2005年9月23日(金)
7日目
ムンバイ
さすがに……、昨日、寝たのが夜中の3時だったので、9時にセットした携帯の目覚ましは、スヌーズ機能で二度、つまり一度目はなりっぱなしでスルーしたようだ。エアコンを付けたまま眠ってしまい、途中で寒くなって切った記憶はある。
午前9時5分起床。のち、朝食を食べる。B&Bなので朝食つきだ。僕がネットで予約をしたBentley's hotelと、泊まっているB&Bでは通りが一本違い。こちらはゲストハウスだ。だけど、それなりに快適なのでよしとしよう。朝食はルームサービス。バタートーストにインスタントコーヒーが付く。まぁ、こんなもんだろう。ホットシャワーを浴びて、出かける。
廊下に出ると、大きな窓があり、外は雨。が〜、ジーパンをはいて準備をする。短パンでは寒い。フロントで500Rs札を100Rs札にかえてもらう。エアコン付きの部屋では、寒いと感じたが、廊下にでると結構あつく、短パンにはきかえて出発した。
雨が降ったり止んだりの中、すぐそばの海を目指した。ムンバイ湾には、インド門がある。ちょっと歩けば声をかけられる点では、北部インドと変わらない。ただ、このムンバイというところはすごく都会だ。日本人はほとんどいない。曇り空のムンバイ湾。今日は祭日らしく、えらく若者で溢れている。見えた…、インド門。門というより、一つの立派な建造物だ。そして、デリーのものより、「歴史の重み」を感じさせる。インドが東インド会社と呼ばれ、イギリス文化(西洋)が注入された、まさしくその「ゲート」。インド門の前には、これまた立派なタージ・マハルホテルがそびえる。1911年、イギリス国王・ジョージ5世の来印を記念して建てられたインド門と、1903年に建てられたというタージ・マハルホテル。どちらもボンベイ(ムンバイ)を代表するランドマークだ。
インド門の前でビデオを回していると、一人の男に声を掛けられた。ここに来るまでまったく同じ内容で声を掛けられたが、どうもこの男だけには反応してしまった。それは、何度も何度も繰り返される「シティ・ツアー」の誘いに、それもありかな、と少しずつ思い始めていたという、タイミングの問題が大きい。
そもそも、僕はとりあえずインド門にいって、後はミュージアムにでも歩いていこうと考えていた程度で、今日一日のムンバイ計画はないに等しかった。フェリーで島にわたってみるのもいい。が、この天候ではそんな気分にもなれない。7,8カ所を回って20US$だと言うシティ・ツアー。話にならないな、と思って断った。が、男はひつこく、「っじゃ、綺麗なツアーバスで普通は回るが、タクシーなら、600Rsだ」と食い下がる。う〜ん、20US$も600Rsも、実はそう大差のない額なのだが、どうもルピーで言われると安く感じ(いや、逆か、ドルで言われると高く感じてしまうのか)、タクシーで、しかも一人でチャーター出来るのであれば、これは手っ取り早い。これだけ大きな街だ、どこかでタクシーは使わずにはいられない。ムンバイの中心部ではオートリクシャーもほとんど通ってないし(現に近郊に行けば一気に増えるが、コラバでは皆無に近かった)、ムンバイに何!というお目当てもない。むしろ、どこに行けばいいか分からないといった状態に近い。そういう僕にとって、7カ所の観光スポットをチャーターで回れるならいいのではないか。逆に安いかも……。
まぁ色々考えて、のち、僕は男の提案にのった。ついでにインド門をバックに写真をとってもらった。インド人はハンディカムを使いこなせない。
タクシードライバーは太っちょだが、とても親切でいい人だった。声をかけた男にいくらのキックバックがあるのか、それもタクシーのドライバーとの関係は?(つまりあの男はあくまでツアーバスに乗せる客ひきであって、タクシーのシティツアーとなると別なのかもしれない)
ガイドブックをほとんど読んでいない僕は、特に行きたいところは最初からない。連れて行かれるままに行こう、と決めた。ムンバイのタクシーは、アーグラーやヴァラナシのように「白」ではなく、形こそクラシカルだが、黒に黄色屋根の車体。「客の前ではタバコを絶対に吸わないんだ、オレは…」という真摯なドライバー。「だって、その方がグッドだろ?」と、プカプカタバコを吸っている僕に問いかける。
「あ、まぁ、イエス」。
