同じ空間、同じ時間。

なのに、年末か年始で、ただよう空気には緩急があって。

例えば、社寺。

そこに集う人々の発する熱量なのか気持ちなのか

もしくは呼吸、なのか。

その塊が

弛緩する。





これは、2月と3月の違いにはなく

5月と6月の間にも存在しない。

例えば、冬と春の間には

花があり、

夏と秋の間には色づく木々がある。

だけど、年末と年始には

目に見えて明らかな「違い」はないのに

ならでは、の

なんとも明確な空気の緩急がある。





この感じが昔から好きだ。

何一つ目に見える違いがないのに

そこにいる人たちの発する暦の感覚というのか。

生活の中に、これだけの緩急があると

とても大切な区切りになり得る。

そこに、ならではの、大切な何かを思う。




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年末年始
ならではの
空気の緩急