極東日記『上海編』
今、これを記しているのは2010年1月。ついに上海で万国博覧会が行われる年、マーケットでは上海が最後の楽園なんて呼ばれる頃合いだ。思えば、北京オリンピックが開催されている最中に上海に行き、サッカーの三位決定戦が行われていた時、ぼくは上海を初めて旅し、来る万博までの「変化」を目の当たりにした。2008年夏、その時の日記をもとに記す。当時の日本円換算は1元≒16.6円(市内の銀行レート)。
2008年8月22日(金)
上海、1日目。
今、成田国際空港53ゲートの前にいる。ANA919便で上海へ行く。今回は2泊3日の短い旅だ。腹の調子がおかしい。それもこれも寝不足のせいだ。09:50発なので部屋を06:00に出なければならず4:30起き。なのに、思わぬトラブルでゆうべ寝たのは午前1時を回っていた。あ〜。と、この上海までのエアーはマイレージでとった。思えば10回以上海外に行っているが、成田から飛び立つのは初めてだ。京成スカイライナーで成田まできたが、喫煙車をとったのが失敗。気分が悪いぐらい煙に埋もれていた。爽やかな朝の、缶コーヒーも残すおどだった。ゲート前のテレビでは、昨日北京オリンピックで金メダルをとった女子ソフトボールの試合をしている。そう、今、北京ではオリンピックも佳境、最後の週末にさしかかろうとしている。そんな中で、あえて、上海に行く。
さて。二年前の北京についで二回連続の中国だ。ANAなのに、こんなに早朝なのに、、、中国人は騒がしい。アジアでは東京に次ぐ大都会といわれる上海。どんな街だろう、楽しみで、ある。
飛行機の席はビジネスのすぐうしろ、バルクシートだっで広々。三列シートで、真ん中は誰もいない。が、通路側の欧米人がやたらと侵入してくる。真ん中の席を自分のもののように。まぁ、いいけど、イライラした。それにしても成田は滑走路までの移動が長い。何となく、「大きい飛行機だなぁ、シンガポール航空かぁ」と思ってみていると、あ!A380だ。総二階建ての、確かにスーパージャンボ!思わずカメラを取り出して撮った。
ANAと何処かのジョイント便だったのだろうか?やたらと中国人が多かったように思う。さすがに眠く、10時前に出て、着いたのが現地時間の12時前で、ほとんど寝ていた気がする。機内食は思いの外しっかりと出た。国内線でしかANAに乗ったことがなかったので、機内食というのも、初めてかも。
上海のプートン国際空港へは、それはそれは汚い?黄土色の川だか海だかの上を滑るようにして着陸。入国までに前に並んでいたニュージーランドからの団体のせいで遅かった。そして!空港から龍陽路駅というメトロ2号線の駅までリニアモーターカーに乗った。こちらでは「磁浮」と書く。確かに、磁石で浮いて走る車だ。50元(約800円)。高いのか安いのか。出来たばかりの頃は100元以上したというから半額近くまで下がっていた。利用客も少し増えたとか。新幹線のようにある種隔離されたような田舎を走るのではなく、隣にハイウェイが並列しているので、自動車とのスピードの比較ができる。とにかく、速い。そして、とてもスムーズな走りだしだった。
431q、車内に示された速度計ではそれが最高だった。思わず、カメラをビデオモードにしてとる。リニアとリニアがすれ違った時、それがまた凄まじかった。こんなものが東京と大阪間を走ったら、そりゃ時短になるだろう。数十分で目的地に着いた。そこからメトロに。切符の買い方は北京に居たときになれたのに、すっかり忘れてしまっており、そういや、スイカのようにタッチするシステムに変わっていた。
4元でホテルの最寄りの駅まで。なんで車内の席はプラスチックなんだろう、そして何で地下鉄なのに携帯電話が通じるのだろう。そして、やっぱり、中国人はデカイ声で話すんだなぁ。ゴトゴト、ガーガーうるさい車内で、それでも電話の相手と話そうとするから負けじと大声になる。
