2005年9月17日(土)
1日目

関空〜(香港)〜デリー


今、関西空港のスモーキングルームでこれを書いている。スモーキングルームなんてものがついに、日本の・・・、大阪でも出来たのか。以前はそれぞれのゲートの後ろの方に、どこか「堂々と」置かれていたのに。まぁ、例に漏れずゲートから遠い。世界的な流れだなぁ、とそれでも「止められない」タバコが憎い。それにしても空港内に中国人が多い。僕の乗るエア・インディア315便は、中国方面へと向かう便と同じカウンターだったので、カウンターに辿り着くまでに長蛇の列だった。

僕は今年で29歳になる。この十年、いくつの国を歩いて、いったいどれだけの冷や汗と感嘆と驚きと怒りを……繰り返したことか。来年、三十になる自分。そんな自分が頼もしい感じもある。期待もする。つまり20代の前半、「前へ前へ出て、貪るように」旅した僕も、今回のムンバイで、何を見て、どう感じるのか。見ている気でいたものが見えたり、また違った何かが感じられるのだろうか、・・・そう思うとワクワクする。変わらないのは、このワクワク、やっぱり旅は良いものだ。

何を見るのか、見えるのか。
逆に見えなくなったり、分からなくなるモノもあるだろう。それは、三十に向けての宿題だ。その入り口に立っている。今まで、感じることも、ひっかかることもなかった何か。本当の意味での、何か。

僕は、エア・インディア315便が出発する51番ゲートに移る。外は、大雨。
飛行機は早々20分のディレイが決まっている。ゲートでは20分なんて「遅れ」の内にはいらないよと余裕をもってニコニコしている人が多いように感じられる。僕がまさにその一人だ。

これから10時間近く経てば、僕はインドにいる。


今、デリーの「スター・パラダイス」というホテルの205号室でこれを記している。
時刻は現地時間で午前1:30。日本時間でいうと、午前5時。そりゃ眠いはずだ。

関西空港の51番ゲート。結局30分遅れで搭乗が始まり、機内に入るまでにもう一度ボディチェックあった。念には念を、ということだろうか。その都度、ピーピーいってる僕、自分で自分が不安だ。知らないうちに金属が身体のどっかに埋まってる気さえする。小さめの機体に身体を滑らすように自分のシートを探す。「秋休み」とでもいうかのような連休続きのこの時期、一週間の旅先としてインドは手頃なのだろう、学生よりもむしろ働き人の姿が目立つように思う。キャンビン・アテンダント(CA)はサリー姿だ。おでこにぽっち(カティ?)もつけている。そんな光景にカレーの匂いを感じる僕の嗅覚。テレビ画面からもなんとなく「匂い」を感じ取れる自分が胡散臭いが、本当のところ、好きだ。席は窓側のA席。隣の通路側B席には、すでに男性が座っていた。「すいません・・・」といいつつ、着席。翼よりもかなり後方の席から、僕は外を眺める。豪雨と呼ぶにふさわしい荒れ模様だった。足元からなにやら熱風が出ている。これが上空にいったとき、冷たい風になるようなら最悪だな・・・と思いつつ、ぼんやりと外を眺めていた。ケータリングやトランクをつんだ車が忙しなく動き回っている。「なんちゃらかんちゃら、ピン」と放送が流れると、機体がゆっくりと動き出した。
ふと、隣の男性の方をみると、「スゴイ雨ですね」と話かけられる。「来るとき、晴れてましたよね」と。彼の名前はA君。大阪でリハビリのセラピスト?をしているとか。僕と同じく9日間の行程でインドを回るつもりらしい。
なんとなく、僕がボリビアに向けて旅立った時に出会った、B君に似た雰囲気のある人で、まぁ、黙ってるのもあれだからと、話を弾ませる。
弾む、弾む。何をあんなに話していたのかさっぱり記憶にないが(まぁ、時間も深いことだし、さっき宿のバールでビールも飲んだので)、経由地の香港まで、3時間ちょっとの時間があっという間に過ぎた程、弾んだ。

