2005年9月20日(火)
4日目

デリー→ヴァナラシ


朝一番、飛行機でヴァナラシに移動する。ニューデリーの空港までは、宿で頼んだ車で向かう。ドライバーは若いインド人青年だった。ラナさんはじめ、お世話になったスタッフにサヨナラと礼を告げ、宿を出る。

メインバザールに出るとすぐに、その若いドライバーはリクシャーをつかまえ、重いバックをもつ僕と二人で乗り込む。よく考えてみれば、この通り(メインバザール)を全然あるいていないことに改めて気付き、愕然とした。バンコクのカオサン通りのように、Tシャツが壁一面につるされ、人がたむろし、カフェがあり、外におかれたプラスティックのテーブルでは欧米人が本を読んでいる。午前10時のメインバザールは、魅力的な雰囲気があった。

リクシャーで10分ほどいった木の下に、彼の車が停められており、おそらくは、TOURISTと書かれたその白い車(ジーのものと同じ)を個人で所有しているのだろう。そして、今回のように客があればあちこち走り回る。タクシーの「旅行者専属」といったシステムになっているのだと予想がつく。信号待ちで、同じ車種の同じマーク入りのタクシーと並ぶが、お互いのドライバーが特に声を交わすでもない。つまりは知らない人同士なのだ。

彼の車には、木陰ということもあってか、数人の老人がもたれかかり腰を下ろしていた。その人たちをそっとどける。「すいませ〜ん」と日本人なら声をかけるのが普通だが、インド人はソフトに、とてもやさしく、膝や肩に何も言わずに触れるのだ。リクシャーを下りるとき、「10Rs払ってくれ」と当然のごとく言い放った彼も、優しい一面があるなぁ、と感動しつつ…、いやまてよ、敬う気持ちというごく当然のことなのか?とも思った。若者が我が者顔なのは変わってしまった日本の象徴なのかもしれない。ただし、やっぱりかつてのカースト制が残っているのか?汗だくになって自転車をこぐリクシャーの老人には、彼は冷たかった。「ふっ、10で十分だろ」とでもいうかのように。リクシャーの老人は、「もっとくれよ」と悲しげな(よく見せる)顔をする。カースト制、その言葉が想像の中だけで造られ、それが定着してしまった僕の頭の中。それが影響してか、どこか、この若い青年も、どこかリクシャーをバカにしている、ように感じた。

その青年の車で国内線(ドメスティック)・エアポートへ。インターナショナルの手前に位置し、距離は近いが迂回を強いられるので空港間は15分ぐらいかかるそうだ。ヴァナラシからムンバイにいくとき、国内線に降りて、国際線のターミナルに移動しなければならない。ので、参考までに聞いておいた。

彼にA/Cをつけてくれとは言えなかった。日本の感覚でいえば、エアコンがある車をすなわちエアコン付きといい、料金が上がるならその時点ですでにあがるが、どうも(これは感覚までにすぎないが)、インドの場合、エアコンを付けた時点でエアコン付きになって料金があがるように思える。まぁ、それにこのドライバーは非常にソフトな良いヤツだったし、暑いぐらい、砂が窓からグルグル渦巻いて侵入してくるぐらい、我慢、我慢だ。何よりこのドライバーの感心なところは、クラクションをならさないことだ。これは、若いがゆえ世代によって、「ならしまくるなんてオッサンだけだよ…」という変化の表れかも知れない。非常におとなしく、それでいてスピーディに運転する。そんな姿に、僕は好感をもった。と…、空港につく直前、左折の際に、まったく不可解なところでクラクションをならした。「……なんで?」ここでならすなら、もっとならすポイントはあったでしょ、市街地で。あんなにガンガン横は入りされていたのに…。

国内線の空港は、Air India、Jet Airways、Sahara Airなど、それぞれに別れてセキュリティチェックを受ける。結局10:50ぐらいについたので、12:55発のサラハ航空115便の乗客はそんなにおらず、大きな荷物の連続で行列のようにも思えたが、進み出すと早いという、高速の料金所における大型トラックの法則にのっとり、案外早く進めた。

