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書籍や新聞を小型端末で読む電子書籍市場。先行したアマゾンの「キンドル」、ソニーの「リーダー」に続き、2010年1月27日、アメリカ・アップル社がその市場に参入を発表した。
かつて、LPレコードが小型・デジタル化されCD、MDへと進み、果てはパッケージ不要のコンテンツのみのやりとりを「普通」にしたi
Pod(アイ・ポッド)。アップル社はi Tune上でコンテンツだけを売っている。それと同じ試みを「書籍」(i
Bookストア)でもやろうというのが、今回のi Pad(アイ・パッド)だ(商標登録上、この名前になるかは未定)。
読者は軽量化された端末のみを持ち、そこにコンテンツを入れ込んでいく。ペーパーバック(文庫)よりも計量で鮮明なら、ユーザーはそちらに流れる。現にアメリカでは書籍端末は歴とした市場を確保しているという。これが日本語化対応になったとき、そういう近い将来、本屋さんでペラペラと本を捲りながら、これを買おうかな、ということも無くなる。
手の中にパソコン機能(i Phone)を持ち、音楽も本も「コンテンツ」だけを手に入れていく。なんというか、例えば自分の父親が始めて買ったレコードだといって見せてくれた色あせたLPや、先輩から譲ってもらった参考書、図書館でちょっとカビ臭くなった分厚い本や、書店で手にした単行本の、「持った感」みたいな【重み】を感じられないのは寂しいような気もするし、そういう「色あせたパッケージ」が醸し出す古さの持つ良さみたいなものが消えてゆくのは残念にも思う。
が、時代は、便利でスピーディ、そして安価。そういうモノを求めているし、それが勝つという市場原理では仕方ないのだろう。
人間は中身!というのはもちろんだが、その「中身」がじわじわしみ出て「外見」を作り出すってこともあると思うのだが、、、、そんな古くさいことは言ってられないのだろうか。