写真)靖国神社と代田橋のさくら

花見

さくらんぼの種を食べた男の、頭のてっぺんに桜の木が生え、その木の下でどんちゃん騒ぎする。花見といえば「頭山」という短編フィルム(山村浩二監督)を思い出す。

花は桜木、見ては飲む。団子でみる月見は秋の夜長を。一方で、春の訪れを感じさせる花見は酒でどんちゃん騒ぎ。「花見」は、日本人の、ずっと奥の方にあるDNAレベルでホッとする。ような気がする。

桜が咲いたら2週間ほどで散る。そんな桜の季節は雨も多く。見頃という時期を狙って集う人たち。花を見ながら酒を飲むという風流は、醍醐寺の豊臣秀吉が有名だが、最近の、というよりぼく個人が「ホッと」する花見は、風流云々ではない気がする。話、かなと思ったり。まだ肌寒い中、満開の桜の元で「ものの最盛期」を感じ、それをスタートにして飲み語らう。空のペールブルーと桜色のコントラストに、話の継ぎ間に「ほんま、きれいな」なんて呟いたりして。風も気持ちよかったり。

木が全体で「色づく」桜は、やっぱり圧倒的に素晴らしく、それが紅葉と違うのは、始まりの春、ということか。いや、色かな。真っ赤な紅葉は、線香花火の最後のような、どこか玄人っぽさがある。が、桜には、パッと咲いて、スパッと散る潔さ、若々しさ、勢い。そんなものを何処かで感じ、それは熱いお茶に茶団子ではなく、酒のどんちゃん騒ぎなのだ。それが、ホッとできるという、なんとも日本人的な、やっぱりDNA的な。