チェックインをすませて中に入る。ここで、大失敗。ライターの持ち込みが一切許されないのだ。隅々まで探したわけでもないが、自然、喫煙所もない。飛行時間も含めて4時間、またタバコが吸えなかった。「ほんま、タバコやめよかな」
空港ロビーはキレイだったが、ソファーなどに汚れが目立つ。それが特にどうした?ということなのだろう。造るまではいいが、メンテナンス、維持するということに欠けるんだよな、インド人は。空港でも黙々と日記を書き、ヴァナラシでどこに泊まるかを検討する。いる部分だけちぎってバラバラにもっていったロンプラが、せっかくの製本テープにもかかわらず、散らばり始めている。デリーもムンバイも、日本からインターネットで宿をおさえていたが、ヴァナラシだけは行ってからきめる。ガートのあるガンジス川沿いは、(たまっている)日記をゆっくりかけるだけの宿にとまれそうにない。かといって、駅の近くのカントンメントやラウラビールでは、ガートまで遠い。そもそも、ヴァナラシへ飛行機で入るなど珍しく、ムンバイにも行きたい僕は時間優先で、しかもエア・インディアでロングを飛ぶと国内線のサハラ航空が6000円だったので、チョイスしたのであり、とにかく、駅近くだろうが、ガート側だろうが、空港からは遠い。

同じ便でヴァナラシに向かう日本人も何人かいたが、一人旅っ子は皆無で、ボクが日記をかいているだけで、旅は長いんですか?聞いてくる程の人たちなのだ。一緒にシェアしてプリペイドタクシーに乗ろうなどという人は、見つからなかった。

12:55発、サハラ航空115便、12Aシート。乗り込む前に機内持ち込みバッグを3度もチェックされる。その度にライターを捜される。何年か前にカトマンズからヴァラナシに行こうとしたことがあるが、ちょうどその時、デリー発カトマンズ行きでハイジャックがおき、全便欠航だった。あの時は、いつ再開されるかわからない、といってたっけ。もちろん、9.11の影響もあるのだろうが、飛行機は、本当にどこの国もテロに慎重になっている。

飛行機が飛び立つ。デリーを上空から眺めるのは初めてだ。ついた時は真っ暗の夜中だったので。飛び立つと大急ぎで機内食が出される。フライトスケジュールでは、2時間半の飛行なのに、なぜにそんな焦る?と僕は不思議に思っていた。妙だな、と思っていると、なんとこの飛行機はパトナ経由だった。正式に言うと、パトナ→ヴァラナシ→デリー→パトナの順に周回する路線なのだ。地理的に言えば、デリーとパトナの間にヴァラナシがあるが、一度、ヴァラナシを飛び越えて、パトナに降りる。飛行時間は1時間半弱。このパイロットもランディングが不安定だった。パトナでの乗り降りも、乗客はそのまま。インド人はこれが好きなのか?それとも、昨今の航空事情では経由地で旅客を降ろすのは減ったのか?

パトナからヴァラナシへは40分ほどで着いた。帰り、つまりヴァラナシからデリーに行くには、経由はない。上空からみるヴァラナシは、田園風景の広がるのどかな所だった。

空港に降り立ち、まず、市内までのシャトルバスを探す。が、やはりロンプラに書かれていたとおり、一日2便らしく、僕がついた午後3時過ぎにはもうバスはなかった。しかたなく、小さな空港を足早に駆け抜け、プリペイドタクシーの小屋に。ほんと、人だらけだ。なぜにああ集団で群れるのが好きなんだろう、インド人って。やっぱり少し高くてもいいので、きれいめのホテルがいいなかな、と思い出し、駅までとりあえず行こうと、空港から駅までの送迎がいくらかを聞く。Rs290(870円)。シェアする人でもいればよかったのだが、一人で乗り込んだ。

500Rs札を出すと、おつりがないからと、とりあえず、ドライバーに札を預け、あとで両替しておつりを渡すと言われた。ドライバーの後ろから若い男が同乗する。パーキング代の20Rsも、500札しかないから、と僕が払うはめに。えっ、それ以外にお金は持ってないのか???

