「明日の神話」
東京都現代美術館
2007年8月25日

半蔵門線の清澄白河の駅を降り、「MOTはこちら→」という看板に沿って歩く。住宅街、下町。今日も暑かった。と、結構いるではないか。ゾロゾロと人の波。え?そんなに?と危ぶむ僕の予感的中。10分ほど歩いて到着したエントランスには人の列。チケット購入まで20分。なんだなんだと思っていると、ちょうどジブリの絵師の企画展が開催中。トトロのポスターがはってあった。そっか、と一安心。というのも、僕の目当ては「明日の神話」で、これは常設展示扱い(一年間の期限付きだが)。チケットを買ったらさっさと3階の展示室へ向かった。

プロローグは岡本太郎作の陶芸やオブジェが並ぶ。独特だなぁ、なんてじっくり見ていると、小学生ぐらいの少年がスケッチをしていた。よくパリやニューヨークのミュージアムで見た光景。日本でもついにそういう子が出てきたかと、オヤジのように感嘆したりして。

ドーン!と。それはまさに衝撃音とともに現れた。「明日の神話」。

僕は、この作品がメキシコシティにあるホテルのために描かれた事も、そしてそのホテルが倒産して長い間行方知らずになっていたことも、そしてニュースステーションで敏子夫人が必死で探していたことも、、、知っている。もちろん、「でかい」ということも。そんな予備知識があってすら、衝撃的なサイズ。迫力、魅力、魔力さえ感じる圧倒的主張。岡本太郎の名作というにふさわしい。

原子爆弾を題材に描いたことで、ゲルニカの惨劇を題材にしたピカソの「ゲルニカ」とどこか共通するところがある。「ゲルニカ」の迫力はすごい。これは確かだ。違いがあるとすると「色」か、なんて思いつつ、かつて眺めたあのグレーな絵画と、このカラフルな作品を比較したりしてみる。朱が鮮やかだ。なんとも強烈な印象だ。云々かんぬん、僕は、展示室の後方に設けられたベンチであぐらをくむ。「明日の神話」と「ゲルニカ」。岡本太郎とピカソ。・・・あっ、と気づいた。【絵画】である「ゲルニカ」とは根本的に違うのか。岡本太郎は、これを【壁画】として描いたのだ。実寸も、7.8mの「ゲルニカ」に対して、その全長は30mもある「明日の神話」。それに気づいた瞬間、比較するのは間違いだとようやく思いつき、僕は目の前の壁画に没頭する。

中央の骸骨が燃えている。腕を何本も持ち、ひときわ大きく、どこか太陽のように「死んでいる」。もらったパンフレットによると、岡本太郎がこの壁画を描いたのは、あの「太陽の塔」を作成していた時期。いってみれば彼の絶頂期。原爆という過去を、放射能という化け物を、明日には神話として平和に受け継ぐ。黒い煙が顔を持ち、襲ってくる、真っ黒な人影が、燃えている。こんなにカラフルなのに、ものすごく黒い。不思議な魔力だ。30mをいったり来たり。ジブリの企画展から流れてきた団体で騒がしくなるまで、どのぐらいだろう、かなり長い間、この部屋にいた。

「助けて〜」という悲鳴はたしかにこの壁画の中にあるが、それよりも何というか、説教じみたそれではなく、切実で強烈な、「あかんで、原爆、あかんで放射能」と、そんなメッセージを全体から感じる。

何度も行ったり来たりしながら、右隅の方に、鮮やかな青空があることに気づいた。捕鯨船が斜めに傾いているちょうど上辺り。それまでのぼやけた「青」ではなく、真っ青な青。キレイナ、青。その空が、「穴」のように存在する。その穴から、覗く未来が「明日」だと思うと、神話はきっと過去からの、原爆という史実からの、明日に向けた……。


→ reportに戻る