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第七章: おんなじ風景

(一)


ヨーロッパから見て太陽の昇る東の土地。それが原義であると辞書は言う。

亜細亜。

世界の半分以上の人口を持ち、陸地の三分の一を占める。日本を最東端にして、南はインドネシア、北はシベリア、西はトルコまで。そんな広大なエリアの中で共通項を見つける方が難しいくらいに様々な思想、宗教、民族がある。「黒い髪である」、咄嗟に出てくる共通項はそんな所だ。

極東の日本人と、最西端のアジア側トルコに住む人とでは、そのマインドも生活スタイルも宗教も考え方の基準も、異なっているように思えるし、なにより、お互いに遠い国という感覚が確かにある。笑うネタも違うだろうし、最低限のモラルが許す範囲もきっと違う。酒が飲めない国もあれば、万病の薬だと喜んで飲み過ぎる国もある。牛が神の化身である街には、ミルクから肉まで牛が大好きで、朝、昼、晩、食する家庭で育った人が観光に訪れる。

でも、みんな同じアジア人だ。

アジア大会の開会式で行進する選手達を見ていると、時々「あそこもアジアか」なんて思うことは希ではない。普段はとても遠い国のように思ってる人達も、同じアジア人であることは間違いがない。また、いくら距離が近くても、遠い国というのも存在する。それどころか、国境を接しているが故に、一番関係の悪い国同士だという例は多い。

歴史上、近いが為に接する機会が多く、そんな中で必ずしも常に良好な関係が保たれた訳ではない。攻め、攻められ、奪い、奪われた。もちろんアジア以外の州にも同じ事は言える。同じヨーロッパにも様々な違いがあるし、南アメリカにもアフリカにも。歴史上には略奪や征服もある。遠目に見ると同じように映るが、それぞれの言語、習慣、宗教、主義などが雑多に存在しているのだ。

その中でもアジアという州は、その違いや混雑ぶりが大きいのではないだろうか。

古代の四大文明は、アジアと呼ばれるエリアに三つもあった。そしてそれぞれの箇所から四方八方に放たれた発展の軌跡が、所々で色と形を変えて、さらに広がった。時間の流れと共に大きな違いが出来た。奥深くでそのルーツを同じにしていても、それぞれの国で変形し適応した「モノ」の結果だけを見ると、ルーツが同じだとは容易に想像できないことが多い。

それらの多くは、適応した形を再び原形に戻し、それをまた変形し、より発展していったからではないだろうか。そんな風にして現在に至っている。つまり同じ根から生えた木々が、地上で形を変えただけではなく、次の種子に突然変異にも似た変化を及ぼし、その根からまた別の木が生えてしまったような。そうするに足る歴史(時間)があった。

同じアジア人の僕が、アジアを見ると言うことは、漠然と「世界」を見ると言うことより、うまく言えないが、詳細にそして奥深く感じられるような気がする。いくつかの事例が、根や種子さえ違う形に変わり、そこから発展した事柄であろうと、やはり金髪で長身のヨーロッパより、身近に感じる事が出来る。言ってみれば、僕にとってアジアは、「一から順番に辿って百まで全部感じられる」気がするのだ。例えばヨーロッパを歩いて感じられることは、きっと一段飛ばしで偶数ばかりを数えて数を重ね、そうして百までたどり着ける気がする。アフリカを歩いていると、あまりにも僕にとって共通項が少ないので、それぞれの国で感じられることは、一つ飛ばしどころか素数ばかりを数えて、強引に百まで数を重ねる様にさえ思える。

ここに記した風景は、同じアジア人の僕が、それでも驚くほどの違いや特異性を感じたまま写したものだ。

アメリカや南米、ヨーロッパ、アフリカ。僕は様々な所へ旅した。その旅と旅の間には、なぜか必ずアジアへ向う。ロンドンへ行き、次にニューヨークへ行く間にマレーシアやバンコクを旅し、プラハとペルーの間にはカンボジアに行った。ロシアの帰りにはトルコ滞在を延長させた。そんなにアジアの地を踏んだのは、“アジアが大好き”と言うことからであるが、そんなにアジアは居心地が良いか?と聞かれれば、必ずしもそうでは無いかも知れない。さらに気候が良いのか?と言われたら、それは即答でノーだ。それでもやっぱりアジアが好きで、これからも旅していきたい地であることには間違いが無い。