まず、コラバ地区からフォート地区まで移動し、マリン・ドライブを走る。その先端、ナリマン・ポイントへ。ここは、漁港であり、フィッシャーマンズ・コロニーが向こう岸に見える。建物も車もほんと他のインドの都市に比べると、びっくりするほどに綺麗。牛がウロウロしているなんて、ここではない。テンプルの近くにいけば、牛がいることにはいるが、野良ではなく飼われている。女性が首輪をつけて歩き、その女性の頭に乗せられた籠に餌の草がはいっている。その草をかって牛にあげる。奈良の鹿せんべい的システム。フォート地区は、政府系の建物が多く、小雨の降ったり止んだりの天気なので、せっかくの海沿いマリン・ドライブも、晴れていれば絶景だろうナリマン・ポイントも、綺麗からはほど遠い。
アラビア海に面しており、僕はどんより重く、灰色の景色を眺めた。入江とはいえ、ここは、僕が生まれて初めて見る「インド洋」だ。水がものすごく濁っているのは、例年なら終わっているという雨季が長びき、雨が多いせいだろうか。並べられたテトラポットもかくれてしまうほどに水位が高い。
そのままマリン・ドライブを戻る。ドライバーは道すがら色々と教えてくれる。「全部説明するから、いくら払うかを考えてくれ…」と、これは本当に何度も言われた。え?600Rsじゃないの?もう7日目ともなると、インド人の英語も慣れてきたので、なかなか彼のガイディングはありがたかった。ムンバイは僕の泊まっているコラバ地区とフォート地区に別れているが(中心部は)、とりあえずフォート地区を回る。このマリン・ドライブにはポルトガル人がやってきて最初の一歩とされる小さな門がある。浦賀にもペリー来航記念碑があるように、その小さな門をビデオで撮りながらインドの西洋化を思う。
ビデオを回していると、必ず誰かが覗いてくる。もちろん、あからさまに。これはインド人の特製だろう。のぞくのはどこの国でもあるが(とくにデジカメとかね)、そのあからさま加減が、インド人特有なのだ。
チョーパーティー・ビーチは晴れていれば一日中ぼ〜っと寝ころんでおきたいほどにいい所だ。貧しい人のバラックもある。ネクスト・インディア!そんなものを感じさせる大都会にいて、貧しく、それでも元気な子供たち。砂をかけあって遊んでいた。信号(そんなものがあるのにも驚きだが)待ちをしていると、窓をあけた僕に物乞いが来る。頑としてやらない。
マニ・バワン(ガンジー・ハウス)はよかった。このチャーターをしていなければ、訪れることはなかっただろう。まるでヨーロッパの街並みと見まがうような並木道を行く。このマニ・バワンの前で、駐車した車から降りるときに、僕はビデオを不注意にも落としてしまい、後ろからきた車に踏まれかけた。寸前のところで僕は体を投げ出し車を止めた。バンパーが僕の太ももにあたった。ギリギリ、セーフ。
まじ、これは危なかった。
さて、マニ・バワン。外壁がリノベート中で、雨も降っていたので、外見の印象はよくないが、とにかく1917〜1934年にかけて、マハトマ・ガンジーがボンベイ滞在中に暮らした家が、そのままが残されている。一階は図書館(図書室)、2階はパネルや写真、3階にガンジーを紹介した人形のディスプレイやら実際に暮らしていたガンジーの部屋なんかがある。彼の偉大さを僕が心底分かっているか、それに自信はないが、少しだけかじった彼の人生で、ここボンベイの地が、そして、このボンベイまでの大行進(塩の大行進)などを垣間見ても非常に興味深かった。イギリス国王にも普段着(白い袈裟?)で会い、お金はあっても慎ましく暮らした。2階、3階のテラスから外を眺める。確かに足場(リノベートの)が邪魔だったが、隣の建物や足場、ヨーロッパ人がやとっている室内のガイドの声など消し去って、僕はその時代に思いを馳せていた。Donationで入場料は無料。日本語の案内書もあった。僕は寄付の代わりに、スタンプシート(200Rs/600円)を買った。使えるわけではないハンコ済みだが、記念切手だ。そこで入れてもらったオレンジの袋は、雨に濡れ、抱え込んでいた僕の白いシャツに色がうつってしまったんだけど。
リッチピープルが住むというマラバール・ヒルへ。どこの国でも高台には金持ちが住む。ムンバイで一番の高台。裕福な人の割合が高いというジャイナ教の寺院(ジェイン・テンプル)へ行く。※裕福=飛行機に乗る=ジャイナ教徒が多く=厳格、だからベジタリアン?と機内食で聞かれるのか?マックなんかもその理由かも知れない。
