極東日記『ソウル編』

今、これを記しているのは2010年6月。鳩山首相が辞任し、菅首相が誕生しようとしていて、北朝鮮と韓国の間では「哨戒船」沈没問題で緊張が高まっている。板門店の北朝鮮側の兵士はヘルメットを着用し始めたという、そんな時期だ。2009年9月、弾丸という名前そのものの、なんとも「ソウル」らしい大急ぎの旅に出た。その時の日記をもとに記す。当時の日本円換算は100ウォン≒7.6円(市内両替商レート)。



2009年9月26日(土)
ソウル、1日目。



とにかく安いチケットが手に入る。そんな旅の始まりだった。シルバーウィークとも呼ばれたこの年、海外へのチケットは軒並み高く、しかも取りにくかった。そんな時、知り合いのつてを頼ってとったチケット、成田・ソウルが15,000円。そこに、なんだか帰着日の追加や空港税、諸々の諸経費がついたら24,390円にまで膨れあがった。とはいえ、品川と京都を新幹線で往復しても27,040円というのに比べて、これはありかな、と思った。

ノースウエスト航空、成田発。結論から言えば、やはり値段は値段だ。夜中、アメリカからやって来た飛行機が成田で経由し、その機内に乗り込む。つまり、機内にははるばる太平洋をわたって、あと少しというところで「東京」によって、「おいおい、そんなことせずに直接ソウルまで行けよ〜」という空気が流れている。そこに、である。隣は空いてるかも、と期待したであろうある女性の、おそらくはアメリカ人の横に、ぼくが座るのだ。残念・無念という顔をされる。

その飛行機で、夜7時半に成田を発ち、ソウルにつくのは22:15。仁川着。とにかく、2泊3日といっても、1日目はほぼつぶれ、最終3日目も11:10に仁川を発つので9時には空港にいなければならない。正味、丸1日のソウル滞在。弾丸、な旅になる。

成田空港について、まず両替。これは失敗だった。1万円を100ウォン=9円ぐらいのレートで換えてしまった。今は7円強が普通なのに、である。とりあえず3000円分ぐらい換えれば良かった。実際、ソウルにいってからは7.6円ぐらいだったからね。しかも!ドル安が猛烈にすすんで90円ぐらいになっている。これは損した。

飛行機は、デルタ航空の機体だった。3列シートが2つの小さな機内で、横にはとても不機嫌なアメリカ人かな、おばさん。彼女は、窓側に座るぼくからみて通路側を完全にシャットアウトしている。機内食はお寿司だった。空港でマクドナルドを食べておいて良かった。少ない。ビールはHITEという韓国のもの。お代わりして、2本飲んだ。もう、晩酌してもいい時間なのだ。

仁川空港に着いたのは、少し遅れて夜の10時半。市内への空港バスは終わっているだろうと思ったら、東大門などに行くのがあり、チョンノサムガ(鍾路3街)まで乗車。1人9000W。

空港バスで1時間。もう真夜中になろうとしているのに、屋台は賑やかだった。土曜、ということもあるんだろうな。気温はぐっと寒い。空港バスを降りて、予約していたホテルへ向かう。僕の宿はアストリアホテル。バスを降りてすぐ、おじさんに聞くと、すぐそこ、みたいに言うから歩くことにした。もう、真夜中。けど歩いた。12時を過ぎても、歩いた。今思えば、元気だった。ある屋台で、そういえば誕生会?のような、ケーキに「ふ〜」みたいな、そんな情景を眺めながら、日本とよく似ているな、と思ったりする。

サムイルロという大通りを南に下る。目の前にソウルタワーが七色に光っていた。結局、ホテルにチェックインしたのは日付が変わって0時47分。フロントの方は流暢な日本語を話した。

部屋は快適だった。しかも広い。日本から予約していったが、ツインで6,480円。こういう時、同行者がいると助かる。そう、今回は、海外2人旅だ。ちなみにこのホテル、真夜中のソウルの町で、ホテル名を出して訪ねると、二人聞いて、二人とも知っていた。有名なのかな。それとも、ソウルの人は、知らなくても知ってるふりをして教えてくれるのかな。部屋に入り、もう遅いので、近くのファミリーマートで飲み物とお菓子を買う。ビールの350ml缶(HITE)が1800W、ポテトチップスは1000Wだった。



2009年9月27日(日)
ソウル、2日目。



実質、この日だけ、といってもいいソウル2日目。9時に起きて、10時にはホテルを出ていた。タクシー移動を多用することになる。初乗りは2400W。景福宮まで3700Wだった。10000W出すと、ドライバーはなにくわぬ顔で6000Wのおつりを出した。チップなのか?んなわけないよな、と思いつつ、「それより先を!」ということで、タクシーを降りた。景福宮では、衛兵交代?というか、中国史のような、それでいて朝鮮半島独特の、つまりは「それっぽい」儀式のようなものが見られた。写真を、なぜか、ものすごく撮った。みんなペ・ヨンジュンに見える。きっとぼくだけだけど。

