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両翼を広げ悠々と空を舞う「鳳凰」の、様。
左右対象に伸びた廊下がそれを思わせる。
大きく「室町な京都」と、「平安な京都」を分けた場合、金閣・銀閣が先の代表とすれば、この平等院鳳凰堂は正しく平安時代の、貴族社会の、どこか京都らしい時代の、代表格だ。

藤原頼道によって1053年、建立。中央には阿弥陀如来像が鎮座し、壁面を52体の雲中供養菩薩像(殆どは隣にある資料館で見ることができる)が取り囲んでいる阿弥陀堂。前には池、石を敷き詰めた「海岸」、その阿弥陀堂へと続く赤い橋。ため息がでるほどの、優雅さ。今の時代にも鮮明に伝えている。

極楽浄土へ。当時、鮮やかな朱色と金色に輝いたこの鳳凰堂(資料館でCGによる復元が見られる)は、−この世に出現した極楽浄土−だと捉えられていたという。三途の川を渡ったら、あんなに素晴らしい世界に行けるのか……、、、と。

今、酸化した十円玉の裏でただ刻まれているように、どこか黒っぽく、飛翔しているというよりは佇んでいる。が、だからと言って実際目の当たりにする「今」の鳳凰堂も、見ればみるほど美しく、なんと形容すればいいのか、他にないバランス感覚があるのだ。佇みかたが、鳳凰なのだ。いつでも飛び立てるのだ、といわんばかり……。池の水面に映る姿、背景を邪魔しない空、大きすぎず小さすぎない手頃感。ゴチャゴチャと飾りすぎないスマートさ。やはり「この世に出現した…」なのだ。

平等院鳳凰堂 
Uji, Kyoto