香港も雨だった。海上空港の香港は横風がすごい。着陸時、僕は今まで体験したこともないような「横揺れ」に、転倒するのでは?と、本気で心配。本当に危なっかしいランディングだった。「香港についたらタバコが吸える」。そんな僕の気持ちを完全に萎えさせる厳しい現実が待っていた。なんと、この経由は乗客を降ろさないのだ。一時間ほどのトランジットの間、乗客は機内に残ったまま、ケータリングを積み替えたり、簡単な清掃がされたり。ここ香港で降りて行った人が荷物を置いてないか、上の棚にある手荷物を、ひとつずつ「あなたのですか?」と確認していく。つまり爆発物を放置してないかと。世界的にそうなの?最近って?怖い話であると同時に、今までのあの暢気さはいったいなんだったんだ、とも思う。

もちろん、機内のトイレには行列ができる。掃除をしたばりのトイレもすぐに「掃除が必要になる」。確かに、香港で何時間も乗り継ぎの時間があるのも困るが、一本だけでいい、ちょっと外に出て吸わせて欲しかった。※と、いう旨の訴えを僕はCAに二度にわたって交渉したが無理だった。

無常にも……、機体は動き出した。
香港からデリーまでは4時間50分。こうなったらビールを飲んでそっこう寝てやる!と決め込む。機内食の前にドリンクがサーブされ、先程に続いてビールを頼む。2本、出された。それも当然のように。そう言えば、さっき関空から香港までの時も、「ビール」と頼むと、「1本でいいの?」と聞かれた。これは、通常サーブが2本の缶を配るということのなのだろうか。高度の高い所で飲む350ml缶3本は、一気に酔いが回る。インドスパイスな機内食とグミのようなものが入ったスナックでお腹もいっぱい。デリーに着くまでの間は、さすがに爆睡だった。

デリー上空で高度を下げ始めたとき、そっと目覚める。
起きたてにふられたスプレー(たぶん消臭のための)の臭いが不快だった。
ランディングは、香港の時と同じく不安定。雲の多い午後9時10分頃(現地時間)、デリーに到着。カスタム(税関)を通り入国。

機内で仲良くなったA君が、デリーについてから特に何も決めていないというので、僕はネットで予約済みだったこの宿までトランスファーをシェアした。空港にて両替、200US$を一気に替える。1US$≒43Rs(ルピー)で、8600Rs。500Rs札が使えないことは想像していたが、ここで大量の500Rs札をもらってしまう。早く使わねば。

到着ロビーに出て、日本からe-mailで予約していたホテルのピックアップと、インパックツアーズのチケットデリバリーを見つける。無事、アーグラーまでの往復列車のチケットも受け取った。スターパラダイスのピックアップには、日本人男女2人が迎えにいて、僕は花束をかけられ、ポーズをとって写真を撮られる。なんじゃ、これ?

予約していたスターパラダイスホテル。メインバザール(パハルガンジ/ニューデリー駅の近く)に4軒のホテルを持つスターグループの一つ。その宿のフロントに24時間体制で常駐し、旅行の手配をする、いわゆるツーリスト・オフィスのPramodさんと仲良くなり、ダラダラぐだぐだと話す。彼は、少しの日本語と完璧な英語を話すのだ。「インドのこれからは任せろ」と豪語する彼。僕は、元々旅行会社にいたという職業柄、9日間なんて短期間の旅のアイティナリーは完璧に決定済みなのだ。が、まぁ、「あ、そらそら、よろぴくっ」と軽く握手を交わしておいた。ニコニコと笑顔を絶やさないPramodさんが一度だけ「キリッ」とした表情でいったこと、それは、「このメインバザールでは夜の10時を過ぎたら危険だから歩き回るな」ということだった。確かに、空港から40分、このエリアに入った時にはすでに午後11時を回っていた。危険、そんな雰囲気は肌にささったトゲの如くピリピリ感じていた。「は〜い」と返事をする、僕。
続けて、ホテルのスタッフにも夜の外出は危険だと釘をさされた。レイプはあるし、強盗、暴行など、被害は数知れないらしい。

