God Spell
Harlem in NYC
me : 「っじゃ、ニューヨークにないものは何?」
mic : 「none (無い)」
無いものは何も無く、全てを内包する街NYC。
富・貧・夢・嫉・勝・負・豪・楽・劇・歌・今・最高・最悪・W松井。
だから「何となく」ニューヨークへ行くっていうのもいい。何となく行ったって、なんかあって、街全体がScenicというか。その中でもぼくの中にあるNYCは125thSt.を中心にしたハーレムかな、と思う。バスケ、服、看板、子供、じいちゃん、ばあちゃんみんながハーレムで、リズムでちょっと悪で、、、「怖っ」て思う事があってマックがソウルで、日曜日が明るい、っていうか。基盤にあるのは日曜日のミサであり、そこには正装があって「自由」だと叫ぶプリーチがあって、聖書があって【神】がある。
ゴスペルのCDを聞きながら「ふ〜ん」って言いながら「いいね、けっこう」って言われた時、こんなCD買うんじゃなかった!と思ったことがある。歌という形態のコトバであるゴスペルをミミッちぃイヤホンから聴いても、そりゃ「ふ〜ん」程度だろうよ。めちゃめちゃ小さくて汚くて、「ここが?」って疑うほどの教会で、大きなお尻をフリフリしながら、大声で叫ぶ空間の中で聴く言葉。それがゴスペルで、だから「神の言葉」なのだ。
どんな人だって「大笑い」しながらゴスペルを聴いてリズムをとる。もちろん一緒に歌いもする。大笑い。神の言葉はぼくらに「笑え」、もっともっと大きく、大笑いしろ!って言ってる、、、というか。