2005年9月18日(日)
2日目
デリー
ファンは廊下の主電源を落とさなくてもよかったことに気付く。ベッドの横に、それはそれはわっかりにくいスイッチがあった。しかも、強さ調節まで出来る。昨日のあの、強風はなんだったんだ。真っ暗にして眠り、窓はあるにはあるが、すぐ隣の建物が接近しているので、陽射しなど入り込まず、よって、朝になろうが、夜だろうが、いつも真っ暗。天井には、星座の蛍光シールが一面に広がっている。そんな部屋でデリー最初の朝は目覚めた。
昨夜、シャワーを浴びていないので、身体全体がむずがゆい。今からシャワーを浴びようかと迷ったが、テレビをつけてタバコを吸っている間に、面倒臭くなった。そういえば、昨日の夜中、テレビでクリケットの中継があった。さすがはイギリスの影響か、インドではクリケットの人気が高いようだ。
午前9時の待ち合わせまで、デリーのガイドブックを眺めながら、今日の予定をたてる。
顔を洗っていると、なんとお湯が出る!。よーし、このチャンスにやっぱシャワーを浴びよう、、、とするが、まぁまぁ、案の定めんどうなので、やめた。日本脳炎が大流行しているというここインドでは、一応、虫除けスプレーを全身にふりかける。その刺激臭が、頭の匂いやら、いろんなものが混ざって強烈になった。まっ、一旦外に出てしまえば、もっともっと強烈な臭いを発するのだ、インドという街と人は。そんな僕の臭いなどへっちゃらだろう。
1階に降りると、ちょうどA君もやってきた。2人でPramodさんのオフィスにいく。A君のこれからの行程について話した。ここにきて、ようやく状況が把握できてきた。つまり、このホテル内にあるのは「バックパック・トラベル」という旅行社で、昨日、空港にピックアップに来てくれた彼(今朝9時に来るよう約束をした)は、従業員で、サジャーンさんという彼のお兄さんが社長を務める。バンコクのカオサンやカトマンズでよくみかけるタイプのツーリスト・オフィスだ。
僕らが机に広げられたインドの地図を見ながら、こういうルートは、こう行ってもいいのではないかなどと話を詰めていると、ちょうど1週間前にサジャーンさんからアレンジをうけて旅行し、今朝デリーに戻ってきたばかりだというB氏が話に加わる。A君の所持金、そして希望のバランスをとりながらツアーがつくられていく。旅行会社にいた者から言わせてもらうと、このデリーでのやりかたは丼勘定の何ものでもない。デリーからジャイプール、アーグラー、ヴァラナシの全ての交通費とガイド、ホテルをパッケージにした料金が420Rs。300Rsぐらいにならないかと交渉すると、ヴァラナシでのガイドと宿を抜けば……、311Rsだな、と。ディスカウントのせめぎ合いが続き、なんだかこの311がラッキーナンバーだと主張するPramodさんに折れて交渉成立。A君も満足そうなので、良かった良かった、の結果だ。
それにしてもこのサジャーンさんというインド人は、物腰が柔らかく、いい人だ。マリオブラザースのマリオに似ている。一応、お兄さんだということで、ルイージではなくマリオにしておく。彼は日本人の妻を持ち、日本の永住権も取得している。そのカードを見せてもらった。
A君も、帰ってきたばかりのB氏も、今日一日の車&ガイドがサーブされることになって、僕が予定していたデリーでの一日も、いちいちオートリクシャーなどに支払い続けるよりも、パッケージにしてしまったほうが安くなるだろうと、まぁ、正直、ここで「じゃ」と別れてしまうのもどこか寂しく……、450Rs(1350円)で一日のチャーターに同乗した。