このジャイナ教寺院は銀ピカだ。銀の装飾、柱や壁、天井、カラフルで素晴らしい。信者や僧侶が普通に祈りを捧げているので、ご本尊とおぼしき銀ピカの像をビデオで撮っていいものかどうか、迷ったが、あまりの綺麗さに回さざるをえなかった。もちろん、ひとつひとつちゃんと手を合わしてから。
マラバール・ヒルにある空中庭園、ハンギング・ガーデンへ。晴れてたら綺麗、もう何度目だろ、そんな場所。ここもまさしくそういう所だった。タクシードライバーは僕が観光の間、ずっと車で待っており、降りる前に色んなガイドをしてくれる。庭園内でダイエットのためウォーキング・ジョギングをするウォークマンを聞いた女性がいた。そのほか、ピーコックの羽でつくった団扇など、ここでは色んな物売りがいた。丘を下る途中、タワー・オブ・サイレンス(死者の塔)を見た。死体を2,3日おいて、鳥がそれを食べ、あとは流してしまうと言うチベットの鳥葬のようなところだ。
フォート地区からコラバへ戻っていく。ハイウェイやバイパスのある大都会ムンバイ。でもクラクションが鳴りやむことはない。ホスピタルだと説明された建物は古く、ゴルフ場やポロのスタジアム、グランドにスタジアムもある反面、スラム街やバザールはインドらしさを醸し出している。「みんなムンバイにきても泊まらない」。ドライバーはそう言っていた。良いものが安い。ムンバイは買い物天国として成功したシンガポールを目指すというロンプラの説明も納得がいく。本当に日本人が少ない。街にはミルク売り(銀のポットを自転車にぶら下げる)や、魚を荷台に載せて運ぶ人、そして、洗濯物を運ぶ人がいる。あれが、そうだと説明されなければ見過ごすムンバイの一部だ。
洗濯屋は、ある一カ所、ランドリープレイスに集められ、その広大な敷地で洗濯を行う。それが観光スポットになっているらしく、このツアーでも組み込まれていた。男性のみが働く場で、女性はいない。バラックのような一角に何十人もの「ハンド・ウォッシャー」がいて、ジーパンなんかを「叩き洗い」していた。クリーニングセンターのプリミティブ版だ。女性、男性というのにも、はたと気付かされる。多くの女性はサリーだし、男性の方が街ではよくみかける。スクールバスも、ここムンバイでは「FOR GIRLS」なんてものがある。なんだかなぁ。
そのままムンバイの街を走り続け、海へと続く桟橋につながれたモスクを見る。かなり有名らしい。対岸には新しいモスクもあるが、やっぱりあの桟橋付きが有名。満潮になれば孤立するというから、モンサンミッシェルのようなものか。そして、ハート・オブ・ムンバイ、ど中心部にはヴィクトリア・ステーションと市庁舎がある。これはすごかった。見事なゴシック建築で、ヨーロッパ、ここにあり!を感じさせる。
チャトラパティ・シヴァージー・ターミナスとヒンディではいうが、これはかつて英国がいたころの遺物だ。本当に見事。ムンバイには未だ地下鉄はないと言うが、鉄道の要衝になっている。そういえば、デリーで地下鉄が数年後に完成するらしい。(ムンバイのドライバーはデリーにはすでにある、と言っていたが)。そのうち、ムンバイオリンピックとか言い出したりして。隣に建つ市庁舎も見事だ。真向かいに映画館もあった。さすがは中心らしく、シティ・バンクや大手チョコレート会社の本社がある。ボンベイ大学に隣接する高等裁判所にも行く。時計塔が印象的だ。ビック・ベン、そのものだった。ボンベイ大学は構内にも入れたので、そのまま進んでいると、急な豪雨。一緒に雨宿りすることになったあの学生たちは、びっくりするほどインテリなのだろう。なにせ、ネクスト・インディアの発展を背負っていく人たちだ。
その後、例の如くというか、ドアマンがいるような高級ショップ、ガバメントのやるシルク屋、アンティークショップと連れて行かれたが、2分ぐらいですぐに出て、コラバのスーパー(食品より日用品メイン)で降ろしてもらう。折りたたみの傘(150Rs/450円)を購入。買った後で気付いたのだが、取っ手にコンパス(方位磁針)がついていた。
タクシーは僕のリクエストしたカーラー・ゴーラーにあるチャトラパティ・シヴァシー・マハテージ・サングラーハラア(プリンス・オブ・ウェールズ博物館)まで行き、ここでチャーター終了。3時間のチャーターということなので、そこでフィニッシュにした。料金は600Rsでしょ?というと、こんなに回ったのに……、と始まり、いやそれはわかってるけど、そんなけ回って600Rsだから頼んだんだよ、あの男も言ってた、と一応は言ってみたが、まぁ、確かに一日でこれだけ回ったタクシーチャーターだ。ドライバーもよかったし。
