2006年5月8日(月)
7日目

アムステルダム


朝7時半に起きた。
何だか昨日の続きのような朝だ。とっとと、顔を洗って準備する。
と、セルゲイも起きだし、僕が出るのを待っていた。くっさいうんこをしてしまったので、僕のすぐ後にはいった彼はさぞかし苦痛だっただろう。日本人ってみんなくさい、なんていわれた大変だ、、、めん、日本人みんな。

下のバーへ朝食に行き、また若いフランス人に囲まれて日記を書いた。
パックをベッドの上においてきたけど…、「ノリ」でマリファナとかを入れてくれんなよ、関空で捕まるからね。どーも、空気よんでよ、ということが通じないので、飲みたくないなら、「NO」、寝たいなら、もう寝る、とはっきりゆうことが重要だということに、久しくこんな外人と同部屋がなかったので忘れていたのかも知れない。

10時チェックアウトなので、9時現在、これを記しながら、どうしようか考えている。もう一杯コーヒーでも飲んだら、歩いて、ゆっくり中央駅に向かうかな。部屋に戻ると、まだフランス人3人組は寝ていた。そら、そうだろう。5時頃だしね、寝たの。セルゲイの姿はもうなく、僕もこっそりチェックアウト。バイバイ、ぐらいいやよかったかな。チェックアウト時にデポジットの5ユーロがバックされ、朝のアムステルダムを歩く。店も閉まっているところが多いが、人が少ないので、このぐらいの時間帯はいい。少し肌寒いので、バックをかつぐにはちょうどいい。トラムの線路沿いに王宮まで行き、大きく左折。本当に午前のアムステルダムの緑が溢れて気持ちがいい。花も咲いてるし。やはりベストシーズンだ。そのまま西教会に行き、近くにある「アンネ・フランク・ハウス」に。7.50ユーロ。大きなバックパックを前にかつげと言うもんだから、おうじょうはしたが、このユダヤ、ナチス、ゲシュタポの世界は、僕を引き締める。動く本棚の向こうに隠れ部屋があり、暗く、じめーっとした中で、アンネはじめ、家族は隠れ住んでいた。彼女の日記が、歴史上、どれだけの価値を持っているか。この2年に及ぶかくれ屋生活。詳細に記された恐怖、そしてペーターにおくったバースデープレゼント(ボードゲーム)など……。ドイツのフランクフルトで生まれ、ここに逃げて、そしてドイツ軍に捕まる。近所の人による密告。なんていう時代かと。せまく急な階段、窓からの光も少ない。前の運河沿いには、当時もこんな光が差し、緑が輝いていたのだろうか。アンネはあの本棚の向こうへ隠れ住む中で、そんな光を書き留めようとしたのだろうか。時代というのは恐ろしい。そんな生活が“普通”にあったのだから。今でもネオ・ナチとの戦いが続く…と説明もあった。アンネが記し、そして明らかになった事実。15歳という若さでこの世をさった少女の、日記から読み取れない空間や、狭さや空気を、ここで感じることが出来た。このスペースに父、母、姉、そして親戚をふくめて8人で生活していたのだ。

外に出ると、行列が出来ていた。僕はちょうどすいた時間帯に入れたようだ。アンネ・フランク・ハウスから中央駅に向かう途中、感じのいいカフェがあったので、そこでカフェ・ラテを飲みながら日記を書く。クッキーもついてなかなかおいしい。風がすごく心地良かった。カフェ・ラテ、2ユーロ。カフェを出て、中央駅へ。駅の中で、スキポール空港行きのチケットを3.60ユーロで購入。空港までの直通列車に乗った。昨日、この中央駅に来たとき、何も知らずに2階のシートに座っていたが、なんとそこは1等席だった。しらぬが仏というか、強いよな、やはり。

空港でチェックインするときに、Kさんという女性に会い、話す。オランダ中を一人で回った36歳の女性で、目下夫と別居中とか。明るくてサバサバしているので助かった。どうもチェックインは自販機でできるらしく、それに手間取っている間に、彼女が僕に近づいてきた、ようだ。大阪までのフライトは10時間50分。また、31Aという非常口前のベストシートだ!Kさんと一緒にお土産を買う。その後、2人でいろいろ話しつつ、タバコの吸えるカフェで2.80ユーロのコーヒーを飲む。彼女の行動力は凄いな。なんと、アムステルダムでは400ユーロのホテルに泊まったとか。まぁ、なんだかんだあった今回の旅も、最後のフライト。広い前のスペースで、大阪まで帰ります。



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