HIROSHIMA
原爆の子の像 (日本)
1988年6月、小学生だった僕は修学旅行で初めてヒロシマの地を踏んだ。現在、関西の大学生によって放火された事件をきっかけに折り鶴はガラスケースに入っているが、当時は写真のように像の下に千羽が束となって平和の折り鶴が置かれていた。佐々木貞子さんの像。それは原爆で命を落とした何十万人という人達の象徴のように、僕には映る。
ここに来て、12歳だった僕が感じたことの全てを思い出すのは難しい。けど、あの時、確かだったのは、「悲しい」とか「悔しい」、そんな感情とは別の・・・、どこか「すっげぇ」という温度をもった「恐怖」。いや、正直に言えば、「興味」と言ってしまえるほどに、それは「過去」で、別世界の話のようだった。平和記念公園の横を流れる元安川にあの日、何百人という人達が喉の渇きをいやすため、飛び込んでいた。そんな被爆体験談を聞いたのも覚えている。淡々と語られ、ズシズシと響いた。
覚えている、いや思い出した。話を聞いた後、平和記念資料館で一冊の本を買った。今でも手元にあり、表紙には、石段に映る黒い影。それは、あの時、そこに腰掛けていた人の、影。爆風とは、一瞬にして、人を影にしてしまう。
今日で60年になる。
2005年8月6日記