本当の出来事

2005年5月28日

「まるで映画みたい」。そう形容される場面は、時として甘い恋だったりする。例えば、冬のパリ、ニューヨークの本屋、南フランスの小さなレストラン。が、昨今のドキュメンタリーブームの中、実話を基に映画化されることも多い。それは何も、史実とは限らない。

僕たちはハリウッドが創り出す映像に興奮した。化石からDNAを取り出し恐竜パークを作る、宇宙からの使者が地球を襲うこともあれば、そんな使者と友情を築く場合もある。火山は噴火し、環境破壊から極の氷が溶け大洪水となる。テロリストの攻撃で街が大混乱に陥る。だけど、2時間半ほどの映画が終わると、僕たちは席を立って「日常」に戻る。

仮想空間で仮想体感する「世界」、それがいつも映画だった。

しかし、9.11テロの画面には、それが映画ではない慟哭を実感させた。その後のアフガニスタン、イランへと続く戦争では、爆撃映像に慣らされた。もはや、映画みたい、とは言えないのが現状である。
スマトラでは史上最悪の自然災害(大洪水)が起き、続いて火山も噴火した。日本でも、台風は次々に上陸して、地震も度を超して多い。近々来るという大地震にも脅えている。朝起きて会社に行くのでさえ、膨大な危険が待ち構えていることを、JR福知山線の脱線事故で思い知らされた。

わざわざお金を払って、ただ高揚していたエンターテイメントも、明日は我が身という本当の出来事なのだと強く思い知らされている。

宇宙には、「宇宙ステーション」なる基地が存在し、常時、人間が地球を眺めている。木星までいった小型カメラからは、鮮明な木星の輪の映像が送られてくる。この夏公開の『宇宙戦争』も『スターウォーズ エピソード3』も、映画の出来事ではなく、もしかすると本当の出来事の予告ではないかとすら思えてくる。

イギリスで、そんな映画のような、本当の出来事があった。南東部ケント州の海岸で、嵐の中、黒のタキシード姿で若い男性が保護された。彼は記憶喪失らしい。2001年公開のアメリカ映画『マジェスティック』(ジム・キャリー主演)を思わせる話だが、実話である。それだけなら、よくあるとまでは言わないが、まぁまぁあることだろう。が、その男性はピアノを前にするととりつかれたように数時間、弾き続けるのだという。言葉を発せず、渡された紙にグランドピアノの絵を描いた。試しにピアノの前に座らせると、突然、弾き始めたそうだ。彼の名は、いまの所、「ピアノマン」。ビリー・ジョエルの歌が頭の中を駆けめぐってしまう。同じく記憶喪失で、ピアノではないがバイオリンの名手という男性も近々登場する。こちらは映画の話。この映画のような本当の話を読みながら、映画の創造性に事実が追いついたのか、はたまた創造性に翳りが見えたのか、と考えてしまう。

ただ、この「ピアノマン」はイギリスで見つかった。スウェーデンの国旗をピアノの絵と同時に描いたと言われているが、イギリス人のお騒がせぶりは有名である。ネス湖には恐竜を住まわせ、田園には宇宙からのメッセージ、ミステリー・サークルを描いた。世界をアッと驚かせる、エイプリル・フールな奴らに、踊らされているだけかもしれない。

もう、今の世の中、何が起こってもおかしくない。魔法だって、延命だってクローンだって、なんでもありだ。そのからくりさえ見つけてしまえば、広がるのは物凄く早い。世界中には超大都市(人口1000万人超)があふれ、人口熱で異常になった気候やモラルが、いつの間にか常識になり、ギリギリのラインでコンセンサスをとってビクビク暮らしていくのかもしれない。

今年、戦争の区切りが多い。日露戦争から100年、第二次世界大戦から60年。歴史の教科書に載る出来事が、「今」の問題を起こしている。そうしている間にも、猛スピードで世界は進み、映画のような、本当の出来事が次々と露顕しているのに、そんなことで大丈夫なのかと思ってしまう。アメリカばかりに目を向けていた日本が、今まさにアジアから攻撃を受けている、とどこかの記者が書いていたが、僕らは戦争という「本当の出来事」を「映画のような出来事」として教えられた。東京裁判って何だ、A級戦犯って何だ。そんなもの、センター試験に出たか?映画で体感したバーチャルを目前に呈されて、実感する本当の出来事のような感覚を、今、ヒリヒリと受け取っているというのが、実情だ。

フィリピンにいた(見つかった)、旧日本兵2人が成田に到着し、言葉を発したとき、戦争という出来事が、本当のことになるのかもしれない。今、僕らは本当の出来事の整理に、追われている。


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