ドライバーも車も、昨夜、空港のピックアップに来てくれたのと同じだった。ドライバーの名前は「ジー」さん。まずはどこへ行こうか。AM11:30頃だったか、少し早いが、特にインドではランチが2時頃と遅めということを考えると、さらに今日は日曜だということを考慮すると、ブランチになるのか。そのつもりでマクドナルドへ行くことにした。目的は、インドに存在するメニュー「マハラジャマック」だ。ラムだとばかり思っていると、チキンだった。この国で肉といえば、チキンなことが多い。あとの選択肢はひたすらフィッシュで、たまにマトンがある。そんな日々が続きそうだ。マハラジャマックはセットで99Rs(300円)。日本と同じ程度ということになる。この国の物価でこれだけの料金と言うことは……、やはり、店内には外国人の姿が目立つ。店の前には物乞いを閉め出すためのガードマン(これはリマなんかでもやっている)がいて、店内は常に清掃されている。トイレはなんと自動で流れ、水道も日本と同じく、手を下にかざすと流れ出す。トイレットペーパーもちゃんとあるし。ちなみに、500Rs札は余裕で使えた。
マックを出て、まずはオールドデリーへ。日曜日の昼過ぎとあってか、マックのあったコンノート・プレイスが閑散(閉まっている店が多い)としていたのに比べて、恐ろしい人、人、人。日曜とかお昼時とか、そういうことはきっとお構いなしなのだろう。
車にリクシャーにオートリクシャーに人。溢れかえりながら、露店商が歩道などとっくに超えて前へ前へ3列ぐらいになりながら商品を並べている。そこへ満帆に乗せたバスが来て…、道の上を走るすべての“モノ”からクラクションが鳴らされる。僕らのガイド「ジー」さんも例外ではなかった。とりあえずアクセルを踏む感覚で?まぁそこまでいかなくとも、ハンドルをきるのとセットでクラクションを鳴らしている。
これぞ、インドだ。ビデオの効力を発揮するまさにそんな光景だった。僕は掌にすっぽり収まる小型ビデオカメラを回す。と、必ず映り込んでくる輩がいる。一瞬、カメラごと盗ろうとしているのかと思いすぐに隠していたが、どうもそうではなく、ピースサインなんかをおくってくるのだ。インド人、目が一度合えば、絶対外しはしない。
デリーの中では、やはりオールドデリーが一番見所が多い。ニューデリー駅からのメインバザールも旅人にとっては魅力的な所だが、僕の場合、そのエリアに泊まっているし。コンノート・プレイスは日曜でほとんどの店が閉まっている。後は、インド門ぐらいだ。
いつもなら停められる駐車場(オールドデリーの)がいっぱいなので、遠く離れたところまで行って、そこに押し込む。ようやく車を停めて3人で歩いた。人の多さ、道の汚さ、そして何より臭い。インドで一番印象深いのは臭いだ。「インドの香り」とすれば少しはキレイか。決して香辛料のそれではない。人の臭い、獣系の臭い、食べ物、排便、全ての臭いと汁のようなもので濡れた道。むろん、でこぼこ。ピョンピョン跳ねるようにして歩く僕は、まだインドにきて2日目であることを明確に現している、のだと思う。そのうち……よけるなんてこともなくのかな。
が!絶対に手でふくことはしないぞ!という自信がある。かまわずティッシュを流してやるのだ!ハハハ、どうだ、サイテーなやつだろ!そう思われても、引けない一線が、排便のあとの手ふきなのだ、僕の場合。
信号などないに等しいデリーの街では、立ち止まってはいけない。
「躊躇こそ事故の元」なのだ。だから躊躇せずにドンドン道を渡る。慣れるとクラクションの音も心地よく感じてくるので不思議なものだ。アディクション?それに近い。道を渡り、人混みの中に紛れ、見るからに観光客の僕らに竹を売ろうとしたりレンガを買わないかと声を掛けてきたり。インドでもやっぱり日曜と言えば散髪なのか?狭い店内(といっても露店に近いが)でギュウギュウになって髪を切ってもらっている人が多い。
