法隆寺
@斑鳩(奈良)
2022年4月17日(日)

息子と見る法隆寺は美しいという当たり前の感情にプラスされるモノが実に多い。西院伽藍を中門から眺める。左手に五重塔、右手に金堂。そしてなんといっても回廊がいい。回廊の奥の緑が、シーニックだ。この4月、春爛漫な時期は特に。歴史の教科書の最初のほうで出てくる聖徳太子は、大人になっても忘れることはなく(曽我氏や物部氏は忘れても、しかも仏教に反対してたのは物部氏とかいうことも)、その聖徳太子の時代に建立された法隆寺。

ふと、昔から現時点までの月日を不思議に思ったりもするもので、かつて小学生の頃、私が思った感覚を息子ももち、ポツリと(同じような感覚のことを)言うと、なんとも美しさが増す。そこには、絶対的な安定のようなものも感じたりして。

建立移行、様々な歴史を経て、今ある姿は、建て替えがあったとはいえ世界最古の木造建築ともいわれ、日本で最初に世界遺産に登録された場所でもある。奈良にありながら、奈良の文化遺産群とは別に単独で登録されている法隆寺。お寺といえばココだし、画は浮かばずとも名前は最初に浮かぶ日本人にとって絶対的な場所だ。

金堂の中の聖徳太子を眺めたり、大講堂まで行って、振り返って伽藍を見てまた嘆息したり。

私は大講堂を背にして左隅、その回廊の少しまえから眺める伽藍の光景が最も好きだ。その私の最も好きな場所から眺めていた息子が、私がそれを言う前に「ぼく、ここからの眺めが一番かっこいいと思う」と言った。

西院伽藍の次は精霊院や食堂を通って大宝蔵院へ。この食堂、クリスマスディナーならぬ釈迦生誕の日にお茶会が開かれる場所だとか。

さて大宝蔵院。個人的に西院伽藍と同じぐらいに法隆寺に来る意味は、百済観音を見ることにある。ルーブルでいえばモナ・リザ的な主役にいきつくまで、数多くの国宝が、展示されている。一つひとつが、本当に貴重で見事で歴史だ。仏像好きになったきっかけは、この大宝蔵院で見た仏像たちだった。歴史の教科書に出てくるものが、次々に出てきて、頭も気持ちも、一気に歴史美にしたっていく。

ガンダーラ美術の入り込んだ「美しい仏像」。百済観音は、スラっと高く、細く、現代の美意識に近い。初めて見た時の、あのハッとした感覚が、見る回数を重ねても変わらないからすごい。

そこから現代をシャットアウトしたような幅広の道を歩き、東院伽藍へ。途中で車が通ったりするが、そこはご愛敬。東に伽藍にある夢殿は、太子信仰の聖地。この八角形の円堂は一度見たら忘れられないが、人生を重ねると、どこかで見たような感覚も生まれる。それが日本だったか外国だったか。そんな不思議な記憶の旅も、またここがシーニックである証のような気もする。

このあたりで、そろそろ飽きてきた息子を眺めながら、ここでもまた、息子と訪れる法隆寺のシーニックたる要素を感じる。うん、うん、わかるぞ、パパもそうだった、京都(生まれ育った地)から奈良までやってきて、ぐるぐると法隆寺を歩いて、最初はキラキラと輝いていた目も、夢殿あたりでは「そろそろ帰りたい」と思っていたこと。

私が京都に住んでいたころは、数年に一度の間隔で訪れていた法隆寺。京都を離れて十数年、思えばとても久しぶりに、それも自分の子と訪れるとは。ぜんぜん変わらない日本の原風景を、子供の目、少年の目、青年の目、そして今、親の目として眺める。変わらず、シーニックだ。



















→Secenic Spot topへ