2号線で人民広場にいき、そこから8号線に乗り換える。ここ1,2年でできた新しい路線だ。街中までは来ないリニアのせいで、人民広場まで7駅も移動して、そこからさらに4駅、西蔵南路駅へ。ホテルは、その5番出口を出てすぐだ。おそらくは建設中のエリアなのだろう、マンションが多い。予約しておいた世和酒店(HUNDRED CENTURIES HOTEL)のレセプションに行き、バウチャーを出すと、一泊しかとれていないと言いだし・・・。なんだろう、寝不足もあった、相手のデカイ声もいやだった、とにかくイライラしており、怒鳴ってしまった。きれまくった。チェックアゲイン!、オレは二泊だし、部屋だってスーペリアルームだぞ!」と。と、男と女のフロントスタッフが中国語でごちゃごちゃいうので「ホワッツ!」と思い切り指をさして怒鳴る始末。結局、これまででも最高というほどに広い部屋に泊まっている。
437号室。1泊5000円。デポで200USドル、カードできる。部屋までいくと、まだ掃除中。たしかにチェックインタイムを午後2時にしており、まだ2時前だった。きれたからフロントスタッフもそのまま上がらせたのだろう。掃除のおばちゃんが掃除する広い部屋でタバコをすったり。
掃除も終わり顔なんかを洗ってホテルを出る。隣の中国建設銀行で両替。10,000円で604.60元。BUY RATEは0.06、1円が約16.6円だった。ここでも待たされ、ケータイ男のデカイ声。ぼくは思う、「中国人に携帯なんかもたせたりするからだ」と。
また、人民広場にでて、でかくユニークなホテル群、そして公園を見る。金曜の午後からぼんやり座っている人が多い。公園の中には遊園地なんかもあり、それはそれは小規模にたのしんでいる。ゴーカートは閉鎖になっていた。ナイキにオメガに、、、それぞれ中国人のヒーロー?が大看板になって広告が掲げられており、日本人の姿はいっこうにみない。こんなに日本企業は入ってきているのに、文化面での浸透はまだまだか。どらえもんの傘をもった人がいたな。人民広場から南京東路を。ここは大ショッピング街。広い路の両脇にデパートやセレクトショップが並ぶ。このエリアの入り口に「ここから南京路が始まる」みたいな記念碑?があって、そこの前でおそらくは中国の中でも「地方」から来た中国人だろう、ほとんどが家族連れだったが、記念撮影をしていた。ビッグエコーあり、吉野家の牛丼あり。吉野家は、ファーストフード店のような店構えで、プラスティックのテーブルと椅子に座って食べる。ここでペットボトルなどを集めるためにゴミ箱をあさっている人たちは、巡回中のお回りに止められ、小さなパトカー?ゴルフ場でみるカートのようなものに乗せられていた。見せたくない、一面なのかも知れない。なんというか、華やかさを演出しているといったところ。それをもっと感じさせるのは、南京東路を一本はずれると、よく見る中国の光景?狭い店にぎゅうぎゅうになって何かを食べていたり、ぼんやり道路の脇においた椅子に座っていたり、上半身裸だったり。路は常に何かで濡れていて、異臭を放っていた。自転車、バイク、車がとめどなく、信号無視はどこか当たり前の秩序の無さ。大通りには信号はなく地下道になる。その地下道に入ると一気に涼しくなる。決まって、地下道の階段脇には物売りが座っている。北京と変わらない光景だ。といっても、オリンピック前の、だけれど。
南京路を東へ進み、黄浦江へ。有名な外灘(わいたん)だ。そこに行くまで、やっぱり日本人ってわかるのか、僕を見ると、「ニセモノ、ヤスイヨ、サイフ、トケイ」と声を掛けてくる。外灘に辿り着いた頃には汗だく。ポケットにいれていた紙幣がふにょふにょになっていた。対岸にある東方明珠塔やシャングリラホテル、グランドハイアットなどニューヨークのサウスエリアを思わせるビル群。スカイスクライパーを写真に収めた。2010年に行われる上海万博の宣伝船なんかも通っていた。対岸に行こうかと思ったが、遠景だからいいのかと思い直す。光と音のスペクタクルショー、観光トンネルの入り口にもひょんなことで言ったが、まぁ、いいっかと諦める。そこから砂埃のすごい路を北上して乍浦路(ザップルー)へ。ここにある美食街がいいと聞いたので歩いたが、時間が中途半端だったからか、あまり惹かれる店はなく、よく見るコンビニでも水が冷えておらず。が、この路はよかった。スーパーマーケットはあるし、人の生活臭が漂っている。ひとつの路地裏にいくと子供たちが駆け回り、剥き出しのように洗濯物が干されている。ところであれは洗っているのだろうか?と、思うほどに茶色かったが。ぶらっと往復して気分にませてウロウロ。ファンタオレンジ(甘すぎる)を3.5元で買い、店番の若者がテレビドラマに夢中で。。。コラッ!