一番始めに目指したのは、チャンドン・チョークというバザールを抜けたデリー最大(インド最大)のモスク、「ジャマー・マスジット」。多くの都市にジャマー・マスジットはあるが、やっぱりこのデリーのそれは美しい。狭くゴチャゴチャした道を抜けて、パ〜っと広がる視界、そこにデンと構えるモスク。荘厳であり、爽快だった。が…ムスリム達の祈りの時間のため、立ち入り禁止だった。入場が認められるまで一時間ぐらいあり、しかたなくジャマー・マスジットの長い階段から一直線に続くチャウリ・バザールを歩く。右手に見える広場では、子供達がクリケットの試合をしていた。カツオやナカジマくんが宿題もせずに空き地にあつまってやっていた野球に近い感覚で、子供達は広場でクリケットをするのだ、ここインドでは。
キャハキャハとみんな楽しそうだ。
大通りに出て(やっとの思いで)、次はレッド・フォートに向かう。バカでかい。なので、メインエントランスまで歩くのが、非常に蒸し暑く、テンションも、残り体力もドンドン減っていく。それにしても広くキレイな芝生が続く。高い柵で入れもしない。レッド・フォート、赤い砦。ここはレンガ積み上げられたムガル帝国の勢力絶頂期の頃の遺産だ。アーグラーであれだけの建物を遺したシャー・ジャハーンが建設を開始した。
「ロンリープラネット」によると、城壁の周囲は2qで、ヤムナー川に面した方が高さ18m、町側で33m。深さ10mの水を満たした濠で巡らされていたという。別名、ラール・キラー。
入場はラホール門から入る。インドの独立を宣言し、ネルー首相など重要な演説はここでなされた。民衆があつまったという広場(ラホール門の前)は、どことなく赤の広場(モスクワ)に似ていなくもない。インド人観光客が、インド国旗の翻るここで、記念撮影をしていた。入場料は、外国人が100Rs。Foreignerと書かれたチケット窓口までインド人が押し寄せている。完全に、外国人よりインド人入場者の方が多い。
ゲートを潜ると、いきなり続く土産物通りにびっくり。日曜ということで、というより、これだけの観光スポットなら日曜こそあけろよ、とも思うが、閉まっている店が多かった。中は確かにすごいとも思えるが、どこかしっくりこない。ステージがあって、芝生広場、その後ろにずら〜っと椅子の並んだ観客席。こちらに向けられた目の高さの銃口、後ろには警察なのか兵士なのか、その類の人が銃を持って立っている。そんな砦で土産物?、加えてだだっ広く横たわる芝生?何だろう……。こんなに広大な敷地の、ほんの一部しか入ることができず、不親切に突っ立っている、レッドフォートとはそういう所だった。
パーキングで待っているジーとの約束の時間が過ぎていたので、一度パーキングまで戻る。ベルト、水に浸かった腕時計、チーズに靴など、人混みと露店、雑多に通るクラクション群との間にある、ものすごく細いスペースを縫うように歩く。
だんだんと陽射しもきつくなりだし、僕らのタクシーはA/Cをつけた。ジーはエアコンをつけると瞬時に「窓を閉めろ」と言う。なんて快適なんだ!と思う一方で、車内空間というバリケードされたケースの中から眺めるオールドデリーの喧噪は、テレビのようにも感じる。何だか残念に思う時だ。
次は、レッド・フォードの南にある「ラージ・ガート」へ向かう。バザールのエリアを抜けるとデリーという街は都市としての、整然さと、どこかつまらなさを感じさせる。聖なる牛も、デリーの中心部から追い出されたのだ。ラージ・ガートはインド建国の父、マハトマ・ガンジーが暗殺され、荼毘に付された所だ。キレイで拾い芝生公園。ピクニック気分のインド人たちが腰をおろし、子供達は走り回っている。ものすごく暑くなってきた。黒の大理石の上に炎が灯された記念碑は、よりキレイに整備された芝生のスペース、一角にある。当然のごとくシューズ・オフだった。5Rsぐらいとられたんじゃないかな、靴を預けるところがある。
靴を脱ぐところは神聖な感じがするのは、日本人だからなのか?菩提樹だと思うが、非常にバランスのとれた大きさと量で茂っている。その小陰は、やっぱり特別にバランスのとれた良さ、というか。原色のサリー姿の女性がその木の下で休んでおり、なんとも絵になった。
