原子力を平和利用して、核燃料を自給する。その権利はイランにもある。アフマディネジャド大統領は言う。それはその通りだろう。現に日本もウラン濃縮を行っている。では問題は何か。

簡単に言えば、アメリカによる圧力(核開発における)と、それに過剰反応するイランの強硬姿勢が、ちぐはぐな形で悪い方向へと向かい、最大の争点(IAEAがイランの核計画の動向、本当に核燃料だけなのか、それとも核兵器への転用もあり得るのかを、100%掴みきれていないという問題)が複雑な形でからみあっていることだ。

そもそもアメリカは、中東地域におけるイランの存在を意識して、仮にイランが核兵器を持つようなことがあれば、問題は大きくなる一方だと懸念している。そして、必要以上に?この国の核問題を国際問題化しようとしているのだ。そのベースにあるのは、イランがシリアと連携して、パレスチナのハマスやレバノンのヒズボラを支援しているという現状がある。
対してイランは、そんなアメリカの圧力に意固地になって反発している。イスラエルやインドは核兵器を持っていてもいいのか、と少々ズレた主張もかいま見れる。

問題はもっとシンプルで、どう考えても、核燃料を自給して安定したエネルギー供給をしたい(イランの主張)のであれば、IAEAからの無条件の査察を受け入れるべきなのだ。なのに、それに十分な対応が見られない。(日本は、IAEAから徹底した調査を受けている、と言われている)
この点において、イランがどう主張しようと、国際的な信用は得られないだろう。

と、いうことで、国連安保理はイランに対してウラン濃縮の停止を求めた。
が、ここにイランの豊富な天然資源が絡んで、欧州やロシアもどうしたもんかと手を焼いている。日本もみすみすアメリカの主張に同行してイランの油田を手放してよいものか?など、これまたズレた意見まで飛び出しているのが現状だ。

そこにきて、イランは国連安保理決議を無視。それをうけて、ロシアと中国は即制裁に対して慎重な姿勢を見せた。と、アメリカは欧州と日本と組んででも、単独で制裁に踏み切ると言い出した。(現在では、その可能性は薄いが)

こうなると、話は全然違う方向へ行くような気がする。「イラクには大量破壊兵器がある!」というあれを思い出してしまう。イランの主張ではないが、あくまでこの問題はアメリカvsイランでもなんでもない。国際的な機関が、全世界の平和維持のためのルールとして決めているのであって、イランが100%核兵器を造っていないという証拠がないのと同じく、造っているという証拠もない。その段階で、国連で決めたことではなく、アメリカ主導の単独行為は、間違いだ。アメリカに乗っかる、などという言葉が出てくる段階で、もうズレているのだろう。

イランのウラン。これは確かに重用視するべき問題に違いはない。北朝鮮が核兵器を持っているか、それをロケットの弾頭に取り付ける技術があるか云々、それも重要だが、こと、中東においては、現実問題として「戦争」や「内戦」という凄惨な状況となっているのだ。そこに核兵器が加われば、もう引き返すことができなくなる。国際社会は(あえて中国にも言いたいが)、アメリカぐらいの「強行さ」で核開発に対して徹底した「ノー」の姿勢が必要だろう。ただし、重要なのは、アメリカのような、こっちは良くてあっちはダメというダブルスタンダードでいけない。ダメなものはダメ、という共通した姿勢、無条件にどこの国にも査察を行うべきだ。未だ理想だが、そのぐらいの権限をもったクリーンな国際機関の設立と、その機関からもたらされる報告によって一致した制裁が迅速に行える風潮が、核開発にはかかせない。石油がどうとか、歴史的関係性にとらわれることなく。



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イランのウラン
2006年9月5日