろいろと東京のことを聞かれるようになり、デンバーに居た三年間の東京の激変についてゆけない僕は、聞いたことのない恵比寿のファッションビルや、最近なら誰でも知っているというメルボルンからやって来たスイーツショップの名前を知らなかった。そういうのに詳しそうな女子の学生と、その訪日外国人の間に立って、通訳のようになっていた。
その様子を竹芝は見ていたのだ。それで、英語を教えてくれ、と言ってきたのだ。英語を教えて欲しい理由は、第二外国語のクラスに、竹芝が好みの女子がいて、その彼女に、手紙を書きたいからだという。英語で、ラブレター。なんて、ピュアなんだと思った。紙に文字を書くという行為自体に、特別感があり、誠意につながる。それをしっかりと示しながら、出来るだけ、ダイレクトに伝わるような手紙を書きたいのだと言う。ニュージーランドから来た彼女へ、竹芝が伝える初めての、好きという気持ち。日本語で話す竹芝の言葉一つひとつが重く、それをできるだけシンプルな英語に訳した。「サンキュウ」。地味な竹芝の顔が、フワッと軽くなり、よく見ると、飲み会の時にはなかったピアスが、左耳に光っていた。竹芝は、リアルの世界で、自分を変えようと必死だ。同じクラスの(知り合い程度の)僕にまで、自分のストレートな気持を惜しげもなく伝え、それを英語に変換した手紙を抱えて、勝負に行くのだ。
今日は、いろんなリアルにぶち当たった日だ。ランチを終えて、部屋に戻る。一人暮らしのワンルーム。全ての情報を整理して、詰め込んだPCが一台と、それをみるためのスマホが二台。洋服も、食器類も、電化製品も、ほぼ何もない部屋。ただ、ネットワークがつなぐモノ。そこに、生きているという僕の現実。ミカミさんの現実。そして、竹芝のリアル・チャレンジ。僕は、またPCを開き、例のスペースに詩を浮かべた。
〈ネジを巻く〉
毎朝、ネジを巻く/朝食後、ネジを巻く/トイレ、歯磨き、洗濯、掃除/昼食前に、ネジを巻く/ランチはいつもの/唐揚げ定食/お茶を飲みながら、ネジを巻く/巻いて緩んで、また巻いて/ネジは、/巻くためにあるのだと思う/夕日は大きく/公園は賑やか/おっかけっこで転んだ子供を/大丈夫? と抱き抱え/大丈夫だと笑ったら、/ネジを巻く/毎晩、ネジを巻く/夕食後、ネジを巻く/シャワー、歯磨き、テレビにライン/就寝前に、ネジを巻く/ネジは、/緩むからいいのだと思う/ぼくは、/いつまでも巻けるネジを/だからいいのだと/思っている
竹芝から、「何か、御礼をさせてくれ」とラインが来たのは、翌月だった。空き地に座って、いくつかのコンタクトに応え、それとなく話し、何となく終わる。それを繰り返している時だった。現実の世界も、仮想の世界も、日々、珍しいことが連発するわけではない。だからこそ、何かが起こったときは、刺激になる。何も起こらないと、怠惰になる。竹芝とラブレターを書いたのは一ヶ月前。僕はあれから、誰とも、面と向かってちゃんと、会話をしていなかった。僕のアルバイトは、仮想の世界で垂れ流しになったビッグデータを集める事だ。決められたワード・時刻・法則によって整理するだけ。現実の世界で、誰かと話す必要はないのだ。その集めたデータを格納すれば、その分だけ給料が口座に振り込まれる。このバイトは、大学の授業にも役立った。仮想現実で、コミュニケーションをとることが当たり前になりつつある今、どんなツールが、何処で誰に、なぜ、必要なのか。それを考えていく上で「データ」は欠かせない。それを少しずつ蓄積することもできるのだ。アルバイトで集めたデータを整理し直して、レポートを書く。そのレポートの提出で、大学の授業は、出席扱いになった。