900Rs払った。「アット・リースト(これが最低限だね)」とドライバーは言う。これ以上言い合うと、今までの良かった印象が損なわれるので、900円ほど高いが(最初にきいてたより)、まぁよしとした。ルピーはあまっているんだし……。
さて、ミュージアム。これは見事だ。ムンバイに来て、ここに来ないのはいけないだろう、必至だろうと思う。まだ、ジョージ5世が王子だったころに来印して、その記念に建てられた。つまりインド門より古く、1905年の建設。この次に来印した記念に建てられたのがインド門。すでにジョージ5世(国王)になっていた。ガンダーラやその他、彫刻、細密画、サー・タタが所有していたヨーロッパの絵画(サー・タタはムンバイで財を気付いたイギリス人)、ネパール、チベットなど、特に翡翠(ひすい)などはここでしか見られないような展示品が続く。イヤホンガイド(日本語)がついて、入場料300Rs。ここでもインド人の客が多く、修学旅行?なのか学生の姿が目立つ。ムスリムの帽子をかぶった親子もいた。
ガイディングがあるというのは、ミュージアムにとって重要だ。同じ物でも見え方が違う。例えば、ヒンズーの世界では、ブラフマーがこの世界を造り、ヴィシュヌに保持を任せた。破壊王シヴァや、夫に殺され悲しんだ妻のために、たまたま象の顔を持つことになったガネーシュの話、など。ブラフマーはヴィシュヌに保持をまかせた、つまり無責任ということから、破壊王シヴァよりも尊ばれないなど。理解力が違うし、今後はたと思い出す量もきっと違うはずだ。(え〜、もうボールペンがない……)
やっぱり端正な仏陀や金色の弥勒菩薩などが印象的だった。ぼくはガンダーラ美術の、すこしほそめの仏像彫刻がお気に入りなのである。チベットのもよかった。タンカ、とか。これまで、あれだけ多くの美術館に行ったのに、やっぱりガイディングがなかったからね、少々後悔だ。
館内にリクシャーの運転手が欧米人と一緒に回っていた。おそらく客の欧米人が「あなたも一緒に」と誘ったのだろう。が、ここはインド。館内の係員たちがじろじろとその運転手を見ている。首に巻いた、少々汚いタオルで顔や頭をゴシゴシ拭きつつ、運転手は、綺麗な館内でキョロキョロしていた。
なんとなく、とてもとても切なかった。
ミュージアムを出るとスゴイ雨で、傘が早速活躍する。インド門まで歩き、コラバ・コーズウェイという大通り沿いに店の建ち並ぶ歩道を行く。途中であったレストランに入ることにした。チリ・チキン(なんとインディアン・フードではなくチャイニーズだった)105Rs、ビール2本。キングフィッシャーは、ハーフサイズで90Rsだったので、デリーなどに比べても物価は倍だ。デリーだとフルボトルで90ぐらいだから。
このレストランでネパールから働きにきているという若者がぼくのウエイター。日本人はオネストだ、とか、だから好きだ、とか。ネパールはいい人が多く、いい国だが、プアーだ、と。マオ派の過激主義で色々怪しいだけに、それについても眉をひそめていた。かなりしゃべったのでチップをあげようとおもったが、止めた。それはおごりだろうと、感じたからだ。
たまたま店内にいた日本人に話しかけ、コラバ・コーズウェイにあるリーガル・シネマへ行く。ここでいいんですよね、と確認をとった。明日行くことにして、宿に戻る。歩道沿いの露店の行列はジョグジャカルタを思い出させる。声をかけてくるが、ひつこくはない。マリファナを売るやつがやたらと多いが。ホテルの近くでライター20Rsを買う。チッ、ヴァナラシの空港でとられなかったら予備があったのに。ないものだらけで見落としていたが、ライターもなかったのだ。ライターを買ったら、さっき声をかけながら宿までついてきた太鼓売りが、「よートモダチ」みたいにフレンドリーに声をかけてきた。
日記を書いてシャワーを浴び、寝る。インド…、ついに残すはあと一日だ。
宿の隣は学校だった。すぐ近くにポスト・オフィスもある。行ってみたが、5時半で閉まるらしく(っていうか中までは入れたんだけど…)、明日の10時に開くというので出直そう。明日はポストカードを買って、(ボールペンも買おう)それを出して、映画を見て、15:00にピックアップで空港へ行く。宿でタクシーを頼んだら350Rsだった。ここの宿、思ったより、かなり快適だー。あー、雨ちがったらなぁ。
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