名作誕生
つながる日本美術
東京国立博物館 平成館(上野)
2018年4月14日(土)

国宝、重要文化財のオンパレード。名作と呼ぶだけのラインナップで、良質なベスト盤を聞いているような感覚になる。現代アートや尖ったものを見て刺激を受けた体には、この「正真正銘名作」というのを見ることは、なんというか軸を正しい場所に戻してくれるような、背筋がピンとなる。

まず、第一、第二と階段を挟んで会場が別れており、最初の部屋は仏像。一本の木から彫られた手頃な大きさの十一面観音菩薩立像や、原寸大?のような薬師如来が立ち並ぶ。暗い部屋のピンライトで、仏像が浮かびあがる演出がいい。奈良から平安時代の仏像を眺めていると、彩りがはっきりしていた頃を思い浮かべ、改めて感嘆する。特に土台の蓮の葉の葉脈が素晴らしい。細部に渡るまで仕事が丁寧だ。

この時代の芸術は、=宗教。ガンダーラの地でギリシャ文化と出会った仏教が、アートになった。「紺紙金字法華経」(平安時代)をじっくり見る。色がパキッとしており、文字の1つ1つに乱れがない。同じ部屋には国宝の「普賢菩薩騎象像」や「普賢菩薩像」が並ぶ。見事なバランスで描かれたり、表面がはげて木目の出た象など、平安時代からこの平成の時代まで、時のもたらしたアートも、また見事だ。

山水画の部屋では、雪舟の行き着いた先、国宝「破墨山水図」(室町時代)がある。濃淡の見事さに筆の柔らかさが加わって、みていると不思議に思うほど惚れ惚れする。同じく雪舟、「四季花鳥図屏風」と「四季花鳥図」は、普段は京都国立博物館と京都の大仙院に別々にあるが、ここでは贅沢にも並んで見ることができる。ダイナミックな構図に息づく鶴。中国文化を模写し、オリジナルを生み出した天才。どストレートな芸術に、心を洗う。扇子の形にトリミングして、場面場面を切り取った俵屋宗達の「扇面散貼付屏風」もおもしろい。

そして、若冲。古くは唐、日本では奈良の時代から伝わる芸術を見てきても、若冲を見るとハッとする。同じ中国の絵を模写した若冲と狩野探幽を並べて展示しているので、その比較が実に傑作だ。バランス、伸びやかさ、色の入れ方、線の強弱。若冲は、「白」の使い方が非常にうまい。探幽のそれよりも、若冲の白鶴は、光って見える。そして、いつもながらに「目ぢから」が素晴らしい。

そのまま若冲の作品が続き、名作「仙人掌群鶏図襖」の前にソファがある。私はそこに腰をすえてじっくり眺める。そしてぼんやりする。どこまでも、丁寧すぎるほど丁寧で、実に大胆だ。ふと、「尾っぽ」。これでバランスを取って描いているのかと気がつくと、もはやそのデザイン力に驚くしかない。久しぶりに見たが、やはり素晴らしい。ちなみに、「鶏図押絵貼屏風」のかわいらしさや、「雪梅雄鶏図」のうぐいすの色など、見る度にため息がでるほど素晴らしい。

伊勢物語や源氏物語の名シーンを切り取った絵や硯箱を見て、スーッと飛び込んできた長谷川等伯の「松林図屏風」。これは何度も見ている。なのに、いつも初めてみるように驚く。これだけの靄、ぼんやりした輪郭、白と黒の世界。そのグレーな魅力が、どうしてこうも力強いのか。

蓮の花を集めた部屋は、おもしろい。これだけまとめて見る機会もそうそうないからだ。やわらかく、ロゴマークのようなシンプルさとインパクトを持った能阿弥の「蓮図」、インパクトという展では一番かも知れない「蓮下絵和歌巻段簡」(俵屋宗達の屁と本阿弥光悦の書)。と、気を抜きそうな所にあるのが、酒井抱一の「白蓮図」。江戸時代に描かれたコレは、現代のデザインでも十分に新しいと思わせるモノで、絵はがきにしたい、と思わせた。

国宝の「洛中洛外図屏風」(舟木本)まであるのか、と、今回のラインナップに改めて感嘆しつつ、菱川師宣の「見返り美人図」に後ろ髪を引かれながら、会場を出よう、、、とすると、最後の最後に岸田劉生の「野童女」までかえられている。だめ押しの名作。かつて、この一枚の絵を見るためだけに、わざわざ足を運んだ展覧会もあるというのに、それを最後の最後に、ちょこっとかけるあたり。名作の随を知る気がした。

以下の画像は、展覧会公式ホームページより抜粋

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