何もインドに限ったことではないが、タクシーのドライバーが宿につれていき、その宿からキックバックをもらう。だから、このドライバーとガイドのような若者も、ホテルを勧めてくる。それは沢木耕太郎の時代から、変わっていない。まぁ、なんとなくの目星を付けていた宿はあったので、そこに行くようにたのむと道が狭いだの、ノーグッドなどといいとにかく否定された。そして、明確に僕のバジェットを伝えてから、彼らの言う「グッドなホテル」とやらいうところに連れて行ってもらうことにする。そこで問題がなければ決めてしまってもいい。

ところで、ドライバーについてきた若い男は(ガイドではないことを何度も何度も確認した僕)は28歳。ドライバーといとこだという。彼らのボスが(話の最後の方では、このボスがファーザーという呼び名に変わっていたけど)横浜にいるらしい。日本人の友だちもこんなに多いんだ、とメモ書きやら名刺やら…、出てくる出てくる。僕からすれば、「っで?」というところだが、一応のって「お〜、すごいね、日本は、好き?」などと質問する。「好きだよ、もちろん、カンフー!だろ」って…。「おいっ」

車はクラシカルなタイプの白、これがアーグラーと同じくプリペイドタクシーの証だ。そう言えば、空港を出てすぐの大通りで二人の日本人が歩いていた。オートリクシャーやタクシードライバーの客引きを頑なに振り払っていた彼ら。僕が窓から顔を出して「シェアしませんか?」と声を掛けたのに、もう何も耳に入らない様子。デリーの空港で見覚えのある二人だった。彼らは一体どうするつもりだろう。歩くのか?まさか市中心部まで?

何でもかんでも頑なに拒否していた時期は、確かに僕にもあった。そのバランスは非常に難しいが、ここは致し方ないとか、これぐらいの料金なら払った方が、時間的、体力的に得とか、そういうものが分かってくると、旅は倍楽しい。旅に出始めて10年、少しだけ分かるようになってきた、僕にも。

彼らが勧めたホテルを聞き、僕は車を停めてロンプラで軽くチェックする。「ホテル・ブッダ」か「スルヤ・ホテル」。そのどちらかが良いと言っている。ホテル・ブッダの蘭には、なかなかよさそうなことがかいてある。なぜ、初めから気付かなかったのだろう、と思うほどだ。次にスルヤ・ホテル。うん、悪くない。あとはどんな部屋でいくらかをチェックして決めようと思い、まずはホテル・ブッダに向かってもらった。

なかなか感じの良い2人組だったので、タバコを1本づつあげた。このときライターをなくした!と大騒ぎしたボクの為に、青年はシートをめくって、ドライバーはちかくの物売りからマッチを購入し、それぞれに、良いヤツじゃないか。青年は後ろ座席に移り、ヴァラナシの町に入ると僕の隣でいろいろガイドを始めた。ここが何々で、あそこか何々。とにかくテンプルがいっぱいあって…、と始まった。僕の心配を読み取ったのか、「ガイドじゃないから心配するな。ほら、オレはただのドライバーさ」と、IDカードを僕に見せる。そのIDカードは、いとこだという今まさに運転している彼のもので、「Not yours」と僕が言うと、黙って引っ込めた。心配なヤツだ。車代以外、「オレはぜったい払わないから、な」

インド人のマウスフレッシュナーなのだろう、食後によく出されるスースーする(完全にインドの臭い)実を手の平ですりつぶして頬張った。日本でいうフリスク感覚なのだろう。パーンというらしい。

ホテル・ブッダはラウラビールというエリアにあり、ゴダウリアにあるメインガート、ダシャーシュワメード・ガートまで(つまりガンガーまで)、歩いて15分だという所にある。ホテルは、非常にキレイで、部屋も廊下も手が行き届いている。スタッフは暇さえあれば雑巾であちこちふいている。エアコン付きが650Rsで、なしが400Rs。2泊泊まる場合のディスカウント料金らしい。案内してくれた大江健三郎似のボスは非常に静かだ。インド人とは思えないほど。そもそも僕はブッダというホテルのその名がきにいったし、長年にわたって人気のある低料金ホテルというロンプラの説明も後押ししていた。ただ、リノベーションでかなりキレイになり、「低」というほどの料金ではなくなったのだが。ホットシャワーが使える部屋をリクエストしていたので、その料金帯の部屋を案内されただけで、もっと安い部屋もあるのかもしれない。2泊で800Rs(2400円)。まぁ、予算内だ。これはゆっくり日記がかける。なんと机なるものまであるのだ!