アメリカに行った時、そこで出会った台湾人と僕が英語で話しているのを、不思議に見ていたアメリカ人がいた。「どうして、英語で話しているのか」と。「僕は日本人で、彼は台湾人だからさ」と答えたが、そんな事は同じアジア人という大枠で括っているそのアメリカ人にはピンとこず、「だから」のつながりに理解が出来ないようだった。他州の人から見た感覚はそんなところだろう。仮に街を歩いている「外国人」がいて、彼らがイタリア語で話していたとしても、僕は、その人達がスペイン人かイタリア人か、もしかすると、アメリカ人か、なんて思ってしまうかもしれない。韓国から来たという若い二人組がピカデリーサーカスのエロス像の下で、韓国語で話していると、イギリス人に「コンニチワ」なんて話しかけられることもあるという。もちろん、僕が日本語で日本人と話しながら歩いていると「ニーハオ」と言われることも、また多いが。

スペイン人でもイタリア人でも、中国人でも日本人でも、僕にとって大差はない。それはあくまでも僕にとって。日本人であることを隠そうとも思わないし、必要以上に日本人であることを主張しようとも思わない。僕が「ここにいる」と言うことを主張するとき、それが日本人であるという事とあまり関係がないように思えるからだ。だからといって、国際社会の中におけるグローバル化の意味をはき違えているわけではないし、「愛国心」を完全否定しているわけでもない。単に、「僕」という存在を説明するとき、日本という国は別々であるのが最も良いと考えているわけで、日本人だから、僕もこうなのだという事柄全般は、肯定も否定もせず、ただ単に付け加えたいのである。気持ち的には、「僕がこうだから、日本もこうなのだ」と言ってしまいと思っている。なぜなら、日本という環境が一個人のパーソナリティに影響を及ぼすなら、僕が他の日本人と違うと言うことに明確な回答は出来ないし、もっと言えば、僕のパーソナリティに近い人は、なにも日本だけではなく他の国にも存在する。で、あるのでやはり、「日本人だから、僕もこうなのだ」という考え方、後天的な社会環境を、僕を説明するときにその基盤にしたくはないのだ。


ボーダー。この線を隔てて多くの違いが存在する。そんな違いの中に、同時に共通も感じる。それがアジア人から見たアジアの捉え方である。アジアが好きな理由をあえて言うなら、最も刺激的で、かつ最も馴染めたからだろう。グルグルと旅して回る度に、僕は自分がアジア人であることを再認識する。

アジア。そう言われて、そのイメージ、香り、色、風景に、どこよりぴったりくるのが、僕の場合バンコクだった。

「鉄は熱いうちに打って、バンコクは若いうちに行け」。

そんなコマーシャルのコピーが幾分かは影響したのだろう。着の身着のままで飛び出した旅だった。街を歩き、街で食べ、躓き、人とすれ違い、宿で眠る。生活を刻んだリズムに、例のコピーはぴったり来るように思えた。


(二)


バンコクの国際空港から、大渋滞の中カオサン・ストリートに向け揺られるバスの中、その車の量、それぞれが発する音、何とも言えない甘い匂いとべっとりとした風。
午前中もまだ早い時間なのに、どこか雨上がりの夕刻のような重い空気。そんな全てが、これまた、アジアだった。

東南アジア。少し歩けば汗が出る。僕はバンコクに訪れると決まってカオサン・ストリートで宿をとった。三百メートル程の通り沿いに、店と旅行者と露店と宿と、そして外国人が溢れる通り。バックパッカー、そう呼ばれる人はまずそこを目指すだろう。例に漏れず、初めてバンコクに来たときはとりあえずカオサンに向かい、そこにある居心地の良さから他には移れなくなってしまった。なんでも揃う。セブンイレブンもあるし、この夏行ったときにはファミリーマートまでできていた。英語で事は片づき、カオサンを拠点にして周辺都市への旅へ出る。

マレーシアに行っては、またバンコクに戻り、そしてカンボジアに行く。「バンコクに帰る」、そんな感覚を覚えるのに時間はそうかからなかった。カオサンで出会う日本人の中には、バンコクから成田まで往復の航空券を買う人も少なくなかった。ダラダラと昼前まで眠り、喧嘩するように交渉してはトゥクトゥクでバンコク市内を移動する。
木陰やビルの陰を見つけると、パイナップル売りを探して、よく冷えた切りたてのパイナップルをガラスケースから買い、透明の袋からつまようじで一つづつ口に入れる。
クラクション、埃、陽射し、人混み。座ってパイナップルを頬張ってる僕とは隔離された世界で、確かにうごめいている光景が、落ち着き無くて、しかしとてもリラックスできた。周りを歩いている人達の会話は僕には理解出来ず、背格好は僕に非常に近い。