もう一度南京路に戻って吉野家の牛丼でも食べるか・・・と考えつつ、結局一本はずれた通りの店へ。小籠包とビール、チャーシュー麺?で36元。店員がびっくりするほど頼みすぎたのかも知れない。たしかにほとんど残してしまう量だった。が、ラーメンは美味しかった。なんとも独特のスープに、麺が素晴らしい。ストレート麺で腰がある。目玉焼きも入っていたなぁ。
満腹のまま、またメトロに乗ってホテルに戻る。人民広場はラッシュで、満員。でもホテルのある方はできたてのためか?少し郊外にあるのだろう、さほど混んではいなかった。整列乗車なんてあり得ず、どんどん先に乗り込むから大変だ。これだけの人口が多い中国人の一人一人がうるさいので、麻痺してくる。
ホテル前にあるローソンでビールと水、チョコを買う。14元。本当なら龍安寺駅に移動して上海雑伎団を見ようと思っていたが、疲れていたのでホテルで寝る。北京オリンピックのテレビを見ながら、うつらうつら。日記も途中で就寝。
2008年8月23日(土)
上海、2日目
部屋は広いが、窓がない。だから時間感覚が分からない。結局8時半ごろ起きた。顔をあらってフロントに行くと雨。昨日きれまくったので、ばつがわるかったが、男のスタッフは昨日とは違い、女性は同じだったが、そんなこと忘れたかのようだった。とにかく、今日の最初の目的地である小籠包発祥の地、南翔に向かう。案外わかりやすいかなと思って、「古猗園」という場所を地図で指すが、上海市内の???う〜ん、とフロントのスタッフは悩みだし、「タクシーに乗りな」とホテルの前に止まっているタクシーを指さした。まぁ、最初からタクシーのつもりだたので、素直に乗り込んだ。二度、三度、確認をとって、雨の中をスタート。どんどん進むタクシーの運ちゃんに「もしや?」と思って「ちょっと、シティネームは南翔だよ」とこれまた日本でプリントアウトしてきた地図で示す。と、驚いたように「本当か?」と言いだし、45分はかかると紙に書いて示す。「いいよ、わかった」と元々南翔が上海の郊外にあって、それぐらいかかることは知っていたので、僕がOKを出すが、それでも「本当かなぁ」と運ちゃんは困り顔。で、どこかにケータイで電話をして、僕にかわる。「もしもし・・・といえ!」と言われたが、一応、「ハロー?」と電話を替わると、相手は日本語が話せる中国人。「南翔の古猗園に行くのか?」と再確認された。僕は僕で45分もかかります?と聞くと、「上海市内からならそのぐらいはかかると思う」と、いう返事。これで全てOK。向かって貰うことにする。どうも運ちゃんの友達なのか?外国人を乗せたときの対策なのか?それぞれの言語担当みたいな人がいるのかも知れない。まぁ、土曜の9時からたたき起こされた、単なる友人なら、非常に申し訳ないことをしたと思うが。この運ちゃん・・・いいやつ?などなど、それはそういうサービスなのだと後になって気付いた。
雨は止まず、タクシーは高速に乗った。日本と同じく立体に交差するハイウェイ。北京もそうだったな、と思いつつ、こんなに遠くまで行くと分かった運ちゃんは急に態度を変えて、ちょこちょこ日本語を交えて話してくる。現金な奴だ。NO SMOKINGと思い切り書かれた車内で「オキャクサン、タバコ、スイマスカ?」と言われ、運ちゃんの持っていたタバコを差し出される。持っているから、というと、今度はライターを出してくる。それもあると答えると、僕よりも先にタバコを吸い出した。まぁ、いいけど。車はどんどん進み、上海の街並みを眺める。雨は一向に止みそうにない。「ジュウタイ」と運ちゃんは、「だから45分じゃ着かないかも」ということを確認する。まぁ、確かに車は混んでいた。「南翔」という標識が出ると、「ルック、ナンチェイン」とかなんとか。この頃になると、もう信頼しきっていたので僕は「ヤー、ヤー」とそれを確認するのみにする。結局、どのぐらいだろう、タクシーのメーターがどんどん上がることに気を取られて、時間まで確認していなかったが、40〜50分ぐらいだったと思う。とにかく雨が嫌だった。
ハイウェイを降りるとき、シャオロンなんちゃらと運ちゃんは切符きりの人に確認しており、まぁ、確実に連れて行ってくれるのだろうと安心してはいた。思ったより「街」だった南翔。「古猗園」に行くと、赤い垂れ幕で南翔小籠の文字が。また運ちゃんは「ルック、ルック」といい、この「場」が小籠包で有名なことを確認。世界が、、、有名、、、という字も見えた。そして、古猗園を通り過ぎ、しばらく進み、僕はこの園の横に小籠包発祥の地があることを知っていたので、また戻ってもらい、園に隣接された「古猗園南翔小籠」という店へ。タクシーの運チャが待ってていいかというので、どうしようか迷ったが、傘のない雨の中、ここからまたタクシーを見つけるのもなぁ、と思い、OKと言った。「パーキングにとめていいか?」というのでそれもOKした。
