地域密着

2004年9月25日

この言葉を聞いて思い浮かぶのがJリーグの各チームだという現状からして、プロ野球がいかに「遅れている」かが分かるような気がする。この期に及んでまだ、巨人と試合をしてテレビの放映権がどうのこうのと、言い出している始末。ライブドアや楽天が新しく見えるのはそのせいであって、なにも革新的なことではないことをしかと受け止めておかなければいけない。(楽天は、ちょっと「旧」の匂いがするが)

東京や大阪、大都市圏だけで試合が行われ、全国各地の人たちはテレビでそれを見る。野球観戦=ビールと枝豆なんていうイメージが濃かった時代、確かにテレビ観戦こそが野球だったのかも知れない。気怠い解説者の偏った言葉が溢れ、盛り上げどころを間違えるうるさいばかりのアナウンサー(中にはいる、という意味だが)の渦の中で、歓声をあげながらドキドキするには、もはや日本人は「本物」のエンターテイメントに触れすぎたといえる。辟易した視聴者達の離れようは、巨人戦の低視聴率を見ても分かる。

野球を見るために球場に行く。まるでお芝居か映画のようなこの距離感こそが、日本におけるプロスポーツと観客との「キョリ」である。
ボールパーク。そう呼ばれるアメリカ各地方の球場では、グローブをもって観戦に行き、インターバルでは「参加」できるイベントがある。「一緒に」いる感覚がより濃いというのは、実際に行ってみても思うことだ。一番肝心なことは、誰かを介して伝わるものではなく、直に触れることのできるワクワク・ドキドキ感を「客」は求めているのだと言うことを認識しないと、いくらインターネットでグッズを売ろうが、放送しようが、同じこと、だと思う。

ある人が言っていた。「野球はもともと地域密着なんです。高校野球がまさしくそうでしょ」と。「は?」と疑問に思うところもある。甲子園という目標のために、可能性だけをもとめて他県から集めた選手ばかりで構成する強豪校があるのだから。でも、それでもきっといいのだ。優勝したら、その地域に凱旋するわけで、地域住民にすれば「自分の所」という感覚があるだろう。それが49都道府県すべてに存在している以上、もっとも目指すべき姿かも知れない。が、そこは「経営」という側面がある。広告費だと言って試合をする時代は終わり、企業にはそんな体力がなくなった。のであれば独立させて採算のとれる「経営」にするしかない。底辺を広げてより高い山にする、という構想もいっぱい儲けていっぱい使うという方向性で成功するだろう。
その一歩が、「地域密着」なのかもしれない。
わざわざ観戦に行く、という距離を縮め、テレビでは感じられない魅力ある試合がみれるので行く。これこそが、プロだ。
そんな時代が早く来ることを願いつつ。

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