Kamakura in Kanagawa (Japan)

鎌倉大仏

20円を払って「中」に入る。大仏の、中。仏様を後ろから見るだけでも少しばかり違和感があって、「それってええの?」と思いながらそろ〜り歩いてしまうのに、中に、だ。それも順番を待ったりしながら大勢の人と一緒に。

大仏内部は空洞だった。悟ることができるとするなら、そういうことだと僕は思ったりもする。空っぽな偶像と、だからこその無限性、ってね。宇宙的だというと分かりやすい。この鎌倉の大仏と比較される「奈良」の大仏。高さは3メートル以上も奈良の方が大きい。そして古い。だけど、鎌倉の方が「突き抜けてる感」がある。もちろん晴天の空の下、ということもある。が、それだけではない、少しうつむき加減で、雨や風の中で座禅を組む。ぼんやり菩提樹でも見えそうな。

そっか、仏陀に近いからか。木々の中の穏やかな表情、堂々とした姿。うん、僕の頭に描く「大きさ」が、ただそこにあるように見えるだけで、実際は空っぽな偶像。突き抜けているのは、これを目の前にした、僕の、この日の朝の晴天の、秋晴れの、清々しさだったのか。

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