2005年11月27日

雇用なき者

「雇用のある者」と「雇用のない者」。この二つに大きな格差が出来て「暴動」という結果につながった。先月のフランスで起こった事件は欧州のみならず世界中に配信された。「対岸の火事」としてとらえていたのでは痛い目に遭う。そう危惧する欧州各国の政府は、移民と自国民の若者のバランスに躍起になりつつあると伝える記事が多い。例えば、小学生の段階で「技術職」か「管理職」かという選択を迫られ、生涯を磨かれた人生にするという「マイスター」で溢れるドイツ。この国でも、今や、若者達にとって雇用に関するライバルはポーランドをはじめとする旧共産圏・東欧諸国からの「安い」労働力だ。失業し、雇用がなく、自動車に火をつけるのは、自国の若者になるやもしれない危険性を、現に迎えている。陸続きであるヨーロッパがEUという枠組みの中で大きく統合され、移民に対して寛大な政策ゆえ、流動的に労働力が動く。加えて、スペインがアフリカ大陸(モロッコ)に持つ飛び地からアフリカ諸国の若者も不法ながら欧州を目指し、そこに定住する。1世から時代が流れ、2世、3世となった今、祖国と呼べる空想上の「地」が揺れ動いている。生まれ育った国と、自分のルーツである国。どちらにとっても「ハーフ・ハーフ」だ。同じようにそだったのに、紙面上だけで「雇用」がない。鬱憤がたまり、爆発させた「暴動」。……分かりやすい。ステレオタイプな現状がこうだ。

が、待てよ、とも思う。この日本での事を考える。かつて、昭和30年・40年代、日本は高度成長期にあって、若者は躍起だった。外国企業を閉めだし、自国生産を守り、時間をかけて花咲かせた。世界の中で誇るべき経済大国を創り上げた。その勢いに乗ったまま、ここ数十年も(バブルの崩壊はあったものの)、波に乗り続けた。が、今現在、日本の若者の中に「雇用なき者」という現実味が、ヒリヒリと痛いほどに伝わってきているのではないか。就職難がその一つだった。とはいえ、フリーターという便利な存在を作りだし、よく考えてみると、安い時給でも我慢できるなら、「職」がないという状況に自分が置かれる危険は少ない。モラトリアム。がんばることは「ダサイ」象徴で、横をみながら同調する。「だるい」「うざい」。ニッポンの若者は、ヤバイのだ。上るだけ上ったら、それ以上をめざすよりも「ゆとり」なんて便利な言葉にかまけて停止している。少子化という問題は確かにある。が、それだけではない。来たるべき大学の全入時代、これはますます「ヤバイ」ぞという動きが水面下では始まっている。日本の企業は、雇用をアメリカに求め始めた。インテル・ジャパンやアマゾン・ジャパン、マイクロソフトなど元々「向こう」の企業に加え、電通やNEC、日本銀行などもボストンで行われた企業説明会に参加し始めている(朝日新聞)。もちろんアメリカだけではなく、アジアからも労働力は流入する。これまでは少子化に伴って単純労働者が増えると言われていたが、それを風穴にして、ドッとこれまで「日本人」の雇用として確保されていた席を「席巻」する可能性もある。何しろ、それぞれの国では熱心に「がんばった」人たちが勢いをもって日本にやってくるのだ。「ヤバイ」モラトリアム状態の日本の若者が、さぁ、勝てるかどうか。フィリピンからやってくる看護師を例にとってみても、彼ら・彼女らとの間にある差は「日本語」という言葉の問題のみ。それさえもクリアする「がんばった」人たちが溢れようとしている。インドからの波も見逃せない。自由市場の中で、インド人たちは「雇用される」のではなく、事業を立ち上げ、経営者として東京に「箱」をつくり、そこへ、新たなる優秀なインド人を呼び込んでいる。現にそういう動きが始まっているのだ(Newsweek 2005.11.30号)。

そんな時代を迎えて、「昔みたいに!」と顔を真っ赤にして叫ぶのは間違いだと思う。中国にしてもインドにしても、昔の日本みたいな(僕は個人的にこの時代にかなりのリスペクトがあります)勢いで成長しているのであり、人口という絶対的な市場のパワーの下で猛スピードで昇っている。だから、それに負けないよう、昔の若者のように、がんばれ、と今の若者には言えない。そんな間違えたメッセージこそが「だるく」「うざい」のだ。三十年、四十年前の若者にできた「成長」を、これからは違った方向と新しい発想で成し遂げていかなければならない。「雇用がない」というのは、単に既存の「箱」での話であって、「雇用」そのものを創りだしていく時代。ITというフィールドで淘汰されながら生き残ったここ数年の動きは、そんな新しい波のさきがけとして証明しているのではないだろうか。ただ、そう言いながらも地上波が欲しいという詰めの甘さを感じつつ、もっと新鮮な、もっと新しい何かの登場を、そんな「箱/雇用」の立ち上げを虎視眈々と狙っている日本の若者がいることを、期待したい。

僕は、来年三十路という節目を迎える。「三十にして立つ」。“四十にして惑わ”ぬためにも、若者だという気持ちだけを頼りに、そんな新しい時代に突入したい。扉(壁)があるとすれば、そんなもの勢いよく開け放ち、無礼なほどの熱をもって駆け抜けたい。

そんな風に、思ったりなんか、します。



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