全くの外国でもなければ、かといって日本でもない。
非常に似ているが、明らかな違いがある。
その丁度良いバランスが僕をリラックスさせるのではないだろうか。

東京や大阪の街中で、ベンチに座ってボーっとしていると、目の前に広がる光景にいつしか僕自身が吸収され、ゆっくり腰を落ち着けることも出来ず、なぜか立ち上がり歩き始めてしまう。

なぜか、歩き始めるのだ。

競い合い?置いてけぼり?異色?そんな訳の分からない感情が僕の目の前にぶら下がると、ついつい腰を上げてしまう。
流れるリズム。それぞれの街にはそれぞれの、そしてそれは、それぞれの人にとって、別々に感じるモノなのかも知れない。もしそうだとするなら、完全にこれは「僕自身」が感じた間隔になるが、バンコクという街に流れるリズムは、ちょうどパイナップルを透明のガラスケースに入れ、腰にかけた手押し車を押しているスピード。それに非常に近いように感じた。

奈良にある大仏を目の前にしたとき、ピンと背筋を伸ばし座っている格好に、こちらまでどことなく張りつめた気分になったが、ここバンコクで見た仏像は、右肘をついて寝転がっていた。同じ黄金の光りを放ち、一方では背筋を伸ばし、もう一方では寝ころんでいる。同じ釈迦。僕は背筋を伸ばして座っている国からやって来たのだ。目の前でゴロンと寝転がる同じ釈迦を見たとき、

「あぁ、だからバンコクは好きなんだ」と思った。
寝転がった釈迦が、奈良の大仏と同じく黄金に光っているところもまた、気に入った。


もちろん、バンコクは大都会だ。
そして、経済が動き、世界と同じスピードで走り続けている街でもある。人口は増え続け、五百万人を越えているという。その人口は都市中心部から少し離れた郊外に住居を構え、電車や車で働くために都市に来る。東京や大阪となんら変わることなく、朝や夕方には電車と道路が混み合う。

今、まさに上へ上へと登っている勢いを感じる。
ビル、ビル、ビル。建ち並んだビルの中で、実感のない数字を移動させ、そうして、爽快な汗の一つもかかないまま、オフィスではエアコンの寒さに震えているのだろう。そんなエアコンが放った人工的熱気が、ビルの外を、つまりこの街を更にモワッと熱し、雲の上の空に穴を開け始めている。ビザにハンバーガーに、パスタにコーヒーに。スーツ姿の男女が、高校生らしき若者が、手を繋いで行き来する。
そんな街のワンシーンを切り取って、日本の街と比べても、やはり違い、そこがバンコクであることが分かる。それはきっとこの街で人々が刻んでいるリズムが、心の中では、そうあのパイナップル売りの手押し車のスピードだからではないだろうか。

ゆっくりとした時間を刻めるのは、僕が旅行者として街の中に存在しているからで、生活の一切合切をこの街で得ようとすればそう暢気な事も言ってられないのかも知れない。
僕はトップスピードで走る自分のフィールドから離れて、ここへ「一休み」しに来ているのだから。そうかもしれない。バンコクという大都会が放つ雑多と喧騒の中に自分を置くとき、そう言えば常に「一休み」の途中だった。ワット・ポーで寝ころぶ釈迦の如く、僕は右肘をついて寝転がり、そしてブラウン管の中に流れる景色のように、街の風景を映していたのかも知れない。素通りしていく目の前の人達が発する言葉、その会話。僕の頭の中にはいつも別の何かがあって、思考の大部分はその「考え」に支配されたまま、ただ、その街の中にポツンと存在していただけだったのかも知れない。

時には心配事をしていても、思いもよらないラッキーが続いても、僕は僕の中だけでそれらを消化し、そして溶け込んでいくのは、いつも僕の中だけの世界だった。うまく言えないが、ぼんやり眺めた街の風景はその類に他ならなかったのかも知れない。

だとしても、バンコクという街が刻んでいるリズムは、日本にある大都市と比べて一拍置いたような、ゆっくりとしたものになっている。それがなぜか、または何がそうさせるのか。無理に答を見出さなければならないと言われればそれは一人一人の気持ちの持ちようと、それぞれが持つ許容範囲の違いが、集合体となって東京や大阪とは違うリズムで時が流れているのではないだろうか。

