2003年11月18日
生き抜いた者たち
イラク、イラク、イラク、時々イスラエルにアフガン。そんな毎日の中では書かずにはいられないという理由から?今回はイラクについて書きます。
イラク戦争自体は1ヶ月で終結し、ブッシュ大統領が「勝ったのだ!」と宣言したのが5月。その宣言の後で毎日毎日殺され続けたアメリカ兵士の数は、ついに戦争中(宣言前)を超えてしまい、それに比例してイラク人の被害者も増えているのが現状。
最近ではソフトターゲットを標的に国連から赤十字まで。
ここまでくると何でもありか?と思ってしまい、戦争状態にあります、なんて米国防衛庁副長官が言うまでもなく納得する次第であります。
そこへ自衛隊を送るのか否かについては書くつもりはありません。
自衛という意味がはっきりせず、国益を守るためという大儀もどうか?と思い、結局はアメリカさんに続くのね、と結論づけたくなるからです。

そんな戦争状態のイラクに今年6月、バグダッドの中心広場にあったフセイン元大統領の巨大な像の代わりに、【生き抜いた者たち】という像がたてられました。設計したのは彫刻家バセム・ハマド。
月と太陽を掲げた父母と子供がそのモチーフ。太陽は太古文明の芽生えを、月(三日月)はイスラム教を、父母と子供は「これから」に向かうイラク人を。
見上げる未来を表現しているそうです。

【生き抜いた者たち】。
が、彼らは殺し、殺され、朝刊に毎日出てくる数字だけの人間となる人たち。死亡、3人。昨日は5人で、一昨日は1人、なんて。
ある者が自爆し、その巻き添えで増える死亡者。
ふと、生き抜いた者は未だに完全なゴールにはなく、単に第一関門を突破したにすぎないのか?とも思いたくなる。アメリカという第三者がフセイン独裁とその下の市民という構図の中に割って入って強引に独裁を解いた。と、重しが外れた市民の一部が、おそらくはほんの一部だと思うけれども、暴徒化し、それが収まっても沸々と次の機会をうかがっている。
良い悪いでいうのではないが、フセインを追い出して、今度はアメリカ軍を!と言っているような。次に出た来た組織も追い出すの?と心配になったり・・・。
じゃ、どうするの?ずーっと前のカリフ相続を引きずってスンニやシーアに分かれていがみ合って、、、どうするの、これから。なんて、ここでこんなことが言えるのは無信仰のニッポンジンだからなのでしょうが、でも、何がどうしたくて、一体なにしてるの?って言いたい。そういいたいイラク人もいっぱいいるはず。
アルカイダやら過激シーア派やらなんやかんや。もう、分からない。このテロはここで、このテロはあっち。でも次をねらってるのはそっち、なんてのが現状でしょう。

生き抜いたんです。
生きるか死ぬかなんてバーチャルでしか知らない僕よりも、その価値は実感しているはずです。例えばフセインに従順だった人たち。あなた達も生き抜いたんです。なのに、なぜゲリラ戦を?同じイラク人じゃない。スンニにシーア。同じイスラム教徒じゃない。アメリカ兵士だって生き抜いたんです。みんな同じ人間じゃない。

手をつなぎましょうとまでは言いません、まだ。
でも、せめて、生き抜いた者たち、同じ方向、真上の太陽を見ましょうよ、それに照らされてる未来へ向かいましょうよ。
大人も子供もフセイン派もアメリカ人も、みんなで。
バグダッドの中心広場にある、その像と同じように。

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