さて、小籠包。すごい種類があって、食べてる人を見るとスープのようなものも頼んでいる。朝食からそんなに食べられないのでどうしようか・・・注文カウンターで悩んでいると、南翔小籠というのがあり、15元(約250円)。20個入り。ここでも小振りだった。ポットにある酸味のあるタレで食べる。うん、ダシよりも肉そのものの味が素晴らしい。ここにあったある店主が、小さめのパオをダシを入れて蒸して出したのが小籠包の始まりという。この店の名刺の裏には、「明代園林古猗園南翔小籠發源地」とかかれている。お持ち帰りもあった。なんというか高いのか安かで言えば少し高いのか、それでも納得の味だったからいい。と、のんびり店内を見回して食べていたが、ふと、タクシーってメーター動いてる?と心配になった。確か着いたときは86元か88元、そんなもんだった。で、タクシーに戻ると運ちゃんはおらず。雨に濡れてるぼくの後ろから赤い傘を差して登場した。トイレでもいってたのか。で、タクシーに乗ると、96元!かそのあたりだった。やっぱり。古猗園には入らないのか?と聞かれたが、いかないといって上海市内に戻る。
次の目的地、「莫干山路」だ。タクシードライバーは知らないことが多いので、莫干山路と昌化路の交差点というのがいいと聞いていたので、それをいうと、「知ってる!」と。彼は20年、ここ上海でドライバーをしているらしい。名刺をくれたので、名前は倪群安(Ni Qun An)さん。相変わらずの雨の中を戻りM50へ。入り口?あたりで降ろされた。帰りもジュウタイとかタバコすうか?とか。信頼できるのか出来ないのか、なかなかつかめなかった。
結局、タクシー代は167元。48.6qの移動。08:58〜10:43まで・・・など詳しいレシートと行き帰りの高速代(それぞれ10元)、駐車代10元。しめて197元(3,150円)だった。200元を出して3元はチップにした。
降ろされたはいいが、雨だ。とりあえずギャラリーの軒下に行き、少しすすんではまた軒下。それを繰り返してM50の入り口にあったカフェへ。カプチーノ25元。とても落ち着いたアーティスティックな店だった。そこで昨日の日記を書いた。
隣にあったギャラリーカフェでは若い青年が雨を見上げていた。
日記を書いている間に雨は上がり、隣の店ではテーブルと椅子、それにパラソルを開く。オープンカフェらしい。店を出て、いよいよM50へ。ここはもともと倉庫群。そこを若手アーティストのためのアトリエとしているところだ。トライベッカやミートパッキンエリアなどニューヨークの若いアーティストもそんなことをしている。色んな所に通路があり、絵の具の匂いがしたり、やっぱりペインティングが多く、そのレベルは世界も注目するという。納得。格好良かった。上海で一番いい。ハローパンダ?なるつり目のパンダがTシャツになって売っている。日本では、タレ目のパンダが人気なんだけど、と思いつつ。ポスターやらを写真にとっていると、ついついアトリエの中にカメラを向けてしまい、怒られた。ノーフォト、にしてもここにきて値段交渉して買うほど、、、リッチではない。結構長くいた。雨あがりが良い具合だった。
そこから中潭駅まで歩き、上海体育場へ。3号線と4号線を乗り継ぐ。このスタジアムは、昨日北京オリンピックのサッカー三位決定戦が行われたところで、ブラジルが出たんじゃないかな。新しい4号線のホームは綺麗で、公衆トイレもさすがはオリンピック仕様で整っている。バカでかいスタジアムだった。
Beijin2008の旗をここまで見る上海のエリアはない。が、全てのゲームが終わった翌日。入り口を始め、どんどん撤収作業が進んでいた。そこからまた4号線に乗って大木橋駅へ。北上を続けて歩き、肇嘉浜路を右折。ず〜っと歩いて泰康路芸術村へ。それにしてもみんな信号無視だ。そして道路脇が濡れていて臭い。
この芸術村。とくに田子坊と呼ばれるエリアは上海のソーホーと呼ばれているらしい。ショップが多く、欧米人も日本人も本当に多い。雑貨屋から写真、絵画まで町並みが良い感じだ。が、アーティスティックなレベルで言えばM50の方が上かな。