そこからサンチョンドンに移動。日曜日の正午前、まだまだ人通りは少ない。屋台をかまえる人も、「準備中」だった。さてこのサンチョンドンというエリア。メインストリートを中心に、洒落たところだった。あまりにも洒落ているので、ランチはイタリアンにした。階段をあがって、できるだけ「元」をのおしつつモダンに仕上げた店内。絵画がたくさん飾ってあった。客は、欧米人が多い。Cook’n Heim。アートバーガーなる特大サイズのジューシービーフのハンバーガーが16000W、正直ぼくの味覚ではいまいちだったアーリオーリオパスタが13000W。アールグレーの紅茶7000Wにコーヒーは3000Wだった。このサンチョンドン、メインストリートから1本中にはいった小道が面白い。狭い店が、美味しそうな香りを放って、いろいろと作っている。壁の落書き(というより壁画として成り立つアート)もなかか興味深かった。

ランチを終え、タクシーで大学路へ。ここはエネルギッシュだ。若者が多い。それも劇団をやっている若者の、なんというか必死さが爽やかだった。日本人のぼくに、おもいきり韓国語でビラをみせながらごちゃごちゃと言い、「sorry but I’m Japanese」なんていうと「おっと、すいません」みたいなはにかんだ顔で去っていく。そんな中、ある青年が、そう言ったぼくに「いいじゃん、いいじゃん、見ていきなよ」といわんばかりにビラを手に掴ませ、劇場へ誘導使用とする。なんとも屈託のない笑顔だった。かわいい娘だったら、絶対、行っていた。行ってみれば下北。服屋やファストフードや、一面ガラス張りの超近代アートビルとか。やけに印象にのこっているのはゴリラが梯子を登っている看板。若者がとにかく多かった。

大学路からインサドンへ。ここは観光地としての落ち着きと、こなれた何ともいいようのない安定感があるエリアだ。古き良きものあり、オープンエアのモールあり。露天も「お土産」についつい手にとってしまいそうな品揃え。浅草の、外国人が好きそうなモノ、とぼくなんかが思う、そういうものを陳列している。筆を買いたいぼくは、そればかり覗く。ハングル文字のスターバックスの店舗も、まぁ、ここだけなので、覗く価値はあるかもしれない。韓国菓子とコーヒーを、休憩がてらいただく。その店から、路肩で売っている露天商をぼんやり眺めていた。

インサドンから、またタクシーでシーラへ。大規模な免税店がある。品揃えからいって、ロッテ免税店の比ではなく、ちょっと遠いがここまで来る価値はある。が、日本の団体格安旅行社のバスだらけ。ドルが安いので、ドル建てで買う免税店は、行ってみればテンションの上がる宝の山。スゴイ買い物のパワーを感じつつ、ついつい「引いて」しまう、ぼくは一人。

もう、この時点で夜にちかい。シーラからは街中までシャトルバスが出ている。それに乗って南大門へ向かう。「焼き肉 南大門」。小学生の頃、京都の四条大宮にあるその店に父親につれられ、食べたあの味。だから、南大門という名前に弱い。新世界で降りて、百貨店などを見ながら南大門市場を通る。ごちゃごちゃしたこの感じは好きだが、どうも「それ」を売りにしているようで、なじめなかった。格闘家武蔵に会った。

これが、南大門か、と眺めたその姿は、完全に工事中。そういえば放火されたんだった。

南大門から明洞まで歩き、焼き肉を食べる。その前に両替。今度は両替商で100円=7.6円で換える。明洞は、どうでもいいが、大都会だった。普通に、プーマのパーカーを買おうかな、と思ったぐらいだ。あの時、当時欲しかったフレッドペリーのパーカーがあって、日本より安かったら買っていたと思う。

焼き肉は「名所」という店に入った。たぶん、ちょっと高級だ。ロース28000W、味付カルビ29000W。とにかく、最初にならぶ小皿が多い。オイキムチはまさに絶品。あと、塩だれで食べる感じが、サイコーだった。

お腹もいっぱいになって、東大門まで歩く。夜景が綺麗だ。川もいい。東大門の近くを歩きながら、強引な客引きのおばちゃんにつかまって屋台で一杯。トッポギ、キンパなど、まぁ、雰囲気ありきで、その味も足されるって感じの「ソウルの夜」を楽しむ。飲み、すぎた。

雨が降ってきたので、ホテルに戻る。夜ももう、遅い。そして明日の朝は早い。



2009年9月28日(月)
ソウル、3日目。


7時起き。バスで空港に向かう。9000W。空港内のロッテリアでプルコギバーガーを食べた。なんとも、日本のどこかの地方都市にいった感じの「町の色」と「時間」だった。が、それでもソウルは、日本のどこにもない、ちょっとした外国を感じるには最適だと。成田空港に降り立ち、ぼくは思った。

ソウルの旅、無事終了!



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