大理石は、「黒」がかっこいい。マーブル。ぐるりと、その記念碑を囲んで広大な敷地が周遊でき(この辺りに国土の広さも感じるのだが)、一周してパーキングに戻ろうとする。「待つこと」に嫌気がさしたか?暑すぎるのか?それともエントランスの前で降ろされて、どこに駐車したかを分かってないと心配してくれたのか、ジーは、僕らの後を追ってきた。僕はずっと後部座席に座っていたので、彼を正面から見たのは初めてだ。「誰?」と、分からなかった。正直、インド人が塊に見えて、識別できないでいる。
オールドデリーから離れて、今度は、コンノート・プレイスも超え、インド門に行く。正式には知らなかったので、ロンプラの情報を書き記すと、高さは42m、第一次世界大戦とその前後の北西部国境地での戦争、1919年、第三次アフガン戦争で亡くなったインド兵士8万5000人の名前が刻まれている、らしい……。まぁそんな事は知らなかったが、パリの凱旋門に似た姿が見えたとき、やっぱり「おっ」と声が出た。
第一印象は「細いな」ということ。このインド門とラシュトラパティ・バーワン(大統領官邸)を結ぶ通りをラジパト通りと言う。シャンゼリゼみたいなものかと地図だけを眺めて思っていたが、もちろん全然違った。何もないというのが正解。こ洒落たカフェもブティックも、広い歩道も。ただ、広場が広がっており、ここでもクリケットをやっていた。小学校でみんなやるというから、人気も定着度も、ここインドではそうとうなものなのだろう、と実感する。
インド門でおりる。凱旋門のときもそうしたように、今回も門の前に立ってポーズをとった。
あぁ、あのパリから9年も経つのだ。早いものである。
ラジパト通りを車で走って、大統領官邸へ。さすがにパーラメントエリアでは、どこでも駐車ができるわけではなく、まぁ、降りたところで「権力の集合体」のような空気をおさめるだけだと思い、そのまま車から眺めただけでスルー。ここまで駆け足でグルグル回ったが、考えようによっては非常に効率が良いのかも知れない。
インド門を出て。次はムガル帝国第2代行程のフマユーンの墓、フマユーン廟へ。B氏が「地球の歩き方」を見ながら「世界遺産ですよ」なんて言うもんだから。ムガル帝国初期の傑作というフマユーン廟は、後にタージ・マハールなどにこの様式が洗練されながら受け継がれていったという。まぁ、世界遺産的価値から言うと、「最初」とか「基」ということで、京都の宇治上神社のようなものだろう。見事なほどに人がいない。あれだけ、どこもかしこも埋め尽くすインド人観光客の姿でさえ見えない。そういう意味で、これはナイス・サジェスチョンだったというか。
入場料は100Rsぐらいだったような気がする。まぁ、寄付したとでも思っておこう。今日、帰国するB氏は夕方5時にホテルに戻り、そこから空港に行くらしく、結構慌ただしい。このフマユーン廟からまたオールドデリーに戻るには、かなりの混雑を考えるとリスクが大きかったが、やっぱり、入れずじまいのジャマー・マスジットにはもう一度行きたい。ドライバーのジーは、「混雑している、パーキングがない」を繰り返し、否定的な感じだ。なんとか避けようとしているのが見え見えだ。ここは、チャーターしている強み。最終的にはOKしてもらった。
また、オールドデリーの喧噪の中へ。夕方になって涼しくなると、人の出も多くなっていた。とはいえ「めちゃめちゃ多い」のも、「もっとめちゃめちゃ多いのも」そこまで行くと同じ、というか。苦労しながら歩き、そして到着したジャマー・マスジットは、祈りの時間でまた閉め出されるギリギリの時間帯だった。(まぁ、入って少し経ってから気付いたのだが)。
入り口に続く長い階段には、まるで「花道」をつくるようにして座り、乞う人たちがいる。