ここで知り合いのお土産を買った。奈良美智のばったもん?にも見えなくないが・・・、憎たらしい少女の人形が店頭にあり、雲のデザインがすこぶる良い「JINDOU108000」という店。本当にいろんな店をのぞいて、それからきめた一品。貯金のできない僕を反面教師に・・という意味で銀のぶたの貯金箱をお土産にした。大きさと色がなんだかよかった。現品しかなく、指紋などが目立ったが、まぁ、いい。ラッピング?というか箱につめるだけの不器用な「それ」を施してもらい、でも笑顔の可愛い女性店員が包んでくれた。それから同じ道をもどって大木橋駅へ。途中、好徳といういっぱいあるコンビニでアイス2元を買う。10元札をいれて3元のボタンを押すと、カード3枚と1元のおつりがでてきたメトロのカードをつかってホテルへ。またローソンでビール(朝日スーパードライ)?酒=ビール とお菓子を買う18.30元。店員と少し話す。ホテルに戻ったのが早かったので、周りをブラブラ歩き、日用雑貨などを物色したがこれ!というのはあいにく見つからず。夕食を食べてホテルに戻った。オリンピックのテレビ番組は多いが、卓球がほんとに多いなあ。野球の日本代表はどうなったのやら。寝る。
2008年8月24日(日)
上海、3日目
朝8時か9時か。とりあえずテレビを付けると最終日を迎えた北京オリンピックの男子マラソンをやっており、アフリカ勢ばかりがトップ集団をつくっていた。短い旅の終わり。あまり散らかってないがパッキングをすます。
チェックアウト。デポの控えを貰い、フロント横のレストランに入って朝食をとる。・・・とするが、どうもなんだろう。お金がいるのかどうかも分からず、そのまま席を立つと、入り口にいた女性がCan I Help You?と。時間がないからと適当にいって出る。ありがとうございました。と日本語が帰ってきた。
さぁどうしよう。と思いながらメトロの駅に向かったが、なにぶん荷物が重い。のでタクシーで豫園に向かう。13元。裏道で降ろされ、民家というか狭い道を歩く。あ〜この異臭。なれたつもりでも日本に帰る日にこれはきつい。豫園のある一体は大観光地。朝から賑わいが半端じゃない。人、人、人。変な日本語で話しかけてくるモノも多い。とりあえず土産物屋一体を素通りして豫園に入る。中国庭園。たしかに素晴らしい。日本よりも大作りというイメージがあったが、そうでもない。とにかくドラゴンがいるのがいい。木、石、水(池)。なんとも落ち着く。が、暑い。そして荷物が重い。30元の入園料をはらったが、たぶん、敷地の半分も回れてないと思う。けどいいか、と思って出る。
そうそう、はんこを造ろうと店員が80元といいだし、高いよと去りかけると30元!なんて叫んでたな。そんなもんかな。
その後も中国人だらけの中を歩く。この人たちの対人距離の取り方が日本人にはとにかく不快だ。ハーゲンダッツに逃げ込み、シングルカップ28元、チョコクッキーを食べる。この歴史地区のような豫園の中にはスタバもマックもある。
その後大きなショッピングモール?のようなところにいき、ブラブラして、軽めの食事を済ましてタクシーで虹橋空港へ。ハオ・・・?発音が難しい。タクシーでも「プートンじゃないほうね」と確認したが、伝わったかどうか、携帯電話を差し出され日本語の話せる人と確認した。空港まで50元。「シャロン」という日系?のレストランで麒麟ビール(25元)と天ぷらうどん60元!で85元。さすがに使いすぎだ。まぁ、タクシー代が安かったからいいか。天ぷらうどんに1000円とは。しかも味は、、、やっぱりやられた。ダシの味がダメだった。
イーチケットでスムーズにチェックインして出国。国内線の空港なので小規模だ、すべてが。ライターは取り上げ、相当厳しく液体物のチェックを受けた。それにしてものんびりした陽気だなぁ。日本航空が先に出て、全日空までは時間があった。喫煙ルームにはライターあり。北京五輪閉幕の日なので、ANAから扇子のプレゼントがあった。帰りの飛行機はテレビ付き。映画みたり、機内食がまずかったな。グリーンピースだらけ。真ん中の席はまたあいてた。それにしてもビジネスシート?プレミアムエコノミーか、その席がすごいあった。羽田につくと、国内線ターミナルまでシャトルバスで移動。東京は雨だった。
短いながらに、今にして思えば、なかなかいい旅だったなぁ。
上海の旅、無事終了!
Bookavel Topに戻る