竹芝は、食堂でカレーが食べたいが、今日ばかりは御礼だから、僕の好きなモノをおごってくれるという。「じゃ、カレー、で」と、僕らは食堂に向かった。普段、僕は一人で食堂に来る。だから、これだけ騒がしく、賑やかなことに気づかなかった。
一人だと、周りのことは入ってこないからだ。目の前に竹芝がいて、彼の声を聞こうとすると、周りの笑い声や、皿とスプーンのこすれる音が、同時にドッと入ってくる。竹芝のチャレンジ(恋)は、失敗に終わったらしい。ニュージーランドから来た例の彼女は、竹芝からラブレターをもらって、相当、喜んでくれたという。ラブレターなんて、自分の母から聞いて知ってはいたけど、まさか自分がもらうなんて、思ってもいなかったようだ。だから、サンキューベリーマッチ。ワタシハ トテモ ウレシイと。バット、「私には、パートナーがいるんだってさ」と、カレーを頬張るついでに竹芝が言った。「結構、元気そうだね。そんなに、落ち込んでも、なさそうだし」と僕が言うと、「まぁね。やっぱさ、いまどき、ストレートなんて、勝ち目ないのかな」と吐き捨てた。彼女のパートナーは、女性だった。結婚する相手と、付き合う(交際する)相手は別。昔に言われた格言のようなことが、最近は地でいっている。交際する間の刺激や同意は同性から受けて、結婚は、子供をつくるために異性とする。そんな流れのようなものが、確かにある。
「俺も、いっそのこと、プランでも好きになろうかな」と、地味な顔で言う竹芝の耳には、ピアスがなかった。あれ? 外したのか、と僕は思いながら、苦笑いした。「それよりさ、その彼女から教えてもらったんだけど」と、竹芝は「胡坐座(あぐらざ)」のことを教えてくれた。「ワタシが、あなたの気持ちに応えることは無理だけど、ココなら、あなたが気に入る人、きっといるだろうし、あなたを気に入ってくれる人、いると思うわ。ワタシが、今のパートナーと出会ったのも、ここだから」と。「何なの、そこ」と訊ねた僕に、竹芝は満面の笑みで、「まぁ、色んな意味で、突きつけられる所かな」と応えた。
竹芝は、彼女から教えられた通り、御徒町の駅から歩いて数分のその場所に行き、受付で「知り合い」に紹介されたことを告げると、そのまま小さな個室に連れていかれたという。まずは、そこに座って待つ。ウエイティングか、ゴーイングか、つまり待つのと、待っている人のところを回るのが、選べるらしい。ルールは一つ。一人と話せる持ち時間は、十五分ということだけ。時間が来ると、次の人がやってくる。だいたい、男はゴーイングを選ぶらしく、竹芝が「待っている」部屋に入ると、まずは一様に驚いたという。その驚いた数人の模写をして、僕よりも倍ぐらい、竹芝は自分で笑っていた。この一見地味に見える男は、僕らの両親世代にあった、古風なスタイルを自らどんどん取り入れ、突進している。生身の人間と、実際に会ってコミュニケーションを取る。それが、付き合いに発展するかもしれないという期待を込めている。しかも、そのことをこんなに楽しく話している。僕には、羨ましかった。五分、十分なら、ペース配分もできるし、何を聞こうかと作戦も練れるけど、十五分もあると、思いついたことをだらだら話してしまうだけだよ、と言いながら「プランも、一度行ってみると楽しいよ」と言った。カレーライスもすっかり食べ終わり、窮屈だった長テーブルの席も、両隣が空いた分、余裕ができていた。それからも、竹芝は話し続けた。回ってくる男達の話は、どれも飽きなかった。小手先だけでいじくり回さない、彼の話し方が、聞いていて気持ちよかった。
「で、出会った訳よ、俺も」
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