全てを言葉にしなくても分かり合える日本人同士の会話において、それはいつも言葉の裏側にあり、そして目には見えないテレパシーのようなものが同時に相手に届く。そんなテレパシーが空間には充満し、それぞれが擦れ合っては摩擦を無くすと、どんどんスピードを増して時を刻み始めているような気がする。

また、タイ語その物のもつ響きが柔らかいというのも何某かの要因であるかも知れない。「カァ〜」と語尾を伸ばすタイ語が、混み合った駅構内に飽和していたとしても、そっと背中を押されているような感覚を受ける。堅い鉄板でグイグイと後ろからせき立てられるのではなく、クッションみたいな柔らかい言葉で、それがたとえ強力にプッシュしていたとしても、そことなくソフトに、そして穏やかに感じる。そう感じている以上、そこに流れるリズムはやっぱりゆったりしたモノになる。

無言で大量の人が行き交っている日本の都市部の駅では、先述の見えない声がテレパシーとなり、ダイレクトに心臓へ と突き刺さってくる。体の内部のヒリヒリと痛むナイーブな箇所を鋭い声で突き刺してくるように思える。改札を出る際、期限切れの定期券を誤って入れたときなど、後ろからベルトコンベアにでも乗っているかのように流れてくる後ろの人達から、より強烈な無言の声が突き刺さってくる。そして体全体がその突き刺さったテレパシーによって振るえ出す。心臓が早く打ち始め、足早に時を刻み始める。


違いを言うなら、もっともっと端的に言えるかも知れない。
バンコクの気候である。

早朝と夕暮れを除くと、一年中ジメジメと暑い。照り返した温度で熱かんが出来るのではないかと、大袈裟ではなく、温くなったペットボトルの水を飲みながら本気で思ったほどだ。
体力は流れ出す汗と共にダラダラと消費していき、何度も足を止めて休憩をとる。進んでは止まり、休憩するバンコクのリズム。人々はそんな休憩を繰り返し、いつしか全体的にどんよりした休憩モードが包んでいるのかも知れない。とはいえ、気候を問題にするならもちろん日本の夏も確かに暑い。暑いが比較対照としての温暖な春や、過ごしやすい秋を、そして積雪量が多く冬のオリンピックが開けるほどの冬も体験する。
そうゆう比較的見地に立って「夏」を見ているので、夏だから、暑いからという理由で休憩を繰り返すバンコクのリズムにはならないのかも知れない。夏はやがて秋になり、そして冬へと移りゆくことを知っている僕たちの生活のリズムは、それだけを理由に進んでは休むというバンコクのような刻み方はしないのである。
ともあれ、腰を下ろして休んでいることに、とてつもなく焦燥感を感じ、ついつい腰を上げ、また歩き始め、走り出してしまうのは、日本人の、というかこの国で生まれ育った者の性質とまで言えるかも知れない。

そんな日本を全体的に羨むのは、ルック・イーストを掲げた一昔まえのマレーシア位だろうか。いや、あれにしたって経済的な事に限られているので、日本人の生活スタイルを「お手本」にして、そこから出てくる結果のみを羨むことはあっても、本質的に日本の生活スタイルを羨んでいる人は少ないように感じる。訪れる国々で、その国が今まさに経済という分野のみにおいて発展途中などと呼ばれている国であればあるほど、決まって日本は経済が豊だ、豊だと繰り返し言われる。

その度に、何とも言えない寂しさを感じる。

僕自身、日本の「美」に対するセンスや、絵画、書、短歌など大好きな文化がたくさんある。日本庭園はパリ近郊のベルサイユ宮殿の前に広がる庭園よりも「美」を感じるし、短歌の削り落とされた一語一語の強さと、その行間にある深さを頭の中に転がせて感じるのが大好きだ。
日本人にしかわからない「わび」「さび」なんて限定することなく、世界に向けて発信すべきだと思っている。人数の大小ではなく、広範囲か限られた範囲かという事に重点を置き、広く発信すべき文化なのではないかと。そんな風に思っている僕にとって、日本と経済をイコールで結びつけられて、それがいくつかある内の一つではなく、全体を覆い、そして唯一のように言われると、先ほども言ったが、なんとなく寂しく感じる。



(つづく)


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