フロントに降りて、チェックカードに記入する。部屋から階段を下りているとき、「タクシードライバーは朝のガート、モーニングボートツアーやトランスファーを言ってくるが断った方がいい。彼らはよくない。断った方がいいと、私がいったことはシー、内緒だよ」と、小声でいうもんだから、ぼられそうな所を助けてもらったのだ、と思い、なかなかいい二人組だったので心苦しかったが、くったくのない28歳、4児のパパの彼に、「他のサービスはすべてけっこう!」と断った。

ムンバイに行く日の空港トランスファーは?と食いつかれたが、ノー・ナマステで部屋にあがっていった。ポーターやらレストランのスタッフやらが、次々にチップねらいでやってくる。そういや、500Rs札を100Rsに変え、300払っておつりはもらわず、しかもパーキング代もそのままだ。ま、30Rsはくれてやる。90円也。

ホテルにチェックインすると、バスタオルと石鹸をかかえた子供が部屋を案内してくれた。部屋の前で靴を脱いではいってきて、バスタオルと石鹸を置いて直立した。……チップねぇ。はいはい、と。んが!さっきおつりをもらいそこなった僕は、一番小さい札が50Rsしかなく、なくなくその少年にあげた。

満面の笑顔で胸ポケットにその50Rs札を入れ、少年は部屋を去った。
今日の残りは、ゆっくり日記でも書こうと、まず手をあらい鼻をかんだ。

ベッドに横になって、窓から入るここちよい風をあびていると、今、ヴァナラシにいるのだという感情が溢れ、いても立ってもおれず、とにかくガンガーを見に行こうと、歩くことにした。

フロントに降りると、大江健三郎似がいて、外にいくならまず地図で説明を受けろ、と言いだし、さらに歳をとったかなり良さそうな人が地図のパネルをもって出てきた。そして、ガンガーまでの行き方を説明する。そして…、朝のガート・ボートをすすめた。え、もしかして、大江がタクシードライバーをふりきったのは、自分のホテルで頼ますためか???朝5時に起きて、ガンガーに行き、沐浴の様子をボートから眺めて、その後4つの寺院を回る。オートリクシャーとボート代で250Rsだという。沐浴を観光することには抵抗がある。ので、考えておくとだけ告げてホテルを出た。

町の地図も、ホテルの場所もすべてあやふやなままでの船出だった。
一歩出ると、やはり車移動が多すぎたせいで、この雑踏に面食らう。カトマンズの、いやそれ以上かもしれない混在ぶりだ。しかも夕方のラッシュ時なのだろうこともあって、人の数が半端じゃない。牛もいっぱいいる。とにかく歩いた。このクラクションも、砂も、臭いも、牛も、きらいではない。目指すべきガートの名も頭には入っておらず、とにかく「ガンガー、ガンガー」と連呼し、言われるままに歩いた。全ての失敗は、ここから始まった。

宿の位置が、ガンガーまで歩くには遠すぎることも、15分じゃ到底歩けないことも何となく地図から承知していたが、それにしても遠い。まだかな、と思いつつ歩くこの感じは決して悪くない。牛糞も踏む、コンニチワ!と声もかけられる。そう、そう、と感覚を取り戻し始めた頃、一人の少年に話しかけられた。自転車にのりながら、横をついてきて、色々話してくる。裕福な家庭に生まれたのだろう、その子は、決してそうには見えないが11歳だった。インドの歌手は知ってるか、香港は日本か?え、違うのか、じゃバンコクは?と、この調子である。ついつい話に夢中になり、彼にガンガーは?とばかりきくうちに、恐らくゴダウリアの交差点を北上してしまったのだろう。自転車の彼はこっちだ、こっちだと言いつつ、話続ける。今から思うに、彼はもっと長く話そうとしてわざと遠回りをしたのではないか。相当歩いてから、コーヒーをごちそうしてくれ、とかパーンを買ってくれと言いだし、さすがに僕も怪しくなって、強めに「ガンガーは?」と聞く。もっとあっちだと言いだし、腕時計を見て、「こんな時間だ!」と焦り始めた。門限か?塾か?どうでもいいが、ガンガーはまだか、、、とイライラする僕。そんな僕に彼は「パーンだけでも…」とまだうるさいので、はよいけ!向こうに、と追いやった。

