限界集落
今、全国で2,000を越す集落が消滅に向かおうとしている現状がある。15年前、当時高知大学教授であった大野晃氏によって名付けられた「限界集落」は、そんな現状に先んじて警鐘をならしていたかのようでもある。
限界集落とは……、
65歳以上の人口比率が50%を越え、共同体としての機能が急速に低下し、やがて消滅に向かう集落を言う。
大野教授曰く、「学術用語から一般用語になってきた気がする。それだけ過疎地の高齢化は深刻になっている」(朝日新聞より)
住みやすい所へと移り、町がどんどん広がる。その逆に、住む場所がなくて「住める」ところを開いて「ハコ」をつくり、一つのコミュニティを作る。高度経済成長、ベビーブーム、バブル。右肩上がりの日本社会に蔓延したのは、「便利」の追求だったように思う。その続きで、例えば、山奥で近くのスーパーや病院まで一人でいけないお年寄りは、もっと住みやすいところへ住めばいいのに。経済的に苦しいなら、自治体でなんとかならないのかと、また「ハコ」をつくってしまおうと考える。が、それは違う、と大野教授。彼の専門は環境社会学で、「人が住まなくなると山が荒れ、川や海の環境が悪化し、鉄砲水も起きる。国土保全の面からも重大で、決して対岸の火事ではない」(朝日新聞より)と。つまりは、「限界」という暮らし(共同体としての機能)は、それを放棄することで環境が、自然が、限界になるということなのだ。とはいえ、消えゆく集落を活性化させるためにどうすべきなのか。
とても難しいことだと思う。どうすべきか、難しい、難しい。ふと、対岸の火事ではない「限界」に対して、思案すること。言い過ぎかもしれないが「明日は我が身」の危機感こそが、良いアイデアなり解決策を運んできてくれるかもしれない、と思ったりもする。日本は、確実にそういう段階にきている。