ナマステ。僕は、自分の部屋へと階段を昇る。エアコン付きシングルルーム、1泊625Rs。ちょっと贅沢すぎたかな、と思いつつドアを開くと、広いではないか!そして、なかなか綺麗ではございませんか。快適、快適。とにかく寝るだけ、とバッグが入ればどこでも寝れると豪語していた頃の自分とは、残念ながら若さが違う。もう、蚊帳があるだけで幸せ、ほぼ路上、なんて所で快眠できる自信はない。バンコクの夜、懐かしい、二十一歳の夏の僕だ。

一緒にトランスファーをシェアしたA君は、この宿の前にあるスターパレスで部屋をとったようだった。エアコンなしでRs250といっていた。んっ!何?よし、僕も明日はエアコンなしの部屋に代わろう、とここらへんがどうも染みついたバッグパーな感覚なのだろう。
フロントにいるマネージャーのラナさんは、人懐っこい。腕をすぐに組んでくるこの辺り(ネパール人もそうだった)の人に僕はとっくになれていたので密着度をましつつ話す。悪いひとではない。悪い人そうな顔をしているが、けっしてそうではないと言い切れるのは、デポ払いではなく宿代は後でいいというし、エアコンなしへのルームチェンジも快く受け入れてくれた。「ホットウォーターが出るって言ってたではないか!」と、水しか出ないシャワーに文句を言っても、ルームナンバーをフロントにいうと、栓をひらくから、20分もすれば「ベリー、ベリー、ベリーホット」なウォーターが出るよ、と親指を立ててウィンクする。ベリーを、やたら感情を込めて繰り返すマネージャーのラナさん。僕は友達になった。話す「間」と表情と、雰囲気で、友達になったのだ。いい人だという理由も、それらに起因する。
ラナさんとの話が弾むと、「3000Rsしか給料をもらってないのでリッチになれないよ」などと不満をタラタラ、タラタラ言ってたっけ。

これからの予定を決めていないA君が、Pramodさんに手配の相談をするというので、1階フロント奥にある彼のオフィスに入っていった。なんとなく流れで、僕も一緒に入っていく。とても長〜い彼の話。どうやら、彼は本当に親切な人のようで、オートリキシャーに200US$もだまされ、あげく2発も殴られた日本人を助けた武勇伝や、ホテルのノートに書かれた多くの日本人からのメッセージを広げて、「だから任せろ」的な顔でぐいぐい話を進める。胡散臭い。どうもこういう場面で、常に僕は警戒してしまうのだ。が、彼は言う、「1人からたくさんだまし取るより、一人ひとりに親切にして、その友達から、またその友達へと広げる方が結局儲かるのだ」と。プーノという街で出会った旅行会社の人もそんなことを言っていた気がする。
A君もなかなか警戒心の強いしっかり者のようで、一晩考えて、明日の朝9時にもう一度来ます、といってひとまずその奥の部屋を出た。

夜中12時過ぎ、これから外に出歩くのは本当に危険だと止められたので、僕はA君とスターパレスの上にあるバールへ。ビール(80Rs)を2本、ピザ60Rs、チップス25Rsを食べた。お腹がいっぱいでほとんど残してしまったが。午前1時に閉店するらしいので、部屋に戻って日記を書いて寝る。

インド・スパイスがからく、ちょっと酸っぱい匂いが、まだ口の中に残っている。それにしても、部屋のファンが邪魔だ。強すぎる。このファンを止めるには廊下に一度出て、主電源を落とさねば成らず、そうすると真っ暗になる。あー、調節出来ろよ!と、、、これがなきゃ快適なのになぁと疲れの中で、就寝。




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