そんな光景を眺めながら、「あ〜モスクだなぁ」というか、うまく言えないが、そう思う。
中はシューズ・オフだ。それも短パンだった僕はNG。入り口で止められ、腰巻き(ルンギ?)を渡された。シューズキープ代を含めて10Rs。この腰巻きがロングスカートほどあるので(もちろん短パンを隠すので)、歩きにくいは、暑いわで…。まぁ、こんなことでもない限り、絶対にはかないので、良い記念にはなったが。写真をとってしまった。
建物自体は、さすがに荘厳だった。でかいということにこだわる必要はないが、やっぱり「大きい」というのは重要な要素に思える。シューオフにしては普通の広場なので、変に気持ちがいい(サンダルだった僕は、裸足なのだ)。
周りに立つミナレットに登れるらしいので、150Rsの入場料とは別に20Rsを支払う。しかし、閉めだしの時間が迫り、「急げ、急げ、クローズ、クローズ」とせかされるので、テンテコマイに走る。ミナレットへの昇り口がわからない。焦らされていることもあって、ついつい変な奴にひっかかった。「こっちだ、こっちだ、早く、早く」と、巧みに手を引き、狭い階段を駆け上がる。中段の踊り場(広場?)に来て、勝手に「あれが何々で、あっちが何々と」とガイドを始めた。
これはやばいな、とビデオを回しながら、僕は思ったのだが、ミナレットが、というよりこのモスク自体がもうすぐ閉まってしまうのは事実で、この男の「早く」という手招きにそのままのらざるを得ない。最終的に、いざミナレット(タワー)への入り口手前で「ガイド代をふっかけ、しかも200Rs」とふざけたことを言い出したいんちきガイドに、B氏が困惑していた。僕とA君は、そのちょっと前から完全にその男と距離をおいていたので、B氏がそんなことをふっかけられているということに気付かず、なんか変だと近づいたとき、明らかになった。
結局、数十ルピーを払ったらしい。払わなくてもいい、行こうと二人でいったが、なぜかB氏は「払わないとらちがあかない」というようなことを言っていた。そういう風にして旅をしてきたのだろう、彼は。まぁ、素早くことが済んだので、正解だったといえば、そうだが。
さて、いよいよミナレットに登る。狭く、そして急で、螺旋続きの階段が120段ある。踊り場などなしにそれが続く。風はこもり、すれ違うにも一苦労なのに、クローズ間近とあってどんどん降りてくる人がいる。登る僕。身体が触れ、蒸し暑く、とにかくしんどい。
じんわりと暑い。なんとか頂上にいくと、見事にせまかった。「のぼってくる」ことなど想定してつくってないのだろう。完全にフェンスで囲まれているので、視界がわるい。僕には、視線の高さまでフェンスがある。が、絶景だった。確かにすばらしかった。360度ぐるりとオールドデリーの街、そしてその向こうが見渡せる。展望台のように完全安全設計ではないので、余計にそう思わせるのかも知れない。なにしろ、5人ぐらいでいっぱいいっぱいのキャパシティだ。そこに10人以上がひしめきあっていた。360度見回せても、結局1,2方面しか立てず、まぁ、それでもフェンスによじのぼってがんばってビデオを回した。
降りる際は、すでにクローズされているのだろう、誰も登ってこず、すんなりいけた。あれっ?足に身が入っている。早すぎる反応、これは若いというより、完全なる運動不足だ。ミナレットから出ると、モスクの中はお祈りタイムとなっており、ムスリム以外の人は速やかに閉め出される。デリーの中でやっぱりここが一番いいかな、と思う。
ホテルに戻ると、バックパックトラベルの兄弟が常駐している奥の部屋で、B氏がシャワーを浴びさせてもらうというので、ここでお別れ。成田発着のJAL便で帰るという。さすがに「JAL」なんで汗くさいのは……、と。未だにJAL神話のような感覚を持っている人がいるのかと、なんだか微笑ましくなった。