彼は自転車の向きを変えて、逆向きに帰っていった。え?奴も迂回してたの……。やられた、と気付いたのはその後だ。歩いても歩いても、ガンガーに出ない。しばらく歩くと、ヒンズー教徒を乗せたのであろうバスの列があり、そこにたどりついたのは夕暮れがかってからのことだ。やっと……ガンガーだ。すぐ左手に橋がある。絶対に違うことをここで改めて知る。僕の目指していたメインガートは、到底橋など見えない。そういいつつ、メインガートの名前も知らないのだけど。後になって、そこが最も北に位置するプララッド・ガートであるらしいことに気付いた。ガートではヒンズー教徒がすわりお祈りをしている。ガートからの小道の寺院では、唄うように祈るところもあった。少し人気のいないところでガイドブックを広げて、今の位置を探っていると、すかさず、ハロ〜、コンニチワの応酬。あ〜、嫌になってすぐにその場を離れた。

いい人も悪い人も、この「アロ〜」というかけ声の声音が同じなので、それに反応してしまう以上、すべて拒否な気分になる。ガートからみて左手に見える橋は、ガンガーの中に一つしかなく、すぐ手前のガンガーということは…。かなりの道を歩いてきたことになる。来た道を戻るにも、少年との話で、うかつにも町のようすが頭に入っておらず、完全に油断していた。

慣れという怖さだ。初めての町に対する警戒心の薄れ。喉は渇き、相変わらずのクラクションの渦、今いる場所がはっきりしない上に、ホテルの場所も定かではない。テクテクと歩く。と、暗くなった。急げ、急げ、やばいぞ。強引に歩いていると、ほんと時間の長さばかりが気になる。すぐに完全なる夜となり、薄明かり程度のライトをつけて相変わらず道には種々様々なものが溢れている。どうしたらいいのか、どっかで曲がったような気がして、そればかりを気にかける。こんなとこ、通ったかな。いや、道が違うのか。ウロウロ、バタバタしていると、リクシャーにひかれた。脹ら脛に黒い油汚れが付き、よく見ると青あざがくっきりと残った。いってぇ、と文句を言う余裕もなく、焦る、僕。

郵便局のオフィスから人が出てきたので、ホテルでもらったカードを見せる。ホテルのある場所はラウラビール(つづりではラフラビールだが)というらしい。実は、このときになって初めて知ったのだ。このまま真っ直ぐだが、オートリクシャーを捕まえた方がいい、と言われた。が、この道であっているなら構わないとそのまま歩き続けた。電気のついている店は少なく、車のライトも非常に弱い。もちろん、街灯などないので、本当に真っ暗だ。灯りがあると「ホテルの場所を聞き」、ラウラビールの地名を叫び続けた。お祈り中だった露店商の邪魔をしてまで、尋ねた。そろそろかな、と思ってからが遠い。距離感がつかめない。とにかくラウラビールの地名と、ホテル・ブッダの名前を混ぜながら、尋ね歩き、ようやく着いた。

最後はほんとにまっくらな路地を行き、これで違ったら、とか、ホテルブッダが二つあったらどうしようとか、まぁ、その時はオートリクシャーで行こう、とか。今から思えば、ホテルの前にあるガーデンに面した真っ暗な路地を通り、宿にたどり着いたのだ。最後は走ったので息が上がり、フロントで迷子になったことを訴える。と、ホテルのカードは?ときかれ、どっかでなくしたかも…といい、(実際、バックの中にあったのだが)「も〜」とフロントの人は言いながら、一枚はポケットに、そしてもう一枚やるからウエストバッグにいれておけ、と2枚くれた。

また大江が出てきて、夕食と明日のボートを勧めてくる。とりあえず、7upとミネラルウォーターを頼み、喉を潤した後で、朝のボートを頼んだ。どうせ朝陽は見たい。が、まだ暗い内に宿を出て、自分でガンガーにいくのは……、と弱気になった。夜中に腹がへるかもしれないからと思い、全然空腹ではなかったが、エッグフライドライスとビールを頼む。チャーハンは半分残した。明日の朝は5時AM起きなので、早く寝ようと1階にあるホテルのレストランを去る。

結局、二時間近く歩き通した疲れが早くも出始める。
夕食は、130Rsだったので、150Rs払って残りはチップにした。
ホットシャワーも快適でさっぱり。それにしても、リクシャーにひかれた右脹ら脛が痛い。なぜか、左ひざも油で黒く汚れている。いつの間に……。痛い痛いの飛んでいけ、とまじないながら就寝。



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