僕とA君は、行き先こそちがうが、お互いに明日、ニューデリー駅に行くので、宿から近いが一応下見に行く。僕のはいているサンダルは、Pramodさんにも言われたが、かなりイケているらしい。これ、100US$だと言うと、会う度に彼は「50$ each」と言ってくる。そんな会話があってすぐだったので、僕はニューデリー駅にいく途中、メインバザールで「ナイス・サンダル」と話しかけられた男に、ついついのっかってしまった。かなり長い間つきまわされた。「結局、何?」と言うと、その男は僕に、ヒンディー語の語学学校を勧誘してきた。まったくノーサンキューだし、それより先にしなければいけないことが、50年分ぐらいたまっている。
ニューデリー駅にいくと、企みをもった「悪党」どもで溢れていた。前評判通り。ステーションスタッフだといいつつ、親切そうに案内して、っで、案内料でしょ?完全に無視したが、格好だけでは誰が本物かまったく検討がつかない。本物がそれらしくないのか、偽物がそれらしいのか。少し恐ろしい。
プラットフォームがどこなのかという確認だけをとりたいのだが、とにかく一秒でも早くその場を離れたい雰囲気なのだ。これは、翌朝、大丈夫かな、と心配にもなるが、そんな心配はしないのが、僕のいいところなのだ。
宿に戻り、一度部屋に。明後日の空港(ドメ)までのピックアップとリコンファームをサジャーンに頼む。彼は完全に風邪をひいていた。翌朝、アーグラーに行く僕は朝が早いため、明日チケットを渡すことは出来ない。ので、ここで預けた。
ロビーには、僕を空港に迎えに来てくれていた日本人の男女がいた。
彼らは、今日のJALで成田に戻るらしい。A君と一緒に夕食をしようとしていたので、その女性にお勧めのところはないかと尋ねた。宿の近く、メインバザールにある「GEMレストラン」を教えてもらう。そこにきめた。Kingfisherを含め、初めて飲むインドビールを含めて3本と、チキンカリー、プレーンナン、チキンフライドライスを頼み、ゆっくり食べた。
ふと気が付けば、かなり長居をしてしまっており、店内の客は僕らが入ったときとすべて入れ替わっている。そんな古株の僕らに、店員は次々空いた皿や空き瓶をさげていく。「早く帰れ」といわんばかり。実際、そういうジェスチャーもされた。相手はそのつもりではないのかも知れないが、あたかもそれっぽい雰囲気がビシビシ感じられる。数秒おきに、「フィニッシュ?」と聞いては右手を皿にかける(さげるため)。居心地が悪くなったので出たが、結局2〜3時間ぐらい話していたか。
そのまま別れて帰る気分でもなかったので、ホテルの前の路地にある感じのいいカフェへ。ビールを飲み続ける僕に対して、ペプシに始まり、コーヒーが飲みたいというA君のリクエストで入った。が、、、なんと禁煙。注文の前に「灰皿ちょうだい」と当たり前のようにいうと「No Smoking」と、これまたあたりまえのように言われた。確かに店の雰囲気が欧米っぽかったが、そんなところまで欧米式なのか。何も注文せずに出た。
さぁ、どうするか。夜もおそいので遠出はさけたい。とりあえずタバコを吸いにA君の部屋へ。部屋にビールを頼んで飲む、ということも考えた。が、そんなことを話していると、停電になった。真っ暗。なんとなくなりゆきで、昨夜と同じ、彼の宿の上にあるレストランへ。
コーヒーを飲むA君とビール、ビールの僕。そこでの話を早めに切り上げて、今日は早く寝ないと……、という気持ちとうらはらに、もう腰がドンと落ち着いてしまって1mmも動きたくない心地よさと……。葛藤だ。そうこうしつつ、またまたそこでも長居をしてしまった。
結局、部屋に戻ったのは深夜2時近く。今日こそはシャワーを浴びようとフロントにお湯のスイッチをオンにするよう頼み、ホットシャワーを浴びた。バタンキュー。シャワーから出て、身体も拭かずに、日記も書かずに、知らないうちに眠っていた。
Bookavel Topに戻る